2025年11月17日、参議院議員の斉藤健一郎(さいとう・けんいちろう)氏が、自身のX(旧Twitter)で「NHKから国民を守る党(以下、NHK党)」からの離党を表明しました。かつては「ホリエモン新党」などの看板で話題を集め、ガーシー元議員の除名を受けた繰り上げ当選で国会入りした人物でもあります。
本記事では、斉藤健一郎氏の生い立ちから飲食店経営者時代、堀江貴文氏との関係、数多くの選挙への挑戦、そして国会議員としての軌跡やNHK党離脱に至るまでの経緯を、時系列で整理して解説します。
まずは、斉藤健一郎氏の基本的なプロフィールを整理します。
政治家であると同時に、YouTuberとしても活動しており、政治・社会問題に関する動画配信も行ってきました。
斉藤氏は兵庫県尼崎市の出身で、小学4年生の頃から野球を始めました。高校は野球の強豪として知られる神戸弘陵学園高等学校に進学。その後、野球推薦で奈良産業大学に進学し、法学部に所属します。
大学でも野球部に所属していましたが、途中で退部し、学業とアルバイトに比重を移していきました。卒業後のキャリアや人生の方向性を模索していた時期でもあり、後に政治家になる人物としては、比較的「普通の若者」に近いスタート地点だったと言えるでしょう。
奈良産業大学法学部を卒業したのち、大学時代のアルバイト先のひとつであった兵庫県西宮市のカフェレストラン「aqua(アクア)」に入社します。その後、結婚を機に、クルマ情報誌「Goo」などを手掛けるプロトコーポレーションに転じ、自動車関連の仕事にも関わりました。
しかし、やがて再び飲食業界に戻る決断をします。2005年には、かつて勤めていたカフェレストランaquaを前オーナーから事業承継し、オーナーとして店を切り盛りする立場に転換。2007年には、兵庫県西宮市で株式会社aquaLstyleを設立し、代表取締役に就任します。
飲食店経営を通じて、地元密着型のビジネスや雇用の現場を経験したことは、後に「現場感のある政治」を掲げる際の基盤にもなっています。
斉藤氏が「政治家を志そう」と明確に決意したきっかけは、28歳の頃に見た当時大阪府知事だった橋下徹氏の政治姿勢と言われています。
「これからの時代、政治家は子どもたちから憧れられる職業になり得る」と考え、「その時代の見本となるような政治家になりたい」と強く思うようになったとされています。飲食店経営を続けながら、政治の世界への道を模索し始めたのがこの頃です。
この段階では、まだ国政レベルの政治家になる具体的なルートは見えていなかったものの、「将来は選挙に出たい」という志を持ち、行動を起こす土台ができあがっていきます。
2018年、斉藤氏は自身が経営していた株式会社aquaLstyleを売却します。その後、友人の紹介を通じて実業家の堀江貴文氏(ホリエモン)と出会い、同氏の運転手兼マネージャーとして活動するようになります。
この「堀江氏の運転手」という立場は、後の政治活動においてもたびたび話題となりました。実際に、のちの選挙での政見放送などでも、「政治家になるために堀江貴文の運転手をやった男」というキャッチフレーズ的な紹介が行われています。
やがて、堀江氏の周辺で政治プロジェクトが動き出し、「ホリエモン新党」という名称の政治団体が立ち上がります。斉藤氏はこのホリエモン新党で会計責任者を務め、堀江氏の政治的メッセージを世に広める枠組みづくりに関与しました。
この時期から、斉藤氏は「堀江貴文の側近」というイメージとともに世間に知られるようになっていきます。
斉藤健一郎氏が大きく注目を集めたのは、2020年の東京都知事選挙への立候補です。
当時の都知事選には、現職の小池百合子氏をはじめ多くの候補者が乱立し、話題性の高い選挙となりました。その中で斉藤氏は、「既存政治への挑戦」や「新しい政治のかたち」を訴えましたが、結果として議席獲得には至りませんでした。
とはいえ、この都知事選への挑戦は、斉藤氏の名前を全国区の政治好き・ネットユーザー層に広く認知させる契機となりました。
2021年10月31日に行われた第49回衆議院議員総選挙では、斉藤氏は「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」(当時の党名)公認候補として比例九州ブロックから立候補しました。
政見放送には堀江貴文氏も出演し、「齊藤が当選したら僕が秘書をやる」と発言したことでも話題を呼びましたが、得票率は伸びず、議席獲得には至りませんでした。
続く2022年4月24日の参議院石川県選挙区補欠選挙では、「NHK受信料を支払わない国民を守る党」公認で立候補します。
ここでも議席獲得には届きませんでしたが、斉藤氏は連続して国政選挙に挑戦しており、「何度落選してもあきらめないタイプの政治家」というイメージを強めていきます。
2022年6月、斉藤氏はNHK党の副党首に就任します。同年7月10日の第26回参議院議員通常選挙では、比例代表としてNHK党から立候補しました。
この時点では、繰り上げ当選の機会も回ってこず、形式的には「落選候補」の立場にとどまります。しかし、この参院選の候補者名簿に名を連ねていたことが、のちの「ガーシー除名」をきっかけとする国会議員就任につながっていきます。
2023年3月、NHK党比例代表で当選していたガーシー元参議院議員が、国会欠席問題などを理由に参議院で「除名」処分を受け、議員資格を失いました。
当初、比例名簿上の次点候補者に繰り上げ当選の権利がありましたが、党内調整の結果、先順位の候補者が繰り上げ当選を辞退し、4番目だった斉藤健一郎氏に議席が回る形となりました。
この結果、斉藤健一郎氏は初の国会議員(参議院議員)となり、長年掲げてきた「政治家になる」という目標を実現することになります。
斉藤氏が国会議員になった後、NHK党をめぐっては、党名変更や代表者をめぐる複雑な内部対立が続きました。
ガーシー騒動などの過程で、党名が「政治家女子48党」となった時期があります。2023年3月29日には、同党の臨時総会で、大津綾香氏の辞任に伴い、斉藤健一郎氏が代表に就任したとする議決が行われました。
しかし、大津氏はこの代表交代を受け入れず、斉藤氏や臨時管理人であった立花公美氏を相手取り、代表の地位確認を求める仮処分を千葉地方裁判所に申し立てます。これにより、党の正統性をめぐる訴訟・対立が長期化しました。
一方で、党名は「みんなでつくる党」へと変更されますが、参議院内の会派名は「NHKから国民を守る党」のまま残るなど、外形的にも複雑な状態が続きました。
総務省や中央選挙管理会は、どの届け出に代表権があるのかについて慎重な姿勢を示し、「齊藤氏による党名変更・代表者変更の届け出は、権限ある代表者によるものか疑義が解消されない」として受理しない決定を出しています。
この間、斉藤氏は「党代表」や「参議院会派の顔」として振る舞いながらも、法的な位置づけをめぐって多くの議論と批判にさらされました。
2025年に入ると、斉藤氏の立場はさらに大きく動いていきます。
首班指名選挙で斉藤氏は、高市早苗氏や末松信介氏に投票していた経緯があり、こうした投票行動が自民党との連携を模索する布石であったとも指摘されました。
しかし、2025年11月、NHK党をめぐる情勢が一変します。
この一連の動きは、「NHK党の唯一の国会議員」としての立場や、自身の今後の政治的スタンスを改めて考え直す過程でもあったと考えられます。
そして、2025年11月17日、斉藤健一郎氏はX(旧Twitter)で、NHKから国民を守る党からの離党を公表しました。
投稿では、おおむね次のような内容が伝えられています。
報道によれば、党内部の情報流出問題や、党首逮捕による国会活動への悪影響などを理由に、「これ以上、同党に所属したままでは本来の議員活動に支障が出る」と判断したとされています。
この離党により、NHK党は国会に所属議員を持たない政治団体となり、事実上「国会から姿を消す」形になりました。一方で、斉藤氏は無所属の参議院議員として活動を続けることになります。
斉藤健一郎氏は、これまでの各種アンケートや政見放送などで、比較的保守的かつタカ派寄りと受け取られる政策スタンスを示してきました。主なポイントを整理すると、次のようになります。
全体として、外交・安全保障ではかなり強硬な立場をとる一方で、行政の透明性や政治参加の拡大には前向きであり、「ネット世代」「ホリエモン世代」の価値観を反映した政治スタイルと評価されることもあります。
斉藤氏を語るうえで、不祥事や批判も避けて通ることはできません。
2022年7月、千葉市若葉区内の高速道路を走行中、斉藤氏の運転する車がスピード違反で千葉県警に摘発されていたことが、後に報道で明らかになりました。当時の車には、NHK党党首だった立花孝志氏も同乗していたとされています。
報道によれば、斉藤氏は車両の停止には応じたものの、「スピード違反はしていない」「ゴルフ場へ急いでいる」と主張して交通反則切符の作成を拒否し、警察からの出頭要請にも応じなかった時期があったとされます。その後、参議院議員への繰り上げ当選直後に反則金の支払いに応じる考えを示したと報じられました。
この件は、法をつくる立場にある国会議員の候補者としてふさわしい行動だったのかという批判を招き、今も評価が分かれるポイントとなっています。
政治家女子48党やみんなでつくる党をめぐる党名変更・代表権争いも、斉藤氏の政治的イメージに影を落としました。
「どちらが正当な代表なのか」「有権者に対してわかりにくい状態を作っているのではないか」といった批判も多く、インターネット上では支持と不信が激しくぶつかり合う状況が続きました。
2025年11月17日にNHK党を離脱したことで、斉藤健一郎氏は「NHK党唯一の国会議員」から「無所属の参議院議員」へと立場を変えました。今後、どのような道を歩むのかは、現時点では確定していませんが、いくつかの可能性が指摘されています。
いずれにしても、ガーシー騒動、党名変更騒動、立花氏の逮捕、NHK党離脱と、非常に激しい環境変化の中で政治活動を続けてきた人物であることは間違いありません。長年の支持者は「ここからどう立て直していくのか」を注視しており、一方で批判的な立場からは「これまでの混乱に対してどう責任を取るのか」が問われています。
斉藤健一郎氏は、兵庫県尼崎市出身の元飲食店経営者からスタートし、堀江貴文氏の運転手兼秘書、ホリエモン新党会計責任者などを経て、ガーシー元議員の除名をきっかけに参議院議員となった、非常に異色の経歴を持つ政治家です。
多数の選挙への挑戦、NHK党や政治家女子48党、みんなでつくる党をめぐる党名・代表権騒動、自民党会派への一時的な参加、そして2025年11月のNHK党離脱表明――その歩みは、常に話題と賛否両論を呼んできました。
今後、無所属議員としてどのような立場をとり、どの政党や勢力と距離を取っていくのか。憲法改正や安全保障、行政の透明性、ネット時代の政治参加といったテーマに対し、どのようなメッセージを発信していくのか。斉藤健一郎氏の動向は、引き続き日本の政治ウォッチャーや有権者の注目を集めることになりそうです。