2026年8月5日、阪神甲子園球場で行われた全国高校野球選手権大会の開幕試合で、森田真紀審判委員が二塁塁審を務めました。
春の選抜大会と夏の選手権大会を通じ、女性審判員が甲子園の試合を担当したのは初めてです。
歴史的な役割を担った森田真紀さんとは、どのような人物なのでしょうか。
これまでに明らかになっている経歴や審判を始めたきっかけ、職業、家族について紹介します。
| 名前 | 森田真紀 |
|---|---|
| 読み方 | もりた・まき |
| 年齢 | 49歳(2026年7月時点の報道) |
| 職業 | 埼玉県内の中学校教諭 |
| 所属 | 埼玉県高等学校野球連盟 |
| 競技経験 | ソフトボール、軟式野球 |
| 家族 | 12歳の娘と10歳の息子の母 |
| 主な実績 | 2026年夏の甲子園で春夏通じて初の女性審判員として出場 |
森田真紀さんの詳しい生年月日、出身地、出身高校や大学については、現在までの主要な報道では明らかにされていません。
一方、埼玉県内の中学校で教諭として働きながら、埼玉県高野連の審判員として活動していることが報じられています。
森田真紀さんは学生時代、ソフトボールや軟式野球に取り組んでいました。
現在のように女子硬式野球の環境が全国に広がっていなかった時代から、野球に近い競技を経験してきた人物です。
選手として身につけた野球の知識やグラウンドでの感覚は、その後の審判活動にも生かされていると考えられます。
森田真紀さんの本業は、埼玉県内の中学校教諭です。
教員として働き始めた学校では、野球部員の人数が少なかったといいます。
森田さんは練習や練習試合で何か手伝えることはないかと考え、当時の野球部監督に自ら申し出ました。
その際に審判を担当したことが、本格的に審判員を目指すきっかけとなりました。
森田さんが審判を始めたのは、26歳ごろだったと報じられています。
最初から甲子園を目標に審判の道へ進んだわけではなく、勤務先の野球部を支えたいという気持ちから始まった活動でした。
審判員として経験を積み始めた森田真紀さんですが、出産や子育てのため、約10年間にわたって活動を休止した時期がありました。
長期間グラウンドを離れた後、審判仲間の支えを受けて活動を再開しています。
審判員は試合中の判定だけでなく、ルールの勉強や講習会への参加、試合に耐えられる体力づくりも必要です。
中学校教諭として働き、子育てをしながら審判活動を続けることは、決して簡単ではなかったと考えられます。
それでも森田さんは地方大会や講習会などで経験を重ね、全国大会を担当できる審判員へと成長しました。
森田真紀さんは国内の高校野球だけでなく、国際大会を担当する審判員を目指した活動も続けています。
全日本野球協会が発表した2023年度の国際審判員認定結果では、女性審判員育成の観点から、国際審判員として仮認定されました。
森田さんは埼玉県高野連からの団体推薦ではなく、自己推薦で認定試験に挑戦しています。
国際審判員の試験では、野球規則に関する知識や実技だけでなく、一定の英語力も求められます。
2025年には中国で開催された第4回BFA女子野球アジアカップに審判員として派遣され、国際大会の舞台も経験しました。

2024年4月、甲子園球場で行われた日本高野連の全国審判講習会に、女性審判員が初めて参加しました。
全国から7人の女性審判員が参加し、森田真紀さんも埼玉県高野連を代表して講習を受けました。
塁上で起きるさまざまなプレーを想定し、判定する位置や動き方、審判員同士の連携などを確認しました。
森田さんは、講習会で学んだことを埼玉県へ持ち帰り、子どもたちや女性にも伝えていきたいという趣旨の抱負を語っています。
この講習会への参加は、後の甲子園出場につながる大きな一歩となりました。
日本高野連は2026年4月、第108回全国高校野球選手権大会で、女性審判委員を初めて起用することを発表しました。
委嘱されたのは、次の5人です。
このうち、最初に甲子園のグラウンドへ立つことになったのが森田真紀さんでした。
なお、「女性審判員として初めて」というのは、高校野球のすべての試合で初めてという意味ではありません。
地方大会などでは以前から女性審判員が試合を担当しています。森田さんは、春夏の甲子園大会で実際に審判を務めた最初の女性です。

2026年8月5日の開幕試合では、南北海道代表の札幌日大と宮城代表の仙台育英が対戦しました。
森田真紀さんは二塁塁審として出場し、仙台育英が3対1で勝利した試合を担当しました。
大きな注目と重圧がかかる中でも、森田さんは落ち着いた動きと大きなジェスチャーで判定を示し、試合を無事に終えました。
森田さんは試合中、自分自身に対して「ボールから目を離さない」「常にボールに正対する」「基本を忘れない」と言い聞かせていたと明かしています。
試合終了後、報道陣の取材に応じた森田真紀さんは、涙を浮かべながら周囲への感謝を語りました。
女性審判員の甲子園出場に向け、関係者が約2年前から準備を続けていたといいます。
森田さんには、女性審判員の第一号として失敗できないという強い重圧がありました。
大きな問題なく試合を終えたことで、安心感や喜びが一気に込み上げたのでしょう。
甲子園のグラウンドから見た景色については、冷静に見ると非常に美しく、自分もその中にいられたことをありがたく感じたと振り返っています。
森田真紀さんは、12歳の娘と10歳の息子を育てる2児の母でもあります。
娘と息子はいずれも野球をしており、母親が歴史的な一歩を踏み出した甲子園の試合を球場で見守りました。
森田さんが子育てのため審判活動を約10年間休んだことを考えると、子どもたちの前で甲子園の審判を務めたことには、特別な意味があったとみられます。
結婚相手や夫に関する詳しい情報は公表されていません。
高校野球では、選手人口の減少とともに、試合を支える審判員の確保も課題となっています。
審判員は選手や監督ほど目立つ存在ではありませんが、試合を成立させるために欠かすことのできない役割です。
森田真紀さんは、女性審判員が大きな問題なくスタートを切れたことで、後に続く人たちが自分以上に良い判定や良い試合を実現してくれればよいという趣旨の言葉を残しています。
森田さんの甲子園出場は、女性だけでなく、これから審判を始めようと考えている若い世代にとっても大きな励みになるでしょう。
初めての甲子園を終えた森田真紀さんは、大きな重圧があった一方で、再び甲子園で審判を務めたいという意欲も語りました。
歴史的な最初の試合を無事に終えたことで、今後は「初の女性審判員」という点だけでなく、一人の審判員としての判定や技術にも注目が集まりそうです。
森田さんを含む女性審判員の活躍が定着すれば、女性が甲子園で審判を務めることが特別ではない時代へとつながっていく可能性があります。
森田真紀さんは、埼玉県内の中学校で教諭として勤務しながら、埼玉県高野連の審判員として活動してきました。
26歳ごろ、勤務先の野球部を手伝うために始めた審判活動は、子育てによる約10年間の休止を経て、甲子園という大舞台へつながりました。
国際審判員として仮認定され、女子野球の国際大会にも派遣されるなど、その実績は甲子園出場以前から積み重ねられていたものです。
2026年8月5日、春夏を通じて甲子園初の女性審判員となった森田真紀さん。
その一歩は、後に続く女性審判員や若い審判員に、新しい道を示す出来事になったといえるでしょう。