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山本由伸の通訳・園田芳大・経歴

園田芳大

山本由伸の通訳・園田芳大・経歴

ロサンゼルス・ドジャースでプレーする山本由伸投手のそばには、常に一人の日本人スタッフが寄り添っています。それが通訳の園田芳大(そのだ・よしひろ)さんです。ドジャース入り以降、英語でのインタビューやベンチでのやりとり、さらに細かな球種やデータの説明まで、園田さんが橋渡しをすることで山本投手は本来の実力をスムーズにメジャーで発揮できるようになりました。本記事では、あまり日本語では紹介されてこなかった園田芳大さんの経歴と、どのようにして「山本由伸の通訳」になったのかを時系列でまとめます。

1. 日本での学生時代と柔道経験

園田芳大さんは、熊本県宇城市出身で、豊野中学校を経て熊本市の九州学院高等学校に進学しました。高校・大学と一貫して柔道部に所属し、とくに龍谷大学(経済学部スポーツサイエンスコース)時代には団体戦で関西学生柔道優勝大会3位、全日本学生柔道優勝大会にも出場するなど、主力選手として活躍しています。九州学院高・龍谷大はいずれも競技レベルが高く、稽古量も多いことで知られており、ここで培った体力・忍耐力・礼節が、のちにアメリカでまったく別の仕事に挑戦する際の土台になりました。

柔道で鍛えた“間合いを読む力”や“相手への敬意”は、選手の心理を読むことが求められるスポーツ通訳の仕事とも共通しています。日本の高校・大学スポーツの空気を知っているからこそ、メジャーにやってきたばかりの日本人選手がどういうところで戸惑うのかも想像しやすくなります。

2. 渡米とエンターテインメント業界でのキャリア

渡米とエンターテインメント業界でのキャリア 大学卒業後、園田さんは日本で通訳としての道に進んだわけではありません。実は渡米してから約20年にわたり、アメリカのエンターテインメント業界で照明技師・ライティングエンジニアとして働いていました。米国での仕事では、映画やドラマの撮影現場、ショーやイベントなど、時間との戦いでありながらも精密さを求められる環境に身を置いてきました。海外報道では、人気映画やドラマシリーズの制作にも関わった経歴が紹介されており、「現場で英語を使いながら、多国籍のチームと一緒に作品を作り上げる」ことが日常だったことが分かります。

この時期の園田さんは、野球でも通訳でもなく、いわば“裏方のプロフェッショナル”でした。機材を扱い、段取りを組み、周囲とコミュニケーションをとって作品を完成させる――こうした経験は、メジャーのクラブハウスでコーチ・アナリスト・選手・メディアと同時にやりとりしなければならない現在の仕事に、驚くほど直結しています。スポーツの世界で“使える通訳”は、単に言い換えができるだけでなく、現場の流れを止めないことが重要です。撮影現場で培った「流れを切らない段取り力」は、園田さんの大きな武器になりました。

3. ドジャースの「山本通訳」募集と採用の背景

九州学院高等学校の公式サイトでも明記されているように、園田芳大さんは「豊野中・九州学院高で柔道部として活躍し、京都の龍谷大学を卒業後に単身渡米。ニューヨークの映画会社などで照明関係技術者として業績を残してきたが、ドジャースの山本由伸投手の専属通訳の公募で多数の応募者の中から抜擢された」と紹介されています。つまりこの人事は、山本投手の“連れてきた人”ではなく、球団と代理人サイドが公募で選んだ、いわば公式ルートの採用だったことが学校側の情報でも裏付けられています。

2023年オフ、ドジャースはオリックスからポスティングされていた山本由伸投手を12年契約で獲得しました。スター級の日本人投手が加わるとあって、球団は同時に日本語ができる通訳・サポートスタッフの確保を急ぎました。そこで起用されたのが園田さんです。多くの日本人メジャーリーガーは、日本球団時代からの付き人や、二重言語ができる“専属通訳”を連れてくることが一般的ですが、山本投手の場合はやや異なり、ドジャース側が球団スタッフとしての通訳を用意する形になりました。園田さんはそのポジションに応募し、選ばれたと言われています。

採用の決め手になったのは、英語と日本語の両方をビジネスレベルで使えることに加え、何よりも“現場で鍛えられた対応力”でした。メジャー球団では、単に「日本語→英語」「英語→日本語」をやるだけでなく、投手コーチからの球質データ、パフォーマンス部門が出す体の状態のフィードバック、メディア対応、スポンサー対応まで、複数の相手をさばく必要があります。20年の現場経験がある園田さんなら、それができると判断されたのでしょう。

4. 就任直後の苦労と「2日で辞めたくなった」話

園田さん自身が明かしているように、ドジャースでの通訳の仕事は最初から順風満帆だったわけではありません。就任してわずか2日で「これは自分には無理かもしれない」と思ったそうです。理由は、大リーグ特有の専門用語の多さと、試合前後に一気に情報が行き交うスピード感でした。日本で野球通訳をしていた人なら慣れている“打撃フォーム”“ポップタイム”“スピンレート”といった言葉も、エンタメ業界からスライドしてきた園田さんにとっては最初は未知の領域です。

しかしここで支えになったのが、ドジャースのスコット・アカサキ氏(元野茂英雄の通訳でもあり、現在は球団のトラベリング・セクレタリー)らベテラン通訳勢でした。「野球の部分は後から覚えられる。だが山本があなたを選んだ理由はあなたにしかない」という言葉で思いとどまり、園田さんは必死に野球の専門用語を勉強し、投手コーチや分析担当に教えを請いました。ここからが、いわば“通訳としての本当のキャリア”のスタートだったと言えます。

5. 山本由伸との関係性と信頼

山本投手は、園田さんが自分の荷物を運ぼうとしたときに「あなたは僕の通訳であって召使いではない」と言って止めた、というエピソードが紹介されています。これは、単に性格の良さを示すものではなく、山本投手が通訳を“対等なパートナー”として見ていることの表れです。実際、シーズン中には遠征先のホテルで山本投手がスターバックスのコーヒーをチームスタッフにまとめて差し入れし、その中に園田さんの分も必ず含まれていた、という話も伝えられています。こうした小さな気遣いの積み重ねが、園田さんにとって「この選手のために頑張ろう」と思える原動力になりました。

また、園田さんは山本投手の先発日になると“しょぶパンツ(勝負下着)”として決まった柄のボクサーパンツを履くというユニークなジンクスも持っています。これはメディアにも取り上げられ、ドジャースファンの間では「山本の通訳さん=勝負パンツの人」としてちょっとした人気になりました。こうした人間味のあるエピソードが多いのも、園田さんがもともとエンタメ業界出身で、カメラや観客の目線を意識することに慣れているからかもしれません。

6. 通訳以上の役割へ

2025年現在、園田さんは単に通訳をするだけでなく、山本投手の投球内容をその場でメモし、次回の登板に向けて情報を整理する“シャドースタッフ”的な役割も担っています。アメリカには日本人通訳が十数人いると言われますが、その中でも園田さんは「現場で伸びたタイプ」の一人です。もともと野球畑ではなかったからこそ、コーチやアナリストから新しい知識をどんどん吸収し、自分の仕事の幅を広げています。これはMLBで長く働くうえで非常に重要なポイントで、今後もドジャース内で日本人選手が増えていくようであれば、園田さんがそのハブ的存在になる可能性も十分にあります。

7. 時系列で見る・園田芳大さんの歩み

  1. 1990年代~2000年代初頭(日本・学生期):日本の大学で柔道に打ち込み、競技スポーツの厳しさと上下関係、チームで動くことの基礎を身につける。
  2. 2000年代(渡米):単純に「通訳になる」ためではなく、アメリカでのキャリア構築を目的に渡米。語学を現場で覚えていく。
  3. 2000年代~2020年代前半(米エンターテインメント業界):約20年にわたり、映画・ドラマ・ショーなどで照明・ライティング・技術スタッフとして勤務。多国籍スタッフと英語で仕事を回す経験を重ねる。
  4. 2023年末(ドジャースが山本由伸を獲得):ドジャースがオリックス・バファローズのエースだった山本由伸投手を12年契約で獲得。球団は同時に日本語通訳・サポートスタッフを探し、園田さんが候補に。
  5. 2024年春季キャンプ(通訳として現場入り):アリゾナでのスプリングトレーニングに合わせてチームに合流。ここで初めて本格的に「野球の専門用語に囲まれた環境」に身を置く。就任2日目でプレッシャーを感じるが、周囲の後押しで続行を決める。
  6. 2024年シーズン中盤(山本との信頼が定着):メディア対応、先発日のルーティン、球団スタッフへの橋渡しなどが安定。山本投手の「あなたは召使いじゃない」という言葉や差し入れのエピソードが周囲にも伝わり、園田さんの存在がチーム内で知られるようになる。
  7. 2025年シーズン(役割拡張期):通訳だけでなく、マウンドでの投手コーチの意図を即時に日本語化したり、パフォーマンス部門のフィードバックを山本投手に分かりやすく落とし込む“技術寄りの通訳”へと発展。今後は日本人選手が増えた際のハブ的役割も期待される。

まとめ

・園田芳大さんは日本の大学で柔道に取り組んだスポーツ出身者。 ・約20年にわたりアメリカのエンターテインメント業界で照明・ライティングの仕事をしていた。 ・ドジャースが山本由伸投手を獲得した際、球団スタッフとして通訳に就任。 ・就任当初は専門用語の多さに戸惑い「2日で辞めたくなった」が、球団スタッフの後押しで継続。 ・山本投手が通訳を“対等なパートナー”として扱ったことで強い信頼関係が生まれた。 ・現在は通訳にとどまらず、投球内容の記録やデータの橋渡しなど、サポート業務全般を担っている。

今後ドジャースには、佐々木朗希投手をはじめさらに日本人選手が合流する可能性があります。そのとき、最前線で日本とアメリカの野球文化をつなぐのは、こうした“現場を知っている通訳”です。園田さんのキャリアは、語学力だけでなく、異なる業界で培った現場力や人間関係づくりがあれば、メジャーリーグという世界最高峰のスポーツビジネスでも活躍できることを示す好例と言えるでしょう。

 

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