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カーボベルデと日本のつながり

カーボベルデと日本のつながり

遠く離れた島国同士にあった意外な関係

カーボベルデは、西アフリカ沖の大西洋に浮かぶ島国です。日本から見るとかなり遠い国で、日常生活の中で名前を聞く機会はあまり多くありません。

しかし、カーボベルデと日本には、意外なつながりがあります。

外交関係や政府開発援助だけでなく、東京オリンピック・パラリンピックのホストタウン、沖縄との交流、日本のマグロ漁船、カーボベルデ音楽に残った日本語、さらにはコロナ禍でカーボベルデに滞在した日本人夫婦のエピソードまであります。

カーボベルデは日本人にとってまだなじみの薄い国ですが、調べてみると「遠いけれど、どこか親しみを感じる国」でもあるのです。

カーボベルデがどこにあるのかを示した地図

日本はカーボベルデを独立直後に承認している

日本とカーボベルデの関係は、カーボベルデが独立した1975年に始まります。

カーボベルデは、1975年にポルトガルから独立しました。日本は同年7月11日にカーボベルデを国家として承認しています。つまり、日本はカーボベルデの独立後、比較的早い段階で国家として認めた国の一つです。

ただし、日本とカーボベルデの関係は、アメリカや中国、ヨーロッパ諸国との関係のように、貿易や移民で大きく結びついているものではありません。

日本人の在留者数は非常に少なく、日本企業の進出も多くありません。両国の関係は、一般の人々の交流よりも、外交、国際協力、開発支援、スポーツ、文化交流を通じて少しずつ築かれてきたものといえます。

日本大使館はカーボベルデ国内にある?

日本はカーボベルデと外交関係を持っていますが、カーボベルデ国内に日本大使館が常駐しているわけではありません。

カーボベルデは、在セネガル日本国大使館が兼轄しています。つまり、日本側のカーボベルデ担当は、セネガルの首都ダカールにある日本大使館が担っています。

一方、カーボベルデ側も日本国内に常駐大使館を置いているわけではありません。日本を担当するカーボベルデ大使館は、中国・北京にある大使館が兼轄しています。

このことからも、日本とカーボベルデの関係は、日常的な人の往来やビジネス交流が非常に多い関係というより、外交や国際協力を中心とした落ち着いた関係であることがわかります。

日本の支援は「水」「港」「電力」が中心

カーボベルデの港町と日常風景

カーボベルデと日本のつながりで重要なのが、日本の政府開発援助です。

カーボベルデは島国であり、雨が少なく、天然資源にも限りがあります。そのため、水道、電力、港、漁業などの基礎インフラは、国の発展にとって非常に重要なテーマです。

日本はこれまで、カーボベルデに対して上水道、地下水開発、漁港整備、送配電システム、再生可能エネルギーなどの分野で協力してきました。

たとえば、首都プライアがあるサンティアゴ島では、水道システムや給水計画に関する支援が行われてきました。乾燥した島国であるカーボベルデにとって、安全な水を安定的に供給することは、生活にも経済にも直結する大きな課題です。

また、海に囲まれたカーボベルデでは漁業も重要です。日本はプライア漁港やミンデロ漁港に関する支援にも関わってきました。魚を水揚げし、保存し、流通させるためには、岸壁、製氷施設、冷蔵施設などの設備が欠かせません。こうした分野で日本の支援が行われてきたことは、島国同士らしいつながりといえます。

 

同じ島国としての共通点

日本とカーボベルデは、国の規模も経済力も大きく異なります。

日本は東アジアの大きな経済大国であり、カーボベルデは人口約60万人ほどの小さな島国です。しかし、両国には「海に囲まれた島国」という共通点があります。

島国では、港、漁業、海上交通、エネルギー、食料輸入、防災などが重要な課題になります。カーボベルデは日本よりもはるかに小さい国ですが、海に囲まれているからこそ抱える問題には、日本と重なる部分もあります。

近年の日・カーボベルデ首脳会談でも、両国が同じ島国としてブルーエコノミーを重視していることが確認されています。

ブルーエコノミーとは、海を守りながら、漁業、観光、港湾、海洋資源などを持続可能な形で活用していく考え方です。海に囲まれたカーボベルデにとっても、日本にとっても重要なテーマです。

カーボベルデの海と乾いた島の風景

東京オリンピックでは沖縄県中城村がホストタウンに

カーボベルデと日本の交流で、特に興味深いのが東京オリンピック・パラリンピックのホストタウンです。

2020年東京大会に向けて、沖縄県中城村はカーボベルデ共和国のホストタウンとして登録されました。中城村は、カーボベルデのボクシング競技選手団を受け入れ、スポーツを通じた交流を行いました。

カーボベルデも沖縄も、海に囲まれた島の文化を持っています。気候や歴史、規模は違いますが、「島国・島地域」という共通点は、交流のテーマとしてとても自然です。

カーボベルデの選手団は沖縄で合宿を行い、県内のボクシング関係者と合同練習も行いました。練習では、沖縄の選手や指導者とカーボベルデの選手が直接触れ合い、技術面だけでなく、人と人との交流も生まれました。

遠く離れた西アフリカ沖の島国と沖縄の村が、東京五輪をきっかけにつながったという点は、カーボベルデと日本の関係の中でも非常に印象的です。

 

沖縄の高校生がカーボベルデ選手を紹介

中城村のホストタウン事業では、スポーツ交流だけでなく、教育や文化交流も行われました。

沖縄の高校生たちが、カーボベルデの選手を取材し、紹介するポスターや映像を制作したこともあります。これは、単に選手を応援するだけでなく、カーボベルデという国を知り、日本の人々に伝える取り組みでもありました。

ポスターや映像は、カーボベルデの選手に「沖縄や日本で合宿してよかった」と感じてもらうための応援でもあり、同時に日本側がカーボベルデを学ぶ機会にもなりました。

こうした交流は、大きな外交ニュースにはなりにくいかもしれません。しかし、若い世代が遠い国について学び、言葉や文化を超えて応援するという意味では、とても大切な国際交流です。

TICADでも沖縄からカーボベルデへ発信

カーボベルデと沖縄の交流は、東京五輪だけに限りません。

2019年に横浜で開催された第7回アフリカ開発会議、いわゆるTICAD7の関連イベントでも、沖縄側がカーボベルデとの交流に関わりました。

沖縄の学生やエイサー団体が、カーボベルデを含むアフリカ諸国との音楽交流イベントに参加し、ホストタウン誘致活動にも関わっています。

TICADは、日本とアフリカ諸国の関係を深める重要な国際会議です。そこで沖縄の若者や地域団体がカーボベルデとの交流に関わったことは、外交だけでなく、地域レベルの国際交流としても意味があります。

 

カーボベルデ音楽に残る日本語「最高だよ」

カーボベルデと日本のつながりで、特に面白いのが音楽です。

カーボベルデには、「Saiko Dayo」という曲があります。日本語で書けば「最高だよ」です。

この曲は、1960年代から1970年代にかけて、日本のマグロ漁船がカーボベルデに寄港していた時代の交流から生まれたと紹介されています。当時、カーボベルデの港に寄港した日本人船員たちが使っていた「最高だよ」という言葉が、現地の人々の耳に残りました。

その言葉の意味を知ったカーボベルデの作曲家グレゴリオ・ゴンサルヴェスが、カーボベルデ・クレオール語の歌詞の中に、日本語の「最高だよ」という言葉を取り入れたとされています。

歌詞全体が日本語というわけではありません。しかし、曲名や歌の中に日本語の言葉が残っているという点がとても興味深いのです。

この曲は、カーボベルデを代表する歌手セザリア・エヴォラも録音したことで知られています。セザリア・エヴォラは「裸足のディーヴァ」と呼ばれた世界的な歌手で、カーボベルデ音楽を世界に広めた人物です。

つまり、「最高だよ」という日本語は、一時的な冗談や小話ではなく、カーボベルデ音楽の中に残った日本との交流の痕跡といえます。

 

日本のマグロ漁船とカーボベルデ

カーボベルデの音楽と踊りの風景

なぜ日本語がカーボベルデの音楽に残ったのでしょうか。

その背景には、日本のマグロ漁船があります。

カーボベルデは大西洋に浮かぶ島国であり、漁業や港が重要な国です。1960年代から1970年代にかけて、日本のマグロ漁船がカーボベルデの港に寄港していた時期がありました。

遠洋漁業を行う日本の船員たちにとって、カーボベルデは大西洋上の寄港地の一つでした。港に船が入れば、船員と地元の人々の間に交流が生まれます。食事、買い物、休息、会話、音楽、酒場など、日常的な接点があったのでしょう。

その中で、日本人船員がよく口にしていた「最高だよ」という言葉が、現地の人々に伝わり、やがて音楽にまで残ったと考えると、とてもロマンがあります。

国家間の大きな条約や首脳会談とは違いますが、港町で交わされた言葉が歌になったというのは、人と人との交流だからこそ生まれたつながりです。

カーボベルデに足止めされた日本人夫婦が五輪アンバサダーに

もう一つ、カーボベルデと日本の関係を語るうえで面白い話があります。

新型コロナウイルスの感染拡大期に、世界一周旅行中だった日本人夫婦がカーボベルデに滞在することになりました。片岡力也さんと亜由美さん夫妻です。

夫妻はカーボベルデに滞在する中で、現地の風景や人々、観光地、島の魅力を写真や動画で発信しました。すると、その活動が現地で注目され、カーボベルデのオリンピック関係者の目にも留まりました。

その結果、夫妻は東京五輪に向けたカーボベルデのオリンピックチームのアンバサダーに任命されたと報じられています。

コロナ禍によって予定外に滞在することになったカーボベルデで、日本人夫婦が現地の魅力を発信し、結果的にカーボベルデと東京五輪をつなぐ存在になったというのは、非常にユニークなエピソードです。

国と国の関係は、政府同士だけでつくられるものではありません。偶然の旅、現地の人との出会い、写真や動画での発信が、新しい交流を生むこともあるのです。

食文化でも日本人に親しみやすい面がある

カーボベルデ料理のカチュパと魚料理

カーボベルデと日本の食文化は大きく異なりますが、魚を大切にする点では共通点があります。

カーボベルデは海に囲まれた国で、魚介類を使った料理がよく食べられます。マグロ、白身魚、タコ、ロブスターなど、海の幸はカーボベルデ料理に欠かせません。

日本人にとっても魚料理はなじみがあるため、カーボベルデを旅行した場合、食事の面で親しみを感じる人もいるでしょう。

代表料理のカチュパは、トウモロコシ、豆、野菜、肉や魚などを煮込む料理です。日本料理とは違いますが、具だくさんの煮込み料理という点では、家庭的で素朴な味わいを感じられる料理です。

 

貿易やビジネスの関係はまだ小さい

カーボベルデと日本には外交関係や開発協力がありますが、貿易やビジネスの関係はまだ小さいのが現状です。

日本企業が多く進出している国ではなく、日本人が多く暮らしている国でもありません。日本からカーボベルデへの直行便も一般的ではないため、人的交流が広がりにくい面もあります。

カーボベルデは観光業を重視する国ですが、日本人旅行者にとってはまだかなり珍しい旅行先です。日本から行く場合は、ヨーロッパやアフリカの都市を経由する必要があり、移動にも時間がかかります。

しかし、だからこそ今後の可能性もあります。サッカー、音楽、観光、島国としての課題、ブルーエコノミーなどを通じて、日本でカーボベルデへの関心が高まる余地は十分にあります。

サッカーをきっかけに日本での知名度が上がる可能性

カーボベルデ代表をイメージしたサッカー選手たち

近年、カーボベルデはサッカーでも注目されています。

人口約60万人ほどの小さな国でありながら、国際大会で存在感を示すようになり、ワールドカップをきっかけに日本でも国名を知る人が増えています。

サッカーを通じて「カーボベルデってどんな国?」と調べる人が増えれば、日本との意外なつながりにも注目が集まるかもしれません。

東京五輪では沖縄県中城村がボクシングを通じて交流しましたが、今後はサッカーや音楽、観光を通じた新しい交流が生まれる可能性もあります。

日本にとってカーボベルデはどんな国か

日本にとってカーボベルデは、経済的に非常に大きな相手国というわけではありません。

しかし、アフリカの中でも政治的に比較的安定している島国であり、海洋、漁業、エネルギー、水、観光といったテーマで日本と協力しやすい国です。

また、同じ島国として、海に囲まれて生きる国ならではの課題を共有しています。カーボベルデは小さな国ですが、海をどう守り、どう活用し、どう発展につなげるかという点では、日本とも重なる部分があります。

さらに、「最高だよ」という日本語が現地音楽に残った話や、沖縄県中城村のホストタウン交流、日本人夫婦の五輪アンバサダー就任のように、人と人との心温まるつながりもあります。

まとめ:カーボベルデと日本の関係は小さいが温かい

カーボベルデと日本の関係は、貿易額や在留者数だけを見れば大きなものではありません。

しかし、その中身を見ていくと、意外なつながりがいくつも見えてきます。

日本はカーボベルデの独立後に国家承認し、水道、漁港、電力、再生可能エネルギーなどの分野で協力してきました。東京五輪では、沖縄県中城村がカーボベルデのホストタウンとなり、ボクシング選手団との交流が行われました。

さらに、カーボベルデ音楽には、日本のマグロ漁船員との交流から生まれた「最高だよ」という日本語の言葉が残っています。コロナ禍でカーボベルデに滞在した日本人夫婦が、カーボベルデの五輪アンバサダーになったという話もあります。

カーボベルデと日本は、地理的にはとても遠い国同士です。しかし、海、港、漁業、音楽、スポーツ、そして人の出会いを通じて、思いがけないつながりを持っています。

大きくはないけれど、どこか温かい関係。それが、カーボベルデと日本のつながりです。

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