平山清一郎(ひらやま・せいいちろう)監督は、長崎日本大学高校(長崎日大)硬式野球部を率いる高校野球指導者です。
1979年8月8日生まれ。長崎県五島市出身で、長崎日大高校から日本大学へ進学しました。
現役時代のポジションは捕手。
高校3年時には主将を務め、春の九州大会で優勝を経験しています。ただし、自身が選手として甲子園のグラウンドに立つことはできませんでした。
大学卒業後の2002年、母校・長崎日大へ戻り、野球部コーチに就任。
その後、部長を務めながら長年チームを支え、2018年8月に監督へ就任しました。
2022年、2023年と2年連続でセンバツ甲子園へ導き、2026年春にもセンバツへ出場。
さらに2026年夏には長崎日大を16年ぶり10回目となる夏の甲子園へ導き、初戦で立正大淞南を破って、ついに監督として甲子園初勝利を挙げました。
平山監督の特徴は、強い言葉で選手を動かすタイプではなく、一人ひとりの考えや状態を見ながら「リードする」指導です。
自身が捕手だった経験を生かし、現在でもブルペンで投手の球を直接受けることがあります。
2025年には、自身の指導哲学をまとめた著書『親身に寄り添う リード力』も出版。
「キャッチングは愛」という考えのもと、現代の高校生とどのように向き合うべきなのかを発信しています。
| 名前 | 平山 清一郎 |
|---|---|
| 読み方 | ひらやま せいいちろう |
| 生年月日 | 1979年8月8日 |
| 年齢 | 47歳(2026年8月現在) |
| 出身地 | 長崎県五島市 |
| 出身高校 | 長崎日本大学高校 |
| 出身大学 | 日本大学 |
| 現役時代のポジション | 捕手 |
| 長崎日大コーチ就任 | 2002年 |
| 野球部長就任 | 2008年 |
| 監督就任 | 2018年8月 |
| 担当教科 | 地歴公民科 |
| 主な監督実績 | 2022・2023・2026年春センバツ出場、2026年夏甲子園出場 |
| 著書 | 『親身に寄り添う リード力』 |
平山監督の生年月日、五島市出身、長崎日大から日本大学へ進学したこと、2002年のコーチ就任、2008年の部長就任、2018年8月の監督就任などは、著書の公式プロフィールにも記載されています。
平山監督は1979年8月8日、長崎県五島市生まれ。
その後、長崎日大がある諫早市で育ちました。
小学生の頃はソフトボールに取り組み、中学生になってから本格的に野球へ転向したとされています。
現在では捕手出身の監督として知られていますが、長崎日大入学当初から捕手一筋だったわけではありません。
高校では内野手から捕手へ転向しました。
高校は地元の長崎日大へ進学しました。
捕手としてチームの中心となり、3年時には主将を務めています。
高校3年春には九州大会で優勝。
長崎日大を九州の頂点へ導いた世代の中心選手でした。
しかし、平山選手自身は甲子園出場を果たせませんでした。
現在では監督として何度も甲子園へ足を運んでいますが、「甲子園に出られなかった高校球児」として高校生活を終えた人物でもあります。

捕手は、グラウンドのほぼ全体を見ながら試合を組み立てるポジションです。
投手の状態を見る。
打者を観察する。
守備位置を確認する。
味方へ声をかける。
試合の流れを読む。
さらに平山監督は主将も経験しました。
現在の「チーム全体を見ながら、一人ひとりへ声をかける」という指導スタイルの原点は、この高校時代にあると考えられます。
長崎日大卒業後は日本大学へ進学。
大学でも捕手として野球を続けました。
3年春からリーグ戦のメンバーに入り、4年春には東都大学野球リーグの優勝を経験しています。
東都大学野球は全国でも屈指のハイレベルな大学リーグです。
高校野球とは異なり、全国から集まった有力選手とポジションを争わなければなりません。
平山監督自身も、自分は突出した能力を持った選手ではなかったという認識を持っており、後に大切にするようになる言葉が、
「積小為大」
です。
小さなことを一つずつ積み重ね、大きなものをつくる。
現在の選手指導にもつながる考え方です。
日本大学卒業後の2002年、平山氏は母校・長崎日大へ戻りました。
野球部コーチとして指導者人生をスタートします。
まだ20代前半でした。
高校卒業後に別の学校で経験を積んでから戻ったのではなく、大学卒業後すぐに母校の指導に携わっています。
そのため2026年現在、長崎日大野球部との関わりは20年以上に及びます。
コーチ就任後、長崎日大は2003年、2007年に夏の甲子園へ出場しました。
平山氏もコーチとしてチームを支えています。
自分自身が高校生の時には届かなかった甲子園。
そこへ指導者として初めて選手を送り出すことになりました。
特に2007年の長崎日大は甲子園で勝ち進み、全国的にも注目されるチームとなりました。
平山氏にとって、高校野球指導者として貴重な経験を積んだ時期です。
2008年からは野球部長を務めました。
野球部長は監督とは役割が異なります。
チームの技術指導だけではなく、学校との調整、大会への登録、選手の生活や進路など、野球部全体を支える仕事があります。
平山氏は監督になる前に、
コーチ
野球部長
という異なる立場を経験しました。
部長時代には2009年、2010年と2年連続で夏の甲子園出場を経験しました。
つまり平山氏は、監督になるかなり前から長崎日大の甲子園出場を内部から支えてきた人物です。
後に監督となった時にも、
「甲子園へ行った時のチーム」
だけではなく、
「甲子園へ届かなかったチーム」
も数多く見ています。
長いコーチ・部長経験が、現在のチームづくりの土台となっています。
平山監督が部長を務めていた時代の代表的な選手が、大瀬良大地投手です。
大瀬良投手は長崎日大から九州共立大学へ進み、ドラフト1位で広島東洋カープへ入団。
プロでも長く活躍しています。
平山監督は、大瀬良投手が高校生だった時期を学校側から支えていました。
プロへ進む選手だけではなく、多くの選手の高校3年間を見てきたことが、現在の指導にも生かされています。
平山氏が長崎日大の監督へ就任したのは2018年8月です。
大学卒業後に母校へ戻ってから約16年。
コーチ、部長を経験したうえで、ついにチーム全体を率いる立場になりました。
監督就任後も、いきなり甲子園へ出場できたわけではありません。
長崎県には海星、創成館、長崎商、清峰など多くの有力校があります。
その中でチームをつくり直し、2022年春に監督として初めて甲子園へ戻ることになります。

2021年秋、長崎日大は九州大会で上位へ進出。
その結果、2022年春のセンバツ出場校に選ばれました。
平山監督にとって、監督として初めての甲子園です。
その翌2023年春にもセンバツへ出場。
2年連続で春の甲子園へ導きました。
監督就任後、長崎日大を再び全国大会の常連を狙える位置へ引き上げていきます。
2026年春には再びセンバツへ出場しました。
平山監督にとって監督として3度目の甲子園。
この時点では、2022年、2023年のセンバツはいずれも初戦敗退。
監督としての甲子園勝利はまだありませんでした。
平山監督自身は必要以上に「初勝利」を意識しない姿勢を示していましたが、長崎日大にとっても甲子園での白星は長く遠ざかっていました。
平山監督の指導で特に特徴的なのが、現在でも自ら捕手役を務めることです。
2026年センバツ前の練習でも、ブルペンに入り、エース投手の球を直接受けています。
投手の球を受ければ、
球の力。
回転。
制球。
フォーム。
精神状態。
捕手への投げやすさ。
などを間近で感じ取ることができます。
現役時代に捕手だった監督ならではの指導です。
投手指導で大切にしているのがコントロールです。
高校野球では球速の速い投手が注目されがちですが、どれだけ速くても四球が多ければ試合を組み立てられません。
平山監督は投手陣に対し、まず制球を重視。
ブルペンで実際に球を受けながら、その場でアドバイスすることもあります。
平山監督を語る際によく登場するのが、
「優しすぎる」
という評価です。
高校野球監督というと、大声で叱り、厳しく選手を管理する姿を想像する人もいるでしょう。
しかし平山監督は、選手との距離を近く保つことを大切にしています。
一方で、本人は単に優しいだけの監督ではないとしています。
勝負である以上、試合では勝利を最優先する。
上級生だからという理由だけで温情起用することもない。
「選手へ寄り添うこと」と「勝負に厳しくあること」を分けて考えています。
平山監督の指導を象徴するのが、選手とのコミュニケーションです。
グラウンドだけで会話するとは限りません。
時には選手と一対一で食事をしたり、甘いものを食べながら話したりすることもあるとされています。
監督室へ呼び出して一方的に指導するよりも、
「この選手は今、何を考えているのか」
を知ることを大切にしています。
平山監督は、選手の補食として味噌汁を自ら作ることでも知られています。
全国大会を目指す監督であっても、仕事は試合の采配だけではありません。
選手の身体。
食事。
生活。
精神状態。
日常の小さな部分にも関わります。
これは平山監督が大切にする「積小為大」にも通じます。
大きな結果は、小さなことの積み重ねから生まれるという考えです。
平山監督の指導哲学を象徴する言葉が、
「キャッチングは愛」
です。
捕手は、投手が投げた球を受けるだけではありません。
投手が苦しい時には声をかける。
投手が調子に乗っている時には任せる。
乱れている時には落ち着かせる。
相手の状態を感じながら、その選手が力を出せる方向へ導く。
平山監督は、監督と選手の関係もこれに近いと考えています。
高校野球の監督がすべての選手を自分の型にはめれば、短期的にはチームを管理しやすくなるかもしれません。
しかし、選手は一人ひとり違います。
強く言われた方が伸びる選手。
時間を与えた方が伸びる選手。
自分で考えた方が力を発揮する選手。
自信を持たせた方がよい選手。
その違いを見ながら対応する。
捕手が投手一人ひとりに合わせてリードを変えるように、監督も選手に合わせて接し方を変えるという考え方です。
平山監督が大切にしている言葉の一つが、
「積小為大」
です。
小さなことを積み重ね、大きな成果につなげる。
平山監督自身、学生時代から自分は圧倒的な才能を持つ選手ではなかったと振り返っています。
だからこそ、
毎日の練習。
グラウンド整備。
挨拶。
食事。
自主練習。
仲間への声かけ。
といった小さなことを大切にします。
平山監督が現役部員へ伝えていることの一つに、グラウンド整備があります。
卒業生が野球部へ戻ってきた時、
「変わらずきれいなグラウンドだ」
と思ってもらえるようにする。
グラウンドは現役選手だけのものではなく、これまで長崎日大で野球をしてきた人々をつなぐ場所でもあります。
平山監督は野球について、非常に印象的な考え方を持っています。
野球では一塁、二塁、三塁を回り、最後にホームベースへ帰ってきて初めて得点になります。
ホームベースだけが五角形で、家のような形をしています。
人生も同じ。
さまざまな出来事を経験しながら進み、最後には自分が帰る場所へ戻る。
長崎日大野球部を、卒業後も選手が戻ってこられる「ホーム」にしたいという思いがあります。
2025年3月、平山監督は著書、
『親身に寄り添う リード力』
を出版しました。
長崎日大も学校公式サイトで出版を紹介しています。
内容は単なる高校野球の技術書ではありません。
選手との接し方。
監督としての役割。
捕手として学んだこと。
チームづくり。
卒業生との関係。
人をどのように導くか。
といった「指導者としての考え方」が中心です。

2026年夏、長崎日大は16年ぶり10回目となる夏の甲子園出場を決めました。
平山監督にとっては、監督として初めての夏の甲子園です。
春のセンバツにはすでに3度出場していましたが、夏の選手権は初めて。
そして初戦で大きな節目を迎えました。
初戦の相手は島根代表・立正大淞南。
長崎日大は15対1で勝利しました。
学校としては16年ぶりの甲子園勝利。
そして平山清一郎監督にとっては、
監督として初めての甲子園勝利
となりました。
高校時代には甲子園へ行けなかった捕手が、大学卒業後すぐ母校へ戻り、コーチ、部長として20年以上チームに関わり続け、47歳で監督として甲子園初勝利。
平山監督の長い指導者人生にとって、大きな節目となりました。
初勝利後、平山監督が強調したのがチーム全体の力です。
2026年の長崎日大には83人の部員がいます。
甲子園のグラウンドに立てる選手は限られます。
しかし平山監督は、ベンチ入りしている選手だけを「戦力」と考えていません。
練習を支える選手。
分析する選手。
声を出す選手。
応援する選手。
それぞれに役割がある。
83人全員で勝つという考えです。
長崎日大は初戦を突破し、2回戦へ進出しました。
次の相手は熊本県代表・有明高校。
試合は2026年8月13日午後1時30分開始予定です。
長崎日大と有明による九州勢同士の対戦となります。
監督と選手という上下関係だけではなく、一人の人間として選手と向き合います。
必要であれば一対一で話し、選手が何を考えているのかを理解しようとします。
一方的に命令するのではなく、その選手に合った声のかけ方やタイミングを考えます。
捕手が投手によって配球や声かけを変えるのと同じ発想です。
選手を型にはめすぎず、自分で考える余地を残します。
監督が答えを全部与えれば短期的には楽でも、自立した選手は育ちません。
「積小為大」を大切にし、特別なことよりも毎日の小さな行動を重視します。
レギュラーだけがチームではありません。
ベンチ外の選手も含め、全員がそれぞれの役割を果たすことでチームが成立すると考えています。
高校3年間だけの関係にしない。
卒業生が何年後でもグラウンドへ戻れる野球部を目指しています。
| 時期 | 経歴・実績 |
|---|---|
| 1979年8月8日 | 長崎県五島市に生まれる |
| 高校時代 | 長崎日大で捕手としてプレー。3年時に主将 |
| 高校3年春 | 九州大会優勝。自身の甲子園出場はならず |
| 高校卒業後 | 日本大学へ進学 |
| 大学3年春 | リーグ戦メンバー入り |
| 大学4年春 | 東都大学野球リーグ優勝を経験 |
| 2002年 | 大学卒業後、長崎日大野球部コーチに就任 |
| 2003年 | コーチとして夏の甲子園出場 |
| 2007年 | コーチとして夏の甲子園出場 |
| 2008年 | 野球部長に就任 |
| 2009年 | 部長として夏の甲子園出場 |
| 2010年 | 2年連続で夏の甲子園出場 |
| 2018年8月 | 長崎日大硬式野球部監督に就任 |
| 2022年春 | 監督として初めてセンバツ出場 |
| 2023年春 | 2年連続センバツ出場 |
| 2025年3月 | 著書『親身に寄り添う リード力』を出版 |
| 2026年春 | 3度目のセンバツ出場 |
| 2026年夏 | 長崎日大を16年ぶり10回目の夏の甲子園へ導く |
| 2026年8月7日 | 立正大淞南を破り、監督として甲子園初勝利 |
経歴の基本部分は、2025年に出版された著書の公式プロフィールでも確認されています。

1979年8月8日生まれで、2026年8月8日に47歳となりました。
長崎県五島市生まれです。
その後、諫早市で育ったと報じられています。
現在監督を務めている長崎日大高校です。
高校時代は捕手で、3年時には主将を務めました。
選手として甲子園へ出場していません。
高校3年春には九州大会で優勝しましたが、甲子園出場は果たせませんでした。
日本大学です。
大学でも野球を続け、4年春には東都大学野球リーグ優勝を経験しています。
大学卒業直後の2002年です。
コーチとして母校へ戻りました。
2018年8月です。
コーチ、野球部長を長く経験した後に監督へ就任しました。
地歴公民科の教員です。
平山監督が長崎日大で野球部長を務めていた時代の教え子の一人です。
選手との距離を近く保ち、一方的に命令するのではなく、選手一人ひとりに合わせてリードすることを重視しています。
捕手出身らしい指導方法といえます。
「積小為大」です。
小さなことを積み重ねて、大きな成果につなげるという意味です。
はい。
2025年3月に『親身に寄り添う リード力』を出版しました。
2026年8月7日、夏の甲子園1回戦で立正大淞南を破り、監督として初めて甲子園勝利を挙げました。
8月13日の2回戦で熊本代表・有明高校と対戦する予定です。
平山清一郎監督は1979年8月8日生まれ、長崎県五島市出身の高校野球指導者です。
高校は現在監督を務めている長崎日大。
内野手から捕手へ転向し、3年時には主将を務めました。
高校3年春には九州大会優勝。
しかし自身は甲子園へ出場できませんでした。
高校卒業後は日本大学へ進学。
大学でも捕手として野球を続け、4年春には東都大学野球リーグ優勝を経験します。
そして2002年。
大学卒業後すぐ母校・長崎日大へ戻り、野球部コーチとなりました。
2003年、2007年の夏の甲子園をコーチとして経験。
2008年からは野球部長となり、2009年、2010年の夏の甲子園出場にも携わりました。
2018年8月に監督就任。
2022年、2023年と2年連続でセンバツへ出場し、2026年春にも甲子園へ戻りました。
そして2026年夏。
長崎日大を16年ぶり10回目となる夏の甲子園へ導きます。
8月7日の初戦では立正大淞南に15対1で勝利。
平山監督にとって、監督として待望の甲子園初勝利となりました。
しかし、平山監督の経歴で最も興味深いのは勝利数だけではありません。
現在もブルペンへ入り、自ら投手の球を受ける。
選手のために味噌汁を作る。
一対一で話す。
卒業生が戻ってきた時のためにグラウンドをきれいにする。
そして部員83人全員を戦力として考える。
捕手が投手の気持ちを感じながらボールを受けるように、選手一人ひとりを見ながらチームを導く。
それが平山清一郎監督の考える「リード力」です。
派手なカリスマ性で選手を従わせるのではなく、小さな積み重ねと人間関係を大切にしながらチームを強くする。
「キャッチングは愛」
という言葉は、捕手だった平山監督の野球人生だけでなく、現在の監督としての姿勢そのものを表しているといえるでしょう。