江井康胤(えねい・やすたね)監督は、福島県いわき市にある東日本国際大学附属昌平高校、通称「東日大昌平」の硬式野球部監督です。
千葉県出身。
高校は野田北高校(現在の野田中央高校)、大学は東北福祉大学へ進学しました。
現役時代は右投右打の内野手。
東北福祉大学では強打者として活躍し、仙台六大学野球リーグで首位打者と打点王をそれぞれ2度獲得。大学日本代表にも選ばれました。
大学卒業後は社会人野球のJTへ。
主力の三塁手として長くプレーし、2004年には廃部が決まっていたJTを都市対抗野球大会ベスト4へ導く一員となりました。
JT野球部の廃部後も野球をやめず、クラブチームの東北マークスへ移籍。
40代まで現役を続けました。
しかし、江井監督の経歴で特に興味深いのは現役引退後です。
そのまま野球指導者になったのではありません。
JTの社員として会社に残り、管理職まで務めました。
さまざまな立場や考え方を持つ社員をまとめ、人材育成や組織運営を経験。
その会社員としての経験が、現在の高校野球のチームづくりにも強く生かされています。
50歳の時、安定した会社員生活を手放して野球界へ復帰。
東日本国際大学硬式野球部の助監督となり、大学野球の指導に携わりました。
そして2023年、東日本国際大学附属昌平高校の監督へ就任。
就任から3年目の2026年夏、ついに同校を春夏通じて初となる甲子園へ導きました。
しかも初出場だけでは終わりません。
8月8日の1回戦では白樺学園を2対1で破り、学校史上初の甲子園勝利。
続く8月13日の2回戦では、全国的な強豪・青森山田を6対2で破りました。
東日大昌平は甲子園初出場から2連勝を挙げ、ベスト16へ進出。
そして2026年8月16日、学校史上初のベスト8をかけて、同じく春夏通じて甲子園初出場の有明高校と対戦します。
| 名前 | 江井 康胤 |
|---|---|
| 読み方 | えねい やすたね |
| 生年 | 1971年 |
| 年齢 | 55歳(2026年8月現在) |
| 出身地 | 千葉県 |
| 出身高校 | 野田北高校(現・野田中央高校) |
| 出身大学 | 東北福祉大学 |
| 現役時代のポジション | 内野手(三塁手など) |
| 投打 | 右投右打 |
| 社会人野球 | JT、東北マークス |
| 主な指導歴 | 東日本国際大学助監督、東日本国際大学附属昌平高校監督 |
| 高校監督就任 | 2023年 |
| 主な実績 | 2026年夏、東日大昌平を春夏通じて初の甲子園へ導き、初出場から2連勝・ベスト16 |
江井監督は千葉県出身。
高校は千葉県立野田北高校へ進学しました。
野田北高校はその後、野田高校との統合によって現在の野田中央高校となっています。
高校時代には内野手としてプレーしました。
甲子園で全国的に名前を知られた高校球児ではありませんでしたが、大学進学後に大きく成長します。
高校卒業後は宮城県仙台市の東北福祉大学へ進学しました。
東北福祉大学といえば、大学野球界を代表する強豪です。
多くの選手がプロ野球へ進んできました。
その厳しい環境の中で江井選手は内野手として頭角を現します。
仙台六大学野球リーグでは、
首位打者2回
打点王2回
を記録。
大学日本代表にも選ばれるまでになりました。
高校時代に全国的なスターだったわけではない選手が、大学4年間で日本代表クラスまで成長したことになります。

大学時代には日本代表にも選出されました。
全国の大学からトップクラスの選手が集まる中でプレーした経験は、江井監督の野球観にも大きな影響を与えたと考えられます。
技術だけではありません。
どうすれば自分の長所を生かせるのか。
レベルの高い集団の中で自分に何ができるのか。
チームの中でどのような役割を果たすのか。
現在の江井監督が選手一人ひとりの長所や考え方を尊重する背景には、こうした競争の激しい環境での経験もあるのでしょう。
大学卒業後、江井選手は日本たばこ産業(JT)へ入社。
社会人野球のJT硬式野球部でプレーしました。
主に三塁手として起用され、打線では中心を担う選手へ成長します。
社会人野球は、高校や大学とは大きく違います。
選手は会社員でもあります。
仕事をしながら野球をする。
チームの勝利だけでなく、所属企業を背負って大会に出場する。
江井監督はここで、長期間にわたって企業スポーツの世界を経験しました。
大きな転機となったのが2004年です。
JTは硬式野球部の廃部を決定。
長くプレーしてきたチームがなくなることになりました。
しかし最後のシーズンとなった2004年の都市対抗野球大会で、JTは快進撃を見せます。
そしてベスト4へ進出。
江井選手も主力としてチームを支えました。
所属していた企業チームがなくなれば、そのまま現役を引退する選手も少なくありません。
しかし江井選手は野球を続けました。
JT社員として勤務を続けながら、クラブチームの東北マークスへ移籍。
社会人野球でプレーを続けます。
補強選手として都市対抗へ出場するなど、30代以降も東北の社会人野球で活動しました。
江井監督は40代まで現役を続けました。
高校野球監督の中には、大学卒業後すぐ教師となって指導者になった人も多くいます。
江井監督はまったく違います。
高校野球。
大学野球。
社会人企業チーム。
クラブチーム。
それぞれ異なる環境で長く選手生活を送りました。
この経験の幅が、現在の指導者としての大きな強みとなっています。
選手生活を終えた後もJTを退職したわけではありません。
社員として会社に残り、管理職まで務めました。
江井監督自身、管理職時代には立場も考え方も異なる多くの人をまとめてきたと振り返っています。
そして、ここで得た経験が現在のチームづくりに直結しています。
江井監督が管理職時代に学んだ重要な考え方があります。
トップが自分の考えをすべて押し付ければ、組織はトップ本人が想像できる範囲までしか成長しにくいということです。
選手には選手の考えがある。
コーチにはコーチの考えがある。
それぞれに監督にはない長所があります。
その力を引き出し、任せられるところは任せる。
そうすることで、
「監督一人の力量を超えたチーム」
をつくっていく。
これが江井監督の組織づくりの大きな特徴です。
江井監督の人生で、もう一つ大きな転機となったのが50歳の時です。
大学時代の先輩から東日本国際大学野球部の指導を打診されました。
しかし、当時はJTの管理職。
安定した仕事がありました。
会社員としてそのままキャリアを続けることもできました。
それでも江井氏は数カ月悩んだ末に転職を決断します。
理由は、
「野球に恩返しをするなら今しかない」
と考えたからでした。
50歳で東日本国際大学野球部の助監督へ転身しました。
2022年の全日本大学野球選手権でも、東日本国際大学のスタッフとして助監督を務めています。
長く企業人として生活してきた人物が、50歳を過ぎて再び野球を本業とする人生へ戻ったことになります。
その後、東日本国際大学附属昌平高校の監督に就任しました。
2023年から現在の職に就いています。
高校生を本格的に指導するのは、江井監督にとって新しい挑戦でした。
大学生と高校生では考え方も違います。
しかも高校野球では、チームづくりだけではなく選手集めも重要になります。
江井監督が監督就任後に苦労したことの一つが選手集めでした。
当時は高校野球界に十分な人脈があったわけではありません。
監督就任が決まった頃には、中学3年生の多くがすでに進路を決めていました。
そこで野球関係者へ連絡を重ね、中学生へ声をかけ続けました。
声をかけた人数は100人を大きく超えたとされています。
2026年の3年生は、江井監督が高校監督として本格的に集めた最初の世代です。
その選手たちが学校史上初の甲子園出場を実現しました。
江井監督の指導では、「野球を通した人間教育と地域への貢献」が大きなテーマとなっています。
野球で勝つだけではありません。
高校卒業後。
大学卒業後。
社会に出てから。
周囲とどのように関わり、組織の中でどう力を発揮できる人物になるのか。
会社員として長い社会経験を持つ江井監督だからこそ伝えられる部分です。
江井監督が選手やスタッフへ求めるのは、監督の指示を忠実に実行することだけではありません。
自分で考える。
自分の強みを知る。
自分の役割を果たす。
必要な場面では自分で判断する。
監督は全体の方向を示しますが、すべてを細かく管理しません。
会社の管理職として培った人材育成の発想が、そのまま高校野球にも生かされています。

監督就任から3年。
2026年夏、東日大昌平は福島大会を勝ち抜き、福島県代表となりました。
学校にとって春夏を通じて初めての甲子園出場です。
野球部創部から長い年月を経て、ついに全国の舞台へたどり着きました。
江井監督自身も、高校時代には甲子園を経験していません。
55歳になって監督として初めて甲子園のベンチに入りました。
2026年8月8日。
東日大昌平は北北海道代表・白樺学園との甲子園初戦に臨みました。
試合は終盤まで1対1の接戦。
そして9回、今大会から導入されたビデオ検証が試合の大きなポイントになります。
2死一、二塁。
二塁走者の小内壱晟選手がけん制でアウトと判定されました。
そのままであれば攻撃終了です。
しかし東日大昌平側がビデオ検証を求めた結果、判定が覆ってセーフとなりました。
そして直後。
入ケ町隼仁選手の一打で小内選手が生還。
これが決勝点となります。
東日大昌平2対1白樺学園。
学校史上初めての甲子園で、いきなり初勝利を達成しました。
初戦の勝利を支えたのがエース・照沼佑崇投手です。
白樺学園戦では9回を一人で投げ抜きました。
6安打1失点。
投球数は141球。
初めての甲子園という大舞台でも大崩れせず、接戦を最後まで守り切りました。
江井監督がつくってきた「守ってチャンスを待つ野球」を象徴する試合でもありました。
初戦を突破した東日大昌平は、8月13日の2回戦で青森県代表・青森山田と対戦しました。
青森山田は2024年夏の甲子園でベスト4へ進出した全国屈指の強豪。
春夏通じて初出場の東日大昌平にとって、大きな壁となる相手でした。
しかも東北勢同士の対戦。
東日大昌平の実力が全国レベルでどこまで通用するのかが問われる一戦となりました。
試合は序盤、両チームとも得点を奪えない展開となりました。
均衡を破ったのは東日大昌平です。
4回。
金沢匠良選手の適時打で1点を先制しました。
しかし5回表、青森山田が1点を返し、1対1の同点。
全国経験豊富な青森山田が簡単には主導権を渡しません。
ここで東日大昌平が見せたのが、江井監督の掲げる「選手が考える野球」でした。
1対1で迎えた5回裏。
無死一塁。
打席には9番・小内壱晟選手が入りました。
バントの構えを見せながら、投球に合わせてバットを引き、強く振り抜きます。
打球は左翼線へ。
勝ち越しの適時二塁打となりました。
この一打をきっかけに打線がつながります。
東日大昌平は満塁のチャンスをつくり、相手守備の乱れなども絡んで一気に得点。
この回だけで5点を奪いました。
1対1だった試合が、一気に6対1。
試合の流れを大きく引き寄せました。
小内選手のバスターについて注目されるのは、単に監督のサイン通りに動いただけではない点です。
実際にグラウンドに立っている選手だからこそ感じられる相手守備の位置や試合の流れがあります。
江井監督は、そうした選手の感覚や判断を大切にしています。
監督がすべてのプレーを細かく決めるのではない。
選手自身が試合の中で考える。
そして判断する。
青森山田戦の5回は、江井監督が目指してきたチームづくりが甲子園という舞台で形になった場面だったといえます。
打線が6点を奪う一方、マウンドでは再び照沼佑崇投手が力投しました。
白樺学園戦から中4日。
それでも2回戦でも先発マウンドを任されました。
青森山田打線に7安打を許しましたが、要所で粘ります。
5回と6回に1点ずつを失ったものの、その後は追加点を許しませんでした。
9回まで投げ抜き、
9回7安打2失点、112球。
白樺学園戦に続く2試合連続の完投勝利となりました。
結果は、
東日大昌平6対2青森山田。
春夏通じて初出場の東日大昌平が、全国強豪の青森山田を破りました。
白樺学園に2対1。
青森山田に6対2。
東日大昌平は初めての甲子園で2試合連続勝利。
学校史上初となるベスト16進出を決めました。
春夏を通じて初出場の学校が、甲子園で1勝するだけでも簡単ではありません。
東日大昌平はその最初の大会で2勝。
しかも2勝目の相手は全国経験豊富な青森山田でした。
江井監督は試合後、選手たちが試合を重ねるごとに成長していることを実感しているという趣旨で振り返っています。
青森山田戦の勝利は、東日大昌平だけの記録ではありません。
福島県勢にとっても大きな意味を持ちました。
近年、福島県の高校野球といえば甲子園常連の聖光学院が全国でも結果を残してきました。
しかし東日大昌平は、その聖光学院とは別の学校として夏の甲子園で2勝を達成。
福島県勢で聖光学院以外の学校が夏の甲子園で2勝するのは、1983年の学法石川以来43年ぶり。
初出場校による快進撃であると同時に、福島県高校野球にとっても新しい歴史となっています。
2試合連続完投した照沼投手は、ここまで甲子園で大きな役割を果たしています。
白樺学園戦。
141球。
青森山田戦。
112球。
2試合合計253球。
高校野球では投手の疲労や連投が注目されるだけに、3回戦での起用も大きなポイントとなりました。
東日大昌平の3回戦は2026年8月16日。
相手は熊本県代表・有明高校です。
試合開始は午前10時30分予定。
有明も東日大昌平と同じく、2026年夏が春夏通じて初めての甲子園出場です。
しかも有明も初出場から2連勝。
1回戦では立命館宇治を6対3で破り、2回戦では長崎日大に3対2で勝利しました。
つまり、
「春夏通じて初出場の学校同士によるベスト8決定戦」
となります。
どちらが勝っても学校史上初の甲子園ベスト8です。
そして試合直前に明らかになったのが、江井監督の投手起用です。
有明戦でも、エース照沼佑崇投手が先発します。
甲子園3試合連続の先発です。
ここまで2試合で253球。
疲労が気になるところですが、江井監督は照沼について、投げることによって調子を上げていくタイプと見ています。
そのため3回戦でもエースへマウンドを託しました。
白樺学園戦では1失点完投。
青森山田戦では2失点完投。
初出場校の快進撃を支えてきた右腕が、学校史上初のベスト8をかけた一戦でも先発します。
一方の有明は、複数の左腕投手を使いながら勝ち上がってきました。
大量得点で押し切るだけのチームではありません。
投手陣。
守備。
機動力。
接戦での粘り。
こうした部分を武器に2試合を勝ち抜いています。
江井監督も有明投手陣を高く評価しており、東日大昌平打線がどれだけ得点を奪えるかが試合のポイントになります。
東日大昌平が有明に勝てば、学校史上初となる甲子園ベスト8です。
甲子園初出場を決めた時点ですでに学校の歴史を塗り替えていました。
そこから白樺学園に勝利。
青森山田にも勝利。
今度は準々決勝進出がかかります。
わずか数週間前まで甲子園で1試合も戦ったことがなかった学校が、全国8強まであと1勝という位置まで来ました。
2026年夏は、有明と東日大昌平の両校が春夏通じて甲子園初出場。
そして両校とも2勝して3回戦まで進みました。
近年は初出場校が甲子園で2試合を勝ち抜くこと自体が珍しくなっています。
その2校が3回戦で直接対戦するため、
2026年夏は春夏通じて初出場の学校が必ずベスト8へ進出する
ことになります。
東日大昌平にとっても、有明にとっても学校の歴史を大きく変える一戦です。

選手、コーチ、スタッフそれぞれの長所を生かします。
監督の考えだけを押し付けないことで、組織全体の可能性を広げます。
選手やスタッフが自分で考える余地を残します。
監督がすべての答えを与えるのではなく、自分で判断できる人材を育てます。
青森山田戦で小内壱晟選手のバスターから一気に試合の流れを引き寄せたことも、選手自身の判断力を重視するチームづくりを象徴する場面でした。
社会人野球だけではなく、JTで管理職まで経験しました。
人材育成。
組織運営。
コミュニケーション。
役割分担。
一般企業で学んだものを高校野球へ持ち込んでいます。
高校野球は長い人生の一部にすぎません。
大学。
就職。
その先の社会生活。
そこまで考え、人間として成長することを重視します。
実際にグラウンドでプレーするのは選手です。
監督自身が目立つのではなく、選手一人ひとりが持っている力を本番で出し切れるように支えることを大切にしています。
試合中、ベンチから見えるものと実際にグラウンドに立つ選手が感じるものは必ずしも同じではありません。
江井監督は選手自身の感覚も大切にします。
青森山田戦のような全国大会の大舞台でも、選手が自ら判断できるチームへ成長していることが、2連勝につながっています。
| 時期 | 経歴・実績 |
|---|---|
| 1971年 | 千葉県に生まれる |
| 高校時代 | 野田北高校(現・野田中央高校)で野球部に所属 |
| 大学時代 | 東北福祉大学で内野手として活躍 |
| 大学時代 | 仙台六大学リーグで首位打者2回、打点王2回。大学日本代表を経験 |
| 大学卒業後 | JTへ入社し、社会人野球でプレー |
| 2004年 | JT最後の都市対抗野球大会でベスト4 |
| JT廃部後 | 東北マークスへ移籍し、40代まで現役を続ける |
| 現役引退後 | JT社員として管理職を務める |
| 50歳 | JTを離れ、東日本国際大学野球部の指導者へ転身 |
| 2022年 | 東日本国際大学硬式野球部助監督として全日本大学野球選手権に参加 |
| 2023年 | 東日本国際大学附属昌平高校監督に就任 |
| 2026年夏 | 東日大昌平を春夏通じて初の甲子園へ導く |
| 2026年8月8日 | 白樺学園を2対1で破り、学校史上初の甲子園勝利 |
| 2026年8月13日 | 青森山田を6対2で破り、初出場でベスト16進出 |
| 2026年8月16日 | 3回戦で有明と対戦。学校史上初のベスト8をかける |

「江井康胤」は、
「えねい・やすたね」
と読みます。
珍しい名字のため「えい」などと読まれることもありますが、読み方は「えねい」です。
1971年生まれで、2026年8月現在55歳です。
千葉県です。
千葉県立野田北高校です。
同校は統合により現在の野田中央高校となっています。
東北福祉大学です。
大学では内野手として活躍し、首位打者と打点王をそれぞれ2度獲得。大学日本代表も経験しました。
プロ野球選手ではありません。
社会人野球のJT、東北マークスで長くプレーしました。
内野手です。
JTでは主に三塁手として中心打者を務めました。
はい。
JTでは野球部廃部後も社員として勤務を続け、管理職まで務めました。
東日本国際大学から指導の誘いを受けたことがきっかけです。
安定した会社員生活を続けるか悩んだものの、「野球へ恩返しするなら今しかない」と考え、転職を決断しました。
2023年からです。
2026年夏が春夏を通じて初出場です。
2026年8月16日の3回戦開始前時点で2勝しています。
1回戦で白樺学園を2対1で破り、学校史上初勝利。
2回戦では青森山田を6対2で破りました。
東日大昌平が6対2で勝利しました。
1対1の5回に小内壱晟選手の勝ち越し二塁打をきっかけに一挙5点。
エース照沼佑崇投手が9回2失点で完投しました。
2026年8月16日現在、ベスト16まで進出しています。
3回戦で有明高校と対戦し、勝てば学校史上初のベスト8です。
熊本県代表の有明高校です。
有明も東日大昌平と同じく、2026年夏が春夏通じて初めての甲子園出場です。
両校とも初出場から2連勝しているため、初出場校同士によるベスト8決定戦となります。
東日大昌平はエース・照沼佑崇投手が3試合連続で先発します。
照沼投手はここまで白樺学園戦、青森山田戦の2試合をいずれも完投しています。
大企業で管理職を務めた経験を生かした「組織づくり」です。
監督一人がすべてを決めるのではなく、選手やスタッフの能力を引き出し、任せるところは任せるという考えを大切にしています。
2026年夏の甲子園でも、選手自身の判断や試合中の感覚を尊重する姿勢が結果につながっています。
江井康胤監督は1971年生まれ、千葉県出身。
野田北高校から東北福祉大学へ進み、大学では強打の内野手として活躍しました。
仙台六大学リーグで首位打者2回、打点王2回。
さらに大学日本代表も経験しています。
大学卒業後はJTへ入社。
社会人野球選手として長く活躍し、2004年には廃部が決まっていたJTで都市対抗ベスト4を経験しました。
その後も東北マークスへ移籍し、40代まで現役を続けます。
現役引退後はJTで管理職へ。
ここで人材育成や組織運営を経験しました。
そして50歳。
安定した企業人生を手放し、
「野球に恩返しをするなら今しかない」
と東日本国際大学の助監督へ転身します。
2023年には東日大昌平高校の監督へ。
高校野球界では十分な人脈がない状態から選手集めを始め、自分自身で声をかけた最初の世代を育てました。
そして2026年。
その世代が3年生になった夏、東日大昌平は春夏通じて初めて甲子園へ出場しました。
しかし、江井監督と東日大昌平の快進撃は「初出場」だけでは終わりません。
8月8日。
白樺学園との初戦を2対1で勝利。
9回にはビデオ検証でアウト判定がセーフへ覆り、その直後に決勝点を奪いました。
学校史上初の甲子園勝利です。
そして8月13日。
2回戦の相手は全国強豪の青森山田。
1対1で迎えた5回、小内壱晟選手のバスターによる勝ち越し二塁打をきっかけに一挙5得点。
エース照沼佑崇投手が112球、2失点で完投し、
6対2で青森山田を破りました。
甲子園初出場から2連勝。
学校史上初のベスト16。
さらに福島県勢としても、聖光学院以外の学校が夏の甲子園で2勝を挙げるのは43年ぶりという結果になりました。
そして2026年8月16日。
東日大昌平は学校史上初となるベスト8をかけ、有明高校と対戦します。
有明も春夏通じて初出場。
そして同じく2連勝。
初出場校同士によるベスト8決定戦です。
東日大昌平の先発は、白樺学園戦で141球、青森山田戦で112球を投げ抜いた照沼佑崇投手。
2試合合計253球を投げていますが、江井監督は3試合連続でエースへ先発マウンドを託しました。
江井監督の指導で特に興味深いのは、社会人野球の経験だけではなく、
「普通の会社員として働き、管理職として組織を率いた経験」
を高校野球へ持ち込んでいることです。
監督が全部決めれば、そのチームは監督本人の能力以上にはなりにくい。
選手やスタッフには監督にない考えや長所がある。
だから任せる。
一人ひとりの力を引き出す。
そうすることで、
「監督の力量を超えたチーム」
をつくる。
2026年夏の甲子園で、その考え方が結果として表れ始めています。
高校野球一筋で歩いてきた指導者ではありません。
大学日本代表。
社会人野球。
企業チームの廃部。
クラブチーム。
40代までの現役生活。
大企業の管理職。
50歳での転職。
大学野球指導。
そして高校野球監督。
遠回りにも見えるさまざまな経験が、55歳になった2026年夏、学校史上初の甲子園出場へとつながりました。
そして初勝利。
さらに2勝目。
今度はベスト8が目の前にあります。
「監督就任3年目で甲子園初出場」から、「初出場で2連勝」へ。
2026年8月16日午前10時30分。
江井康胤監督と東日大昌平は、有明高校との3回戦でさらに新しい歴史へ挑みます。