メジャーリーグやWBCの中継で、「ピッチコム」という言葉を耳にする機会が増えました。ピッチコムとは、投手と捕手が球種やコースなどのサインを電子機器でやり取りするためのシステムです。
従来の野球では、捕手が指を使って投手にサインを出すのが一般的でした。しかし、二塁走者や相手ベンチからサインを読まれるリスクがあり、走者がいる場面ではサインを複雑にする必要がありました。その結果、サイン交換に時間がかかったり、投手と捕手の意思疎通にズレが生じたりすることもありました。
ピッチコムは、こうした問題を解決するために使われるようになった電子サイン伝達システムです。ボタンを押すと、球種やコースなどの情報が受信機に送られ、投手や野手の耳元で音声として再生されます。
2026年のWBCでは、ピッチクロックとともにピッチコムの使用が認められました。日本代表も大会前の強化合宿で、ピッチコムとピッチクロックに対応するための練習を行っており、国際大会でも重要な仕組みとして注目されました。
この記事では、ピッチコムとは何か、どのような仕組みで使われるのか、投手・捕手・野手がどのように活用するのかを、初めて聞く人にもわかりやすく解説します。
ピッチコムは、野球のサインを電子機器で伝えるためのシステムです。英語では「PitchCom」と表記されます。
簡単に言うと、捕手や投手が小型の送信機を操作し、その内容を投手や野手が受信機で聞く仕組みです。受信機からは、あらかじめ設定された音声で「ストレート」「スライダー」「内角低め」などの情報が流れます。
従来の指サインでは、捕手が股の間で指を使って球種やコースを伝えていました。しかし、この方法には次のような弱点があります。
ピッチコムを使えば、サインを目で見るのではなく、耳で聞いて確認できます。そのため、サイン盗みを防ぎやすくなり、投球までのテンポも速くなります。
ただし、ピッチコムは捕手のリードや投手の判断を不要にする機械ではありません。あくまで、球種やコースなどの情報を素早く正確に伝えるための道具です。どの球を選ぶか、どのタイミングで投げるかという野球の駆け引きは、これまでと同じように選手の判断が重要です。

ピッチコムが注目されるようになった背景には、大きく分けて2つの理由があります。
野球では、相手チームに球種やコースを読まれると、打者に大きな有利が生まれます。特に二塁に走者がいる場面では、捕手の指サインが見えやすくなります。
そのため、従来は走者が二塁にいると、捕手と投手が複雑なサインを使ったり、マウンドに集まって確認したりすることがありました。しかし、サインが複雑になるほど時間がかかり、ミスも起こりやすくなります。
ピッチコムでは、外から見える指サインではなく、音声でサインを伝えます。相手チームからはどのボタンを押したのか、どの音声が流れたのかがわかりにくいため、サイン盗み対策として効果が期待されます。
メジャーリーグでは、試合時間の短縮やテンポ改善を目的にピッチクロックが導入されました。ピッチクロックとは、投手が一定時間内に投球動作を始めなければならないルールです。
このルールのもとでは、投手と捕手がサイン交換に長い時間をかけることが難しくなります。何度も首を振ったり、サインを出し直したりしていると、制限時間に間に合わなくなる可能性があります。
ピッチコムを使えば、捕手や投手がボタン操作で素早くサインを伝えられます。投手は耳元で内容を聞き、すぐに投球準備へ入ることができます。ピッチクロック時代の野球では、ピッチコムは単なる便利な機器ではなく、試合のテンポを保つための重要な道具になっています。
ピッチコムは、大きく分けて「送信機」と「受信機」の2つで構成されています。
| 機器 | 主な役割 | 使う選手の例 |
|---|---|---|
| 送信機 | 球種・コース・守備指示などを入力して送る | 捕手、投手 |
| 受信機 | 送られたサインを音声で聞く | 投手、捕手、二塁手、遊撃手、中堅手など |

送信機は、ボタンが付いた小型の機器です。見た目はリストバンド型のリモコンに近く、捕手の腕やレガース、投手のベルト付近やグラブの裏側などに装着されます。
送信機には複数のボタンがあり、チームごとに球種やコースなどを割り当てることができます。たとえば、あるボタンに「ストレート」、別のボタンに「スライダー」、さらに別のボタンに「内角」「外角」などを設定するイメージです。
ボタンを押すと、あらかじめ登録された音声が受信機に送られます。音声は英語だけでなく、日本語やスペイン語など、選手が理解しやすい言語に設定することもできます。
受信機は、送信機から送られた情報を音声として再生する小型機器です。投手や捕手、必要に応じて内野手や外野手が装着します。
一般的には、帽子の中や耳の近くに装着し、選手だけが聞き取れるようにします。受信機からは「ストレート、外角低め」「スライダー、内角」などの音声が流れます。
重要なのは、ピッチコムは画面を見て確認する機器ではなく、音声でサインを聞く機器だという点です。投手は捕手の指を見る必要がなくなり、捕手や野手も同じ情報を素早く共有できます。
送信機と受信機の違いを整理すると、次のようになります。
| 項目 | 送信機 | 受信機 |
|---|---|---|
| 役割 | サインを入力して送る | サインを音声で聞く |
| 操作 | ボタンを押す | 基本的に聞くだけ |
| 装着する選手 | 捕手、投手など | 投手、捕手、野手など |
| 主な目的 | 球種・コース・守備指示を送る | 送られた内容を確認する |
ピッチコムの使い方は、チームや選手の運用方法によって異なります。ここでは、代表的な使い方を紹介します。
最も基本的なのは、捕手が送信機を操作し、投手が受信機で聞くパターンです。
流れは次のようになります。
たとえば、捕手が「カーブ、内角低め」と設定されたボタン操作を行うと、投手の耳元でその内容が音声として再生されます。投手は指サインを見る必要がないため、より早く投球準備に入ることができます。
近年は、投手自身が送信機を持ち、自分で球種やコースを選ぶケースもあります。この場合、投手がボタンを押し、その内容を捕手や野手が受信機で聞きます。
この運用では、投手が自分の投げたい球をすぐに選べるため、テンポよく投げたい投手に向いています。ピッチクロックがある試合では、投手が自分で素早くサインを決められることが大きな利点になります。
ただし、投手がすべてを一人で決めるという意味ではありません。試合前のミーティング、捕手の配球方針、ベンチのデータ、打者の特徴などを踏まえたうえで、どのように使うかが決められます。
ピッチコムは、投手と捕手だけのための機器ではありません。ルールの範囲内で、二塁手、遊撃手、中堅手などの野手が受信機を装着することもあります。
野手が受信機を付けることで、次のような情報を共有しやすくなります。
たとえば、遊撃手や二塁手が次の球種を知っていれば、打球方向を予測しやすくなることがあります。中堅手が情報を共有していれば、外野全体の守備位置を調整しやすくなる場合もあります。
もちろん、すべての情報を毎回流すわけではありません。チームの方針や試合状況に応じて、必要な情報を選んで使います。
ピッチコムで聞こえる音声は、チームが事前に設定します。基本的には、球種やコースを短い言葉で伝える形になります。
たとえば、次のような音声が考えられます。
実際には、相手に聞かれても意味がわかりにくいように、球種名をそのまま使わず、チーム独自の言葉に置き換えることもあります。
また、選手ごとに聞こえる言語を変えられることも大きな特徴です。メジャーリーグやWBCのように多国籍の選手が集まる環境では、英語、スペイン語、日本語など、選手が理解しやすい言語で音声を設定できることが重要になります。
日本人投手が日本語で聞き、外国人捕手が英語やスペイン語で聞くといった運用も可能です。これにより、言語の違いによるサインミスを減らす効果も期待できます。
ピッチコムには、サイン伝達を便利にするだけでなく、試合運び全体に関わるメリットがあります。
最大のメリットは、サイン盗みを防ぎやすいことです。
従来の指サインは、相手から見える可能性がありました。特に二塁走者がいる場面では、捕手の指の動きが見えやすくなります。そのため、捕手は複雑なサインを使ったり、投手と何度も確認したりする必要がありました。
ピッチコムでは、球種やコースが音声で伝わるため、相手が外から目で見てサインを読むことが難しくなります。サイン盗みへの対策として、ピッチコムは非常に大きな意味を持っています。
ピッチコムを使うと、サイン交換にかかる時間を短くできます。
指サインでは、投手が見落としたり、首を振ったり、捕手がサインを出し直したりすることがあります。しかし、ピッチコムでは音声で直接伝えられるため、投手がすぐに内容を確認できます。
ピッチクロックが導入された試合では、この差が大きくなります。投手は制限時間内に投球動作を始めなければならないため、サイン交換を短くすることが重要です。
指サインでは、投手がサインを見間違えたり、捕手と認識がズレたりすることがあります。特に球種が多い投手や、走者がいる場面でサインが複雑になる場合には、ミスが起きやすくなります。
ピッチコムでは、球種やコースが音声で伝わるため、投手が内容を確認しやすくなります。野手も同じ情報を聞けるため、チーム全体で守備の意図を共有しやすくなります。
投手が送信機を使う場合、自分で次の球を選べるため、テンポよく投げることができます。
投手によっては、捕手からサインを待つよりも、自分で球種を決めた方がリズムに乗りやすい場合があります。特に持ち球が多い投手や、打者との駆け引きを自分で組み立てたい投手にとって、ピッチコムは有効な道具になります。
便利なピッチコムですが、使えば必ずうまくいくというものではありません。実際に使いこなすには、いくつかの注意点があります。
送信機には複数のボタンがあります。試合中にボタンの位置を見ながら操作していては、かえってテンポが悪くなります。
そのため、捕手や投手は練習の段階でボタン配置を覚え、感覚的に押せるようにしておく必要があります。特に捕手は、打者や走者を見ながら素早く判断し、自然な動作でボタンを押せることが重要です。
ピッチコムは便利な機器ですが、ボタンを押し間違える可能性はあります。
たとえば、本当はスライダーを選ぶつもりだったのに、別の球種のボタンを押してしまうことも考えられます。投手が違和感を持てば投球前に止めることができますが、テンポが速い場面では注意が必要です。
そのため、試合前の確認や練習で、ボタン操作を十分に慣らしておくことが欠かせません。
大観衆の声援や球場音響が大きい場合、受信機の音声が聞き取りにくくなることがあります。
WBCのような国際大会では、スタンドの声援が非常に大きくなります。日本戦や決勝トーナメントのように盛り上がる試合では、投手や捕手が音声を正確に聞き取れるかどうかが重要になります。
そのため、事前に音量を調整し、実戦に近い環境でテストしておくことが必要です。
電子機器である以上、機器トラブルの可能性もあります。
受信機が聞こえない、送信機が反応しない、装着位置がずれるといった問題が起こることも考えられます。その場合は、審判に状況を伝え、必要に応じて機器の交換や確認を行います。
ただし、単に装着を忘れた場合や準備不足の場合まで、無制限に時間が認められるわけではありません。ピッチコムを使うチームには、機器の管理や事前確認も求められます。
ピッチコムは、球種やコースを伝えるための道具です。どの球を選ぶか、どのコースに構えるか、打者の反応をどう読むかという判断は、これまで通り選手に委ねられます。
捕手のリード、投手の感覚、ベンチのデータ、守備位置の考え方などが組み合わさって、初めて効果的な配球になります。
つまり、ピッチコムは野球を自動化する機械ではありません。選手同士の意思疎通を助けるためのシステムです。
2026年のWBCでは、ピッチコムの使用が認められました。あわせて、ピッチクロックや大きくなったベースなど、メジャーリーグに近いルールも採用されました。
これにより、各国代表チームは従来の国際大会とは違うテンポに対応する必要がありました。特に日本代表にとっては、NPBで慣れている試合運びとは異なる部分があり、事前準備が重要になりました。
侍ジャパンは大会前の強化合宿で、ピッチコムとピッチクロックを使った実戦形式の練習を行いました。投手と捕手だけでなく、二遊間の選手が受信機を付け、牽制や守備連係の確認を行う場面もありました。
WBCのような国際大会では、選手の所属リーグや普段の使用環境が異なります。メジャーリーグでピッチコムに慣れている選手もいれば、日本国内での使用経験が少ない選手もいます。そのため、代表チームとして同じルールやテンポに慣れておくことが大切です。
ピッチコムは、単に投手と捕手だけの問題ではありません。内野手、外野手、ベンチを含めて、チーム全体の意思疎通に関わる仕組みです。WBCでは、サイン伝達の速さや正確さが、試合の流れを左右する要素の一つになりました。
ピッチコムを理解するうえで、ピッチクロックとの関係はとても重要です。
ピッチクロックとは、投手が一定時間内に投球動作を始めなければならないルールです。走者がいない場面、走者がいる場面で制限時間が決められており、時間を超えると違反になります。
このルールがあると、従来のようにゆっくりサインを交換することが難しくなります。捕手がサインを出し、投手が首を振り、もう一度サインを出し直すという流れを何度も繰り返していると、時間が足りなくなります。
ピッチコムは、ピッチクロックへの対応を助ける仕組みです。ボタン操作で素早くサインを伝えられるため、投手は早めに球種を確認し、投球動作に入る準備ができます。
ただし、ピッチコムがあっても、すべてが自動的に速くなるわけではありません。投手と捕手が事前に配球方針を共有し、サインを出すタイミングや首を振った場合の対応を決めておく必要があります。
ピッチクロック時代の野球では、ピッチコムをどう使うかも戦略の一部になっています。
ピッチコムの登場によって、野球観戦の見方も少し変わります。
以前は、捕手が指でどんなサインを出しているのかを想像する楽しみがありました。現在は、外からはサインの内容が見えにくくなったため、観客が直接サインを読むことは難しくなっています。
その代わり、次のような点に注目すると、試合をより深く楽しめます。
ピッチコムは画面に大きく映る機器ではありませんが、投手のテンポ、捕手の動き、野手の準備に影響を与えています。中継を見ているときに、投手がすぐ投げるようになった、捕手がサインを出す動きが少なくなった、と感じる場面があれば、そこにピッチコムが関係しているかもしれません。
基本的には捕手が送信機を操作します。ただし、メジャーリーグでは投手が送信機を使い、自分で球種やコースを選ぶ運用も認められています。チームや投手の考え方によって使い方は異なります。
ルールの範囲内で、野手が受信機を装着することがあります。二塁手、遊撃手、中堅手などが受信機を付けることで、球種や牽制、守備位置に関する情報を共有しやすくなります。
従来の指サインよりは盗まれにくくなりますが、完全に何のリスクもないというわけではありません。機器の使い方、音声設定、運用ルールをきちんと管理することが重要です。
はい。音声は選手が理解しやすい言語に設定できます。日本人選手には日本語、外国人選手には英語やスペイン語など、選手ごとに聞き取りやすい言語で使うことができます。
機器に問題が起きた場合は、投手や捕手が審判に知らせ、必要に応じて確認や交換を行います。ただし、準備不足や装着忘れの場合まで自由に時間が認められるわけではないため、試合前の確認が大切です。
完全になくすというより、指サインの代わりに電子音声で伝える仕組みです。捕手の配球判断や投手との信頼関係が不要になるわけではありません。
基本的に、ピッチコムは守備側のサイン伝達に使われるものです。打者や走者が球種を知るために使うものではありません。
ピッチコムは、投手と捕手を中心に、球種やコースなどのサインを電子機器で伝えるシステムです。送信機のボタンを押すと、受信機を装着した選手の耳元で音声が流れます。
従来の指サインと比べると、ピッチコムには次のようなメリットがあります。
2026年のWBCでもピッチコムの使用が認められ、日本代表も大会前から対応を進めました。ピッチクロックと組み合わせて使われることで、野球のテンポや戦術に大きな影響を与える存在になっています。
一方で、ピッチコムは魔法の道具ではありません。ボタン操作に慣れる必要があり、音声の聞き取りや機器トラブルへの対応も求められます。また、捕手のリードや投手の判断が不要になるわけでもありません。
ピッチコムは、野球の伝統的な駆け引きを消すものではなく、より速く、正確に、そして安全にサインを伝えるための新しい道具です。これからメジャーリーグや国際大会を観戦するときは、投手と捕手がどのようにテンポを作っているのか、野手がどのように守備位置を変えているのかにも注目すると、試合をさらに深く楽しめるでしょう。