野球ファンなら一度は耳にしたことがある「トミー・ジョン手術(Tommy John surgery)」。
現在では大谷翔平選手をはじめ、多くのメジャーリーガーやプロ野球選手が受けている肘の手術ですが、その名前の由来となった人物が、元メジャーリーガーのトミー・ジョン(Tommy John)氏です。
トミー・ジョン氏は単に「手術に名前を残した人物」ではありません。
メジャーリーグで実に26シーズンにわたってプレーし、通算288勝を挙げた左腕投手であり、野球史に残る名投手の一人です。
そして2026年8月、トミー・ジョン氏の死去が報じられました。
この記事では、トミー・ジョン氏の生い立ちや経歴、MLBでの成績、そして野球界を大きく変えた「トミー・ジョン手術」が誕生した経緯について詳しく紹介します。

元メジャーリーガーのトミー・ジョン氏は、2026年8月15日(米国時間)、83歳で死去しました。
米メディアによると、フロリダ州ブラデントンの自宅で亡くなったとされ、代理人が死去を明らかにしています。
亡くなる前にはホスピスケアを受けていました。
現時点で主要報道では、直接的な死因について明確な公式発表はされていません。
また、死去のおよそ1週間前となる2026年8月8日には、ニューヨーク・ヤンキースを通じてファンや友人たちへの別れのメッセージを発表していました。
MLBやロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・ヤンキースなども、野球界に大きな足跡を残したトミー・ジョン氏を追悼しています。
| 名前 | トミー・ジョン(Tommy John) |
|---|---|
| 本名 | Thomas Edward John Jr. |
| 生年月日 | 1943年5月22日 |
| 死去 | 2026年8月15日 |
| 享年 | 83歳 |
| 出身 | アメリカ・インディアナ州テレホート |
| ポジション | 投手 |
| 投打 | 左投右打 |
| MLBデビュー | 1963年9月6日 |
| MLB最終登板 | 1989年5月25日 |
| 通算勝敗 | 288勝231敗 |
| 通算防御率 | 3.34 |
| 通算奪三振 | 2,245 |
トミー・ジョン氏は1943年5月22日、アメリカ・インディアナ州テレホートで生まれました。
地元のガーストマイヤー高校(Gerstmeyer High School)に進学し、野球だけでなくバスケットボールでも優れた才能を発揮します。
スポーツだけでなく学業でも優秀で、1961年には高校を首席(valedictorian)で卒業しました。
バスケットボールでも大学から誘いを受けるほどの選手でしたが、最終的には野球の道を選択します。

高校卒業後の1961年、18歳だったトミー・ジョン氏はクリーブランド・インディアンス(現在のクリーブランド・ガーディアンズ)と契約しました。
マイナーリーグで経験を積み、1963年9月6日にメジャーリーグデビュー。
まだ20歳でした。
1965年にはシカゴ・ホワイトソックスへ移籍し、本格的に先発投手として活躍するようになります。
ホワイトソックスでは1965年から1971年までプレーしました。
左腕から投げる変化球と制球力を武器に先発ローテーションの中心となり、1968年には自身初となるオールスターゲーム出場を果たします。
豪速球で三振を量産するタイプというより、打者を打ち取る技術に優れた投手でした。
1971年シーズン終了後、ロサンゼルス・ドジャースへトレードされます。

1972年からロサンゼルス・ドジャースでプレー。
投手コーチの指導も受けながら、球速だけに頼らず、コントロールやボールの動きを利用する投球スタイルに磨きをかけました。
1974年にはシーズン序盤から絶好調で、13勝3敗、防御率2点台という成績を残していました。
しかし、この1974年にトミー・ジョン氏の人生だけでなく、野球界そのものを変える出来事が起こります。
1974年7月17日、モントリオール・エクスポズ戦で投球した際、トミー・ジョン氏は左肘に激しい異変を感じました。
診断の結果、投球する腕の尺側側副靱帯(UCL)に深刻な損傷を負っていることが判明します。
現在なら治療方法が確立されている故障ですが、1970年代当時、投手がUCLを完全に損傷することは事実上の「選手生命の終わり」を意味していました。
トミー・ジョン氏も、そのままであれば現役引退を余儀なくされる可能性が極めて高い状況でした。
そこでドジャースのチームドクターだった整形外科医、フランク・ジョーブ(Frank Jobe)医師が新しい手術を提案しました。
損傷した左肘の靱帯の代わりに、身体の別の部分から採取した腱を移植して肘を再建するという方法です。
1974年9月25日、約4時間に及ぶ手術が行われました。
ジョーブ医師は、トミー・ジョン氏の右前腕から腱を採取し、左肘の上腕骨と尺骨に穴を開けて移植しました。
当時は、メジャーリーグ投手がこの手術を受けて復帰した前例がありませんでした。
成功して再びメジャーのマウンドに立てる可能性についても、極めて低いと考えられていました。
この手術こそ、後に「トミー・ジョン手術」と呼ばれるようになった手術です。
医学的には一般に「尺側側副靱帯再建術(UCL reconstruction)」と呼ばれます。
つまり「トミー・ジョン」という名前は、この手術を開発した医師の名前ではありません。
最初にこの画期的な手術を受け、メジャーリーグへの復帰に成功した投手の名前なのです。
手術を受けたからといって、すぐに投げられるようになったわけではありません。
神経にも問題が発生したため追加の手術も必要となり、トミー・ジョン氏は長期間にわたるリハビリを行いました。
1975年シーズンは公式戦に一度も登板せず、左腕の筋力や可動域を取り戻すことに専念します。
そして手術から約1年半後の1976年、ついにメジャーリーグのマウンドへ復帰しました。
復帰した1976年、トミー・ジョン氏は31試合に先発し、10勝10敗、防御率3.09を記録しました。
さらに翌1977年には、
という素晴らしい成績を残します。
手術前に124勝していたトミー・ジョン氏は、驚くことに手術後だけで164勝を記録しました。
「選手生命を救った」だけではなく、手術後も長期間にわたって第一線で活躍できることを自ら証明したのです。
1979年にはニューヨーク・ヤンキースへ移籍。
36歳になるシーズンでしたが、衰えを見せるどころか21勝を挙げ、アメリカン・リーグのサイ・ヤング賞投票で2位となりました。
さらに1980年にも22勝を記録。
手術を受けた30代の投手が、その後20勝を複数回記録するという驚異的な活躍でした。
| 時期 | 球団 |
|---|---|
| 1963~1964年 | クリーブランド・インディアンス |
| 1965~1971年 | シカゴ・ホワイトソックス |
| 1972~1978年 | ロサンゼルス・ドジャース |
| 1979~1982年 | ニューヨーク・ヤンキース |
| 1982~1985年 | カリフォルニア・エンゼルス |
| 1985年 | オークランド・アスレチックス |
| 1986~1989年 | ニューヨーク・ヤンキース |
トミー・ジョン氏は1989年まで現役を続けました。
最後のシーズンは46歳。
1963年に20歳でメジャーデビューしてから1989年まで、実に26シーズンにわたってメジャーリーグで投げ続けました。
特に驚くべきなのは、肘の靱帯を断裂して手術を受けた後も14シーズンにわたって現役を続けたことです。
| MLB在籍 | 26シーズン |
|---|---|
| 登板 | 760試合 |
| 先発 | 700試合 |
| 勝敗 | 288勝231敗 |
| 防御率 | 3.34 |
| 奪三振 | 2,245 |
| 完投 | 162 |
| 完封 | 46 |
| オールスター | 4回 |
トミー・ジョン氏について興味深い点の一つが、通算288勝を挙げながらアメリカ野球殿堂入りを果たしていないことです。
1995年から2009年まで全米野球記者協会による殿堂入り投票の対象となりましたが、得票率は最高でも31.7%で、選出に必要な75%には届きませんでした。
300勝にあと12勝届かなかったことや、サイ・ヤング賞を一度も受賞していないことなどが投票で不利になったと考えられます。
しかし、26年間で288勝という投手としての実績に加え、野球医学の歴史を大きく変えた存在であることから、殿堂入りを評価すべきだという声は長年存在しています。

トミー・ジョン氏が1974年に手術を受けてから半世紀以上が経過しました。
現在では、UCLを損傷した投手に対する代表的な治療法の一つとして世界的に知られています。
日本人選手でも多くの投手が同様の手術を受けており、大谷翔平選手も2018年に右肘のトミー・ジョン手術を受けました。
その後も大谷選手は投手としてメジャーリーグのマウンドへ復帰しています。
一人の投手が1974年に前例のない手術に挑戦したことが、その後何千人もの野球選手のキャリアを救うことにつながったのです。
一方、トミー・ジョン氏自身は、自分の名前が付いた手術が若い野球選手にまで広がっている状況を手放しで喜んでいたわけではありません。
特に少年や10代の投手が肘を酷使し、手術を受けるケースが増えていることについて懸念を示していました。
「手術をすれば以前より強い腕になる」といった誤解についても注意が必要です。
トミー・ジョン手術は能力を高めるための手術ではなく、本来は損傷した靱帯を再建するための治療です。
1989年に現役を引退した後は、野球界から完全に離れたわけではありません。
1990年代にはミネソタ・ツインズやニューヨーク・ヤンキース関連の放送で解説などを担当しました。
また、2007年から2009年にかけては独立リーグのブリッジポート・ブルーフィッシュで監督を務めています。
自身の経験を通じ、投手の故障防止や若い選手の腕の酷使についても積極的に発言していました。
トミー・ジョン氏は晩年、健康上の大きな問題も経験しています。
2020年12月にはCOVID-19のため入院。
その後、免疫系が末梢神経を攻撃するギラン・バレー症候群を発症し、下半身が数か月にわたって麻痺した時期があったことも明らかにしていました。
それでも回復に取り組み、公の場やインタビューなどを通して野球について語り続けました。
トミー・ジョン氏が野球史に残したものは、単なる「手術の名前」ではありません。
1974年当時、UCL断裂は投手にとって現役生活を終わらせかねない故障でした。
前例のほとんどない手術に挑戦し、過酷なリハビリを乗り越え、再びメジャーリーグで投げただけでなく、その後164勝を挙げました。
その成功があったからこそ、UCL再建手術はスポーツ医学の分野で発展し、多くの選手が競技に復帰できる時代につながりました。
手術そのものを考案し実施したのはフランク・ジョーブ医師ですが、その可能性を世界に証明したのがトミー・ジョン氏だったといえるでしょう。
トミー・ジョン氏は1943年、インディアナ州テレホートに生まれ、1963年にメジャーリーグデビューしました。
ホワイトソックス、ドジャース、ヤンキースなど6球団で26シーズンにわたってプレーし、通算288勝231敗、防御率3.34、2,245奪三振という成績を残しました。
そして何より野球史を変えたのが、1974年に受けた左肘のUCL再建手術です。
当時は復帰がほぼ不可能と考えられていた重傷から復活し、その後14シーズンにわたって現役を続けました。
やがてこの手術は「トミー・ジョン手術」と呼ばれるようになり、大谷翔平選手をはじめ、世界中の数多くの野球選手のキャリアを救う治療法となりました。
トミー・ジョン氏は2026年8月15日、83歳で死去しました。
しかし、その名前はMLB通算288勝という記録とともに、スポーツ医学を大きく前進させた歴史的な存在として、これからも野球界に残り続けるでしょう。