2017年、神奈川県座間市のアパートから男女9人の遺体が発見され、日本社会に大きな衝撃を与えた「座間9人殺害事件」。
この事件で強盗・強制性交等殺人、強盗殺人、死体損壊、死体遺棄などの罪に問われ、死刑が確定していたのが白石隆浩(しらいし・たかひろ)です。
白石隆浩はどのような家庭で育ち、どのような学生時代を送り、事件を起こすまでにどのような仕事をしていたのでしょうか。
白石については、裁判で母親が幼少期について証言したほか、本人も拘置所での取材などで自身の学生時代や職歴について詳しく語っています。
この記事では、白石隆浩の生い立ち、家族、学歴、職歴、スカウト業を始めた経緯、座間9人殺害事件、死刑判決、2025年6月27日の死刑執行までを時系列で整理します。
| 氏名 | 白石 隆浩(しらいし たかひろ) |
|---|---|
| 生年月日 | 1990年10月9日 |
| 出身・生育地 | 神奈川県座間市 |
| 家族 | 父、母、妹の4人家族で育つ |
| 学歴 | 神奈川県内の県立高校を卒業 |
| 主な職歴 | スーパー、電子機器関連会社、パチンコ店、風俗店スカウト、倉庫会社など |
| 事件 | 座間9人殺害事件 |
| 死刑判決 | 2020年12月15日 |
| 死刑確定 | 2021年1月 |
| 死刑執行 | 2025年6月27日 |
| 死亡時年齢 | 34歳 |
白石隆浩は1990年10月9日に生まれました。
裁判で母親が語った内容によると、出生時の体重は3086グラム。白石は夫婦にとって最初の子どもでした。
その後、1992年に妹が誕生し、白石は父親、母親、本人、妹の4人家族で育っています。
一家は白石が幼いころに神奈川県座間市内に一戸建て住宅を購入し、そこで生活するようになりました。
白石の幼少期について特徴的なのは、後の重大事件を予想させるような深刻な問題行動が確認されていないことです。
母親は裁判で、幼いころの白石について、活発な子どもと比べると内気で、おとなしい性格だったと説明しています。
幼稚園では友人もおり、一時期はサッカークラブにも所属していました。
小学校低学年のころには扁桃腺の病気があり、比較的頻繁に発熱して病院へ通っていた時期もあったとされています。
一方で、テレビゲームが好きで、外で友人と遊ぶこともあったといいます。
母親の証言では、家庭内で虐待を受けていた事実はなく、学校で深刻ないじめを受けていたという認識もなかったとされています。
白石自身も、拘置所で行われた取材の中で、幼少期の家庭環境について語っています。
白石によると、母親は料理が得意で、歯の矯正や視力の治療などにも通わせてもらったといいます。
少なくとも白石本人は、子どものころに親からの愛情が不足していたとは考えていなかったことが分かっています。
妹とも幼いころは一緒に遊んでいましたが、思春期になるにつれて次第に交流が少なくなっていったとしています。
そのため、「複雑な家庭環境や虐待が直接事件につながった」と説明できるような事情は、公開されている裁判資料や本人の証言からは確認されていません。
白石は地元の公立小学校に通いました。
本人の説明によれば、小学生時代には陸上クラブに所属していました。
学業成績について本人は、特別に優秀でも苦手でもなく、得意科目は算数・数学と体育だったと振り返っています。
動物も好きで、インコを飼っていた時期があったとされています。
具体的な小学校名についてはネット上に複数の情報がありますが、公式資料で学校名まで確認できるものではないため、断定には注意が必要です。
地元の公立中学校へ進学した白石は、中学1年生のころには野球部に所属していました。
その後、野球部を辞めて陸上部へ移り、長距離種目に取り組んだとされています。
また、中学1~2年生ごろには、母親のすすめで地元の進学塾にも通っていました。
同級生らによる事件当時の証言では、白石は学校で非常に目立つ人物ではなく、多くの人と広く浅く付き合うタイプだったとの証言も報じられています。
中学校卒業後、白石は神奈川県内の県立高校に進学しました。
複数の報道では神奈川県立商工高等学校に通っていたとされていますが、裁判資料などの公的資料では具体的な学校名まで公表されていません。
高校では商業系の学科を選択したと本人が説明しています。
また、格闘技が好きだった白石は、高校入学後に柔道部へ入りました。
しかし、柔道部は1年ほどで辞めています。
柔道部を辞めた理由の一つがアルバイトでした。
白石は高校時代、相武台周辺のホームセンターや座間市内のスーパーなどで働いていたとされています。
本人は後の取材で、部活動よりもアルバイトの方が楽しかったという趣旨の説明をしています。
このころから、白石にとって「お金を稼ぐ」ということが大きな関心事の一つになっていったことがうかがえます。
白石は2009年に高校を卒業しました。
大学には進学せず、高校時代にアルバイトしていたスーパーへそのまま就職しています。
就職後は実家を離れ、横浜市戸塚区で一人暮らしを始めました。
スーパーでは正社員として約2年間勤務したとされています。
当時の勤務態度について大きな問題があったとの情報はなく、元同僚からは仕事をきちんとしていた、後輩にも仕事を教えていたといった証言も報じられています。
後に白石本人も、このスーパーについて社会保険などがしっかりしており、辞めなければよかったという趣旨の発言をしています。
一方、この時期に白石はパチンコやスロットを頻繁にするようになりました。
本人によれば、当時の手取り収入は月14万円程度だったといい、遊興費などによってお金が足りないと感じるようになっていました。
より高い給料の仕事を探すようになり、スーパーを退職します。
結果的に、この退職が白石の職業生活における一つの転機となりました。
スーパーを辞めた白石は、その後、電子機器関連会社などで働きました。
しかし長期間勤務することはなく、複数の仕事を転々とするようになります。
その後はパチンコ店でアルバイトをしていた時期もありました。
生活場所についても、実家、座間市内での一人暮らし、東京都内などを行き来していたことが、本人の証言から分かっています。
白石が成人したころ、一家の生活にも変化がありました。
母親と妹は座間市の実家を離れ、父親が実家で生活するようになったと報じられています。
両親はその後離婚したとされています。
白石は母親や妹と次第に疎遠になり、事件後に拘置所へ収容されてからも、少なくとも取材が行われた時点では家族との面会や手紙のやり取りはなかったと報じられました。

白石の経歴におけるもう一つの大きな転機が、東京・新宿歌舞伎町などで行っていたスカウト業です。
白石は女性に声をかけ、風俗店などへ紹介する仕事をするようになりました。
本人は後年、人生の大きな分岐点として、このスカウト業を始めたことを挙げています。
この仕事を通じ、インターネットやSNSを利用して女性と接触する方法にも慣れていったとされています。
白石は2017年、女性を風俗店へ違法に紹介したとして職業安定法違反で逮捕・起訴されました。
裁判では懲役1年2か月、執行猶予3年の有罪判決を受けています。
保釈後は座間市の実家に戻り、倉庫会社でアルバイトをするなどしていました。
しかし、父親との関係は必ずしも良好ではなく、再び家を出て一人で生活したいと考えるようになります。
この時期に白石は、女性から生活費を得て暮らすことを考えていたことも、後の裁判などで明らかになっています。
2017年8月、白石は神奈川県座間市内のワンルームアパートへ入居しました。
この部屋が、後に座間9人殺害事件の現場となります。
白石はSNS上で、自殺願望について投稿している女性らに接触していました。
自分にも自殺願望があるかのように装い、相談相手になるなどして接近し、自宅へ誘っていました。
白石は2017年8月から10月までの約2か月間に、女性8人、男性1人の計9人を殺害しました。
被害者の多くはSNS上で自殺願望を示していた若い女性でした。
裁判では、白石が被害者の金銭を奪ったり、女性被害者に性的暴行を加えたりしたうえで殺害したことなどが認定されています。
また、被害者らが実際に殺害されることに同意していたのかどうかが裁判の重要な争点となりました。
事件発覚当初、自殺願望を持つ人々とSNSで接触していたことから、自殺を助ける目的の事件であるかのような印象を持たれることもありました。
しかし裁判所は、被害者たちが殺害されることに同意していたとは認めませんでした。
白石自身も、被害者を殺害した主な目的が、自殺の援助ではなく金銭的・性的欲求を満たすためだったことを認めています。
この点は、座間9人殺害事件を理解するうえで非常に重要です。
事件が発覚するきっかけとなったのは、東京都内に住む女性の行方不明事件でした。
警察が女性の足取りを捜査した結果、白石が住む座間市のアパートへ行き着きます。
2017年10月30日から31日にかけて室内が捜索され、複数人の遺体の一部が発見されました。
白石は2017年10月31日、死体遺棄容疑で逮捕されました。
その後の捜査で、被害者は女性8人、男性1人の計9人であることが判明しました。
事件の異常性から、白石の精神状態についても詳しい鑑定が行われました。
東京地検立川支部は白石を鑑定留置し、刑事責任能力について専門家による鑑定を実施しました。
その結果、刑事責任能力に問題はないと判断され、9人全員に関する事件について起訴されました。
2020年9月30日、東京地裁立川支部で白石の裁判員裁判が始まりました。
白石本人は9人を殺害したこと自体は認めていました。
一方、弁護側は、一部の被害者について殺害に同意していたとして、強盗・強制性交等殺人などより刑の軽い犯罪が成立すると主張しました。
しかし裁判所はこの主張を退けました。
2020年12月15日、東京地裁立川支部は白石隆浩に死刑を言い渡しました。
裁判所は、被害者らが殺害について同意していたとは認められず、白石が自身の金銭的・性的欲求を満たす目的で犯行を繰り返したと認定しました。
約2か月という短期間に9人もの命を奪った結果は極めて重大であるとして、検察側の求刑通り死刑が選択されました。
死刑判決後、弁護人は2020年12月18日に東京高裁へ控訴しました。
しかし、白石本人はその3日後の12月21日に控訴を取り下げました。
このため高裁で実質的な控訴審が行われることはなく、2021年1月に死刑判決が確定しました。
白石のケースでは、最高裁まで争った末に死刑が確定したのではなく、本人が控訴を取り下げたことで一審の死刑判決が確定した点が特徴です。

死刑確定後、白石隆浩死刑囚は東京拘置所に収容されていました。
収容中も複数の報道機関やジャーナリストが面会を行い、白石本人が幼少期、学生時代、職歴、犯行動機などについて語る機会がありました。
その証言から浮かぶのは、幼少期から著しい反社会的行動を繰り返していたという単純な人物像ではありません。
少なくとも学生時代までは大きな問題行動が目立たず、高校を卒業し、一般企業で正社員として勤務していた時期もありました。
2025年6月27日、法務省は白石隆浩死刑囚の死刑を執行しました。
執行場所は東京拘置所で、白石死刑囚は34歳でした。
死刑が確定した2021年1月から約4年5か月後の執行となりました。
日本国内で死刑が執行されたのは、2022年7月の秋葉原無差別殺傷事件・加藤智大死刑囚以来、約2年11か月ぶりでした。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1990年10月9日 | 白石隆浩が誕生 |
| 幼少期 | 神奈川県座間市で父、母、妹と生活 |
| 小学校 | 陸上クラブなどに所属 |
| 中学校 | 野球部から陸上部へ移り、長距離に取り組む |
| 高校 | 神奈川県内の県立高校へ進学。柔道部に所属後、アルバイトを始める |
| 2009年 | 高校卒業。スーパーへ正社員として就職 |
| その後 | 電子機器関連会社、パチンコ店など複数の仕事を経験 |
| 2016年ごろ | 新宿・歌舞伎町などで風俗店スカウトとして活動 |
| 2017年 | 職業安定法違反で有罪判決 |
| 2017年8月 | 座間市内のアパートへ入居 |
| 2017年8~10月 | 男女9人を殺害 |
| 2017年10月31日 | 逮捕 |
| 2020年12月15日 | 東京地裁立川支部が死刑判決 |
| 2020年12月21日 | 本人が控訴を取り下げる |
| 2021年1月 | 死刑判決が確定 |
| 2025年6月27日 | 東京拘置所で死刑執行。34歳 |
白石隆浩の生い立ちを調べると、「幼少期から重大な犯罪傾向を示していた人物」という単純な説明には当てはまらないことが分かります。
白石は両親と妹の家庭で育ち、小中学校では運動部に所属し、高校を卒業。その後はスーパーに正社員として就職し、一般的な社会生活を送っていた時期もありました。
本人や母親の証言からも、幼少期に深刻な虐待を受けたことや、それだけで後の犯罪を説明できるような特別な家庭環境は確認されていません。
一方、成人後には仕事を転々とするようになり、金銭への強い関心を持ち、風俗店のスカウト業へ進み、職業安定法違反で有罪判決を受けました。
その後、SNSを利用して自殺願望を抱える人々に接触し、その弱みにつけ込む形で犯行を重ねていきました。
ただし、失業や家族関係、職歴などを犯罪の直接的な「原因」と結びつけることには注意が必要です。同じような境遇に置かれた人が犯罪を起こすわけではなく、白石自身が金銭的・性的欲求のために被害者を利用し、殺害するという選択をしたことが裁判では厳しく認定されています。
白石隆浩は1990年10月9日に生まれ、神奈川県座間市で父親、母親、妹とともに育ちました。
幼少期は内気でおとなしい性格とされ、小学校では陸上クラブ、中学校では野球部や陸上部、高校では柔道部に所属していました。
2009年に高校を卒業するとスーパーに正社員として就職しましたが、その後退職し、複数の仕事を転々とします。そして新宿・歌舞伎町などで女性を風俗店へ紹介するスカウトとして働くようになりました。
2017年には職業安定法違反で有罪判決を受け、その後座間市のアパートへ入居。同年8月から10月までの約2か月間に男女9人を殺害しました。
2020年12月15日に東京地裁立川支部から死刑を言い渡され、弁護人が控訴したものの白石本人が取り下げたことで、2021年1月に死刑が確定しました。
そして2025年6月27日、東京拘置所で死刑が執行され、34歳で死亡しました。
事件発覚から約7年8か月。SNSを利用して自殺願望を持つ若者らに接近し、短期間に9人の命を奪った座間9人殺害事件は、インターネット上で弱い立場にある人へ接近する犯罪の危険性を社会に強く認識させた事件でもありました。