2026年9月の沖縄県知事選挙への出馬を表明し、注目を集めているのが古謝玄太(こじゃ・げんた)氏です。
古謝氏は、東京大学薬学部を卒業後、総務省の官僚として国の行政に携わり、長崎県財政課長、復興庁参事官補佐などを歴任。その後は民間企業を経て、2022年の参議院選挙沖縄選挙区に挑戦しました。
参院選では惜しくも落選しましたが、その年の12月に那覇市副市長に就任。約3年にわたって那覇市政に携わった後、2026年2月に副市長を退任し、沖縄県知事選への挑戦を本格化させています。
この記事では、古謝玄太氏とはどのような人物なのか、学歴や官僚時代から那覇市副市長、沖縄県知事選出馬までの経歴を詳しく紹介します。
| 氏名 | 古謝 玄太(こじゃ げんた) |
|---|---|
| 生年月日 | 1983年10月23日 |
| 年齢 | 42歳(2026年8月現在) |
| 出身 | 沖縄県那覇市首里石嶺町 |
| 出身高校 | 昭和薬科大学附属高等学校 |
| 大学 | 東京大学薬学部卒業 |
| 大学院 | 東京大学大学院薬学系研究科(中退) |
| 資格 | 薬剤師 |
| 主な経歴 | 総務省、長崎県財政課長、復興庁参事官補佐、NTTデータ経営研究所、那覇市副市長など |
| 現在 | 前那覇市副市長、沖縄県薬剤師会副会長、2026年沖縄県知事選立候補予定者 |
古謝玄太氏は1983年、沖縄県那覇市に生まれました。
那覇市立石嶺小学校、石嶺中学校を卒業し、その後、沖縄県内有数の進学校として知られる昭和薬科大学附属高等学校に進学しています。
高校時代は野球部に所属していました。
2002年、古謝氏は東京大学理科二類に入学しました。
その後、東京大学薬学部に進み卒業しています。
東京大学在学中には「東京大学沖縄県人会」を立ち上げ、初代会長を務めたとされています。東京で学生生活を送りながらも、沖縄とのつながりを強く意識していたことがうかがえます。
大学卒業後は東京大学大学院薬学系研究科へ進学しましたが、その後中退しています。
古謝氏は薬学部卒業者で、薬剤師免許も取得しています。ただし、卒業後に薬剤師を本業としたわけではなく、行政官としての道を選びました。
古謝玄太氏のキャリアで大きな特徴となっているのが、総務省のキャリア官僚として勤務した経験です。
2008年に総務省へ入省しました。
総務省では地方自治や地方財政、情報通信行政などに関係する部署を経験し、岡山県への出向も経験しています。
主な勤務先には次のようなものがあります。
国の政策を担当する中央省庁だけでなく、地方自治体にも勤務したことが、その後の政治活動や地方行政における経験につながっています。
2013年には内閣官房副長官補付で勤務しました。
この時期には沖縄振興にも携わり、西普天間住宅地区跡地の利用など、基地返還後の土地活用に関する仕事にも関わったとされています。
沖縄出身の古謝氏にとって、中央政府の中から沖縄政策に携わった経験は、その後の政治活動を考える上でも重要な経歴の一つといえます。
2014年から2018年にかけては長崎県に勤務しました。
長崎県では、
などを歴任しています。
観光、国際交流、文化、財政という異なる分野を経験しており、地方自治体の政策立案や予算編成に直接携わりました。
沖縄県も観光産業や離島振興が重要な地域であるため、長崎県での経験は古謝氏が沖縄県政を語る際の一つの基盤になっています。
2019年には復興庁参事官補佐として勤務しました。
東日本大震災からの復興に関する行政に携わり、福島県における新たな研究・教育拠点づくりなどにも関わりました。
中央省庁、地方自治体、復興行政と、比較的幅広い行政分野を経験していることが古謝氏の経歴上の特徴です。
2020年には官僚の世界を離れ、民間企業の株式会社NTTデータ経営研究所へ転職しました。
同社ではマネージャーとして勤務し、沖縄県内企業と連携したスタートアップ育成事業などにも携わっています。
古謝氏は国、地方自治体だけでなく、民間企業の立場からも地域経済や企業支援を経験したことになります。
古謝玄太氏が沖縄の政治家として広く知られるきっかけとなったのが、2022年の第26回参議院議員通常選挙です。
自民党の公認候補として沖縄県選挙区から立候補しました。
古謝氏は271,347票を獲得しましたが、当選には届かず次点で落選しました。
ただし、当選候補との差は約2,900票という接戦でした。
初めての国政選挙ながら大きな得票を集めたことで、その後も沖縄の保守系政治勢力の中で注目される存在となりました。
参議院選挙から約5か月後の2022年12月、古謝氏は那覇市副市長に就任しました。
那覇市長を補佐しながら、市政の幅広い分野を担当しました。
副市長時代には、経済振興やDX、子育て・教育政策、都市型MICE、地域課題を解決する企業の支援などに関わっています。
中央省庁で政策を立案する立場とは異なり、住民に最も近い基礎自治体で行政運営に携わった経験は、古謝氏のキャリアの中でも大きな位置を占めています。
古謝氏には政治・行政とは少し異なる顔もあります。
東京大学薬学部卒業後に取得した薬剤師資格を持っており、2023年には沖縄県薬剤師会副会長に就任しました。
沖縄県では薬剤師不足や薬学教育、人材確保などが課題となっており、行政経験と薬学の知識の双方を持つ人物として活動しています。
古謝玄太氏は2026年2月、約3年2か月務めた那覇市副市長を退任しました。
那覇市の記録では、副市長在任期間は2022年12月から2026年2月までとなっています。
退任の背景には、同年9月に予定されている沖縄県知事選挙への挑戦があります。

古謝氏は2026年の沖縄県知事選挙への出馬を表明しています。
知事選は2026年8月27日告示、9月13日投開票の日程で行われます。
2026年8月21日時点では告示前のため、選挙制度上は正式な立候補届出前ですが、主要な立候補予定者の一人として選挙活動を進めています。
古謝氏は無所属の新人として出馬する予定で、自民党、日本維新の会、国民民主党、参政党などが推薦。公明党も沖縄県本部推薦を決めています。
2026年8月14日に発表した政策では、経済政策を大きな柱としており、特に注目されているのが県民所得の倍増です。
古謝氏は10年程度を視野に県民所得を倍増させることを掲げ、最初の4年間では経済成長率7%を目指すとしています。
沖縄の強みを生かした新たな産業として、ヘルスケアや創薬、海洋産業などを育成する方針を示しています。
また、子育て支援や教育負担の軽減、観光消費額の拡大なども政策に盛り込んでいます。
沖縄県知事選で大きな争点となる米軍普天間飛行場の移設問題について、古謝氏は名護市辺野古への移設を容認する立場を明確にしています。
普天間飛行場の危険性を早期に除去するためには辺野古移設が現実的な方法だという考えです。
一方、3選を目指す現職の玉城デニー知事は辺野古移設に反対しており、この問題は両氏の政策の大きな違いの一つとなっています。
| 年 | 経歴 |
|---|---|
| 1983年 | 沖縄県那覇市に生まれる |
| 2002年 | 東京大学理科二類入学 |
| その後 | 東京大学薬学部卒業、東京大学大学院薬学系研究科へ進学 |
| 2008年 | 総務省入省 |
| 2013年 | 内閣官房副長官補付 |
| 2014~2018年 | 長崎県勤務。観光振興課企画監、国際課長、文化振興課長、財政課長などを歴任 |
| 2019年 | 復興庁参事官補佐 |
| 2020年 | NTTデータ経営研究所へ転職 |
| 2022年7月 | 参議院選挙沖縄県選挙区に立候補するも次点で落選 |
| 2022年12月 | 那覇市副市長に就任 |
| 2023年 | 沖縄県薬剤師会副会長に就任 |
| 2026年2月 | 那覇市副市長を退任 |
| 2026年 | 沖縄県知事選への出馬を表明 |
古謝玄太氏の経歴を見ると、一般的な地方政治家とはやや異なるキャリアを歩んでいることが分かります。
東京大学薬学部卒業、総務省の官僚、地方自治体への出向、復興庁、民間のコンサルティング会社、選挙への挑戦、那覇市副市長という経歴です。
国の行政制度を扱う中央省庁と、実際に住民サービスを提供する地方自治体、さらに民間企業の3つの立場を経験している点が特徴といえるでしょう。
今回の沖縄県知事選でも、古謝氏はこうした行政経験や国とのパイプ、42歳という若さを前面に出しています。
古謝玄太氏は1983年、沖縄県那覇市生まれ。昭和薬科大学附属高校から東京大学へ進学し、薬学部を卒業しました。
その後は総務省の官僚として、岡山県、内閣官房、長崎県、復興庁などで勤務。長崎県では財政課長などを務めました。
2020年にNTTデータ経営研究所へ転職した後、2022年参議院選挙の沖縄県選挙区に自民党公認で立候補。約27万票を獲得したものの、わずかな差で落選しました。
同年12月からは那覇市副市長を務め、2026年2月に退任。そして現在は、2026年9月13日に投開票される沖縄県知事選への出馬を表明しています。
今回の知事選では、現職の玉城デニー知事をはじめ複数の候補予定者が出馬を表明しています。経済振興に加え、米軍基地問題や辺野古移設、安全保障、子育て支援など、沖縄が抱える幅広い課題について、それぞれの候補者がどのような方向性を示すのかが焦点となりそうです。