2025年6月17日、イスラエル軍はイランの「戦時最高軍司令官」アリ・シャドマニ氏を殺害したと発表し、国際情勢は一層緊迫化しました。
「最高指導者ハメネイ師に最も近い存在」とも言われた彼は、一体どのような人物だったのでしょうか?
この記事では、アリ・シャドマニ氏の経歴や人物像を詳しく解説し、彼の死が今後のイラン情勢や中東全体に与える影響についても掘り下げます。
年代 | 主なポスト |
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1988〜1996年頃 | IRGC陸軍 作戦副司令官 |
1996〜2001年頃 | 特殊部隊「ハムゼ師団」司令官 |
2001〜2003年頃 | ナジャフ・アシュラフ指揮所長 |
2005〜2012年頃 | 国防参謀本部 作戦局長 |
2012〜2016年頃 | 国防参謀本部 副本部長 |
2016〜2025年6月 | 統合司令部(ハタム・アル=アンビヤ)副司令官 |
2025年6月 | ハタム・アル=アンビヤ統合司令部 総司令官に昇格 |
革命防衛隊(IRGC)と正規軍(アルテシュ)の両組織に強い影響を持ち、「軍の橋渡し役」として軍事運営の調整にも定評があった。
アリ・シャドマニ氏は、イランの最高指導者アリ・ハメネイ師の軍事顧問的存在としても知られており、
イスラエルは彼を「最も近い存在」と明言しました。
軍事・戦略の重要決定に深く関与していたとされ、戦時体制下では全軍を統括する実務のトップでもありました。
また、ハメネイ師の軍事演説や声明にたびたび登場し、軍事パレードでもハメネイ師の直後に歩く姿が確認されていました。
国家の意思決定機関である「国家安全保障最高評議会」においても影響力を持ち、外交的・政治的観点を踏まえた軍事計画の策定にも関与していたとされます。
一部のアナリストは、彼を「実質的な国防相」と評することもあり、その軍事的影響力は閣僚級に匹敵していたとみられています。 彼の死は、ハメネイ体制の軍事的意思決定に空白をもたらす可能性も否定できません。
この攻撃は、イスラエルがイランの軍中枢を狙い、指揮系統を分断しようとする戦略的攻撃であり、国際社会に大きな衝撃を与えました。
暗殺当夜、テヘラン市内では大規模な交通規制が敷かれ、多数のドローンによる陽動作戦が並行して展開されていたとの報道もあります。
標的となったのはシャドマニ氏が使用していた地下作戦指令室で、爆撃は極めて精密なものであったと見られています。
イラン政府は公式発表を控えているものの、国営テレビでは黙祷が行われ、殉職者の名簿に彼の名が加わると見られています。
彼は政治的野心を見せることはほとんどなく、終始「国家防衛の専門官」として立場を貫いたとされます。
また、兵士や下級士官からの信頼も厚く、実際に前線での指導経験も豊富であったことから、「戦場を知る司令官」として敬愛されていました。
宗教的信仰も深く、しばしばハメネイ師の説法を兵士たちに伝える役割も担っていました。
彼の趣味は読書と詩作とされ、ペルシア詩人ハーフェズの言葉を好んで引用していたとも言われています。
私生活では慎ましく、家族に対する深い愛情を公に語ることは少なかったものの、関係者の証言では「厳格だが温厚な父」であったとのことです。
アリ・シャドマニ氏の死は、イランにとって軍の頭脳の喪失を意味します。
同時に、イスラエルとの対立が今後さらに激化する可能性を示唆しており、
中東情勢の行方を左右する「軍事と政治の大転換点」とも言えるでしょう。
彼のような軍人が歩んできた道は、革命、防衛、戦争、そして国家の戦略そのものでした。
彼の後継者がどのような人物になるのか、そしてイラン軍の今後の対応がどう変化するのかに注目が集まります。
また、彼の死によってイラン国内の保守派・穏健派の力関係が再編される可能性も指摘されており、今後の政治的展開にも目が離せません。