現代社会において、人々の暮らしに大きな影響を与えているのが情報です。政治、経済、環境、福祉、文化など、あらゆる分野の情報が私たちの判断や行動を左右します。こうした社会の中で、私たち市民が正しい判断を行うためには、必要な情報を手に入れられることが不可欠です。
この「必要な情報を知る」という人権を保障するのが「知る権利(Right to Know)」です。日本国憲法に明文で「知る権利」という言葉は登場しませんが、憲法第21条の「表現の自由」に含まれるものとして、裁判例や学説を通じて確立してきました。民主主義社会の根幹を支える重要な権利といわれます。
しかし「知る権利」と一口にいっても、その内容は非常に幅広いです。ニュース報道や政治情報だけでなく、身近な行政手続きや自分の個人情報を知る権利も含まれます。今回は、この「知る権利」について、なるべく「知る権利」の具体的な例を挙げながら、私たちの生活の中でどのように活かされているのかを詳しく解説していきます。
知る権利のルーツは、スウェーデンの「情報公開法」にまでさかのぼります。1766年、世界初の「出版の自由法」が制定され、国の記録を国民が閲覧できる権利が保障されました。民主主義国家が増えるにつれ、「政府の活動は国民に対して透明でなければならない」という考え方が世界に広がり、知る権利は多くの国で法制度として整えられていきました。
アメリカでも1966年、「情報自由法(Freedom of Information Act=FOIA)」が制定され、国民が政府の文書を請求して入手できる権利が保障されました。これをきっかけに各国で情報公開法の制定が相次ぎ、知る権利は民主主義に不可欠な制度として国際的に認知されています。
日本では、憲法に明記はされていませんが、最高裁判所の判例などを通じて、知る権利が「表現の自由」の一内容であると認められてきました。特に大きな転機となったのは1975年の「浦河町住民基本台帳事件」判決です。この判決では、「知る権利は、国民の意見形成や世論の形成に資するものであり、民主主義を支える基盤である」との趣旨が示されました。
その後、各地方自治体で情報公開条例が制定され、2001年には国の「情報公開法」が施行。行政文書の開示請求が可能となり、知る権利の制度的保障が一段と進みました。
知る権利は多様で、具体的には次のように分けられます。
以下、それぞれの具体例を詳しく見ていきます。
「知る権利」の例で最も代表的なのが「情報公開法」に基づく情報公開請求です。例えば次のようなケースがあります。
こうした制度によって、国民は行政の意思決定の過程や使われた税金の内容を知ることができます。民主主義は「国民の監視」によって成り立つため、行政情報の公開は非常に重要です。
近年、大きなニュースになった例として、財務省の公文書改ざん問題が挙げられます。森友学園問題を巡って、財務省が決裁文書を書き換えていたことが情報公開請求を通じて判明しました。国民が知る権利を行使しなければ、こうした不正は明らかにならなかった可能性が高いです。
また、環境省のダム建設に伴う環境影響評価書の開示請求や、地方自治体でのハコモノ行政の経費明細請求など、知る権利を行使した結果、事業の見直しや中止に至ったケースも少なくありません。
地方議会の議事録や会議資料も知る権利の対象です。たとえば以下のような請求ができます。
これにより、有権者は議員の活動を監視でき、次の選挙での投票判断に役立てられます。
知る権利の最も重要な担い手が「報道機関」です。新聞、テレビ、ネットメディアなど、報道は市民に代わって取材し、国民が知るべき情報を伝えています。報道機関の存在がなければ、市民が自力で行政や企業の内部情報を手に入れるのは非常に困難です。
報道機関は「取材の自由」を持つと同時に、「知る権利の代行者」としての責務を負います。
例えば、以下のような報道は知る権利の典型的な具体例です。
国民が投票という重大な選択を行うためには、正確な情報が不可欠です。政治報道はまさに知る権利の核心部分を担っています。
また、次のようなスクープも知る権利の重要な成果です。
たとえば、2011年の福島第一原発事故では、政府や電力会社の発表が不十分だったため、多くのメディアが独自の取材を行い、被災地の現状や放射線リスクを伝えました。このように報道が市民の「知る権利」を具体的に支えています。
「知る権利」は社会全体の情報だけではなく、個人の情報にも及びます。これを「自己情報コントロール権」と呼ぶこともあります。具体的には次のような事例があります。
例えば、病院で「自分の病歴や検査結果を知りたい」と請求することは、自己情報を知る権利の典型例です。
日本ではマイナンバー制度が導入されましたが、この番号を利用する行政サービスの中で、どんな情報が保管されているかを本人が確認する権利も「知る権利」に含まれます。行政機関に「マイナンバーでどんな情報が管理されているか」を照会することが可能です。
環境保護の分野でも知る権利は非常に重要です。ダムや工場、空港の建設に伴う「環境影響評価(環境アセスメント)」の結果は、多くの市民が開示を請求し、閲覧できます。たとえば次のような情報が開示対象です。
住民はこれらを基に反対運動を起こすこともあります。環境情報の公開は地域住民の健康や生活に直結するため、極めて重要です。
かつて四日市ぜんそくなどの公害事件では、企業や行政が汚染データを隠すケースが問題になりました。現在では、大気や水質などのモニタリング結果がインターネットで公開されるようになり、市民が自由にアクセスできます。
現代の消費生活において「知る権利」は欠かせません。例えば以下のような情報を消費者が知る権利を持っています。
食の安全問題が頻発する中、食品表示の充実は消費者の知る権利の具体的な成果の一つです。
製品に欠陥があった場合、メーカーには迅速にリコール情報を公表する義務があります。例えば、自動車のブレーキ系統の不具合や、家電製品の発火リスクなど、消費者の生命や健康に直結する情報を知らせることも知る権利の重要な部分です。
知る権利は万能ではありません。個人のプライバシー保護とのバランスが常に課題です。たとえば次のようなケースで問題が起こります。
報道が行き過ぎれば、個人の生活や人格を侵害する恐れがあります。知る権利は社会的利益のために存在するものですが、個人の尊厳も守られなければなりません。
また、知る権利にも限界があります。次のような情報は、公開が制限されることがあります。
例えば、防衛省に「自衛隊の具体的な配備場所をすべて教えてほしい」と請求しても、公開はされません。国の安全や社会秩序を守るためには一定の秘密保持が必要です。
近年ではネット社会の拡大によって、新たな問題も生まれています。
SNSやAIが情報を自動生成する時代において、知る権利は「正しい情報を選び取る力」と表裏一体です。単に「情報が公開される」だけでなく、それを市民が理解し、活用できる環境づくりが今後ますます重要になります。
「知る権利」は、民主主義社会の根幹を成す重要な権利です。国民が主権者として適切な判断を下すためには、政治、行政、社会、環境、消費生活など、あらゆる分野で正確な情報を知ることが不可欠です。
しかし、知る権利は万能ではなく、プライバシーや国家機密、企業の秘密保護など、さまざまな利益との調整が必要です。また、ネット社会では誤情報や操作情報が溢れ、私たち自身が「正しい情報を見極める力」を持たなければなりません。
私たち一人ひとりが「知る権利は自分自身の権利だ」という意識を持ち、行政に情報公開を請求したり、報道を批判的に読み解いたりすることが、よりよい社会を作る第一歩です。
知る権利を積極的に行使し、未来を切り開く力にしていきましょう。