国際刑事裁判所(ICC)の所長を務める赤根智子(あかね・ともこ)氏。
日本の検察官として長いキャリアを積み、函館地方検察庁検事正、最高検察庁検事、国際司法協力担当大使などを経て、2018年にICC判事に就任しました。
そして2024年3月には、日本人として初めて国際刑事裁判所の所長に選出されています。
赤根氏が世界的に知られるようになった大きなきっかけの一つが、2023年にICCがロシアのウラジーミル・プーチン大統領に対する逮捕状を発付したことです。
その後、赤根氏自身がロシアから指名手配されるという異例の事態になりました。
さらに2026年8月18日には、米国政府が赤根智子所長を制裁対象に指定。
国際刑事司法をめぐってICCと大国との対立が深まるなか、世界でも特に注目される日本人法律家の一人となっています。
この記事では、赤根智子所長の学歴や検察官時代の経歴、ICC判事への就任、ICC所長となるまでの歩みについて詳しく紹介します。
赤根智子氏は、日本の検察官出身の法律家で、現在はオランダ・ハーグに本部を置く国際刑事裁判所(ICC)の所長を務めています。
1956年6月28日生まれ。
東京大学法学部を卒業後、1982年に検事に任官しました。
その後、日本各地の地方検察庁で勤務したほか、国連アジア極東犯罪防止研修所(UNAFEI)、名古屋大学法科大学院、法務省法務総合研究所などでも重要な役職を歴任しています。
国内の刑事事件を扱う検察実務だけでなく、刑事司法制度の国際協力や法整備支援、人材育成にも長く携わってきたことが、赤根氏の経歴の大きな特徴です。

赤根智子氏は、1980年に東京大学法学部を卒業しました。
日本を代表する法学教育機関で学んだ後、司法修習を経て1982年に検事に任官しています。
その後、検察官として勤務する一方で海外でも刑事司法について学びました。
1990年には、米国アラバマ州のジャクソンビル州立大学(Jacksonville State University)で刑事司法を学び、修士号を取得しています。
日本の刑事司法実務だけではなく、海外の刑事司法制度についても専門的に学んだ経験は、その後の国際司法分野での活動につながっていきました。
赤根氏のキャリアは、日本の検察官として始まりました。
しかし、その後の経歴を見ると、一般的な検察官のキャリアにとどまらず、国際協力、法曹教育、法整備支援など非常に幅広い分野を経験していることが分かります。
赤根氏は1982年に検事に任官しました。
その後、
などで勤務しました。
検察官として刑事事件の捜査や公判に携わり、日本の刑事司法の現場で経験を重ねていきます。
1996年から1999年には、国連アジア極東犯罪防止研修所(UNAFEI)の教官を務めました。
UNAFEIは、アジアを中心とする世界各国の刑事司法関係者を対象に、犯罪防止や刑事司法制度などについて研修を行う機関です。
赤根氏はその後もUNAFEIに深く関わり、
などを歴任しています。
この時期から、赤根氏のキャリアでは「日本国内の刑事司法」と「国際的な刑事司法協力」の二つが大きな柱となっていきます。
2005年から2008年にかけては、名古屋大学法科大学院などで教授を務めました。
検察官として現場で事件を扱うだけでなく、次世代の法律家を育てる法曹教育にも携わっています。
実務、教育、国際協力という複数の分野を経験している点は、赤根氏の経歴の中でも特徴的です。
2009年から2010年には法務総合研究所国際協力部長を務め、その後2010年から2012年まで函館地方検察庁検事正を務めました。
検事正は地方検察庁のトップにあたるポストです。
長年の検察実務を経て、検察組織を率いる立場にも就いたことになります。
その後も法務省内で要職を歴任しました。
2013年から2014年には法務総合研究所国際連合研修協力部長兼UNAFEI所長を務め、2014年から2016年には法務省法務総合研究所長を務めています。
さらに最高検察庁検事にも就任しました。
日本の検察組織だけでなく、法務行政や国際司法協力においても中心的な役割を担うようになります。
2016年4月、赤根氏は国際司法協力担当大使に就任しました。
検察官でありながら外交官としての役割も担い、日本の国際司法協力に関わることになります。
この国際的な経験を経て、赤根氏のキャリアは国際刑事裁判所へとつながっていきました。

2017年12月、ニューヨークで開かれたICC締約国会議で裁判官選挙が行われました。
日本政府が候補として擁立した赤根智子氏は、第1回投票でトップとなり当選しました。
そして2018年3月11日から国際刑事裁判所の判事として勤務を開始しています。
ICC判事の任期は9年間で、赤根氏の判事としての任期は2027年3月までです。
日本の検察官としてキャリアをスタートしてから約36年を経て、国際的な重大犯罪を扱う裁判官となったわけです。

赤根智子氏の名前が世界的に知られるようになった大きな出来事が、ロシアによるウクライナ侵攻をめぐるICCの捜査です。
2023年3月17日、ICC第2予審裁判部は、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と、ロシア大統領府の子どもの権利担当者マリア・リボワ=ベロワ氏に対する逮捕状を発付しました。
赤根氏は、この判断を行った判事の一人でした。
ウクライナの占領地域から子どもをロシア側へ不法に移送した疑いなどについて刑事責任があるとする判断でした。
現職の大国の大統領を対象とするICCの逮捕状だったことから、世界的なニュースとなりました。
プーチン大統領への逮捕状にロシア政府は強く反発しました。
2023年7月には、ロシア内務省が赤根氏を指名手配リストに掲載。
プーチン大統領への逮捕状を出したICC判事が、逆にロシアから指名手配されるという極めて異例の事態となりました。
赤根氏をめぐる問題は、個人の安全という問題にとどまらず、国際裁判所の裁判官が国家から圧力を受けることの是非という大きな問題にも発展しました。
2024年3月11日、ICCの判事による所長選挙が行われ、赤根智子氏が国際刑事裁判所所長に選出されました。
日本人がICC所長となるのは初めてです。
ICCには18人の判事がおり、その判事たちによる秘密投票で所長が選ばれます。
所長は、裁判所の適正な運営などについて責任を負う非常に重要なポストです。
赤根氏は、日本の検察官からキャリアをスタートし、約40年を経て世界を代表する国際司法機関のトップに就いたことになります。
これは日本人法律家の国際的な活躍という点でも非常に大きな出来事でした。

赤根智子氏が再び大きく注目されることになったのが、2026年8月です。
2026年8月18日、米国政府はICC所長の赤根智子氏を制裁対象に指定したと発表しました。
米国政府は、ICCが米国やイスラエルなどICCの管轄権を認めていない国の当局者に対し、捜査や訴追などを行おうとしていることを強く批判しています。
今回の制裁では、赤根氏とICCのシニア・トライアル・ロイヤーであるアブドゥライ・セイ氏が対象となりました。
一方、ICC側は米国による制裁に反発しており、裁判官や職員が法律に従って職務を行ったことを理由に制裁することは、司法の独立や法の支配を脅かすとの立場を示しています。
赤根氏はすでにロシアから指名手配されているため、2026年8月時点では、ロシアから指名手配され、さらに米国から制裁を科されるという異例の状況にあります。
現在の赤根氏は、単にICCを代表する日本人裁判官というだけでなく、国際刑事司法と国家主権をめぐる世界的な対立の最前線に立つ人物となっています。
国際刑事裁判所は英語でInternational Criminal Courtといい、一般に「ICC」と呼ばれています。
オランダ・ハーグに本部を置く常設の国際刑事裁判所で、2002年に発足しました。
ICCが主に対象とするのは、
など、国際社会全体にとって特に重大とされる犯罪です。
ここで重要なのは、ICCは「国」を裁く裁判所ではなく、犯罪に責任があるとされる個人を訴追・処罰するための裁判所だという点です。
そのため、条件が満たされれば国家元首や政府高官であっても対象となる可能性があります。
赤根智子氏の経歴を振り返ると、大きく二つの柱があることが分かります。
一つは、日本の検察官として長年積み重ねてきた刑事司法の実務経験です。
もう一つは、UNAFEIや法務省、国際司法協力担当大使などを通じて経験してきた国際司法協力です。
赤根氏は、単に国際法を研究してきた学者ではありません。
実際に検察官として事件を捜査・公判し、検察組織のトップを経験し、法曹教育や海外への法整備支援にも関わってきました。
こうした幅広い経験を経てICC判事となり、最終的にはICC所長に選ばれています。
国内刑事司法の実務と国際刑事司法の双方を経験していることが、赤根智子氏の最大の特徴といえるでしょう。
赤根智子所長は、東京大学法学部を卒業後、1982年に検事に任官し、日本の刑事司法の現場で長年経験を積んできた法律家です。
函館地方検察庁検事正、法務総合研究所長、最高検察庁検事、国際司法協力担当大使などを歴任した後、2018年に国際刑事裁判所の判事に就任しました。
2023年にはプーチン大統領への逮捕状発付に関わり、ロシアから指名手配されるという異例の事態に直面します。
それでも2024年3月には日本人として初めてICC所長に選出されました。
そして2026年8月18日には米国政府から制裁対象に指定され、再び国際的な注目を集めています。
日本の一検察官からスタートし、国際刑事裁判所のトップにまで上り詰めた赤根智子氏。
その経歴は、日本人法律家の国際的な活躍を示すだけでなく、現在の世界で「法の支配」と「国家主権」がどのように衝突しているのかを象徴するものともいえそうです。