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白川英樹氏の経歴

白川英樹氏の経歴

ノーベル化学賞を受賞した「電気を通すプラスチック」の発見者

白川英樹(しらかわ・ひでき)氏は、「電気を通すプラスチック」と呼ばれる導電性高分子の研究で世界的に知られ、2000年にノーベル化学賞を受賞した日本の化学者です。

一般的なプラスチックは電気を通しにくいため、電線を覆う絶縁体などとして利用されています。そのため、「プラスチックは電気を通さない」という考え方は長い間、科学の世界でも常識とされていました。

ところが白川氏らは、ポリアセチレンという高分子に特殊な処理を施すことで、その電気伝導度を飛躍的に高められることを発見します。

この研究によって「導電性高分子」という新しい研究分野が大きく発展し、後の有機エレクトロニクス、発光素子、太陽電池、センサーなどの研究にもつながっていきました。

白川氏は筑波大学教授を長年務め、2000年にアラン・J・ヒーガー氏、アラン・G・マクダイアミッド氏とともにノーベル化学賞を受賞しました。

筑波大学は2026年9月3日、同大学名誉教授だった白川英樹氏が2026年8月24日に亡くなったと発表しました。90歳でした。

ここでは、日本を代表するノーベル賞受賞者の一人である白川英樹氏について、幼少期から大学時代、ポリアセチレン研究、ノーベル賞受賞に至るまでの経歴を詳しく紹介します。

白川英樹氏のプロフィール

氏名 白川 英樹(しらかわ ひでき)
生年月日 1936年8月20日
出生地 東京都
主に育った場所 岐阜県高山市
出身大学 東京工業大学理工学部化学工学科
学位 工学博士
専門 高分子化学、導電性高分子
主な勤務先 東京工業大学、ペンシルベニア大学、筑波大学
主な業績 薄膜状ポリアセチレンの合成、導電性高分子の発見と開発
ノーベル賞 2000年ノーベル化学賞
主な栄典 文化勲章、文化功労者
死去 2026年8月24日(90歳)

白川英樹氏は東京生まれ

白川英樹氏は1936年8月20日、東京に生まれました。

幼少期には父親の仕事の関係などから台湾や旧満州で暮らした時期があり、その後、母親の故郷である岐阜県高山市へ移りました。

小学校から高校卒業までの多くの時期を飛騨高山で過ごしています。

現在では世界的な化学者として知られる白川氏ですが、最初からノーベル賞につながる研究者人生を思い描いていたわけではありません。

自然に囲まれた環境の中で成長し、次第に科学や自然現象への関心を深めていったとされています。

高校卒業後は東京工業大学へ進学しました。

東京工業大学理工学部化学工学科へ進学

白川氏が進学したのは東京工業大学です。現在の東京科学大学の前身にあたる大学で、日本を代表する理工系大学として知られていました。

白川氏は理工学部化学工学科で学び、1961年に卒業しました。

大学卒業後も東京工業大学大学院に進み、理工学研究科化学工学専攻で研究を続けました。

1966年に博士課程を修了し、工学博士の学位を取得します。

博士論文のテーマは「共重合体のブロック鎖に関する研究」で、この時点ですでに高分子化学に深く関わる研究を行っていました。

大学院修了後は東京工業大学資源化学研究所の助手となります。

ここで取り組むことになった高分子の研究が、後にノーベル化学賞へとつながることになります。

そもそも「高分子」とは何なのか

白川氏の業績を理解するためには、「高分子」という言葉を簡単に理解しておく必要があります。

高分子とは、小さな分子が多数つながってできた非常に大きな分子です。

プラスチック、ゴム、ナイロン、ポリエチレンなど、私たちの身の回りにある多くの材料が高分子でできています。

一般的なプラスチックは軽く、加工しやすく、腐食しにくいという優れた性質を持っています。

一方で電気を通しにくいという特徴があります。

むしろ、その「電気を通さない性質」がプラスチックの大きな長所の一つでした。

家庭にある電気コードを見ても、電気を流す金属製の導線の周囲をプラスチックが覆っています。これはプラスチックが電気を通さないためです。

そのような時代に「プラスチックそのものに電気を流す」という発想は、非常に画期的なものでした。

白川英樹氏が研究した「ポリアセチレン」

白川氏が東京工業大学で研究していた物質の一つが「ポリアセチレン」です。

ポリアセチレンは、炭素原子が鎖状につながった高分子です。

その構造には単結合と二重結合が交互に並ぶ「共役系」と呼ばれる特徴があります。

このような構造は電子の性質を考えるうえで非常に興味深いものでした。

しかし、当時作られていたポリアセチレンは基本的に黒い粉末状でした。

粉末では構造を詳しく調べたり、電気的な性質を精密に測定したりすることが容易ではありません。

そこで大きな転機となったのが、ポリアセチレンを「薄膜」にすることでした。

「失敗」が生んだポリアセチレンの薄膜

白川英樹氏の研究で最も有名なエピソードの一つが、ポリアセチレンの薄膜が予想外の実験から生まれたことです。

1967年ごろ、ポリアセチレンの合成実験で通常とは大きく異なる量の触媒が使用されました。

触媒濃度は、本来想定されていたもののおよそ1000倍に達していたとされています。

普通なら実験条件を間違えた「失敗」と判断されても不思議ではありません。

ところが、その実験から現れたのは従来の黒い粉末状のポリアセチレンではありませんでした。

膜状のポリアセチレンが生成されたのです。

この薄膜は金属のような光沢を見せる特徴的な物質でした。

研究者にとって重要なのは、ここで単に「実験を失敗した」として終わらせなかったことです。

白川氏は、なぜ通常と異なる物質ができたのかを調べ、その生成条件を突き止めていきました。

そして、ポリアセチレンを薄膜として安定的に合成する技術を確立していきます。

この薄膜化が、後に電気的性質を詳しく研究するための重要な土台となりました。

「1000倍の間違いだけでノーベル賞」という話ではない

白川氏の研究は「触媒を1000倍入れた失敗がノーベル賞につながった」という形で紹介されることがあります。

確かに、予想外の実験結果が重要な出発点となったことは事実です。

しかし、「偶然の失敗だけでノーベル賞を受賞した」と考えるのは正確ではありません。

予想外の物質ができたとしても、その現象に科学的な価値があることを理解し、原因を調べ、再現できる方法を確立し、さらにその物質の性質を研究しなければ大きな発見にはつながりません。

白川氏の場合も、薄膜ができたという偶然を出発点として長期間にわたる研究を続けています。

そして、その研究成果が後の国際共同研究と結びついたことで、導電性高分子という新しい分野が誕生しました。

白川氏自身も研究について語る際、「セレンディピティ」という考え方を重視していました。

セレンディピティとは、予想していなかった出来事から価値ある発見をすることを意味します。

ただし、偶然が起きるだけでは発見にはなりません。その意味を見抜く知識や観察力が必要になります。

アラン・マクダイアミッド氏との出会い

白川氏の研究が世界的な発見へ進む大きなきっかけとなったのが、米国ペンシルベニア大学の化学者アラン・G・マクダイアミッド氏との出会いでした。

1970年代半ば、マクダイアミッド氏が東京工業大学を訪れます。

そこで白川氏が作製した、金属のような光沢を持つポリアセチレンの薄膜に強い興味を示しました。

マクダイアミッド氏自身も、金属的な性質を持つ物質の研究に関心を持っていました。

一見すると金属のようにも見える白川氏のポリアセチレンフィルムは、非常に興味深い研究対象だったのです。

この出会いをきっかけとして、白川氏は米国で共同研究を行うことになります。

1976年、ペンシルベニア大学へ

1976年、白川英樹氏は米国ペンシルベニア大学の博士研究員となりました。

ここでマクダイアミッド氏との共同研究を開始します。

さらに研究には、固体物理学を専門とするアラン・J・ヒーガー氏も加わりました。

白川氏は高分子化学、マクダイアミッド氏は化学、ヒーガー氏は物理学という、それぞれ異なる専門分野を持っていました。

この「化学と物理の融合」が大きな意味を持ちます。

高分子を作るだけでなく、その電子状態や電気伝導性を物理学的に調べることが可能になったからです。

後にノーベル賞を共同受賞する3人による研究体制が、ここで形成されました。

1977年、「電気を通すプラスチック」が誕生

共同研究の結果、白川氏らはポリアセチレンにヨウ素などを加えることで、電気伝導度が劇的に上昇することを発見しました。

この処理は「ドーピング」と呼ばれます。

ここでいうドーピングはスポーツにおける禁止薬物のドーピングとは意味が異なり、物質に別の元素などを加えることで電子状態を変化させる操作です。

ポリアセチレンには炭素間の単結合と二重結合が交互に続く構造があります。

そこに適切な物質を加えて電子を取り除いたり加えたりすると、電子や電子の抜けた部分が高分子の鎖に沿って移動できるようになります。

その結果、それまでほとんど電気を通さなかった高分子の電気伝導性が飛躍的に高まったのです。

電気伝導度は条件によって何桁も上昇し、金属に近い電気的性質を示すことも明らかになりました。

これは当時の常識を大きく覆す成果でした。

なぜ「電気を通すプラスチック」がそれほど画期的だったのか

20世紀の材料科学では、物質の役割は比較的明確に分かれていました。

金属は電気を通す材料、プラスチックは電気を通さない材料という考え方です。

ところが導電性高分子の登場によって、その境界が崩れました。

高分子には、金属にはない大きな利点があります。

軽量で、柔軟性があり、薄い膜にすることができ、化学構造を変えることでさまざまな特性を持たせることができます。

もし、このような材料に電気的な機能を持たせることができれば、「軽くて曲げられる電子材料」という新しい可能性が生まれます。

白川氏らの研究は、その可能性を科学的に示したものでした。

1977年に画期的な論文を発表

白川氏、マクダイアミッド氏、ヒーガー氏らの研究成果は1977年に論文として発表されました。

ポリアセチレンにハロゲンを用いた処理を行うことで、高い電気伝導性を持つ有機高分子を作ることができるという内容でした。

この研究はその後、高分子化学だけでなく物性物理学、材料科学、電子工学など幅広い分野から注目を集めます。

世界各地の研究者が導電性高分子の研究に参入し、ポリアセチレン以外にもさまざまな導電性高分子が開発されるようになりました。

こうして「導電性高分子」は一つの大きな研究領域へと成長していきます。

1979年に筑波大学へ

米国での研究を経て、白川英樹氏は1979年に筑波大学物質工学系の助教授に就任しました。

筑波大学は1973年に開学した比較的新しい大学で、従来の学問分野の枠を越えた研究を重視していました。

白川氏にとっても、化学だけでなく物理学や材料科学などと結びつく導電性高分子研究を進めるうえで重要な研究拠点となりました。

1982年には筑波大学物質工学系教授に昇任します。

以後、研究だけでなく、多くの学生や若手研究者の教育にも携わりました。

1983年に高分子学会賞を受賞

白川氏のポリアセチレン研究は日本国内でも高く評価されるようになります。

1983年には「ポリアセチレンに関する研究」により高分子学会賞を受賞しました。

さらに2000年には、「導電性高分子の発見と開拓」に対して高分子科学功績賞を受賞しています。

ノーベル賞受賞以前から、高分子研究の世界では白川氏の業績は重要なものとして評価されていたことが分かります。

2000年に筑波大学を退官

白川英樹氏は2000年に筑波大学を退官し、同大学名誉教授となりました。

そして、まさにその年に世界最高峰の科学賞であるノーベル賞受賞の知らせが届きます。

2000年ノーベル化学賞を受賞

2000年10月、スウェーデン王立科学アカデミーは、その年のノーベル化学賞を白川英樹氏、アラン・J・ヒーガー氏、アラン・G・マクダイアミッド氏の3人に授与すると発表しました。

受賞理由は「導電性ポリマーの発見と開発」でした。

3人はそれぞれ3分の1ずつノーベル賞を受賞しました。

ノーベル財団は、プラスチックは通常電気を通さないものの、一定の構造を持つ高分子にドーピングを行うことで電気を通すようにできることを3人が明らかにした点を高く評価しました。

白川氏が東京工業大学でポリアセチレン薄膜の作製に成功したこと、そして米国でマクダイアミッド氏、ヒーガー氏と進めた共同研究が、約四半世紀を経てノーベル賞として評価されたのです。

共同受賞したアラン・ヒーガー氏とは

アラン・J・ヒーガー氏は米国の物理学者です。

固体物理学などを専門とし、ポリアセチレンの電気伝導性を物理学的に解析するうえで重要な役割を果たしました。

白川氏が高分子を合成する化学の専門家だったのに対し、ヒーガー氏はその物質がなぜ電気を通すのかを物理学の側から研究しました。

異なる専門分野の研究者が協力したことが、導電性高分子研究を大きく発展させた要因の一つです。

共同受賞したアラン・マクダイアミッド氏とは

アラン・G・マクダイアミッド氏はニュージーランド生まれの化学者で、米国ペンシルベニア大学教授を務めました。

1970年代に東京工業大学を訪れ、白川氏が作った金属光沢を持つポリアセチレン薄膜に関心を持ったことが、3人の共同研究につながりました。

白川氏を米国へ招き、導電性を高める研究を進めるきっかけを作った人物でもあります。

白川氏、マクダイアミッド氏、ヒーガー氏という、専門分野や出身国の異なる研究者が出会ったことが、歴史的な発見につながりました。

日本人のノーベル化学賞受賞者として注目

白川氏のノーベル化学賞受賞は、日本でも大きなニュースとなりました。

日本人のノーベル化学賞受賞者としては、1981年に受賞した福井謙一氏に続く受賞となりました。

2000年には白川氏の研究や「電気を通すプラスチック」が一般にも広く知られるようになり、日本における科学研究への関心を高めるきっかけの一つにもなりました。

文化勲章を受章、文化功労者にも選出

ノーベル化学賞を受賞した2000年、白川英樹氏は文化功労者に選ばれ、文化勲章も受章しました。

長年にわたる高分子研究と、導電性高分子という新しい研究領域を切り開いた功績が日本国内でも高く評価されたものです。

2001年には日本学士院会員となりました。

ノーベル賞受賞後も若い世代の教育に力を入れる

白川氏はノーベル賞を受賞した後も、科学教育や若い世代への啓発活動を続けました。

大学などで講演を行い、自らの研究経験を紹介するとともに、若者に科学の面白さを伝えてきました。

特に白川氏が繰り返し語ったテーマの一つが、異なる分野の人と交流することの重要性です。

実際、白川氏自身のノーベル賞につながった研究も、高分子化学だけで完成したものではありませんでした。

化学者のマクダイアミッド氏、物理学者のヒーガー氏との出会いによって、それまで別々に存在していた知識が結びつきました。

白川氏は自身の経験を通して、専門分野だけに閉じこもらず幅広い知識や考え方に触れることの大切さを若い研究者に伝えていました。

導電性高分子はどのような分野に使われているのか

白川氏らの研究をきっかけに、ポリアセチレンだけでなくさまざまな導電性・半導体性高分子の研究が進みました。

導電性高分子や関連する有機電子材料は、現在では幅広い分野で研究・利用されています。

たとえば、帯電防止材料、センサー、電子部品、電池、太陽電池、発光素子、ディスプレイなどです。

また、柔らかく薄い電子材料を作れるという高分子の特徴を生かし、曲げられる電子機器やウェアラブル機器などへの応用研究も続けられています。

現在使われているすべての有機電子材料が白川氏のポリアセチレンそのものからできているわけではありません。

しかし、「高分子に電子的な機能を持たせることができる」という研究領域を大きく切り開いたという点で、白川氏らの発見は現代の材料科学に非常に大きな影響を与えました。

白川英樹氏の発見から学べる「セレンディピティ」

白川氏の研究人生を語る際によく登場する言葉が「セレンディピティ」です。

これは偶然起きた予想外の出来事から、価値あるものを発見する能力や現象を意味します。

ポリアセチレン薄膜の誕生も、当初予定していた通りの実験結果ではありませんでした。

しかし重要なのは、偶然が発生したことそのものではありません。

通常と違う結果が出たときに、それを単なる失敗として捨てず、「なぜこのような結果になったのか」と考えたことです。

さらに白川氏は原因を解明し、薄膜を意図的に作れるようにし、構造や性質を調べ、海外の研究者との共同研究へと発展させました。

偶然に出会うことと、その偶然の意味を見抜くことは別です。

白川氏の研究は、科学上の発見において観察力、知識、好奇心、そして粘り強い研究がいかに重要なのかを示す代表的な例といえるでしょう。

白川英樹氏の主な経歴

1936年 8月20日、東京に生まれる
幼少期 台湾や旧満州で暮らした後、岐阜県高山市で成長
1961年 東京工業大学理工学部化学工学科卒業
1961~1966年 東京工業大学大学院理工学研究科化学工学専攻で学ぶ
1966年 博士課程修了、工学博士。東京工業大学資源化学研究所助手
1967年ごろ 薄膜状ポリアセチレンの合成につながる重要な発見
1976年 米ペンシルベニア大学博士研究員
1977年 ヒーガー氏、マクダイアミッド氏らと、ドーピングしたポリアセチレンの高い導電性を報告
1979年 筑波大学物質工学系助教授
1982年 筑波大学物質工学系教授
1983年 「ポリアセチレンに関する研究」で高分子学会賞
2000年 筑波大学を退官、名誉教授となる
2000年 「導電性ポリマーの発見と開発」でノーベル化学賞受賞
2000年 文化功労者、文化勲章
2001年 日本学士院会員
2026年 8月24日、90歳で死去

白川英樹氏の主な著書

白川氏は自身の研究や科学に対する考え方を一般向けに伝える著書も残しています。

代表的なものには「化学に魅せられて」「私の歩んだ道」などがあります。

また、子どもや若い世代が導電性高分子について学べる実験を紹介した書籍なども手がけ、専門研究だけでなく科学教育にも力を注いでいました。

2026年8月24日に90歳で死去

筑波大学は2026年9月3日、名誉教授でノーベル化学賞受賞者の白川英樹氏が、2026年8月24日に亡くなったと発表しました。

90歳でした。

白川氏は東京工業大学と筑波大学を中心に長年研究活動を行い、導電性高分子という新しい研究分野を切り開きました。

筑波大学では20年以上にわたって教育・研究に携わり、多くの学生や研究者を育成しました。

退官後も講演や科学教育などを通じて、若い世代に研究することの面白さを伝え続けました。

白川英樹氏は何が「すごい」のか

白川英樹氏の功績を一言で表すなら、「プラスチックは電気を通さない」という常識を覆し、材料科学に新しい可能性を生み出したことです。

しかし、その研究人生にはもう一つ重要な側面があります。

最初のきっかけとなったのは、予定通りにはいかなかった実験でした。

普通なら失敗として処理されていた可能性のある結果を見逃さず、その理由を追究しました。

さらに、自分とは専門分野の異なる海外の研究者と協力し、化学と物理学を組み合わせることで、世界的な発見へと発展させています。

つまり白川氏の研究は、「偶然の発見」「注意深い観察」「地道な研究」「異分野との交流」という科学研究の重要な要素が重なって生まれたものだったといえます。

まとめ

白川英樹氏は1936年に東京で生まれ、幼少期の一部を台湾や旧満州で過ごした後、岐阜県高山市で育ちました。

東京工業大学理工学部化学工学科を卒業し、同大学大学院博士課程を修了。その後、東京工業大学資源化学研究所で高分子の研究を進めました。

1960年代後半には、それまで主に粉末状だったポリアセチレンを薄膜状にする重要な発見をします。

1976年には米国ペンシルベニア大学へ渡り、アラン・G・マクダイアミッド氏、アラン・J・ヒーガー氏と共同研究を開始しました。

そしてポリアセチレンにヨウ素などを用いたドーピングを行うことで、電気伝導性を大幅に高めることに成功。「電気を通すプラスチック」という、それまでの常識を覆す研究分野を切り開きました。

1979年からは筑波大学で研究と教育に携わり、1982年に教授となりました。

2000年には「導電性ポリマーの発見と開発」の功績により、ヒーガー氏、マクダイアミッド氏とともにノーベル化学賞を受賞。同年、文化勲章を受章し、文化功労者にも選ばれました。

白川氏が切り開いた導電性高分子の世界は、その後の有機エレクトロニクスや機能性材料研究の発展に大きな影響を与えています。

2026年8月24日、白川英樹氏は90歳で亡くなりました。

一つの予想外の実験結果を見逃さず、その意味を追究し続けたことから始まった研究は、最終的に「プラスチックは電気を通さない」という世界の常識を変えました。

白川英樹氏は、日本の科学史だけでなく、20世紀の材料科学の歴史に大きな足跡を残した研究者の一人といえるでしょう。

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