「暴力」という言葉を聞くと、多くの人がまず思い浮かべるのは、殴る、蹴る、脅すなど、身体的な攻撃や威圧的な行為でしょう。確かに、それは「直接的暴力(direct violence)」と呼ばれ、人々が最も分かりやすく認識できる暴力の形態です。
しかし、暴力はそれだけではありません。人が人としての尊厳を奪われたり、命や生活を脅かされる原因となる、より見えにくい形の暴力が存在します。それが「構造的暴力(structural violence)」です。
この概念は、ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥング(Johan Galtung)が提唱したもので、社会の制度や仕組みが特定の人々を不利に追い込み、苦痛や死に近づけるような状況を指します。構造的暴力は、殴られるわけでも、罵倒されるわけでもないのに、人々の命や可能性を静かに奪っていくのです。
この記事では、「構造的暴力とは何か」という基本から始め、さまざまな構造的暴力の例を挙げながら、その深刻さや現代社会での影響を解説します。
まず、構造的暴力をもう少し詳しく定義してみましょう。
ガルトゥングは、「もし人々が回避可能な原因によって、平均寿命を全うできずに命を落とすなら、それは暴力である」と述べています。つまり、本来得られるはずの健康、教育、自由、尊厳を奪われているなら、それは構造的暴力だというのです。
では実際に構造的暴力の具体例を見ていきましょう。
最も分かりやすい構造的暴力の例が「貧困」です。
世界銀行によると、2022年時点で、世界の極度の貧困層(1日2.15ドル未満で生活する人々)は約7億人にのぼります。貧困は単なる「お金がない状態」ではありません。以下のような深刻な問題を引き起こします。
こうした状況は、本人の努力だけではどうにもならない「構造的」な問題です。社会の制度や経済のあり方が、一定の人々を継続的に不利な立場に置いているためです。
ジェンダーによる差別も、典型的な構造的暴力です。
例えば世界経済フォーラム(WEF)が毎年発表する「ジェンダー・ギャップ指数」を見ると、世界には以下のような問題が根強く残っています。
ある調査によれば、女性は生涯で男性より平均して20%以上少ない収入しか得られないとされています。賃金が低ければ、医療や教育、住居へのアクセスも制限され、生活全体が不安定になります。こうした構造は個人の能力不足ではなく、社会制度や文化規範が生む暴力なのです。
教育は、人生の可能性を大きく左右します。しかし、世界の多くの地域で教育格差が深刻です。
例えば次のような状況があります。
ユネスコによれば、世界で小学校に通えない子どもは約5,800万人(2023年時点)にのぼります。これは「勉強したくない」からではありません。制度や経済状況が子どもたちを追い詰めているのです。
医療もまた、構造的暴力が顕著に表れる領域です。
たとえば、アメリカでは人種や所得によって以下のような差が見られます。
また、発展途上国では基礎医療インフラが不足し、治療可能な病気で多くの人が亡くなっています。ガルトゥングの言葉通り「回避可能な死」が起こるのは、典型的な構造的暴力です。
構造的暴力は、差別や偏見とも密接に結びついています。
例として以下が挙げられます。
こうした差別は、制度や文化に深く根ざしているため、表面的には「暴力」に見えないのが厄介です。しかし、それによって人々が生きづらくなり、機会を奪われている現実は、暴力以外の何物でもありません。
少し意外かもしれませんが、環境問題も構造的暴力の側面を持ちます。
環境問題による被害は、社会的に弱い立場にいる人ほど大きく影響を受けます。これは「環境正義(environmental justice)」という考え方とも深く関わり、まさに構造的暴力の一環といえるでしょう。
グローバル経済も、構造的暴力を生む要因になり得ます。
たとえばアフリカ諸国では、カカオ農園で働く児童労働者の存在が問題視されています。私たちが安価なチョコレートを手に入れられる裏側には、構造的暴力が潜んでいるのです。
では、このような構造的暴力をどうすれば減らせるのでしょうか。
1.制度の見直し
賃金格差是正、教育無償化、医療アクセス向上など、構造的要因を取り除く政策が不可欠です。
2.意識改革
偏見や差別を助長する文化的価値観を変える努力が必要です。教育やメディアの役割も大きいでしょう。
3.声を上げる人々の支援
社会運動やNGOの活動は、構造的暴力の可視化に重要です。声を上げる人々を支援することが変革の力になります。
4.国際協力
環境問題や児童労働の問題は国境を越えてつながっています。国際的な連携が不可欠です。
構造的暴力は目に見えないため、つい「自分には関係ない」と思いがちです。しかし、それは私たちの日常の消費行動や社会参加とも無縁ではありません。
例えば、フェアトレード製品を選ぶこと、貧困問題に関する情報を学び、発信することも、構造的暴力を減らす一歩です。私たち一人ひとりができることは小さくても、それが社会の空気を変え、大きな変化につながる可能性があります。
「暴力」とは、殴ることだけではない。誰かの命や未来を奪う仕組みそのものを暴力だと考える視点を持つことが、これからの社会には求められているのかもしれません。