2026年のイグ・ノーベル医学賞を受賞したことで、改めて注目を集めているのが、旭川医科大学名誉教授の故・海野徳二(うんの・とくじ)氏です。
受賞理由となったのは、私たちが日常的に何気なく行っている「鼻をかむ」という動作を、空気の流れや圧力などから科学的に分析した研究でした。
研究論文が発表されたのは1977年。およそ半世紀前の研究が2026年になってイグ・ノーベル賞を受賞するという、非常に珍しいケースです。
では、海野徳二氏とはどのような人物だったのでしょうか。経歴や専門分野、「鼻のかみ方」の研究内容、旭川医科大学で残した功績などを詳しく見ていきます。
| 氏名 | 海野 徳二(うんの とくじ) |
|---|---|
| 生年 | 1933年 |
| 出身大学 | 千葉大学医学部 |
| 専門 | 耳鼻咽喉科学、鼻科学、呼吸生理学 |
| 主な勤務先 | 千葉大学、和歌山県立医科大学、旭川医科大学 |
| 主な役職 | 旭川医科大学医学部耳鼻咽喉科学講座教授、同大学名誉教授 |
| 主な研究分野 | 鼻呼吸、鼻腔通気、咳、くしゃみ、上気道・下気道の呼吸生理 |
| 死去 | 2022年8月23日、89歳 |
| 主な受賞 | 北海道医師会賞、北海道知事賞、2026年イグ・ノーベル医学賞 |
海野徳二氏は1933年生まれです。
1958年(昭和33年)に千葉大学医学部を卒業しました。
千葉大学医学部の耳鼻咽喉科学教室は、当時から鼻や喉、頭頸部などに関する研究で知られており、海野氏もここで耳鼻咽喉科学の研究者としての道を歩んでいきました。
後に海野氏を特徴づけることになる「鼻の中を空気がどのように流れるのか」「呼吸によって鼻や喉にはどのような生理的変化が起こるのか」といった研究も、この時期から発展していったと考えられます。
海野氏は千葉大学医学部耳鼻咽喉科学教室で研究を続け、1968年10月から1970年2月まで講師を務めました。
当時の主な研究テーマとして記録されているのが「鼻腔加湿機能」です。
鼻は単に空気を通すための穴ではありません。
鼻から吸い込んだ空気を温めたり、湿度を調節したり、異物を取り除いたりする重要な役割を担っています。
海野氏は、こうした鼻の働きを感覚的に説明するのではなく、空気の流速や圧力、呼吸量などを測定することによって客観的に明らかにしていく研究を進めました。
この研究姿勢が、後の「鼻のかみ方」の研究にもつながっていきます。
千葉大学で講師を務めた後、海野氏は和歌山県立医科大学に移り、耳鼻咽喉科学教室の助教授を務めました。
1970年代には、鼻だけでなく、咳やくしゃみなどの呼吸運動についても精力的に研究しています。
1975年には「咳とくしゃみ」に関する論文を発表し、咳やくしゃみの際に空気がどのように排出されるのかを呼吸生理学の視点から分析しました。
1976年には副鼻腔炎と気管支炎など、上気道と下気道の関係についても研究しています。
現在では鼻、喉、気管、肺などを相互に関係する呼吸器系として考えることは珍しくありませんが、海野氏は早い時期から上気道と下気道を一つの連続したシステムとして研究していました。

海野氏の名前が2026年に世界的に知られるきっかけとなったのが、1977年に発表された論文です。
論文のタイトルは、
「鼻のかみ方―揖鼻の気体動力学的研究―」
というもので、英語では「How to Blow the Nose – An Aerodynamic Study of the Nose Blowing」と紹介されています。
共同研究者は矢島洋氏で、論文発表当時、両氏は和歌山県立医科大学耳鼻咽喉科学教室に所属していました。
一見すると「鼻のかみ方を研究する必要があるのか」と思ってしまいそうですが、実際には非常に本格的な呼吸生理学の研究です。
海野氏らは、鼻をかむ際にどの程度の速さで空気が流れるのか、どれほどの量の空気が排出されるのか、どのくらいの時間をかけて息を出しているのかを測定しました。
さらに、鼻をかんだ際に耳の内部へどのような圧力変化が伝わるのかについても調べています。
実験には呼吸時の気流を測定する装置などが使われました。
左右両方の鼻を同時にかむ場合と、片方の鼻孔を閉じてもう片方だけから息を出す場合を比較するなど、日常的な「鼻をかむ」という動作を数値によって分析したのです。
研究では、通りのよい方の鼻孔を閉じることで、通りにくい側の鼻を流れる空気の速度が高まることが示されました。
そのため、左右の鼻を一度にかむよりも、片側ずつ鼻をかむ方が効率よく鼻の中の分泌物を排出できると考えられました。
また、息を強く出すほど鼻腔内の分泌物を押し出す効果が高くなることも確認されました。
鼻を強くかむと「耳に悪いのではないか」と心配されることがありますが、研究で観察された耳道の圧力変化については、通常は急性の中耳感染を引き起こすほどのものではないとしています。
最終的に研究では、十分な量の息を使って、しっかりと長く鼻をかむ方法が推奨されました。
つまり、簡単にまとめると、
という方法です。
2026年の受賞報道では「旭川医科大学の海野徳二名誉教授」と紹介されることが多くなっています。
ただし、ここには少し注意が必要です。
イグ・ノーベル賞の対象となった1977年の「鼻のかみ方」の論文に記載されている所属は、和歌山県立医科大学耳鼻咽喉科学教室です。
海野氏が旭川医科大学へ移ったのは1976年10月ですが、論文はそれ以前に和歌山県立医科大学で行われた研究をまとめたものとみられます。
そのため、「旭川医科大学名誉教授が受賞した」という表現は正しいものの、「旭川医科大学で行われた研究」と理解すると正確ではありません。
海野氏の経歴の中でも大きな転機となったのが1976年10月です。
旭川医科大学医学部耳鼻咽喉科学講座の教授に就任しました。
海野氏は同講座の初代教授です。
教室は教授を含むわずか5人でスタートしました。
その後、教室は多くの耳鼻咽喉科医を育成し、道北・道東をはじめ北海道各地の耳鼻咽喉科医療を支える大きな組織へと成長していきました。
現在の旭川医科大学耳鼻咽喉科・頭頸部外科学講座につながる基盤を築いた人物が海野氏だったといえます。
イグ・ノーベル賞によって「鼻のかみ方を研究した先生」という印象が強くなりましたが、海野氏の研究領域はそれだけではありません。
旭川医科大学が海野氏の死去に際して公表した記録では、特に呼吸生理学の研究で優れた業績を残したとされています。
特徴的だったのは、鼻や喉だけを見るのではなく、上気道から下気道までを全体として捉えたことです。
正常な呼吸だけでなく、
などを対象として、生理的なメカニズムを研究しました。
旭川医科大学は、こうした研究について「独創的かつ先駆的」なものだったと評価しています。
海野氏はその後も鼻呼吸や鼻腔通気度に関する研究を続けました。
1984年には「鼻腔通気度測定法」に関する論説を発表しています。
鼻腔通気度とは、簡単にいえば「鼻の空気の通りやすさ」を客観的に測定する考え方です。
鼻づまりは本人の感覚だけでは評価が難しいため、鼻の内部を流れる空気の量や圧力を測定して数値化することは、診断や治療効果を判断するうえで重要です。
海野氏はこうした鼻呼吸機能の定量的な研究を長年続け、日本の鼻科学・呼吸生理学の発展に貢献しました。
研究成果は論文だけでなく書籍としてもまとめられています。
1992年には海野氏が編著者となった「鼻呼吸障害の解析と機能回復」が出版されました。
タイトルからも分かるように、長年研究してきた鼻呼吸の機能、鼻づまりなどによる呼吸障害、そしてその機能をどのように評価し回復させるかという問題を体系的に扱ったものです。
日本耳鼻咽喉科学会でも、1992年の学術集会で「鼻呼吸障害の解析と機能回復」をテーマとした講演を担当しており、この分野を代表する研究者の一人だったことが分かります。
海野氏は研究だけでなく医学教育にも力を入れていました。
旭川医科大学では耳鼻咽喉科の臨床実習について独自のカリキュラムを作り、学生が単に病名を覚えるのではなく、診断までの考え方や必要な検査、治療計画を段階的に考える教育を行っていました。
また、日本医学教育学会にも所属し、教育方法や評価方法について研究していたことが大学の記録に残っています。
医学部の学生だけでなく看護教育にも力を注ぎ、「耳鼻咽喉疾患患者の看護」などの看護学教科書や参考書の執筆にも携わりました。
研究者、臨床医だけでなく、教育者としても長く医学教育に貢献した人物だったのです。
海野氏の呼吸生理学を中心とする研究は高く評価され、北海道医師会賞および北海道知事賞を受賞しています。
2026年のイグ・ノーベル賞によって初めて名前を知った人も多いかもしれませんが、医学界では以前から鼻科学や呼吸生理学の研究者として実績を積み重ねていました。
海野氏は学術団体でも重要な役割を担いました。
1986年には旭川で日本鼻科学会の学術集会を開催し、1997年には日本気管食道科学会の学術集会会長を務めています。
研究成果を発表するだけではなく、学会運営や後進の研究者育成にも関わっていました。
海野氏は1976年10月から20年以上にわたって旭川医科大学耳鼻咽喉科学講座を率いました。
1998年3月に定年退官し、同年4月に旭川医科大学名誉教授の称号を授与されました。
後任の教授には原渕保明氏が就任しました。
退官後も教育活動に関わり、保健福祉関係の専門学校で副校長を務めるなど、医学・医療教育との関わりを続けていました。
海野徳二氏は2022年8月23日に亡くなりました。
89歳でした。
旭川医科大学は訃報の中で、研究、教育、大学運営の各分野で残した功績を紹介しています。
その時点では、約半世紀前に発表した「鼻のかみ方」の論文が、4年後に世界的な賞を受賞することになるとは本人も予想していなかったかもしれません。

2026年9月3日、スイスのチューリヒで第36回イグ・ノーベル賞の授賞式が開催されました。
医学賞に選ばれたのが、故・海野徳二氏です。
受賞対象となったのは1977年の「鼻のかみ方」に関する研究でした。
海野氏がすでに亡くなっているため、授賞式には旭川医科大学耳鼻咽喉科・頭頸部外科学講座の髙原幹教授が代理で出席し、賞を受け取りました。
髙原教授は海野氏の教え子でもあり、海野氏について鼻の生理学や気流研究の先駆者だったと紹介しています。
イグ・ノーベル賞は、その年に発表された新しい研究だけを対象とする賞ではありません。
「人々をまず笑わせ、そして考えさせる」研究や成果が対象となるため、過去に発表された研究が何十年も経ってから選ばれることがあります。
海野氏の研究はその典型といえるでしょう。
「鼻のかみ方」というテーマだけを聞けば、思わず笑ってしまうかもしれません。
しかし実際の論文を見ると、気流、呼気量、呼気時間、耳道内の圧力まで測定した本格的な医学研究です。
誰もが毎日のように行っている動作を「本当に正しい方法は何なのか」と疑問に思い、測定装置を使って科学的に確かめたところに、この研究の面白さがあります。
なお、1977年の論文そのものは海野徳二氏と矢島洋氏の共著です。
一方、2026年のイグ・ノーベル賞では、医学賞の受賞者として故・海野徳二氏が発表されています。
そのため、「論文は2人による研究」「イグ・ノーベル賞の受賞者として発表されたのは海野氏」と区別して理解するのが正確です。
海野氏の受賞によって、日本の研究者によるイグ・ノーベル賞受賞は20年連続となりました。
日本人研究者はこれまでにも、身近な疑問を徹底的に調べた研究や、一見すると奇抜に見える発明などで数多くイグ・ノーベル賞を受賞しています。
海野氏の研究も「身近すぎて普通なら研究対象として考えないことを真剣に調べる」という点で、イグ・ノーベル賞を象徴する研究の一つとなりました。
| 年 | 経歴・出来事 |
|---|---|
| 1933年 | 誕生 |
| 1958年 | 千葉大学医学部卒業 |
| 1968年 | 千葉大学医学部耳鼻咽喉科学教室講師 |
| 1970年頃 | 和歌山県立医科大学へ移り、耳鼻咽喉科学教室助教授 |
| 1975年 | 「咳とくしゃみ」など呼吸生理に関する研究を発表 |
| 1976年10月 | 旭川医科大学医学部耳鼻咽喉科学講座初代教授に就任 |
| 1977年 | 「鼻のかみ方―揖鼻の気体動力学的研究―」を発表 |
| 1986年 | 日本鼻科学会の学術集会を旭川で開催 |
| 1992年 | 「鼻呼吸障害の解析と機能回復」を編著 |
| 1997年 | 日本気管食道科学会学術集会会長 |
| 1998年3月 | 旭川医科大学を定年退官 |
| 1998年4月 | 旭川医科大学名誉教授 |
| 2022年8月23日 | 89歳で死去 |
| 2026年9月 | 「鼻のかみ方」の研究でイグ・ノーベル医学賞を死後受賞 |
海野徳二氏は、1933年生まれの耳鼻咽喉科医・医学研究者です。
1958年に千葉大学医学部を卒業し、千葉大学、和歌山県立医科大学を経て、1976年に旭川医科大学耳鼻咽喉科学講座の初代教授に就任しました。
専門は鼻科学や呼吸生理学で、鼻腔の気流、咳、くしゃみ、呼吸、発声などについて長年研究しました。
2026年のイグ・ノーベル医学賞の対象となった「鼻のかみ方」の論文は1977年に発表されたものです。
鼻をかむ際の空気の流速や呼気量、時間、耳への圧力変化などを実際に測定し、片方ずつ十分に息を使って鼻をかむことが効果的であることを科学的に示しました。
一見ユーモラスなテーマですが、その背景にあるのは海野氏が生涯にわたって追究した「呼吸を数値によって理解する」という本格的な研究です。
海野氏は2022年に89歳で亡くなっており、2026年の受賞は死後4年を経てのものとなりました。
約50年前に取り組んだ身近な疑問が時代を超えて再評価され、世界的な注目を集めたという点でも、非常に印象的なイグ・ノーベル賞受賞といえるでしょう。