岩本絹子氏は、東京女子医科大学出身の産婦人科医であり、同大学の元理事長です。長年にわたり産婦人科医として地域医療に関わる一方、母校である東京女子医科大学の評議員、理事、副理事長、理事長を歴任しました。
東京女子医科大学は、日本で長い歴史を持つ私立医科大学の一つです。その経営トップである理事長を務めた岩本氏は、医療界・大学関係者の間で知られる存在でした。しかし、大学の建設工事をめぐる不正支出問題により、2024年に理事長職を解任され、2025年には背任容疑で逮捕・起訴されました。
2026年6月に東京地裁で開かれた初公判では、岩本氏は背任行為を否定し、無罪を主張しています。そのため、現時点では有罪が確定しているわけではありません。岩本絹子氏の経歴を考えるうえでは、医師としての歩み、大学経営者としての立場、そして刑事裁判で争われている内容を分けて見る必要があります。
| 氏名 | 岩本 絹子(いわもと きぬこ) |
|---|---|
| 年齢 | 79歳(2026年6月時点の報道による) |
| 職業 | 産婦人科医、医学博士 |
| 出身大学 | 東京女子医科大学 |
| 主な役職 | 葛西産婦人科院長、東京女子医科大学評議員、理事、副理事長、理事長 |
| 理事長在任 | 2019年4月から2024年8月まで |
| 現在の主な関心事 | 東京女子医科大学をめぐる背任事件の刑事裁判 |
岩本絹子氏は、1973年3月に東京女子医科大学を卒業しました。卒業後は同大学大学院博士課程に進み、産婦人科教室に入局しています。1977年3月には東京女子医科大学大学院博士課程を修了し、医学博士としての専門的な道を歩みました。
東京女子医科大学は、女性医師の育成に大きな役割を果たしてきた大学です。岩本氏もその卒業生として医師の道に進み、産婦人科を専門分野としました。のちに大学の経営側に深く関わることになりますが、出発点はあくまで産婦人科医としての臨床経験にありました。
大学院修了後、岩本氏は医療現場で経験を重ねました。1977年12月には山梨県の市川大門町立病院で産婦人科部長を務め、その後、東京女子医科大学の麻酔科教室にも所属しました。産婦人科だけでなく麻酔科にも関わったことは、手術や分娩に関わる医師としての経験を広げるものだったと考えられます。
1979年には葛西中央病院の産婦人科部長に就任しました。その後、1981年3月に葛西産婦人科を開設し、院長となります。東京・江戸川区葛西地域で産婦人科医として活動し、長年にわたり地域の女性医療、妊娠・出産に関わる医療に携わってきました。
この時期の岩本氏は、大学経営者というよりも、地域に根差した開業医としての側面が強い人物でした。産婦人科は、妊娠、出産、婦人科疾患、不妊、更年期など、女性の人生のさまざまな段階に関わる診療科です。そうした分野で長く診療を続けたことは、岩本氏の経歴の大きな柱です。
岩本氏は、開業医として活動しながら、母校である東京女子医科大学との関係も続けました。1994年4月には東京女子医科大学産婦人科の非常勤講師となり、2012年3月までその立場にありました。
さらに、2001年4月には学校法人東京女子医科大学の評議員、2008年1月には同大学の理事に就任しました。評議員や理事は、大学の運営や経営方針に関わる重要な役職です。これにより、岩本氏は単なる卒業生や医師ではなく、学校法人の意思決定に関わる立場へと進んでいきました。
私立大学の理事は、教育・研究・病院運営・財務・人事など、幅広い事項に関わります。特に医科大学の場合、大学だけでなく附属病院の運営も重要です。岩本氏は、医師としての経験に加え、学校法人の経営に関わる立場を強めていきました。
岩本氏の経歴を語るうえで欠かせないのが、東京女子医科大学の同窓会組織である「至誠会」との関係です。岩本氏は2013年に至誠会の代表理事、会長に就任しました。
至誠会は、東京女子医科大学の卒業生との結び付きを担う組織です。卒業生のネットワークは、大学にとって大きな財産です。医師同士のつながり、卒業生による支援、大学のブランド維持など、同窓会組織にはさまざまな役割があります。
一方で、後に東京女子医科大学をめぐる問題では、至誠会推薦入試や寄付実績との関係が大きく取り上げられることになります。大学側は、推薦入試の選考過程で同窓会組織への寄付実績が考慮されていた問題を指摘し、元理事らに対する損害賠償請求訴訟も起こしています。
このように、岩本氏と至誠会の関係は、単なる同窓会活動にとどまらず、大学運営や入試制度をめぐる議論とも結び付いていきました。
岩本氏は2014年12月、学校法人東京女子医科大学の副理事長に就任しました。副理事長は、理事長を補佐し、法人運営の中核を担う役職です。医科大学の経営には、大学教育、研究、病院経営、人事、施設整備、財務など多くの課題があります。副理事長となった岩本氏は、大学の経営にさらに深く関わることになりました。
2019年4月、岩本氏は東京女子医科大学の理事長に就任しました。理事長は学校法人のトップであり、大学運営の最高責任者です。東京女子医科大学のように大学と附属病院を持つ法人では、理事長の権限と責任は非常に大きくなります。
理事長就任により、岩本氏は東京女子医科大学の経営方針、組織運営、人事、施設計画などに大きな影響を持つ立場となりました。医師、開業医、同窓会組織の代表、そして大学法人トップという複数の顔を持つ人物になったのです。
岩本氏が理事長を務めた時期、東京女子医科大学では大学運営や病院経営をめぐるさまざまな課題が表面化しました。医療機関としての経営、教職員との関係、組織の意思決定、同窓会組織との関係など、多くの問題が報道や大学側の調査で取り上げられるようになります。
特に大きな問題となったのが、大学のガバナンスです。ガバナンスとは、組織が適切に運営され、権限が一部に集中しすぎず、理事会や監事などが必要なチェック機能を果たす仕組みのことです。
東京女子医科大学の第三者委員会は、大学運営をめぐる問題について調査を行いました。その後、大学側は内部統制やガバナンスの機能不全を重く受け止め、組織改革に取り組むと公表しました。これは、岩本氏個人の問題だけでなく、大学という組織全体の運営体制が問われたことを意味します。
2024年8月7日、東京女子医科大学は臨時理事会を開き、岩本絹子氏の理事長職解任を決定しました。大学側は、第三者委員会の調査報告書の内容を受け止め、経営・運営全般にわたり改善を進めると説明しました。
理事長解任は、岩本氏の経歴における大きな転換点です。それまで大学の経営トップとして強い影響力を持っていた人物が、大学側の判断によって職を解かれたことになります。
大学側は、岩本氏の解任後、新体制への移行まで暫定的に別の理事を理事長に選任しました。附属病院の診療や大学の事業活動は継続すると説明されましたが、東京女子医科大学の信頼回復が大きな課題となりました。
2025年1月、岩本氏は東京女子医科大学の建設工事をめぐる背任容疑で逮捕されました。問題とされたのは、新校舎や新病棟の建設工事に関する建築アドバイザー報酬などの支出です。
起訴内容によると、岩本氏は1級建築士や大学の元職員らと共謀し、2018年から2021年にかけて、建築アドバイザー報酬などの名目で、計37回にわたり合計約2億8300万円を東京女子医科大学から不正に支出させ、大学に損害を与えたとされています。
検察側は、岩本氏が施工費の一定割合を建築士側に報酬として支払うことを提案し、理事会の承認を得たと主張しています。また、その報酬の一部が、大学元職員を通じて岩本氏側に還流したとも主張しています。
ただし、これは検察側の主張であり、岩本氏は背任行為を否定しています。刑事裁判では、実際に大学に損害を与える意図があったのか、報酬の支出に業務実態があったのか、岩本氏がどこまで関与していたのか、資金の流れをどのように評価するのかなどが争点になるとみられます。
2026年6月12日、東京地裁で岩本絹子被告の初公判が開かれました。岩本氏は法廷で背任行為を否定し、無罪を主張しました。
一方、同じ事件で起訴された1級建築士と東京女子医科大学の元職員は、2026年2月に開かれた初公判で起訴内容を認めています。共同被告の認否が分かれているため、岩本氏の裁判では、関係者の供述、理事会での承認手続き、報酬支払いの実態、資金還流の有無などが詳しく審理されると考えられます。
刑事裁判では、起訴されたからといって直ちに有罪になるわけではありません。無罪推定の原則があり、最終的な判断は裁判所が証拠に基づいて行います。そのため、岩本氏についても、現時点では「背任罪で起訴され、無罪を主張している元理事長」と表現するのが正確です。
岩本氏をめぐる問題は、刑事事件だけではありません。東京女子医科大学は、第三者委員会の調査報告書を踏まえ、元理事長や元理事らの責任を追及するための動きも進めています。
2025年には、業務委託費の不正支出問題や出向者に対する人件費問題について、大学側が岩本氏に対し損害賠償請求訴訟を提起しました。さらに2026年4月には、至誠会推薦入試問題をめぐり、元理事長を含む元理事らに対して総額10億円の損害賠償を求める訴訟を提起したと公表されています。
これらは刑事裁判とは別の民事上の責任追及です。刑事裁判では背任罪の成否が問われますが、民事訴訟では大学に対する忠実義務や善管注意義務に違反したか、大学に損害を与えたかが問題になります。
つまり、岩本氏をめぐる問題は、一つの事件だけではなく、大学経営、資金支出、入試制度、同窓会組織、ガバナンスという複数の論点に広がっています。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1973年 | 東京女子医科大学を卒業。東京女子医科大学大学院博士課程に進学し、産婦人科教室に入局。 |
| 1977年 | 東京女子医科大学大学院博士課程を修了。山梨県市川大門町立病院の産婦人科部長に就任。 |
| 1978年 | 東京女子医科大学麻酔科教室に入局。 |
| 1979年 | 葛西中央病院産婦人科部長に就任。 |
| 1981年 | 葛西産婦人科を開設し、院長となる。 |
| 1994年 | 東京女子医科大学産婦人科非常勤講師に就任。 |
| 2001年 | 学校法人東京女子医科大学評議員に就任。 |
| 2008年 | 学校法人東京女子医科大学理事に就任。 |
| 2013年 | 東京女子医科大学の同窓会組織「至誠会」の代表理事・会長に就任。 |
| 2014年 | 学校法人東京女子医科大学副理事長に就任。 |
| 2019年 | 学校法人東京女子医科大学理事長に就任。 |
| 2024年 | 東京女子医科大学の臨時理事会で理事長職を解任される。 |
| 2025年 | 東京女子医科大学の建設工事をめぐる背任容疑で逮捕・起訴される。 |
| 2026年 | 東京地裁の初公判で無罪を主張。大学側による民事上の責任追及も続く。 |
岩本絹子氏が大きく注目される理由は、単に大学の元理事長が刑事事件で起訴されたからだけではありません。東京女子医科大学という著名な医科大学の経営トップだった人物が、大学の施設整備や資金支出をめぐって背任罪に問われている点にあります。
医科大学は、教育機関であると同時に、高度医療を提供する病院を運営する組織でもあります。多額の予算が動き、施設整備や医療機器の導入、人件費、研究費、学生募集など、多くの利害関係が存在します。そのため、経営トップには高い透明性と説明責任が求められます。
また、岩本氏は産婦人科医として長いキャリアを持つ人物でもあります。地域医療に携わってきた医師が、母校の理事長となり、最終的に刑事裁判の被告となったという経歴の変化は、医療界だけでなく一般社会にも大きな関心を呼びました。
岩本氏の事件をめぐっては、個人の刑事責任だけでなく、東京女子医科大学の組織運営そのものも問われています。理事長に権限が集中していなかったか、理事会や監事によるチェックは機能していたのか、支出の妥当性を誰がどのように確認していたのかという点は、大学の信頼回復に直結する問題です。
大学側は、第三者委員会の調査報告書を踏まえて、ガバナンス体制の改善やコンプライアンス意識の徹底を進めるとしています。至誠会推薦入試も廃止されており、大学として再発防止に向けた改革を進める姿勢を示しています。
しかし、長年にわたって形成された組織文化を変えることは簡単ではありません。東京女子医科大学が社会からの信頼を回復するためには、責任の所在を明確にするだけでなく、透明性のある意思決定、外部からの監視、教職員が意見を言いやすい環境づくりが必要になります。
岩本絹子氏は、東京女子医科大学で学び、産婦人科医として地域医療に携わり、葛西産婦人科の院長として長く活動してきた人物です。その後、母校である東京女子医科大学の評議員、理事、副理事長を経て、2019年に理事長へ就任しました。
一方で、理事長在任中の大学運営をめぐっては、ガバナンスや資金支出、同窓会組織との関係など、さまざまな問題が表面化しました。2024年には理事長職を解任され、2025年には建設工事をめぐる背任容疑で逮捕・起訴されました。
2026年6月の初公判で、岩本氏は無罪を主張しています。今後の裁判では、検察側の主張する不正支出や資金還流がどのように立証されるのか、岩本氏の関与や認識がどのように判断されるのかが焦点となります。
岩本絹子氏の経歴は、医師としての歩み、大学経営者としての権限、そして私立医科大学のガバナンス問題が重なり合ったものです。事件の最終的な評価は、今後の裁判と大学側の改革の進展を見極める必要があります。