「クルド人はどこの国の人?」と聞かれることがあります。しかし、この問いはとても複雑で、一言では答えられない問題を含んでいます。なぜなら、クルド人は世界最大の“国を持たない民族”と呼ばれており、複数の国にまたがって暮らしているからです。
この記事では、クルド人の出身国や居住地、そして「なぜ国家を持たないのか」という背景をわかりやすく解説し、彼らの歴史的経緯や現在の国際的な位置づけについても詳しく紹介していきます。
現在、クルド人は主に以下の4か国にまたがって暮らしていますが、それぞれの国における立場や状況には大きな違いがあります。
トルコ東部・南東部には、約1,500万人ものクルド人が暮らしているとされます。トルコ国内では最大の少数民族であり、全人口の約20%に相当します。
トルコ政府は長年にわたり「トルコ民族の一体性」を掲げてきたため、クルド語の使用やクルド文化の表現を制限してきました。1980年代以降はPKK(クルド労働者党)との武力衝突が激化し、多くの犠牲者と難民を生みました。現在でも緊張状態は続いており、クルド系政治家の逮捕や報道機関の閉鎖も相次いでいます。
イラク北部には「クルディスタン地域政府(KRG)」という自治政府が存在しており、クルド人が多数を占める地域で比較的高い自治権を持っています。クルド語も公用語として用いられ、教育や行政もクルド語で実施されるなど、文化の保護が進んでいます。
2003年のフセイン政権崩壊以降、クルディスタンは半独立状態となり、2017年には独立の是非を問う住民投票が行われました。結果は92%が独立に賛成でしたが、イラク中央政府および周辺国の猛反対によって実現には至りませんでした。
イラン西部のクルディスタン地方にも約800万人のクルド人が住んでいます。イランではスンニ派のクルド人とシーア派主導の政府の間で宗教的・民族的対立があり、クルド人の反政府活動や抗議運動はしばしば抑圧の対象となります。
また、クルド人文化の発信や言語教育への制限が続いており、地域経済の格差や失業問題も深刻です。
シリア北部には約200万人のクルド人が暮らしており、長年アサド政権下で「無国籍者」として扱われてきました。2011年以降の内戦により、クルド人勢力は自衛のために武装組織YPGなどを結成し、事実上の自治を確立。「ロジャヴァ」と呼ばれる地域では独自の民主的な自治体制が築かれています。
しかしトルコ政府はこの動きをPKKと同一視し、シリア領内へ越境攻撃を実施するなど、地域の不安定化要因ともなっています。
クルド人が多数を占めて住んでいる地域一帯は、通称「クルディスタン(Kurdistan)」と呼ばれています。これは国家ではなく、民族的・地理的な概念であり、次の4か国の国境をまたいで存在しています:
この地域は山岳地帯が多く、天然資源も豊富であることから、戦略的にも重要なエリアとされています。特にイラク北部には多数の油田があり、自治政府の財政基盤ともなっています。
クルディスタンには都市部の政治活動が盛んな地域もあれば、伝統的な農牧生活が続く村もあり、クルド人の暮らしは非常に多様です。
第一次世界大戦後、敗戦国オスマン帝国に対して連合国が提示した「セーヴル条約(1920年)」では、アルメニア人と同様にクルド人にも独立国家の設立が約束されていました。
しかし、ムスタファ・ケマル・アタテュルク率いるトルコ共和国の樹立により、セーヴル条約は無効とされ、新たに「ローザンヌ条約(1923年)」が締結されます。ここにはクルド人国家に関する文言は含まれず、以後クルド人は周辺国に分割される形で現在に至ります。
現在に至るまでクルド人が独立国家を持てない理由には、以下のような複合的な要因があります:
クルド人は母国にとどまらず、世界各地にも広がっています。これを「クルド人ディアスポラ」と呼び、以下の国々に多く見られます。
移住先でも文化的アイデンティティを保ちながら活動しており、ヨーロッパではクルド人団体が政治的ロビー活動や文化イベントを展開しています。
日本においては、クルド人難民申請者の多くが仮放免状態で生活しており、在留資格の問題や社会的摩擦が課題となっています。
クルド人はどこの国の人か?と問われれば、答えは「トルコ、イラン、イラク、シリアなどにまたがって暮らす民族」ということになります。そして彼らは、明確な国家は持たなくとも「クルディスタン」という精神的な故郷を持ち、世界中に広がりながらも自らのアイデンティティを守り続けています。
クルド人問題を理解することは、国家とは何か、民族の権利とは何か、そして多民族社会における共生のあり方を考えるうえで、とても重要な第一歩になります。