松本祐一郎(まつもと・ゆういちろう)監督は、山口県防府市にある高川学園高校硬式野球部を率いる高校野球指導者です。
1987年生まれの山口県下関市出身。
高校は広島県の名門・広陵高校へ進学し、外野手としてプレーしました。高校2年だった2004年春にはセンバツ甲子園のベンチ入りを経験しています。
高校卒業後は天理大学へ進学して野球を続け、大学卒業後は指導者の道へ。
2014年から高川学園中学校の野球部を率い、2019年に高川学園高校硬式野球部の監督へ就任しました。
2021年夏には高川学園を5年ぶりの甲子園へ導き、小松大谷高校に7対6でサヨナラ勝ち。高川学園に春夏通じて初めての甲子園勝利をもたらしました。
2025年夏には甲子園ベスト16へ進出し、秋の国民スポーツ大会では準優勝。
さらに2025年秋の中国大会では山口県4位から勝ち上がって準優勝し、2026年春には高川学園として42年ぶりとなるセンバツ出場を実現しました。
そして2026年夏にも山口大会を制覇。
2025年夏、2026年春、2026年夏と3季連続で甲子園出場を果たしています。
本記事では、松本祐一郎監督の年齢、出身地、広陵高校・天理大学時代、高川学園中学での指導、高校監督就任後の実績、弟・松本健吾監督との関係、立石正広選手とのエピソード、指導方針について詳しく紹介します。
| 名前 | 松本 祐一郎 |
|---|---|
| 読み方 | まつもと ゆういちろう |
| 生年月日 | 1987年7月20日 |
| 年齢 | 39歳(2026年8月時点) |
| 出身地 | 山口県下関市 |
| 出身高校 | 広陵高等学校 |
| 出身大学 | 天理大学 |
| 高校時代のポジション | 外野手 |
| 指導歴 | 高川学園中学校、高川学園高校 |
| 高川学園高校監督就任 | 2019年 |
| 担当 | 保健体育科 |
| 主な実績 | 2021年夏甲子園初勝利、2025年夏甲子園ベスト16、2025年国スポ準優勝、2026年春センバツ出場、2026年夏甲子園出場 |
松本祐一郎監督は1987年7月20日、山口県下関市に生まれました。
現在は防府市にある高川学園を率いていますが、出身は同じ山口県でも西部に位置する下関市です。
少年時代から野球に取り組み、高校進学の際には県外へ出ました。
選んだ学校は、広島県高校野球を代表する名門・広陵高校でした。
広陵高校は春夏を通じて何度も甲子園へ出場してきた全国屈指の強豪校です。
松本監督が入学した当時も全国レベルの選手が集まる非常に競争の激しい環境でした。
広陵は松本監督が入学する直前の2003年春にセンバツ優勝。
まさに全国トップクラスのチームへ飛び込んだことになります。
松本監督は外野手としてプレーしました。
当時の広陵には、後にプロ野球へ進む選手が数多く在籍していました。
松本監督の1学年上には上本博紀氏。
同学年には、後に阪神タイガースでプレーした俊介こと藤川俊介氏がいました。
さらに下の学年にも、その後プロ野球へ進む選手が続きます。
全国でもトップクラスの能力を持った選手たちと毎日練習した経験は、後の指導者人生に大きな影響を与えたと考えられます。
高校2年だった2004年春、広陵は第76回選抜高校野球大会へ出場しました。
松本監督も外野手としてベンチ入りしています。
広陵は初戦で愛知県の東邦高校と対戦。
1対9で敗れました。
試合に出場する主力選手だけでなく、ベンチ入りするためにも激しい競争を勝ち抜かなければならない広陵で、松本監督は高校時代から全国大会の雰囲気を経験しました。
全国的な強豪校では、
キャッチボール
全力疾走
カバーリング
グラウンド整備
挨拶
道具の管理
といった一見当たり前に見える行動も、高いレベルで求められます。
技術の高い選手が集まっているから強いだけではありません。
日常生活や練習への姿勢を含めて、チーム全体が高い基準を持つことが強豪校の文化をつくります。
松本監督は現在の高川学園でも、野球の技術だけでなく、選手の考え方や取り組む姿勢を大切にしています。
その原点の一つが広陵高校時代にあります。
広陵高校卒業後、松本監督は奈良県の天理大学へ進学しました。
大学でも野球を続けています。
天理大学も大学野球の強豪として知られる学校です。
高校では広陵、大学では天理大学と、競争の激しい野球環境でプレーを続けました。
しかし卒業後にプロ野球選手を目指すのではなく、選手を育てる側へ進むことになります。
松本監督は大学卒業後、地元山口県へ戻ります。
そして高川学園で指導者としてのキャリアを歩み始めました。
いきなり高校野球部監督になったわけではありません。
まず中学生を指導することになります。
2014年から高川学園中学校野球部の監督を務めました。
高川学園には中学校と高校があり、中高一貫で選手を育成できる環境があります。
中学生は高校生とは身体の成長段階が大きく異なります。
技術だけを教えるのではなく、
野球を好きになること
練習する習慣を身につけること
自分で考えること
仲間と協力すること
など、選手としての土台をつくることが重要になります。
松本監督は高校監督になる前に、中学生を長期間指導した経験を持っています。
松本監督が中学校時代から指導した代表的な選手が立石正広選手です。
立石選手は高川学園中学校から高川学園高校へ進みました。
中学に入った当初から圧倒的なスター選手だったわけではありません。
しかし高い目標を持ち、地道な練習を継続できる選手でした。
松本監督は立石選手の特徴として、重要な場面で結果を出す「勝負強さ」を高く評価しています。
中学から高校まで長期間にわたって成長を見守った選手の一人です。
2021年夏。
高川学園は山口大会を勝ち抜きました。
当時3年生だった立石正広選手は、決勝の宇部鴻城戦で大きな仕事をします。
初回に先制打。
さらに五回には公式戦初となる本塁打を放ちました。
重要な決勝で結果を残し、高川学園を甲子園へ導きます。
松本監督が中学生の頃から見てきた「ここぞという場面で打つ力」が、大舞台で発揮されました。

松本監督が高校監督に就任してから初めて甲子園へ出場したのが2021年夏です。
高川学園にとっては2016年以来5年ぶり、2回目となる夏の甲子園でした。
初戦は石川県代表・小松大谷高校。
試合は激しい点の取り合いとなりました。
小松大谷戦でも立石選手が力を発揮します。
高川学園が追いかける展開の中で、バックスクリーンへ2ラン本塁打を放ちました。
山口大会決勝に続き、大舞台で重要な一発を放ったのです。
試合は終盤まで接戦となりました。
試合は6対6で九回裏へ。
高川学園は1アウト満塁のチャンスをつくります。
ここで押し出し四球を選び、7対6。
劇的なサヨナラ勝利でした。
これは高川学園にとって、春夏を通じて学校史上初めての甲子園勝利です。
松本監督は高校監督として初めて出場した甲子園で、学校の歴史を変える一勝を挙げました。
続く2回戦では兵庫県代表・神戸国際大付高校と対戦しました。
地元兵庫の強豪との一戦です。
高川学園も粘りましたが、3対4で惜敗。
ベスト16には届きませんでした。
しかし学校初勝利を挙げたことで、「高川学園でも甲子園で勝てる」という経験を次の世代へ残しました。
高川学園卒業後、立石正広選手は創価大学へ進学しました。
大学でも急速に成長。
全国的に注目される強打の内野手となり、ドラフトの目玉選手へと成長しました。
そしてプロ入り。
2026年には阪神タイガースの選手として一軍でプレーしています。
松本監督は中学、高校時代の恩師として、その成長を見守り続けています。
高校野球で勝つだけではなく、その先のレベルでも活躍できる選手を育てた例といえるでしょう。
高川学園は近年、プロ野球選手を送り出す学校としても存在感を高めています。
卒業生には、
山野太一投手
椋木蓮投手
立石正広選手
などがいます。
先輩がプロ野球で活躍する姿は、現在の高校生にとって大きな刺激になります。
「高川学園からでもプロへ行ける」という道が実際に示されているからです。

2021年の甲子園出場後、高川学園はしばらく夏の代表から遠ざかります。
2022年には下関国際が夏の甲子園準優勝。
山口県内には宇部鴻城、南陽工、下関国際など多くの強豪校があります。
簡単に代表の座を奪える県ではありません。
そして2025年夏。
高川学園は再び山口大会を制しました。
4年ぶり3回目となる夏の甲子園出場です。
2025年夏の甲子園では、初戦で富山県代表の未来富山高校と対戦しました。
高川学園は打線が得点を重ね、一時は大きくリードします。
終盤に未来富山の追い上げを受けましたが、8対5で勝利。
松本監督としては2021年以来となる甲子園勝利でした。
続く3回戦では西東京代表の日大三高校と対戦しました。
全国優勝経験を持つ強豪です。
高川学園は初回に先制しましたが、その裏に5点を奪われます。
三回までに4点を返して食い下がりました。
しかし最終的には4対9で敗戦。
それでも高川学園として初めて夏の甲子園ベスト16に進出しました。
松本監督就任後、甲子園でのチームの位置は確実に上がってきました。
2025年夏の高校野球は甲子園で終わりませんでした。
高川学園は滋賀県で行われた国民スポーツ大会にも出場します。
初戦を突破すると、準決勝では仙台育英高校と対戦。
5対4で勝利し、決勝へ進出しました。
決勝では山梨学院高校に1対3で敗れましたが、全国準優勝。
高川学園が全国大会の決勝まで進んだことは、チームに大きな自信を与えました。
ところが、新チームは最初から順調だったわけではありません。
2025年秋の山口県大会では4位。
翌春のセンバツを狙うチームとしては決して有利な位置ではありませんでした。
中国大会には開催県枠によって4位から出場します。
ここから高川学園の快進撃が始まりました。
2025年秋の中国大会。
高川学園の初戦は広島県1位の広陵高校でした。
松本祐一郎監督にとっては母校との対戦です。
さらに、この試合にはもう一つ大きな話題がありました。
広陵を率いていたのが、実弟の松本健吾監督だったからです。
松本祐一郎監督の弟・松本健吾氏も広陵高校野球部の出身です。
2025年秋から広陵高校の監督を務めています。
つまり、
兄・松本祐一郎監督=高川学園
弟・松本健吾監督=広陵
という兄弟監督が、中国大会で対戦することになりました。
しかも兄弟の母校である広陵と、兄が率いる高川学園の対戦です。
試合は高川学園が序盤から主導権を握りました。
二回に一挙5点。
その後も追加点を重ね、8対2で勝利しました。
山口県4位の高川学園が、広島県1位の広陵を破ったことになります。
松本監督にとっては母校、そして実弟を相手にした特別な勝利となりました。
高川学園は広陵戦だけで終わりませんでした。
その後も中国大会を勝ち進み、決勝へ進出します。
決勝の相手は広島県の崇徳高校。
高川学園は0対5で敗れましたが、中国大会準優勝となりました。
山口県4位からの大きな巻き返しです。
この結果によって、翌春のセンバツ出場へ大きく近づきました。
2026年1月、高川学園のセンバツ出場が決まりました。
高川学園としては42年ぶりとなる春の甲子園です。
前身校時代を含めても長い空白がありました。
2025年夏の甲子園。
2025年国スポ準優勝。
2025年秋の中国大会準優勝。
チームが全国レベルで結果を残し続けた流れの中で、春の甲子園へ戻ってきました。
センバツ初戦の相手は香川県の英明高校でした。
高川学園の先発は木下瑛二投手。
140キロ台中盤の直球を投げる右腕で、打線でも4番を務める投打の中心選手です。
2026年から高校野球でもDH制が導入されましたが、松本監督は木下投手を「4番・投手」として起用。
DHを使わず、打者としての能力も生かす選択をしました。
高川学園は序盤から英明に得点を奪われました。
それでも終盤に反撃。
最後まで追い上げましたが3対5で敗れ、42年ぶりのセンバツは初戦敗退となりました。
松本監督は投打だけではなく、走塁や守備など試合の細かな部分を改めて見直す必要性を感じます。
その敗戦を夏へつなげることになります。
春のセンバツで悔しい敗戦を経験した高川学園は、夏の甲子園を目指して山口大会へ臨みました。
2025年夏に続く連覇がかかる大会です。
高川学園は投手力、守備、打撃を組み合わせて勝ち進みます。
大会5試合で42得点。
一方、失点はわずか6。
攻守のバランスが取れたチームとなりました。
準決勝の相手は南陽工業高校でした。
甲子園出場経験も多い山口県の伝統校です。
高川学園は接戦をものにし、3対1で勝利しました。
2年連続となる山口大会決勝へ進出します。
2026年7月28日の山口大会決勝。
相手は下関国際高校でした。
下関国際は2022年夏の甲子園で準優勝した全国的な強豪です。
松本監督自身が下関市出身ということもあり、地元・下関の強豪との決勝となりました。
試合は高川学園にとって苦しい展開から始まります。
高川学園は序盤にリードを許しました。
しかし選手たちは慌てませんでした。
2点を追う五回。
打線がつながり、一挙4点を奪います。
試合をひっくり返しました。
2025年夏から何度も接戦を経験してきた選手たちが、決勝でも粘り強さを発揮します。
高川学園はその後、下関国際の反撃を抑えました。
最終スコアは5対3。
山口大会連覇を達成しました。
夏の甲子園は2年連続4回目。
さらに、
2025年夏
2026年春
2026年夏
と、3季連続で甲子園へ出場することになりました。

松本監督が高川学園高校の監督に就任したのは2019年。
そこから数年で、
2021年夏・甲子園初勝利
2025年夏・甲子園ベスト16
2025年国スポ・全国準優勝
2025年秋・中国大会準優勝
2026年春・42年ぶりセンバツ
2026年夏・山口大会連覇
という結果を残しています。
高川学園は単に「山口大会で勝つ学校」から、「全国大会で勝ち進むことを目指す学校」へと変わってきました。
近年の高川学園では、野球部の練習環境も大きく充実しています。
全面人工芝のグラウンド。
LED照明。
ウエイトルーム。
選手が年間を通して身体づくりや技術練習に取り組める環境が整えられています。
設備があるだけで強くなるわけではありません。
重要なのは、その環境をどのように利用するかです。
松本監督は選手に目的を理解させながら、日々のトレーニングへ取り組ませています。
松本監督は、中学生を指導していた経験を持っています。
野球を始めたばかりの年代にとって最も重要なのは、野球を嫌いにならないことです。
上達するためには厳しい練習も必要です。
しかし「何のために野球をしているのか」という原点まで失ってはいけません。
中学時代から指導した立石正広選手にも、野球を楽しむ気持ちを大切にしながら成長してほしいと考えていました。
松本監督が立石選手を評価する際にも強調しているのが、継続して努力できることです。
高校生の場合、短期間で急激に能力が伸びる選手もいます。
しかし本当に高いレベルへ進むためには、一日だけ頑張るのでは足りません。
毎日練習する。
身体をつくる。
自分の課題と向き合う。
同じことを長期間続ける力が必要です。
2025年以降の高川学園には、接戦の強さが目立ちます。
大量得点できない試合でも、守備と投手陣が粘る。
リードされても慌てない。
終盤まで勝負を諦めない。
2026年山口大会決勝でも2点差を逆転しました。
全国大会で勝ち進むためには、毎試合大差で勝つことはできません。
1点をめぐる試合をどうものにするかが重要になります。
近年の高校野球では投手の球数管理も重要です。
高川学園も一人のエースだけに大会全体を任せるのではなく、複数投手を育てています。
2026年のチームでは木下瑛二投手を中心にしながら、宮崎隆成投手、松笠陽平投手なども戦力となっています。
長い地方大会や甲子園を勝ち抜くには、投手陣全体の力が必要です。
2026年センバツではDH制が導入されました。
しかし松本監督は木下投手を4番打者として起用しました。
制度があるから必ず使うという考えではありません。
「このチームで最も勝つ可能性が高い方法は何か」を考えます。
投手でも打撃力が高ければ打席に立たせる。
選手の能力を最大限に生かすことを重視しています。
高校野球では、最後は必ずどこかのチームが負けます。
全国優勝する一校を除けば、すべてのチームが敗戦で大会を終えます。
だからこそ、勝敗だけで高校3年間の価値を決めることはできません。
どれだけ努力したのか。
仲間とどのように関わったのか。
失敗から何を学んだのか。
卒業後にその経験をどう生かすのか。
選手を長い目で見ることも高校野球の指導では重要になります。
高川学園高校は山口県防府市にある私立高校です。
旧校名は多々良学園。
サッカー、バレーボールなどでも全国大会へ出場するスポーツ強豪校として知られています。
硬式野球部も長い歴史を持ちます。
夏の甲子園には2016年に初出場。
2021年には松本祐一郎監督のもとで甲子園初勝利を挙げました。
2025年夏にはベスト16。
2026年春には42年ぶりとなるセンバツ出場を果たし、同年夏にも2年連続で甲子園へ戻っています。
| 年 | 主な実績 |
|---|---|
| 2019年 | 高川学園高校硬式野球部監督に就任 |
| 2021年夏 | 山口大会優勝、夏の甲子園出場 |
| 2021年夏 | 小松大谷に7対6でサヨナラ勝ちし、高川学園の甲子園初勝利 |
| 2021年夏 | 2回戦で神戸国際大付に3対4 |
| 2025年夏 | 山口大会優勝、4年ぶり3回目の夏の甲子園 |
| 2025年夏 | 未来富山を8対5で破り、甲子園ベスト16 |
| 2025年夏 | 3回戦で日大三に4対9 |
| 2025年秋 | 国民スポーツ大会準優勝 |
| 2025年秋 | 中国大会初戦で広陵に8対2。実弟・松本健吾監督との兄弟対決に勝利 |
| 2025年秋 | 秋季中国大会準優勝 |
| 2026年春 | 42年ぶりのセンバツ出場 |
| 2026年春 | 初戦で英明に3対5 |
| 2026年夏 | 山口大会決勝で下関国際を5対3で破り連覇 |
| 2026年夏 | 2年連続4回目の夏の甲子園出場 |
| 時期 | 経歴 |
|---|---|
| 少年時代 | 山口県下関市で育ち、野球に取り組む |
| 高校時代 | 広陵高校で外野手としてプレー |
| 2004年春 | 広陵高校2年時にセンバツ甲子園でベンチ入り |
| 高校卒業後 | 天理大学へ進学し野球を続ける |
| 大学卒業後 | 高川学園で野球指導に携わる |
| 2014年 | 高川学園中学校野球部監督に就任 |
| 2019年 | 高川学園高校硬式野球部監督に就任 |
| 2021年 | 高川学園を夏の甲子園へ導き、学校初勝利 |
| 2025年 | 夏の甲子園ベスト16、国スポ準優勝 |
| 2025年秋 | 秋季中国大会準優勝 |
| 2026年春 | 高川学園を42年ぶりのセンバツへ導く |
| 2026年夏 | 山口大会2連覇、3季連続甲子園出場 |
「松本祐一郎」は「まつもと・ゆういちろう」と読みます。
1987年7月20日生まれで、2026年8月現在39歳です。
山口県下関市です。
現在は同じ山口県の防府市にある高川学園を率いています。
広島県の広陵高校です。
外野手としてプレーしました。
高校2年だった2004年春、広陵高校のセンバツ出場時に外野手としてベンチ入りしています。
天理大学です。
大学でも野球を続けました。
高校野球部の監督には2019年に就任しました。
それ以前は2014年から高川学園中学校の野球部監督を務めています。
はい。
立石正広選手が高川学園中学校、高校に在籍していた時に指導しています。
中学時代から成長を見守ってきた恩師です。
実弟は松本健吾氏です。
松本健吾氏も広陵高校野球部OBで、現在は広陵高校の監督を務めています。
2025年秋の中国大会では兄弟監督対決が実現し、兄・祐一郎監督率いる高川学園が8対2で勝利しました。
はい。
2021年夏に小松大谷高校に7対6でサヨナラ勝ちし、高川学園として初めて甲子園勝利を挙げました。
2025年夏にも未来富山高校に8対5で勝っています。
夏の甲子園では2025年のベスト16が最高成績です。
また、2025年秋の国民スポーツ大会では全国準優勝しています。
はい。
2026年春に42年ぶりのセンバツへ出場。
夏の山口大会でも優勝し、2年連続4回目の夏の甲子園出場を決めました。
2025年夏から数えると3季連続の甲子園となります。
富山県代表の高岡商業高校です。
2026年8月10日の大会第6日・第3試合で対戦する予定です。
高岡商は4年ぶり23回目、高川学園は2年連続4回目の夏の甲子園出場です。
2026年夏、高川学園の甲子園初戦の相手は富山県代表・高岡商業高校です。
高岡商を率いるのは吉田真監督。
高岡商は富山大会をノーシードから勝ち上がり、決勝では富山第一高校に10対4で勝利しました。
一方の高川学園は山口大会5試合で42得点を挙げ、失点は6。
投手力と守備力に加え、必要な場面で得点を奪う打線を持っています。
高岡商も高川学園も地方大会で42得点を記録しており、興味深い組み合わせとなりました。
高川学園は2025年夏に初めてベスト16へ進出しました。
2026年は、その成績を上回り学校初のベスト8、さらにその先へ進めるかが注目されます。
松本祐一郎監督は1987年7月20日生まれ、山口県下関市出身の高校野球指導者です。
高校は全国屈指の名門・広陵高校へ進学。
外野手としてプレーし、高校2年だった2004年春にはセンバツ甲子園のベンチ入りを経験しました。
高校卒業後は天理大学へ進学して野球を続け、大学卒業後は指導者の道へ進みます。
2014年から高川学園中学校を率い、中学生の育成に携わりました。
その時代から指導した選手の一人が立石正広選手です。
立石選手は高川学園高校へ進み、2021年夏の山口大会決勝、甲子園初戦という大舞台で本塁打を放ち、高川学園の歴史的な甲子園初勝利に大きく貢献しました。
2019年に松本監督が高川学園高校の監督へ就任すると、2021年夏に監督として初めて甲子園へ出場。
小松大谷に7対6でサヨナラ勝ちし、学校史上初の甲子園勝利を挙げました。
2025年夏には再び甲子園へ。
未来富山を8対5で破り、学校初となるベスト16へ進出しました。
秋の国民スポーツ大会では全国準優勝。
新チームは山口県大会4位と苦しみましたが、中国大会では松本監督の母校・広陵を8対2で破ります。
しかも広陵の監督は実弟・松本健吾監督。
兄弟監督対決としても注目された一戦でした。
高川学園はそのまま中国大会準優勝。
2026年春には42年ぶりとなるセンバツ出場を果たしました。
センバツでは英明に3対5で敗れましたが、その経験を夏へつなげます。
2026年夏の山口大会では再び決勝へ進出。
下関国際に2点をリードされながら五回に一挙4点を奪って逆転し、5対3で勝利しました。
山口大会2連覇。
そして2025年夏、2026年春、2026年夏と3季連続となる甲子園出場です。
広陵で全国トップクラスの野球を経験し、天理大学を経て、高川学園では中学生から選手を育ててきた松本祐一郎監督。
選手の能力を早い段階で決めつけず、高い目標へ向かって努力を続けること、野球を楽しむ原点を忘れないこと、そして接戦を最後まで諦めずに戦うことを大切にしています。
2026年夏の甲子園初戦は高岡商。
就任当初はまだ30代前半だった松本監督も、現在39歳。
高川学園を「甲子園に出る学校」から「甲子園で勝つ学校」へと変えつつあります。
2025年のベスト16を超え、松本祐一郎監督率いる高川学園が学校史上初の甲子園ベスト8、さらにその先へ進めるのか注目されます。