東哲平(あずま・てっぺい)監督は、福井県敦賀市にある敦賀気比高校硬式野球部を率いる高校野球指導者です。
自身も敦賀気比高校の野球部でプレーし、甲子園に3度出場。
高校卒業後は社会人野球の三菱自動車川崎でプレーした後、指導者へ転身しました。
北陸高校、中学生の硬式野球チームなどで指導経験を積み、2008年に母校・敦賀気比のコーチへ就任。
2011年8月から監督を務めています。
東監督の名前を全国に知らしめた最大の実績が、2015年春のセンバツです。
敦賀気比は決勝まで勝ち進み、東海大四を3対1で破って初優勝。
福井県勢としてだけでなく、北陸地方の学校として春夏を通じて初めて甲子園の全国制覇を成し遂げました。
その後も敦賀気比を何度も甲子園へ導き、全国大会の常連校としての地位を確立。
さらに吉田正尚、西川龍馬、山田修義、山崎颯一郎など、後にプロ野球で活躍する選手の育成にも携わってきました。
2026年夏も敦賀気比は福井県代表となり、2年連続13回目の夏の甲子園出場を決めています。
本記事では、東哲平監督の年齢、出身地、高校時代、社会人野球時代、指導者としての経歴、2015年センバツ優勝、プロ野球選手の育成、そして指導方針について詳しく紹介します。
| 名前 | 東 哲平 |
|---|---|
| 読み方 | あずま てっぺい |
| 生年月日 | 1980年7月27日 |
| 年齢 | 46歳(2026年8月時点) |
| 出身地 | 京都府宇治市 |
| 出身高校 | 敦賀気比高等学校 |
| 高校時代 | 投手兼内野手としてプレー |
| 主なポジション | 一塁手 |
| 社会人野球 | 三菱自動車川崎 |
| 主な指導歴 | 北陸高校、オールスター福井、敦賀気比高校 |
| 敦賀気比コーチ就任 | 2008年 |
| 敦賀気比監督就任 | 2011年8月 |
| 最大の実績 | 2015年春のセンバツ全国優勝 |
| 主な教え子 | 山田修義、吉田正尚、西川龍馬、平沼翔太、山崎颯一郎など |
東哲平監督は1980年7月27日、京都府に生まれました。
出身地は宇治市です。
現在では「福井を代表する高校野球監督」という印象が非常に強い人物ですが、生まれ育ったのは福井県ではありません。
高校進学を機に京都府を離れ、福井県敦賀市へやって来ました。
その選択が、その後の人生を大きく変えることになります。
東監督が進学したのは敦賀気比高校です。
現在では甲子園常連校として全国的に知られていますが、野球部が創部されたのは1986年。
東監督が在籍していた1990年代は、まさに全国的な強豪へ成長していく時期でした。
1994年夏に甲子園へ初出場。
翌1995年夏には早くもベスト4へ進出しています。
東監督は、急速に力をつけていた敦賀気比の野球部へ入りました。
高校時代の東監督は、投手と内野手を務めました。
最終学年では主に一塁手。
打線では4番を任される中心選手となっています。
単なる控え選手として甲子園を経験した人物ではなく、強豪・敦賀気比の主力としてプレーしました。
高校時代のチームメートには、その後広島東洋カープで長く活躍した東出輝裕氏がいます。
楽天などでプレーした金森久朋氏も同期でした。
東監督は敦賀気比の選手として、春夏合わせて3度の甲子園を経験しました。
特に高校2年だった1997年夏には、敦賀気比がベスト8まで進出しています。
現在、監督として何度も甲子園のベンチに入っている東監督ですが、自身も高校生の時から全国大会で勝ち進む経験をしていたことになります。
1997年夏の第79回全国高校野球選手権大会。
敦賀気比は福井県代表として甲子園へ出場し、準々決勝まで勝ち進みました。
東監督は当時2年生。
全国の強豪校と実際に戦い、夏の甲子園ベスト8を経験しました。
甲子園へ出場するだけではなく、全国大会で複数の試合を勝ち上がる経験を高校生の時点で得たことになります。
高校3年となった1998年には、チームの中心選手となりました。
春のセンバツでは4番を務めます。
敦賀気比は3回戦まで進出し、PL学園と対戦。
1対3で敗れました。
当時のPL学園は全国トップクラスの強豪でした。
さらに同年夏にも敦賀気比は甲子園へ出場。
東監督は高校生活を通じて、全国のトップレベルを何度も経験しました。
敦賀気比時代の同期として特に有名なのが東出輝裕氏です。
東出氏は高校卒業後、ドラフト1位で広島東洋カープへ入団。
内野手として長く活躍しました。
高校時代からプロへ進むほどの能力を持った選手と毎日練習していたことも、東監督の野球観を形成した要素の一つでしょう。
後に自ら監督となって多くのプロ野球選手を育てる立場になりますが、東監督自身も高校時代からトップレベルの才能を間近で見ていました。
敦賀気比高校卒業後、東監督は大学へは進まず、社会人野球へ進みました。
所属したのは三菱自動車川崎です。
後の三菱ふそう川崎につながる社会人野球の強豪チームです。
高校時代には内野手としての印象が強い東監督ですが、社会人では投手としてもプレーしました。
高校野球から、大学ではなく社会人のトップレベルへ直接進んだことになります。
東監督は三菱自動車川崎で約2年間プレーした後、現役を退きました。
プロ野球選手として長期間プレーする道には進みませんでした。
しかし、ここから東監督の野球人生の第二章ともいえる「指導者」の道が始まります。
まだ20代前半という若さでした。
現役引退後、東監督は福井県へ戻りました。
最初から敦賀気比の監督になったわけではありません。
高校野球、中学硬式野球と異なる年代の選手を指導しながら経験を積んでいます。
その一つが北陸高校です。
東監督は福井県の北陸高校で野球部の指導に携わりました。
コーチを経て監督も経験しています。
北陸高校も甲子園出場経験を持つ福井県の有力校です。
まだ若い時期から高校生を率いる立場となり、選手育成だけでなくチームづくりや試合の采配などを学びました。
敦賀気比へ戻る前に、別の高校で指導者として経験を積んでいる点は、東監督の経歴を見るうえで重要です。
東監督は高校野球だけではなく、中学生も指導しています。
中学生の硬式野球チーム「オールスター福井」の設立に関わり、初代監督を務めました。
高校生よりも若い年代を指導することで、完成された選手を使うだけではなく、野球選手としての基礎を一から育てる経験を積んだことになります。
そして、この時期に東監督の指導者人生へ大きな影響を与えた人物と出会います。
その人物が、巨人、阪神などで活躍した名投手・小林繁氏です。
小林氏はオールスター福井の総監督として選手を指導していました。
東監督にとっては、プロ野球の第一線を知る大先輩から指導者として学ぶ貴重な機会となりました。
小林氏が残した言葉や野球への考え方は、東監督のその後の指導者人生にも強く影響しています。
小林氏が2010年に亡くなった後も、東監督は恩人として大切に思い続けています。
小林繁氏が大切にした言葉として知られているのが、
「人生のバッターボックスに立ったら見送り三振はするな」
という考え方です。
野球だけの話ではありません。
人生でチャンスが訪れた時、失敗を恐れて何もしないのではなく、自分から挑戦する。
東監督自身も社会人野球を早くに離れ、若くして指導者という新しい道へ進みました。
その後も高校野球でさまざまな決断を重ねています。
2008年、東監督は敦賀気比高校へ戻りました。
野球部のコーチに就任します。
選手として卒業してから約10年。
今度は後輩たちを育てる立場で母校へ戻ってきました。
このコーチ時代から、後にプロ野球へ進む選手を数多く指導することになります。
東監督の教え子として特に有名なのが吉田正尚選手です。
吉田選手は敦賀気比高校から青山学院大学を経てプロ入り。
オリックスで活躍した後、メジャーリーグへ挑戦しました。
高校時代から非常に優れた打撃能力を持っており、東監督自身も当時の規格外の打球についてたびたび語っています。
現在では日本を代表する打者となった吉田選手ですが、その高校時代を指導した人物の一人が東監督です。
コーチとして約3年間チームを支えた後、2011年8月に敦賀気比高校硬式野球部の監督へ就任しました。
31歳の若さでした。
甲子園出場経験が豊富な学校を率いるだけに、大きなプレッシャーがあります。
しかし監督就任後、敦賀気比はほぼ毎年のように全国大会を狙えるチームとなっていきます。
敦賀気比は東監督就任以前から甲子園出場経験を持つ学校でした。
しかし東監督時代になると、甲子園への出場頻度がさらに高まりました。
春のセンバツ。
夏の甲子園。
秋の明治神宮大会。
さまざまな全国大会で結果を残すようになります。
単に福井県大会で勝つことではなく、
「全国で勝てるチーム」
を継続してつくることが敦賀気比の基準となっていきました。

全国的に東監督の名前が大きく知られるようになった大会の一つが2014年夏です。
敦賀気比は強力打線を武器に甲子園を勝ち進みました。
大会では序盤から大量得点を重ね、全国の高校野球ファンに強い印象を残します。
最終的にベスト4まで進出。
翌2015年春の全国制覇へつながる大きな経験となりました。
東哲平監督の経歴を語るうえで欠かせないのが、2015年春の第87回選抜高校野球大会です。
敦賀気比は甲子園で勝ち進みました。
中心となった投手は平沼翔太。
打線にも力のある選手がそろっていました。
初戦から一つずつ勝利を重ね、ついに決勝へ進出します。
全国に大きな衝撃を与えたのが準決勝です。
相手は前年夏の全国王者・大阪桐蔭。
高校野球界を代表する強豪でした。
しかし敦賀気比は初回から猛攻を見せます。
松本哲幣選手が満塁本塁打を放つなど大量得点。
松本選手はさらに満塁本塁打を放ち、大会史上初となる1試合2本の満塁本塁打を記録しました。
敦賀気比が11対0で勝利。
全国王者を相手にした圧倒的な勝利でした。
決勝の相手は北海道代表・東海大四でした。
敦賀気比はこの試合にも勝利。
3対1で東海大四を破り、センバツ初優勝を成し遂げました。
そして、この優勝には非常に大きな意味がありました。

敦賀気比の優勝は、単なる学校初優勝ではありませんでした。
福井県だけでなく、
福井
石川
富山
の北陸3県から出場した学校として、春夏を通じて初めて甲子園の優勝旗を持ち帰ったのです。
長い高校野球の歴史の中で、北陸勢は何度も全国制覇へ挑戦してきました。
その壁を最初に破ったのが、東哲平監督率いる敦賀気比でした。
東監督は34歳。
若い監督が高校野球史に残る快挙を成し遂げました。
興味深いのは、東監督自身が2015年のチームについて、必ずしも自分が率いた中で圧倒的に強いチームだったとは考えていないことです。
高校野球では実力だけで全国優勝が決まるわけではありません。
試合の流れ。
選手の状態。
小さなミス。
勝負どころでの一本。
運。
さまざまな要素が重なります。
全国制覇できるかどうかは「紙一重」。
長年甲子園を経験してきた東監督だからこそ持つ実感です。
一度全国優勝すると、翌年からはさらに大きな期待を背負います。
「敦賀気比なら甲子園へ行って当然」
「県大会で負ければ波乱」
という目で見られるようになります。
強豪校の監督には、勝って当然という非常に大きなプレッシャーがかかります。
それでも東監督は、その後も継続して甲子園出場を重ねてきました。
全国優勝を一度達成することも難しいですが、長期間にわたって全国大会へ出続けることも簡単ではありません。
2021年夏には、敦賀気比が再び夏の甲子園で上位へ進出しました。
ベスト8まで勝ち上がります。
全国制覇を経験した2015年の選手はすでに全員卒業していました。
つまり東監督は、別の世代でも全国上位へ進むチームをつくったことになります。
高校野球では3年間で選手が完全に入れ替わります。
継続して強いチームをつくるには、毎年選手を育て直さなければなりません。
東監督の実績は甲子園の勝利数だけではありません。
敦賀気比から多くのプロ野球選手を送り出しています。
代表的な選手として、
山田修義
吉田正尚
西川龍馬
平沼翔太
山崎颯一郎
などが挙げられます。
タイプもポジションも異なる選手たちです。
高校時代に完成していた選手だけではなく、高校3年間で大きく成長してプロから評価されるようになった選手もいます。
東監督の育成観を象徴する選手の一人が山崎颯一郎投手です。
長身から速球を投げる素材として大きな可能性を持っていましたが、高校時代にはまだ未完成でした。
そこで東監督は、目の前の試合に勝つことだけではなく、その選手の将来を考えました。
高校で無理をさせて勝利を取るのか。
将来プロで活躍できる身体や投球をつくるのか。
強豪校の監督には、この二つを同時に考える難しさがあります。
東監督は指導者として経験を重ねる中で、「勝利」と「育成」のバランスをより意識するようになりました。
東監督が敦賀気比で大きく変えてきたものの一つが練習への姿勢です。
東監督が2008年にコーチとして母校へ戻った頃は、指導者から与えられた練習を選手がこなすという色合いがまだ強かったといいます。
しかし東監督は、それだけでは全国で安定して勝つことはできないと考えました。
なぜこの練習をするのか。
甲子園へ行くために何が足りないのか。
自分の課題は何なのか。
選手自身に考えさせます。
選手が主体的に練習することは、好きなことだけをするという意味ではありません。
むしろ自分で目標を決めた以上、その目標に必要な厳しい練習から逃げないことが求められます。
甲子園へ行きたい。
日本一になりたい。
そう言うのであれば、そのために何をしなければならないかを自分たちで考える。
そして決めたことを続ける。
東監督は、こうした「自ら鍛える集団」を目指してきました。
東監督は自主性を重視する一方、厳しい練習そのものを否定しているわけではありません。
勝負どころで踏ん張る力は、楽な環境だけでは身につかないという考えを持っています。
疲れている時。
試合終盤。
一点を守らなければならない場面。
ここで力を発揮するためには、普段から厳しい状況を経験しておく必要があります。
ただし、指導者から意味もなく苦しい練習をやらされることと、目標のために自分から厳しい練習へ取り組むことは違います。
敦賀気比は全国大会常連校ですが、野球部の指導スタッフが非常に大人数というわけではありません。
東監督は少ないスタッフで役割を分担しながら選手を育ててきました。
だからこそ、指導者がすべてを見るのではなく、選手自身が考えて行動する必要があります。
上級生から下級生へ伝える。
選手同士で気づいたことを話す。
チーム内で野球を学ぶ文化をつくる。
それが継続して強いチームをつくることにもつながります。
長期間にわたり強豪校を率いてきた東監督ですが、順風満帆だったわけではありません。
2023年夏、福井大会で敗退した後、一度は学校側へ監督退任の意向を伝えています。
一つの敗戦だけが理由ではなく、長期間指揮を執ってきた中で一区切りを考えていたことなどが背景にありました。
しかし学校側から慰留され、最終的には監督を続けることになりました。

一度は退任を考えた後も、東監督はチームを率い続けました。
その後も敦賀気比はセンバツや夏の甲子園へ出場。
東監督自身も、それまで積み重ねてきた指導を見直しながらチームづくりを続けています。
全国優勝を経験した監督であっても、常に同じ方法で成功できるとは限りません。
高校生の考え方も時代によって変化します。
指導する側も変わっていく必要があります。
2026年、東監督は敦賀気比の監督に就任して15年目を迎えました。
まだ46歳ですが、高校野球監督としてはすでに豊富な経験を持っています。
全国優勝。
甲子園ベスト4。
ベスト8。
数多くの甲子園出場。
そして多数のプロ野球選手育成。
30代前半で監督となった指導者が、40代半ばで高校球界を代表する監督の一人となりました。
2026年には、自身の高校野球に対する考え方や采配についてまとめた著書も刊行されました。
長年敦賀気比を率いる中で、
チームをどのようにつくるのか。
どのように選手を育てるのか。
試合でどう決断するのか。
強豪校としてプレッシャーとどう向き合うのか。
といった経験を言葉として残しています。
現役監督として指導を続けながら、自身の指導哲学を整理する段階に入っていることも分かります。
2026年夏、敦賀気比は再び福井県代表となりました。
夏の甲子園出場は2年連続13回目。
東監督のもとでは、甲子園出場そのものが珍しい出来事ではなくなっています。
しかし高校生にとって甲子園へ挑戦できるのは一度きりの世代もあります。
過去に何度出場していても、その年の選手にとっては新しい挑戦です。
東監督が長期間結果を残している背景には、毎年異なる選手たちと改めてチームをつくっていることがあります。
2026年夏の甲子園で、敦賀気比は秋田県代表・横手高校と対戦します。
横手は57年ぶり2回目の夏の甲子園。
一方、敦賀気比は甲子園全国優勝を経験している常連校です。
出場経験だけを比べれば対照的な両校ですが、高校野球は過去の実績だけで勝敗が決まるものではありません。
東監督にとっても、目の前の一試合へどのように選手を送り出すかが重要になります。
東監督のチームづくりで重要なのが自主性です。
監督に言われたから動くのではなく、
「甲子園へ行くために自分は何をすべきか」
を選手自身に考えさせます。
自主性を「楽をする自由」とは考えていません。
高い目標を掲げたのであれば、それに必要な厳しい練習にも取り組む。
勝負どころで耐えられる選手をつくることを重視しています。
敦賀気比では、甲子園へ出ることだけが目的ではありません。
甲子園で勝つ。
全国の強豪校を倒す。
日本一を目指す。
日常の練習から全国大会を基準に考えます。
高校野球の監督としては試合に勝つ必要があります。
一方、高校卒業後に大学、社会人、プロへ進む選手の未来もあります。
目先の勝利だけではなく、選手がその先で成長できることも考えながら指導します。
敦賀気比からプロ野球へ進める選手は一部です。
大多数の選手は別の進路へ進みます。
高校3年間で、
努力すること。
仲間と協力すること。
苦しい状況から逃げないこと。
自分で考えること。
こうした力を身につけることも重要です。
| 選手 | 主なその後 |
|---|---|
| 山田修義 | プロ野球・オリックスなどで活躍 |
| 吉田正尚 | オリックスで活躍後、MLBへ |
| 西川龍馬 | 広島、オリックスなどで活躍 |
| 平沼翔太 | 2015年センバツ優勝投手。その後プロ入り |
| 山崎颯一郎 | プロ入り後、剛速球右腕として活躍 |
敦賀気比の特徴は、一人のスター選手だけが偶然現れたわけではないことです。
投手、内野手、外野手など異なるタイプの選手がプロへ進んでいます。
長期間にわたってプロレベルの選手が育っていることも、東監督と敦賀気比の育成力を示しています。
| 時期 | 経歴・実績 |
|---|---|
| 高校時代 | 敦賀気比で投手兼内野手としてプレー |
| 1997年夏 | 高校2年時に夏の甲子園ベスト8 |
| 1998年春 | 4番打者としてセンバツ出場、3回戦進出 |
| 1998年夏 | 夏の甲子園出場 |
| 高校卒業後 | 三菱自動車川崎で社会人野球 |
| 現役引退後 | 福井県へ戻り、野球指導者へ |
| その後 | 北陸高校でコーチ・監督を経験 |
| 2000年代 | 中学硬式野球・オールスター福井の初代監督を務める |
| 2008年 | 母校・敦賀気比高校のコーチへ就任 |
| 2011年8月 | 敦賀気比高校硬式野球部監督に就任 |
| 2014年夏 | 夏の甲子園ベスト4 |
| 2015年春 | センバツ全国優勝。北陸勢として春夏通じて初の全国制覇 |
| 2021年夏 | 夏の甲子園ベスト8 |
| 2023年夏 | 一度監督退任の意向を示すも、学校側の慰留を受け続投 |
| 2026年 | 監督就任15年目 |
| 2026年夏 | 敦賀気比を2年連続13回目の夏の甲子園へ導く |
「東哲平」は「あずま・てっぺい」と読みます。
「ひがし」ではなく「あずま」です。
1980年7月27日生まれで、2026年8月現在46歳です。
京都府宇治市です。
高校進学を機に福井県の敦賀気比へ進みました。
現在監督を務めている敦賀気比高校です。
はい。
敦賀気比の選手として春夏合わせて3度甲子園を経験しています。
高校2年だった1997年夏にはベスト8へ進出しました。
投手兼内野手としてプレーし、3年時には主に一塁手を務めました。
4番打者としてもチームを引っ張りました。
大学には進まず、高校卒業後は社会人野球の三菱自動車川崎へ進みました。
NPBのプロ野球選手ではありません。
高校卒業後に社会人野球でプレーし、約2年で現役を引退して指導者へ転身しました。
2011年8月からです。
2008年から母校のコーチを務めていました。
はい。
2015年春のセンバツで全国優勝しました。
敦賀気比にとって初優勝であり、北陸勢としても春夏を通じて初の全国制覇でした。
吉田正尚、西川龍馬、山田修義、平沼翔太、山崎颯一郎など、多くのプロ野球選手を指導しています。
2023年夏に一度、学校側へ退任の意向を伝えました。
その後、学校側からの慰留などを受けて続投しています。
選手自身が考えて練習する自主性を重視しています。
一方で、全国で勝つために必要な厳しい練習から逃げないことも求めています。
「自主性」と「厳しさ」の両方を持たせることが特徴です。
はい。
2026年夏は2年連続13回目となる夏の甲子園出場を決めました。
秋田県代表の横手高校です。
横手は57年ぶり2回目の出場で、山信田善宣監督が率いています。
東哲平監督は1980年7月27日生まれ、京都府宇治市出身の高校野球指導者です。
高校は敦賀気比へ進学。
投手兼内野手としてプレーし、高校時代に3度甲子園を経験しました。
2年生だった1997年夏にはベスト8。
3年時には4番・一塁手としてチームの中心を担いました。
同期には後に広島東洋カープで活躍した東出輝裕氏がいました。
高校卒業後は大学へ進まず、社会人野球の三菱自動車川崎へ。
約2年間プレーした後に現役を退き、若くして指導者の道へ進みました。
福井県へ戻ってからは北陸高校でコーチや監督を経験。
さらに中学硬式野球のオールスター福井で初代監督を務め、元巨人・阪神の名投手だった小林繁氏からも指導者として大きな影響を受けました。
2008年には母校・敦賀気比へコーチとして復帰。
吉田正尚らを指導し、2011年8月に31歳で監督へ就任しました。
その後、敦賀気比は全国大会の常連校へ。
2014年夏には甲子園ベスト4。
そして2015年春のセンバツでは、大阪桐蔭を準決勝で11対0で破るなどして決勝へ進出しました。
決勝でも東海大四を3対1で破り、学校史上初の全国優勝。
さらに北陸勢として春夏を通じて初めて甲子園の優勝旗を持ち帰る歴史的快挙となりました。
全国優勝後も東監督は敦賀気比を何度も甲子園へ導いています。
2021年夏にはベスト8。
そして吉田正尚、西川龍馬、山田修義、平沼翔太、山崎颯一郎など、多くのプロ野球選手も育ててきました。
東監督が目指しているのは、監督から言われたことだけをするチームではありません。
甲子園へ行きたいのであれば、そのために何が必要なのかを選手自身に考えさせる。
その一方で、高い目標を掲げた以上、厳しい練習から逃げることは許さない。
「自主性」と「厳しさ」
を両立させることが、敦賀気比の強さを支える大きな要素となっています。
2023年には一度退任を申し出るという転機もありましたが、慰留を受けて続投。
2026年には監督就任15年目を迎えています。
そして2026年夏も敦賀気比を福井県代表へ導き、2年連続13回目となる夏の甲子園出場を決めました。
高校生として敦賀気比のユニホームを着て甲子園ベスト8を経験した少年が、社会人野球、中学野球、高校野球の指導者を経て母校へ戻り、ついには北陸勢初の全国制覇を達成。
東哲平監督は、敦賀気比の歴史そのものと深く結びついた指導者といえるでしょう。