多田晃(ただ・あきら)監督は、大阪府の強豪・履正社高校硬式野球部を率いる高校野球指導者です。
自身も履正社高校野球部の出身で、高校時代は捕手としてプレーし、3年時には主将を務めました。
しかし、卒業後すぐに大学へ進学して高校野球の指導者になったわけではありません。
高校卒業後は大手電機メーカーの東芝に就職。
工場で冷蔵庫の製造に携わりながら会社の軟式野球部でプレーし、その一方で休日には母校・履正社の練習を手伝っていました。
転機となったのは、卒業直後の1997年夏です。
多田監督の1学年下のチームが、履正社として初めて夏の甲子園出場を実現しました。
恩師・岡田龍生監督から甲子園での選手サポートを頼まれたことをきっかけに、
「もっと毎日、高校野球に関わりたい」
という思いが強くなります。
会社員として働きながら通信教育で学び、大学卒業資格と教員免許を取得。
その後、高校教員へ転身しました。
大阪府立桜宮高校での勤務を経て、2006年から履正社野球部のコーチとなり、翌2007年には母校へ入職。
以後、岡田龍生監督の右腕として長年チームを支えてきました。
履正社が全国屈指の強豪へ成長していく過程を最も近くで見てきた人物の一人です。
2019年夏にはコーチとして履正社初の全国制覇を経験。
2021年には野球部長を務め、2022年4月、35年間にわたって履正社を率いた岡田監督の後任として監督に就任しました。
2023年には春夏とも甲子園へ出場。
夏には大阪大会決勝で大阪桐蔭を破り、監督として初めて夏の甲子園への切符をつかみました。
そして2026年夏。
履正社を3年ぶり6回目となる夏の甲子園へ導いています。
本記事では、多田晃監督の年齢、出身地、高校時代、会社員時代、教員を目指した理由、岡田龍生監督との関係、履正社での指導歴、2019年全国制覇、監督就任後の実績、そして指導方針について詳しく紹介します。
| 名前 | 多田 晃 | 読み方 | ただ あきら | 生年月日 | 1978年5月20日 | 年齢 | 48歳(2026年8月現在) | 出身地 | 大阪府 | 出身高校 | 履正社高等学校 | 高校時代のポジション | 捕手 | 高校時代 | 3年時に主将 | 高校卒業後 | 東芝に勤務、軟式野球でもプレー | 教員資格 | 会社勤務を続けながら通信教育で取得 | 主な指導歴 | 大阪府立桜宮高校、履正社高校 | 履正社コーチ就任 | 2006年 | 履正社入職 | 2007年 | 野球部長 | 2021年 | 監督就任 | 2022年4月 | 主な実績 | 2023年春・夏甲子園出場、2026年夏甲子園出場 |
|---|
多田晃監督は1978年5月20日生まれ。
大阪府出身です。
高校は現在監督を務めている履正社高校へ進学しました。
当時、野球部を率いていたのが岡田龍生監督です。
岡田監督は1987年から履正社を指導。
当時はまだ現在のような全国的な強豪ではなかった履正社を、一から甲子園常連校へ育てていくことになります。
多田監督は、その過程の初期を選手として経験した世代でした。
多田選手のポジションは捕手でした。
3年時には主将を務めています。
捕手と主将という二つの重要な役割を担い、チームの中心としてプレーしました。
捕手は投手だけでなく、守備全体や相手打者、走者の動きを見ながら試合を組み立てるポジションです。
さらに主将としてチーム全体をまとめる必要もありました。
現在、監督として選手とのコミュニケーションを非常に大切にしている多田監督ですが、高校時代から人と関わりながらチームを動かす立場を経験していたことになります。

現在では履正社といえば甲子園常連校ですが、多田監督が高校生だった時代はまだ違いました。
多田監督自身は高校3年間で甲子園へ出場していません。
そして皮肉にも、多田監督が卒業した直後の1997年夏。
1学年下のチームが履正社として初めて夏の甲子園出場を果たします。
多田監督にとって、うれしさと悔しさの両方を感じる出来事だったことでしょう。
そして、この甲子園初出場が人生の進路を変えることになります。
多田監督の経歴で非常に特徴的なのが、高校卒業後の進路です。
大学野球へは進みませんでした。
卒業後は東芝へ就職。
工場で働く会社員となりました。
当時の仕事は冷蔵庫の製造。
平日は工場で冷蔵庫を作り、会社の軟式野球チームでもプレーしていました。
現在、全国屈指の高校野球強豪校を率いている監督が、20歳前後の頃には工場で働く会社員だったことになります。
会社員になっても母校との関係は切れませんでした。
平日は工場勤務。
休日になると履正社のグラウンドへ足を運び、後輩たちの練習を手伝っていました。
理由の一つは、恩師・岡田龍生監督への恩返しでした。
選手時代に世話になった監督や野球部に少しでも力を返したい。
その思いから、仕事の休みを利用して母校へ通っていたといいます。
社会人1年目の1997年夏。
母校・履正社が大阪大会を勝ち抜き、夏の甲子園初出場を決めました。
岡田監督から多田氏へ、
甲子園で選手のサポートをしてほしい
という依頼がありました。
一つ下の後輩たちが甲子園でプレーする姿を間近で見た多田氏は、高校野球への思いをさらに強くします。
そして、
「毎日、高校野球に関わりたい」
と考えるようになりました。
ここから教員を目指す人生が始まります。
教員になるためには資格が必要です。
しかし多田氏はすでに社会人として働いていました。
そこで会社を辞めて一から昼間の大学へ通うのではなく、仕事を続けながら通信教育で学ぶ道を選びました。
佛教大学の通信教育課程などで学び、必要な単位を取得。
大学卒業資格と教員免許を取得しました。
工場勤務をしながら学習を続ける生活です。
教員免許取得まで約4年間。
働きながら目標へ向かって努力を続けました。
多田監督の場合、教師になった後でたまたま野球部顧問になったわけではありません。
高校野球に毎日関わりたい。
高校生を指導したい。
そのために教員免許を取得しました。
つまり、高校野球指導者になることが先にあり、その夢を実現するために教師の道を選んだ人物です。
現在の選手たちに目標へ向かって努力することを求める背景には、自身が20代の頃に歩んだ道もあります。
教員資格取得後、多田氏は大阪府立桜宮高校で勤務しました。
桜宮高校は岡田龍生監督が履正社へ移る以前に勤務していた学校でもあります。
多田氏はここで高校教員としての経験を積みました。
学校の先生には野球部指導以外にも、
授業
クラス運営
進路指導
生徒指導
学校行事
などさまざまな仕事があります。
会社員から教師へ転身した多田氏は、ここで教育者としての基礎を身につけていきました。
2006年、多田氏は母校・履正社の野球部コーチとなりました。
翌2007年には履正社高校へ入職。
念願だった、
「毎日、母校で高校野球に関わる生活」
が実現したことになります。
ここから岡田龍生監督と多田晃コーチによる長い指導者としての関係が始まりました。
岡田龍生監督は1987年から履正社を率い、35年間にわたってチームを指導した名将です。
多田氏にとっては、
高校時代の監督
であると同時に、
指導者としての師匠
でもありました。
コーチとなった多田氏は、ノックや打撃指導だけでなく、次第にチーム運営にも深く関わるようになります。
岡田監督から任される仕事も増えていきました。

2008年春。
履正社はセンバツに出場し、学校として甲子園初勝利を挙げました。
多田コーチはスタンドからその瞬間を見守っています。
1997年に夏の甲子園初出場。
2008年に甲子園初勝利。
履正社が一歩ずつ全国の強豪へ成長していく過程を、多田監督はOB、コーチとして見続けてきました。
その後、履正社は急速に全国で結果を残すようになります。
2011年春にはセンバツベスト4。
2014年春には準優勝。
2017年春にも準優勝。
甲子園へ出場することが目標だった学校から、全国優勝を現実的に狙う学校へ変わっていきました。
多田氏はその間、コーチとしてチームづくりを支えています。
多田監督が履正社で長期間指導してきた間には、多くの選手がプロ野球へ進んでいます。
代表的なOBには、
山田哲人
T-岡田
坂本誠志郎
安田尚憲
寺島成輝
井上広大
などがいます。
多田監督はコーチとして多くの世代に接し、全国トップレベルの選手が高校時代にどのように成長していくのかを見てきました。
一方で、プロへ進まない大多数の部員にも接しています。
強豪校では、試合に出場できないまま3年間を終える選手も少なくありません。
そうした選手を含めてチームをどうまとめるかも、長いコーチ経験の中で学びました。

そして2019年夏。
履正社はついに全国の頂点へ立ちました。
決勝の相手は星稜高校。
奥川恭伸投手を擁する優勝候補でした。
履正社は決勝を制し、学校史上初の夏の甲子園優勝を達成します。
岡田龍生監督が就任してから30年以上。
1997年の甲子園初出場から22年。
長い年月をかけて目標としてきた全国制覇でした。
多田氏もコーチとして、この歴史的な優勝を経験しています。
全国優勝を経験したことは、多田監督にとって大きな財産です。
日本一になるチームは、
どのような身体をしているのか。
どのような練習をするのか。
試合前に何を準備するのか。
苦しい場面でどんな雰囲気になるのか。
全国制覇を外から想像するのではなく、チーム内部の指導者として経験しました。
2022年に自ら監督となった後も、
「履正社の基準は日本一」
という考えを持つことができる背景には、この経験があります。
長年コーチを務めてきた多田氏は、2021年に野球部長を務めました。
単に技術を教えるコーチではなく、チーム全体の運営を担う立場になります。
そして翌年、大きな転機が訪れました。
2022年春。
岡田龍生監督が履正社を退任しました。
指導期間は35年間。
履正社を全国屈指の強豪へ育て、2019年には全国優勝。
大阪では大阪桐蔭と並ぶ「2強」と呼ばれるまでになりました。
後任として選ばれたのが、多田晃氏でした。
多田監督は43歳で履正社硬式野球部監督へ就任しました。
外部から有名監督を招くのではなく、学校は長年岡田監督を支えてきたOBの多田氏にチームを託しました。
しかし、全国優勝監督の後を継ぐ仕事は簡単ではありません。
監督就任直後には、
「履正社は大丈夫なのか」
という声もあったといいます。
多田監督自身も、岡田監督と比較されるプレッシャーがあったことを認めています。
多田監督は岡田野球のすべてを変えたわけではありません。
むしろ履正社が長年大切にしてきた、
打撃
守備
走塁
バント
身体づくり
といった基本を引き継いでいます。
しかし、
「岡田先生と同じことをすれば同じ結果が出る」
とも考えていません。
選手のタイプは毎年違います。
時代も変化します。
監督自身も違います。
多田監督は、履正社の伝統を守りながら、その年の選手に合わせてチームを変えることを重視しています。
監督就任時、多田監督が特に重視したのが選手とのコミュニケーションです。
コーチ時代から、多田氏は選手にとって比較的話しかけやすい指導者でした。
岡田監督がチーム全体を率いる中、多田コーチが選手との間をつなぐ役割を担う場面も多くありました。
監督になってからもその姿勢を変えていません。
一方的に指示を与えるのではなく、
「どう思う?」
「何が足りない?」
「どうしたい?」
と選手の考えを聞きます。
多田監督は、選手との距離が比較的近い指導者として紹介されることがあります。
もちろん友達のような関係ではありません。
必要な時には厳しく指導します。
しかし、選手が困った時や技術的な疑問を感じた時、話しかけられる関係をつくることを大切にしています。
高校生は監督に何も言えなくなると、自分の悩みを抱えたままプレーすることになります。
そのため、日頃の会話を非常に重視しています。
現在の履正社野球部が掲げる重要な考え方が、二つの「じりつ」です。
一つは、
自立
です。
自分で考え、自分で決め、自分で行動する。
もう一つは、
自律
です。
ルールを守り、自分自身をコントロールし、周囲から信頼される人間になる。
多田監督はこの両方を選手に求めています。
多田監督は、自主性を重視すると明確にしています。
しかし、
「好きな練習だけやればいい」
「監督の言うことを聞かなくてもいい」
という意味ではありません。
自分で考えて決断したのであれば、その結果に責任を持つ。
自分には何が足りないのかを考える。
足りないものを補うため、自主練習をする。
この姿勢を身につけてほしいと考えています。
履正社の特徴の一つが、多くの部員が自宅から通学していることです。
全国的な強豪校には全寮制の学校もあります。
寮生活であれば食事、睡眠、生活時間などを学校側がある程度管理できます。
一方、履正社では家庭での生活が非常に重要です。
そのためチームでは、選手自身が身体づくりについて理解することを重視しています。
履正社は強力打線で知られています。
その土台にあるのが身体づくりです。
日々の食事。
ウエートトレーニング。
プロテインなどの栄養。
選手だけでなく保護者にも身体づくりの考え方を伝えます。
高校生はまだ成長期です。
ただ練習量を増やすだけではなく、食べて身体を大きくし、トレーニングによって力をつける。
これが履正社の強打を支える重要な要素となっています。
岡田龍生監督時代から、履正社の大きな特徴は打撃でした。
甲子園で勝ち続けるためには、全国レベルの好投手から得点できなければならない。
多田監督もこの考えを引き継いでいます。
2019年の全国優勝チームも井上広大選手ら強打者が並び、相手の好投手を打ち崩しました。
しかし、多田監督は打撃だけで毎試合勝てるとは考えていません。
高校野球では、どれだけ打撃練習をしても打てない試合があります。
相手投手が良い。
打者のタイミングが合わない。
風や球場などの条件が違う。
そうした日に、
「今日は打てなかったから負けた」
では全国制覇はできません。
そこで多田監督が改めて重視するようになったのが走塁です。
走者が塁に出た時、
本当に盗塁するかどうか
だけが重要なのではありません。
「履正社は走ってくる」
と相手バッテリーに思わせるだけでも意味があります。
投手は走者を警戒してクイックになる。
捕手も走者を意識する。
内野手も動く。
その結果、投球や守備にわずかなズレが生まれる可能性があります。
打てない時でも相手にプレッシャーをかける。
これが多田監督が走塁を重視する理由です。
多田監督のチームづくりで非常に特徴的なのが、
「毎年モデルチェンジする」
という考え方です。
ある年は長打力がある。
別の年は走れる選手が多い。
好投手が複数いる年もあれば、打撃で点を取る必要がある年もあります。
前年に成功した戦術を、そのまま翌年も使うとは限りません。
今いる選手の長所を最大限に生かす。
多田監督はチームの特徴に合わせて練習内容や戦術を変えています。

多田監督が監督として初めて甲子園で采配を振ったのは、2023年春のセンバツです。
履正社は甲子園へ戻りました。
結果は初戦敗退。
名門校の監督としては厳しいスタートとなりました。
しかし同年夏、大きな結果を残します。
2023年夏。
履正社は大阪大会を勝ち抜きました。
決勝の相手は大阪桐蔭。
大阪高校野球を代表する最大のライバルです。
履正社が勝利し、多田監督は監督として初めて夏の甲子園出場を決めました。
岡田監督からチームを受け継いで2年目。
「履正社は大丈夫なのか」という声に結果で答える形となりました。
夏の甲子園では鳥取商業に勝利。
多田監督にとって、監督として初めての甲子園勝利となりました。
続く仙台育英戦は接戦の末に敗れました。
しかし多田監督は、この敗戦の中で最後まで戦った選手たちから逆に多くを教えられたと振り返っています。
後に多田監督は、
「ありがとうと言える人生は素晴らしい」
という思いがその試合で強く心に浮かんだと明かしています。
履正社は全国優勝を目指す強豪校です。
当然、勝利は重要です。
しかし多田監督は、勝つことだけが高校野球の価値だとは考えていません。
野球をできること。
グラウンドを使えること。
家族に支えてもらえること。
仲間と出会えたこと。
指導者や学校、地域に応援してもらえること。
そうした環境を当たり前と思わず、感謝できる人間になってほしいと考えています。
現在の履正社野球部が掲げている目標は、
「圧倒的日本一」
です。
ただし、意味は野球の試合に勝つことだけではありません。
野球でも日本一。
人間としても日本一。
挨拶する。
ルールを守る。
周囲へ感謝する。
自分の言葉で考えを伝える。
信頼される人間になる。
高校3年間を、野球選手としてだけでなく人間として成長する時間と位置付けています。
2023年夏に甲子園へ出場した後、履正社は2年間夏の代表から遠ざかりました。
全国屈指の強豪であっても、大阪大会を毎年勝ち抜くことは簡単ではありません。
大阪桐蔭をはじめ、多くの有力校が存在します。
特に強豪校では、
「甲子園に出られなかった=失敗」
と見られがちです。
多田監督にとっても難しい期間だったといえるでしょう。
そして2026年。
履正社は再び大阪代表の座をつかみました。
3年ぶり6回目となる夏の甲子園です。
多田監督就任後では2023年以来、2度目の夏の甲子園となります。
2026年のチームについて多田監督は、履正社が伝統的に重視してきた、
守備
走塁
バント
に加え、チームの強みである打力を組み合わせることを重視しています。
「打つだけの履正社」でも、
「機動力だけの履正社」でもありません。
その年の選手に合わせた履正社野球をつくっています。
第108回全国高校野球選手権大会で、履正社の初戦は愛知県代表・享栄高校です。
享栄を率いるのは大藤敏行監督。
中京大中京を率いて2009年夏の甲子園全国優勝を経験した名将です。
履正社は3年ぶり6回目。
享栄は31年ぶり9回目。
2026年8月11日の第7日第3試合で対戦します。
多田監督は相手の豊富な投手陣を警戒しつつ、先制して主導権を握る展開を描いています。
一方的に指示するだけでなく、選手の話を聞くことを重視します。
選手が何を考えているのか。
どこに悩んでいるのか。
監督と選手が言葉を交わすことで、チームの方向性を共有します。
指導者が決めた練習だけをこなすのではなく、自分に足りないものを考え、自分で練習できる選手を育てます。
ただし自主性には責任が伴います。
自分で考え、決め、行動し、結果を受け止めることまで含めて「自主性」と考えています。
自分で考えて行動する「自立」。
ルールを守り、自分をコントロールする「自律」。
この二つを身につけ、周囲から信頼される人物になることを求めています。
履正社の伝統である打力は大切にします。
しかし好投手を相手に毎試合大量点を取れるわけではありません。
走塁、犠打、四球、守備などを組み合わせ、打てない試合でも勝てるチームを目指します。
前年の成功体験をそのまま翌年へ持ち込みません。
足の速い選手が多ければ走塁を増やす。
長打力があれば打撃を生かす。
投手力が高ければ守備を中心に考える。
毎年チームを「モデルチェンジ」します。
ウエートトレーニングだけでなく、食事や栄養についても選手へ指導します。
特に自宅通学の選手が多い履正社では、家庭の協力も重要です。
高校3年間で全国の強豪と戦える身体をつくることを目指します。
野球ができる環境を当然と思わない。
保護者、学校、仲間、指導者、地域への感謝を忘れない。
多田監督は野球の技術以上に、周囲と信頼関係を築ける人間に成長することを求めています。
多田監督の経歴を語るうえで、岡田龍生氏の存在は欠かせません。
多田監督にとって岡田氏は、
高校時代の恩師
であり、
指導者としての師匠
でもあります。
選手と監督。
その後はコーチと監督。
そして2022年には、岡田氏が35年間率いたチームを多田氏が受け継ぎました。
現在、岡田氏は東洋大姫路高校を率いています。
師弟が別々の全国的強豪校を率いる形となりました。
多田監督は岡田監督への敬意を隠しません。
しかし監督として目指しているのは、岡田氏のコピーではありません。
岡田時代から履正社が大切にしてきた強打、守備、走塁、身体づくり。
そこへ、
選手との対話
自主性
自立・自律
その年ごとのモデルチェンジ
をより強く取り入れています。
長い伝統を守りながら、自分の色を加えている段階といえるでしょう。
| 時期 | 経歴・実績 | 高校時代 | 履正社高校で捕手としてプレー。3年時に主将 | 1997年春 | 履正社高校を卒業し、東芝へ就職 | 1997年夏 | 1学年下の履正社が夏の甲子園初出場。甲子園で選手サポートを経験し、指導者への思いを強める | 会社員時代 | 工場で冷蔵庫製造に携わりながら軟式野球でプレー。休日は履正社の練習を手伝う | その後 | 通信教育で学び、大学卒業資格・教員免許を取得 | 教員転身後 | 大阪府立桜宮高校で勤務 | 2006年 | 履正社高校硬式野球部コーチに就任 | 2007年 | 履正社高校へ入職 | 2008年春 | コーチとして履正社の甲子園初勝利を経験 | 2011年春 | センバツベスト4 | 2014年春 | センバツ準優勝 | 2017年春 | センバツ準優勝 | 2019年夏 | コーチとして履正社初の夏の甲子園全国優勝を経験 | 2021年 | 野球部長を務める | 2022年4月 | 岡田龍生監督の後任として履正社高校監督に就任 | 2023年春 | 監督として初のセンバツ出場 | 2023年夏 | 大阪大会を制し、監督として初の夏の甲子園出場 | 2023年夏 | 甲子園で監督として初勝利 | 2026年夏 | 履正社を3年ぶり6回目の夏の甲子園へ導く |
|---|
1978年5月20日生まれで、2026年8月現在48歳です。
大阪府出身です。
現在監督を務める履正社高校です。
高校時代は捕手としてプレーし、3年時には主将を務めました。
選手としては甲子園へ出場していません。
多田監督が卒業した直後の1997年夏に、1学年下のチームが履正社初の甲子園出場を果たしました。
大学野球選手としての経歴はありません。
高校卒業後は大手電機メーカーの東芝へ就職しました。
工場で冷蔵庫の製造に携わり、会社の軟式野球でもプレーしていました。
その一方、休日には母校・履正社の練習を手伝っていました。
母校が1997年夏に初めて甲子園へ出場した際、恩師・岡田龍生監督から選手のサポートを頼まれました。
その経験をきっかけに「毎日、高校野球に関わりたい」という思いが強くなり、会社員として働きながら教員資格を取得しました。
2006年から野球部コーチとして指導しています。
2007年に履正社高校へ入職しました。
はい。
岡田龍生監督のもとでコーチを務め、学校史上初となる夏の甲子園全国優勝を経験しています。
2022年4月です。
35年間にわたって履正社を率いた岡田龍生監督の後任として就任しました。
2023年春のセンバツです。
同年夏にも大阪大会を制し、夏の甲子園へ出場しました。
はい。
2023年夏に鳥取商業を破り、監督として甲子園初勝利を挙げています。
はい。
3年ぶり6回目となる夏の甲子園出場です。
愛知県代表の享栄高校です。
2026年8月11日の第7日第3試合で対戦する予定です。
選手とのコミュニケーション、自主性、自立と自律を重視しています。
また、「毎年同じ野球をする」のではなく、その年の選手の特徴に合わせて打撃、走塁、バント、守備などの比重を変えることも特徴です。
多田晃監督は1978年5月20日生まれ、大阪府出身の高校野球指導者です。
高校は現在監督を務める履正社。
捕手としてプレーし、3年時には主将を務めました。
しかし選手として甲子園へ出場することはできませんでした。
高校卒業後は大学野球へ進まず、東芝へ就職。
工場で冷蔵庫を作り、会社の軟式野球でプレーする会社員となりました。
それでも休日には母校の練習へ通い、後輩たちをサポートしていました。
そして社会人1年目の1997年夏。
1学年下の履正社が学校史上初となる夏の甲子園出場を決めます。
岡田龍生監督から甲子園での選手サポートを頼まれた経験が、多田監督の人生を変えました。
「もっと毎日、高校野球に関わりたい」。
その思いから、会社員として働きながら通信教育で学び、教員免許を取得。
桜宮高校での勤務を経て、2006年から母校・履正社のコーチとなりました。
それから多田氏は、履正社が全国屈指の強豪へ成長していく過程を岡田監督のすぐそばで経験します。
2008年の甲子園初勝利。
2011年春のベスト4。
2014年、2017年春の準優勝。
そして2019年夏。
履正社はついに甲子園全国優勝を成し遂げました。
多田氏もコーチとして日本一を経験しています。
2021年には野球部長。
そして2022年4月、35年間履正社を率いた岡田龍生監督からチームを引き継ぎました。
全国優勝監督の後任という大きなプレッシャーの中、多田監督が重視したのは岡田野球をそのままコピーすることではありませんでした。
履正社伝統の強打、守備、走塁、身体づくりを受け継ぎながら、
選手とのコミュニケーション。
自主性。
自立と自律。
そして、その年の選手に合ったチームづくり。
を取り入れていきました。
2023年には春夏とも甲子園へ出場。
夏には監督として甲子園初勝利も挙げました。
その後2年間は夏の甲子園から遠ざかりましたが、2026年夏に再び大阪大会を制覇。
履正社を3年ぶり6回目となる夏の甲子園へ導いています。
会社員として工場で働きながら教師を目指し、20代で母校へ戻り、長年にわたって名将・岡田龍生監督を支え、ついにはそのチームを受け継いだ多田晃監督。
履正社の全国区への歩みを、選手、OB、コーチ、部長、そして監督というさまざまな立場から知る人物です。
2019年にはコーチとして見た「日本一の景色」。
次は監督として、選手たちにその景色を見せられるのか。
2026年夏、多田晃監督率いる履正社の挑戦に注目が集まります。