かつては日本社会で当たり前のように使われていた「外人(がいじん)」という言葉。しかし現代では、それを差別的な表現とする意見が強まっており、テレビや新聞などの大手メディアでも使用が控えられるようになっています。
「外人」は差別的ですが「外国人」も差別用語なのでしょうか?
本記事では、「外人」という言葉がなぜ問題視されているのか、そして「外国人」との違いや、英語圏での表現との比較、日本語における代替表現の工夫などを丁寧に解説していきます。さらに、「外国人」という表現自体が差別的かどうかという点についても、多角的に検討してみましょう。
昭和・平成初期の日本では、「外人さん」「外人タレント」といった表現が日常的に使われていました。それに対して疑問を持つ人は少なく、親しみを込めて使っていたケースも多かったのです。
しかし、この言葉にはある重大な問題があります。それは、「日本人」と「それ以外」を二項対立的に分け、“内”と“外”を無意識に線引きしてしまうということです。
結論から言えば、「外国人」という言葉は差別用語ではありません。
たしかに、「外人」と「外国人」はどちらも「日本以外の出身者」という意味を持ちますが、実はその使い方には大きな違いがあります。
つまり、「外国人」は差別的ではなく、むしろ配慮された用語として現在も幅広く使われています。
実際、NHKや新聞社など多くのメディアでは「外人」を使わない方針を明確にし、代替として「外国人」という表現が標準化されています。また、行政文書や法律用語でも一貫して「外国人」が使われており、制度的にも定着した表現です。
ただし、「外国人」という表現も一括りであるため、より丁寧さが求められる場面では、以下のような表現を選ぶ動きも増えています:
これらは、話し手が相手の背景に対する敬意や配慮を示そうとする姿勢をあらわすものです。
「外国人」は差別用語ではないものの、形式ばった表現に聞こえるかもしれません。一方、「外人」は語感として短く、口語的でフランクです。しかしその簡略さゆえに、無意識の差別性を帯びやすいという指摘があります。
とくにマジョリティ側がマイノリティに使う場合、「外人」は相手に疎外感や劣等感を与える危険があるため、配慮が求められるのです。
英語でもかつては “foreigner(フォリナー)” という言葉が一般的に使われていましたが、1980年代ごろから「外部者として扱う表現である」との批判が出始め、徐々に使われなくなっていきました。
代わりに使われている表現が以下のようなものです:
これらは、相手の個性や立場を尊重した呼称として社会に浸透しています。
日本語では、英語の expat や international に相当するニュートラルな表現が非常に少ない、という課題があります。
「外国人」という表現自体にも、「日本以外すべてが一括りで“外”」という発想が根底にあるため、注意が必要です。
しかし、最近では日本語でも以下のような表現が使われ始めています:
これらは、多少なりとも相手を尊重しようとする姿勢が感じられる表現です。
テレビ・新聞・ウェブメディアなどでは、「外人」という言葉を使用禁止または控える方針を明確に打ち出しているところが増えています。代わりに使われているのは、やはり「外国人」や「海外出身者」「国際的背景を持つ人」など。
たとえばNHKや朝日新聞などのメディアは、社内用語として「外人禁止」を明文化しており、文章表現の中で差別や排他性を与えないよう注意を払っています。
言いたい内容 | 避ける表現 | 推奨される表現 |
---|---|---|
外国から来た人 | 外人 | 海外から来た方/訪日旅行者 |
留学生全般 | 外人留学生 | 海外の大学からの留学生/国際学生 |
在住の非日本国籍者 | 外人さん | 日本に住む外国籍の方/在日外国人 |
「丁寧すぎて回りくどい」と思うかもしれませんが、相手の人格を尊重するための心配りとして、社会全体で意識が変わってきているのです。
言葉は時代とともに変わります。そしてそれは、社会が変化している証拠でもあります。たった一言の選び方が、相手を歓迎する姿勢か、拒絶する姿勢かを大きく左右するのです。
誰もが尊重される社会のために、まずは日常の言葉から優しさを始めてみませんか?