那賀誠(なか・まこと)監督は、大分県立大分商業高校硬式野球部を率いる高校野球指導者です。
大分県出身。
大分鶴崎高校から日本体育大学へ進み、卒業後は高校教員として大分県内の野球部を長年指導してきました。
大野高校で副部長を務めたのを皮切りに、大分舞鶴、津久見、鶴崎工業、三重総合などで監督・部長を歴任。大分商野球部OB会の資料では、体育科指導者として35年以上のキャリアを持つベテランとして紹介されています。
2022年に大分商へ赴任し、同年8月に監督へ就任。
わずか半年ほど後の2023年春にはチームをセンバツ甲子園へ導きました。
そして2026年夏。
大分商は13年ぶり16回目となる夏の甲子園出場を果たします。
1回戦では日本文理を6対4で破り、大分商として29年ぶりとなる甲子園勝利を記録しました。
続く2回戦では、2026年春のセンバツ8強・英明と対戦。
大分商は中盤までロースコアの展開に持ち込んだものの、終盤に突き放され、1対6で敗れました。
那賀監督にとって2026年夏の甲子園は、監督として初めて勝利を挙げた大会であると同時に、強豪校との力の差をあらためて感じる大会にもなりました。
那賀監督の特徴は、長い指導歴を持つベテランでありながら、選手へ細かく指示し続けるのではなく、選手自身が練習内容を考える「自主性」を重視していることです。
一方で、勝負の場面では「熱」や「気持ち」を非常に大切にします。
技術。
体力。
自主性。
そして勝負への強い気持ち。
これらを組み合わせながら、大分商らしい野球をつくっている監督です。
| 名前 | 那賀 誠 |
|---|---|
| 読み方 | なか まこと |
| 生年月日 | 1967年5月16日 |
| 年齢 | 59歳(2026年8月現在) |
| 出身地 | 大分県 |
| 出身高校 | 大分鶴崎高校 |
| 出身大学 | 日本体育大学 |
| 現役時代 | 捕手としてプレー |
| 指導開始 | 1991年 |
| 主な指導校 | 大野高校、大分舞鶴高校、津久見高校、鶴崎工業高校、三重総合高校、大分商業高校 |
| 大分商監督就任 | 2022年8月 |
| 主な実績 | 2023年春センバツ出場、2026年夏甲子園出場、日本文理戦で29年ぶりの甲子園勝利 |
| 2026年夏の甲子園 | 1回戦・日本文理に6対4で勝利、2回戦・英明に1対6で敗退 |
2023年春のセンバツでは55歳、2026年夏の甲子園では59歳。出身校や長年にわたる指導歴については、大分商野球部OB会の資料でも紹介されています。
那賀監督は大分県出身。
高校は大分鶴崎高校へ進学しました。
現役時代は捕手としてプレー。
高校卒業後は日本体育大学へ進学しています。
日本体育大学は、多くの体育教員やスポーツ指導者を輩出してきた大学です。
那賀監督も大学卒業後、体育科教員として高校教育の道へ進みました。

那賀監督の高校野球指導は1991年から始まりました。
最初は大野高校で副部長を務めています。
その後は大分県内のさまざまな学校で野球部を指導。
大分舞鶴高校。
津久見高校。
鶴崎工業高校。
三重総合高校。
などで監督や部長を経験しました。
一つの学校だけで長期間指導してきた監督ではありません。
学校ごとに、
部員数。
設備。
選手の能力。
校風。
野球部の歴史。
は異なります。
さまざまな環境でチームづくりを経験してきたことが、那賀監督の大きな特徴です。
那賀監督が指導してきた学校には、甲子園出場経験を持つ伝統校もあれば、限られた戦力の中で県大会上位を目指す学校もあります。
特に三重総合時代には、
「泥んこ野球」
を掲げ、全力疾走やひたむきなプレーを重視していました。
冬場の基礎体力強化や食事にも目を向け、選手の身体づくりにも力を入れてきました。
現在の大分商でも、技術だけではなく体力、精神面、野球へ取り組む姿勢を重視しています。
那賀監督が長年大切にしてきた考えの一つが、
野球の技術だけではなく、人間性も磨く
ということです。
2023年春のセンバツでも、選手たちに人間的な成長を求めていました。
甲子園のベンチ入りから外れた選手についても、自分がチームのために何ができるのかを考え、その経験を成長につなげてもらいたいという考えです。
勝つためだけの野球ではない。
しかし勝負になれば、本気で勝ちに行く。
教育と競技を両立させることが、那賀監督の高校野球観の一つといえるでしょう。
2022年春、那賀氏は大分商へ赴任しました。
当初は野球部長を務め、その後、2022年8月から監督となります。
大分商は大分県高校野球を代表する伝統校です。
1931年夏には大分県勢として初めて甲子園へ出場。
源田壮亮、森下暢仁、川瀬晃など、後にプロ野球へ進んだ選手も輩出しています。
2026年夏には13年ぶり16回目となる夏の甲子園出場を達成しました。
長年、大分県内のさまざまな学校で指導してきた那賀監督が、50代半ばで県内屈指の伝統校を任されることになったのです。

那賀監督が大分商監督へ就任したのは2022年8月。
新チーム発足とほぼ同じ時期でした。
その秋、大分商は九州大会で結果を残し、2023年春のセンバツ出場校に選ばれました。
大分商としては3年ぶり7回目のセンバツ出場。
那賀監督にとって、大分商監督就任からわずか半年ほどでの甲子園となりました。
センバツでは作新学院と対戦。
6対8で敗れましたが、序盤にリードを許しながらも終盤まで追い上げました。
結果は初戦敗退。
しかし甲子園で強豪校と戦った経験は、その後のチームづくりにも生かされていくことになります。
那賀監督は、昔ながらの精神論だけに頼る指導者ではありません。
2022年秋以降の大分商では、通常より長い「長尺バット」を使った打撃練習を導入しました。
腕の力だけでバットを振るのではなく、
身体の軸。
下半身。
身体全体の回転。
を使ってバットを振る感覚を身につけるための練習です。
2023年のセンバツへ向けたチームづくりでも、打撃だけではなく選手の身体そのものを強くすることが重視されていました。
那賀監督の指導は、年齢を重ねるほど選手を管理する方向へ進んでいるわけではありません。
むしろ現在は、
選手自身が考えること
を強く求めています。
2026年の大分商では、水曜・金曜の技術練習について、選手側から練習内容を提案することも日常的になっています。
「走者を置いたノックが必要ではないか」
「実戦形式で投手に投げてもらいたい」
など、自分たちに何が足りないのかを考え、そのために必要な練習を選手自身が提案します。
監督から言われたことだけをこなすチームではなく、自ら課題を見つけるチームをつくろうとしているのです。
投手についても基本的な考え方は同じです。
那賀監督がすべてを一律に管理するのではなく、選手自身が自分の身体の状態を考えることを求めています。
ブルペンへ入るかどうかについても、本人の感覚や状態を尊重します。
一方で、フォームづくりでは傾斜のない平らな場所での投球などを通じ、下半身から上半身への連動や、きれいな回転のボールを投げることを重視しています。
「任せる」と「何も教えない」は違います。
技術的な土台や考え方は伝えたうえで、最終的には自分自身で判断できる選手を育てようとしているのです。
2026年時点で、那賀監督の高校野球指導歴は35年以上になります。
それだけ経験があれば、監督自身がすべての練習や戦術を決めることもできます。
しかし現在の大分商では、選手が自分たちで考える余地を増やしています。
これは高校野球の先まで見据えた指導ともいえるでしょう。
大学。
社会人。
プロ野球。
一般企業。
どの道へ進んでも、常に監督や指導者が答えを与えてくれるわけではありません。
自分で考え、自分で準備し、自分の行動に責任を持つ。
そうした力を高校野球を通じて身につけてもらいたいという考えが、那賀監督の指導から見えてきます。
自主性を重視する一方、那賀監督は勝負の場面で精神的な「熱」を強く求めます。
2026年春、大分県で長く強さを見せてきた明豊について、那賀監督は大分商の選手が無意識のうちに相手を上に見てしまうことを課題としていました。
相手も同じ高校生。
最初から「自分たちより強い」と思ってしまえば、本来の力は出せません。
そこで那賀監督が強調してきたのが、強豪校と同じ目線で戦うための気持ちです。
技術だけでなく、相手の圧力に負けない「熱」が必要。
自主性を重んじる那賀監督ですが、勝負に対する闘争心については妥協しません。
2026年夏の大分商には、最速150キロを超える平田玲翔投手という全国的にも注目されるエースがいました。
しかし那賀監督は、平田一人だけに依存するチームをつくりませんでした。
複数の投手を準備する。
送りバントを使う。
走塁で相手を揺さぶる。
小さなチャンスを得点につなげる。
守備では一つのミスを次のミスへ広げない。
そうした「全員で勝つ野球」が2026年の大分商の特徴でした。
大分大会でも、一人のスターだけではなく、試合ごとに違う選手が活躍。
その総合力で13年ぶりとなる夏の甲子園出場をつかみました。

2026年夏。
大分商は大分大会を勝ち抜き、2013年以来13年ぶり16回目となる夏の甲子園出場を決めました。
那賀監督にとっては、2023年春のセンバツ以来となる甲子園。
そして夏の全国選手権では、監督として初めて甲子園のベンチへ入りました。
大会前から注目されたのは、プロからも高く評価される平田玲翔投手。
しかし那賀監督は、エースだけで勝つのではなく、チーム全体で試合をつくる方針を貫きました。
2026年8月8日。
大分商は1回戦で新潟代表・日本文理と対戦しました。
序盤にリードを許しましたが、5回に追いつき、その後逆転。
6対4で勝利しました。
大分商が甲子園で勝利するのは29年ぶり。
那賀監督にとっても、監督として初めての甲子園勝利となりました。
プロ注目の平田投手は救援登板し、150キロを超える速球を披露。
しかし勝利はエース一人だけの力で得たものではありませんでした。
送りバント。
適時打。
継投。
守備。
大分大会から続けてきた「全員で勝つ野球」が甲子園でも発揮されました。
伝統校・大分商にとって、長く遠ざかっていた甲子園での白星。
那賀監督にとっても、高校野球指導者として35年以上を歩んできた末につかんだ大きな1勝となりました。
1回戦を突破した大分商は、2026年8月13日の2回戦で香川県代表・英明と対戦しました。
英明は2026年春のセンバツでベスト8に進出していた強豪。
大分商にとって大きな壁となる相手でした。
那賀監督が描いていたのはロースコアの接戦です。
プロ注目の平田を最初から先発させるのではなく、米田泰志投手を先発に起用。
平田は勝負どころで投入するリリーフとして待機しました。
那賀監督は日本文理戦に続き、英明戦でもエース・平田だけに頼らない投手起用を選択しました。
先発したのは3年生の米田泰志投手。
米田は4回を投げて1失点。
強打の英明を相手に、大分商が十分に戦える展開をつくりました。
そして0対1の5回。
満を持して平田玲翔投手がマウンドへ上がります。
那賀監督は平田について、最初から静かな状況で投げるよりも、勝負どころで登板した方が本来の力を発揮しやすいタイプと考えていました。
米田が試合をつくり、後半を平田へ託す。
大分商が2026年夏に採用してきた継投策でした。
試合は中盤まで大分商の狙い通りのロースコアで進みました。
英明は3回に1点を先制。
大分商は0対1のまま5回から平田を投入します。
6回に英明が犠牲フライで1点を追加し、0対2。
それでも8回終了時点では2点差。
大分商にも逆転の可能性が残されていました。
しかし9回表。
英明打線が大分商を一気に攻めます。
適時打や長打などで4点を追加。
スコアは0対6となりました。
大分商は9回裏、4番・伊東大雅の適時打で1点を返します。
最後まで無得点では終わらない意地を見せましたが、反撃はそこまで。
大分商1対6英明。
大分商の2026年夏の甲子園は、2回戦で幕を閉じました。
試合後、那賀監督は英明の力が大分商を上回っていたことを認め、「完敗でした」と振り返りました。
一方で、ミスがありながらも最後まで戦った選手たちについては、その奮闘を評価しています。
平田は5回から登板。
最終的には5イニングで5失点となりましたが、8回までは英明を相手に接戦を維持していました。
大分商打線も得点圏へ走者を進める場面をつくりましたが、英明投手陣を最後まで攻略することができませんでした。
甲子園で勝つことの難しさ。
全国上位クラスのチームとの力の差。
そして一つのミスが試合の流れを大きく変える甲子園の怖さ。
29年ぶりの勝利と2回戦敗退。
2026年夏の2試合は、那賀監督と大分商の選手たちにとって、まったく異なる甲子園の表情を経験する大会となりました。
2026年の甲子園では、那賀監督のチームづくりや采配の特徴もよく表れていました。
150キロを超える速球を持つ平田がいても、最初から最後まで一人で投げさせる野球にはしませんでした。
日本文理戦でも英明戦でも、他の投手から平田へつなぐ形を採用。
特に英明戦では米田が4回1失点と役割を果たしています。
那賀監督は投手を単なる「エースとその他」として扱うのではなく、それぞれに役割と期待を与えています。
強豪・英明を相手に米田を先発させたことにも、選手への信頼が表れていました。
0対6となった9回裏にも、大分商は1点を返しました。
試合の結果は大きく傾いていましたが、最後まで得点を狙う姿勢を失いませんでした。
スター選手一人ではなく、チーム全員で戦う。
これは那賀監督が大分商でつくってきた野球そのものでもあります。
高校野球を教育の一環として考え、技術だけではなく人間的な成長を求めます。
試合に出られない選手にも、自分がチームのために何ができるかを考えさせます。
現在の大分商では、選手が練習メニューを提案することもあります。
監督から与えられる練習をただこなすのではなく、自分たちの課題を考えて練習するチームを目指しています。
三重総合時代から基礎体力や食事を重視。
大分商でもウエートトレーニングや身体の使い方を意識した打撃練習を取り入れています。
複数の投手を準備し、試合展開に応じて継投。
2026年夏の甲子園でも、プロ注目の平田だけに頼らず、投手陣全体で試合をつくりました。
英明戦では米田が4回1失点で試合をつくり、5回から平田へつなげています。
技術やデータだけでは、強豪校が持つ圧力に負けることがあります。
相手を必要以上に大きく見ず、同じ目線で本気で勝ちに行く精神状態を重視しています。

| 時期 | 経歴・実績 |
|---|---|
| 1967年5月16日 | 大分県に生まれる |
| 高校時代 | 大分鶴崎高校で野球部に所属、捕手としてプレー |
| 高校卒業後 | 日本体育大学へ進学 |
| 1991年 | 大野高校で高校野球指導を開始 |
| その後 | 大分舞鶴、津久見、鶴崎工業などで監督・部長を歴任 |
| 三重総合時代 | 監督として「泥んこ野球」を掲げ、身体づくりやひたむきなプレーを重視 |
| 2022年春 | 大分商へ赴任し、野球部長を務める |
| 2022年8月 | 大分商監督に就任 |
| 2023年春 | 大分商を3年ぶり7回目のセンバツへ導く |
| 2026年夏 | 大分商を13年ぶり16回目の夏の甲子園へ導く |
| 2026年8月8日 | 日本文理を6対4で破り、大分商に29年ぶりの甲子園勝利をもたらす |
| 2026年8月13日 | 甲子園2回戦で英明と対戦。1対6で敗れ、2026年夏は2回戦敗退 |
「那賀誠」は、
「なか・まこと」
と読みます。
1967年5月16日生まれで、2026年8月現在59歳です。
大分鶴崎高校です。
日本体育大学です。
捕手としてプレーしていました。
大野高校、大分舞鶴高校、津久見高校、鶴崎工業高校、三重総合高校などで指導しています。
監督だけでなく部長・副部長も経験しています。
2022年8月からです。
2023年春のセンバツです。
2026年8月8日の日本文理戦です。
大分商が6対4で勝利し、学校としても29年ぶりとなる甲子園勝利でした。
2回戦まで進みました。
1回戦では日本文理に6対4で勝利。
2回戦では2026年春のセンバツ8強・英明と対戦し、1対6で敗れました。
いいえ。
英明戦では米田泰志投手が先発しました。
米田が4回1失点で試合をつくり、5回から平田玲翔投手がリリーフ登板しています。
人間性、身体づくり、自主性、勝負への強い気持ちを重視しています。
近年は選手自身が練習メニューを提案するなど、経験豊富な監督でありながら、選手へ任せる部分を増やしています。
一方で、強豪校との勝負では相手を必要以上に恐れず、「同じ高校生」として対等に戦う姿勢を強く求めています。
那賀誠監督は、大分鶴崎高校から日本体育大学へ進み、1991年から大分県内で高校野球を指導してきたベテランです。
大野高校で副部長として指導者人生をスタート。
その後、大分舞鶴、津久見、鶴崎工業、三重総合など、さまざまな学校で監督・部長を経験しました。
そして2022年、大分商へ。
同年8月に監督となると、翌2023年春にはセンバツへ導きました。
那賀監督は長い指導歴を持っています。
しかし、その指導方法は「昔ながらのベテラン監督」という一言では説明できません。
選手自身に練習を考えさせる。
投手にも自分の身体の状態を考えさせる。
身体づくりではウエートや食事を重視する。
打撃では長尺バットなど新しい方法も取り入れる。
一方で、大きな勝負では「熱」や「気持ち」を強く求めます。
「任せるところは任せる。しかし勝負から逃げない」
という姿勢が、那賀監督の現在の指導スタイルをよく表しています。
2026年夏、大分商は13年ぶりに夏の甲子園へ戻りました。
そして8月8日の日本文理戦では6対4で勝利。
大分商にとって29年ぶり、那賀監督にとって監督として初めての甲子園勝利となりました。
続く8月13日の2回戦では、春のセンバツ8強・英明と対戦。
米田泰志投手が4回1失点と試合をつくり、5回からエース平田玲翔を投入しました。
8回終了までは0対2。
大分商が狙っていたロースコアの展開に持ち込みました。
しかし9回に英明が4点を追加。
大分商は9回裏に伊東大雅の適時打で1点を返したものの、1対6で敗れました。
2026年夏の大分商は、2回戦で甲子園を去ることになりました。
それでも、13年ぶりの夏の甲子園出場と29年ぶりの甲子園勝利は、伝統校・大分商にとって大きな一歩です。
35年以上にわたり大分県の高校野球に携わってきた那賀誠監督。
経験豊富なベテランでありながら選手の自主性を尊重し、必要な場面では勝負への「熱」を求める。
2026年夏の甲子園は終わりましたが、那賀監督が大分商に築いてきた野球は、次の世代へと引き継がれていくことになります。