森恭仁(もり・やすひと)監督は、徳島県立鳴門渦潮高校硬式野球部を率いる高校野球指導者です。
徳島県出身で、自身も城南高校、京都教育大学で野球を続けました。
大学卒業後は高校教員となり、1993年に川島高校の監督へ就任。その後、鳴門第一高校、母校の城南高校、鳴門渦潮高校と、徳島県内の公立高校で長年にわたって野球部を指導してきました。
2004年には鳴門第一高校を夏の甲子園へ導き、2011年には母校・城南高校を創部113年目で初めて甲子園へ導きました。
2015年から鳴門渦潮高校を率い、2017年、2024年に夏の甲子園へ出場。
そして2026年夏には徳島大会決勝で阿南光高校を7対4で破り、鳴門渦潮を2年ぶり9回目となる夏の甲子園出場へ導きました。
2026年8月現在、監督として甲子園を経験した大会は、鳴門第一、城南、鳴門渦潮の3校で計5大会に及びます。
本記事では、森恭仁監督の年齢、出身高校・大学、選手時代、指導者としての経歴、甲子園での実績、鳴門渦潮でのチームづくり、指導方針について詳しく紹介します。
| 名前 | 森 恭仁 |
|---|---|
| 読み方 | もり やすひと |
| 生年月日 | 1967年4月18日 |
| 年齢 | 59歳(2026年8月時点) |
| 出身地 | 徳島県 |
| 出身高校 | 徳島県立城南高等学校 |
| 出身大学 | 京都教育大学 |
| 高校時代のポジション | 外野手(中堅手) |
| 主な指導歴 | 川島高校、鳴門第一高校、城南高校、鳴門渦潮高校 |
| 鳴門渦潮監督就任 | 2015年 |
| 現在 | 鳴門渦潮高校硬式野球部監督 |
| 主な甲子園実績 | 2004年夏・鳴門第一、2011年春・城南、2017年夏・鳴門渦潮、2024年夏・鳴門渦潮、2026年夏・鳴門渦潮 |
森恭仁監督は徳島県出身です。
野球を始めたのは小学4年生の頃でした。
高校は徳島県立城南高校へ進学します。
城南高校は徳島県内でも長い歴史を持つ県立高校で、野球部も古くから活動してきました。
現在では甲子園へ何度も選手を送り出す監督となった森監督ですが、自身の高校時代は甲子園とは縁がありませんでした。
城南高校時代の森監督は、野球部で中堅手としてプレーしました。
打線では4番を任され、高校最後の年には主将も務めています。
チームの中心選手だったことが分かります。
しかし、当時の城南は徳島県大会を簡単に勝ち抜けるチームではありませんでした。
森監督が2年生だった夏の県大会準決勝では、強豪・徳島商業に2対27という大差で敗れた経験もあります。
自身にとって甲子園は非常に遠い存在でした。
その後、指導者として母校を甲子園へ連れて行くことになるだけに、この高校時代の経験は森監督の経歴を語るうえで重要な出来事といえるでしょう。
城南高校卒業後、森監督は京都教育大学へ進学しました。
大学でも野球を続けています。
京都教育大学は教員養成の伝統を持つ国立大学です。
森監督も大学卒業後は高校教員となり、教育と高校野球の両方に携わる道を選びました。
プロ野球選手としてではなく、学校教育の中で選手を育てる指導者として野球人生を歩み始めます。
森監督は大学卒業後、高校教員として勤務します。
1993年には徳島県立川島高校の野球部監督へ就任しました。
まだ20代だった時期から高校野球の指揮官を経験したことになります。
ここから30年以上にわたる監督生活が始まりました。
森監督は私立の野球強豪校を渡り歩いてきた監督ではありません。
川島、鳴門第一、城南、鳴門渦潮と、長年にわたり徳島県内の公立高校で選手を育ててきたことが大きな特徴です。
川島高校での指導などを経て、森監督は鳴門第一高校の監督を務めます。
鳴門第一高校は現在の鳴門渦潮高校の前身校の一つです。
現在の勤務先につながる学校で、すでに20年以上前から高校野球の指導に携わっていたことになります。
そして2004年夏、森監督は指導者として初めて甲子園への切符をつかみました。

2004年夏、鳴門第一高校は徳島大会を勝ち抜き、第86回全国高校野球選手権大会へ出場しました。
鳴門第一にとって初めての夏の甲子園でした。
森監督にとっても、監督として初めて経験する甲子園です。
初戦では千葉県代表の千葉経大付属高校と対戦しました。
試合は鳴門第一が1対4で敗れ、甲子園初勝利とはなりませんでした。
それでも、公立高校を率いて県大会を勝ち抜き、全国大会へ導いた経験は森監督にとって大きな転機となりました。
森監督はその後、自身の母校である城南高校を率いることになります。
選手だった頃には甲子園を遠い存在に感じていた学校へ、今度は監督として戻ってきました。
城南は進学にも力を入れる県立高校です。
野球だけに多くの時間を使える環境ではなく、選手たちは学業との両立を求められます。
森監督は限られた練習時間をいかに有効に使うかを考え、練習方法を工夫しました。
城南高校では学業との両立が重要なため、強豪校と比較して練習時間に制約がありました。
そこで森監督は、長時間練習すれば必ず強くなるという考え方ではなく、選手自身が目的を理解して取り組むことを重視しました。
指導者から言われたメニューをただこなすのではなく、自ら考え、短い時間でも集中して練習する。
この自主性を重視する考え方は、森監督の指導を特徴づけるものの一つです。
城南時代には、実戦経験を積むことにも力を入れました。
練習試合を積極的に行い、試合の中で判断力や対応力を磨きます。
単純に打力や球速だけを競うのではなく、バントや走塁、守備などを含めた細かな野球も経験させました。
公立高校が強豪校に勝つためには、限られた戦力を最大限に生かす必要があります。
森監督は実戦を通して「1点を取る方法」「1点を防ぐ方法」を選手に覚えさせていきました。

城南高校は2010年秋、新チームで大きな結果を残します。
徳島県大会を勝ち上がり、決勝では伝統校・徳島商業と対戦。
城南が勝利し、秋季徳島県大会で初優勝を果たしました。
四国大会にも出場。
全国的な強豪校のような圧倒的な戦力を持つチームではありませんでしたが、県大会優勝などが評価され、翌春の大きな出来事につながります。
2011年春、第83回選抜高校野球大会。
城南高校は21世紀枠に選出されました。
創部から113年。
学校史上初めての甲子園出場でした。
選手時代には甲子園を経験できなかった森監督が、監督として母校を初めて甲子園へ導いたことになります。
森監督の長い指導歴の中でも、特に大きな出来事の一つです。
城南高校は甲子園へ出場しただけでは終わりませんでした。
初戦の相手は兵庫県の強豪・報徳学園。
甲子園で優勝経験もある全国的な名門です。
城南は試合終盤まで接戦を展開します。
そして九回に4点を奪い、8対5で勝利しました。
初出場で初勝利。
しかも相手は報徳学園という大きな一勝でした。
森監督自身にとっても、監督として初めての甲子園勝利となりました。
続く2回戦では鹿児島実業と対戦しました。
城南は粘りを見せましたが2対7で敗戦。
初のセンバツは2回戦で終了しました。
しかし、創部113年目で初出場し、全国的な強豪を破って1勝を挙げたことは、城南高校野球部の歴史に残る大会となりました。
2015年、森監督は母校・城南高校から鳴門渦潮高校へ異動しました。
鳴門渦潮高校は2012年、鳴門第一高校と鳴門工業高校の統合によって誕生した県立高校です。
森監督にとっては、かつて監督を務めた鳴門第一高校の流れを受け継ぐ学校でもあります。
2015年から硬式野球部の監督を務め、本格的なチームづくりを進めました。
鳴門渦潮高校は2012年に開校した比較的新しい学校ですが、野球部の歴史は単純に2012年から始まったものではありません。
前身となる鳴門第一と鳴門工業には、それぞれ高校野球の長い伝統があります。
特に鳴門工業は甲子園で上位進出した経験を持ち、プロ野球選手も輩出してきました。
元ロッテの里崎智也氏なども鳴門工業の卒業生です。
鳴門第一からも藤田一也氏などがプロ入りしています。
現在の鳴門渦潮は、こうした2校の野球の歴史を受け継いでいます。
森監督が鳴門渦潮の監督に就任して3年目となった2017年。
チームは夏の徳島大会を勝ち進みました。
決勝では板野高校と対戦し、6対0で勝利。
鳴門渦潮となってから初めて夏の甲子園出場を決めました。
公式上は前身校の記録を引き継ぎ、9年ぶり7回目の夏の甲子園出場とされました。
2017年のチームを率いる中で、森監督が選手たちに繰り返し伝えたのが、自分自身の弱さに負けないことでした。
技術の高い選手がそろっていても、緊張や迷いによって力を発揮できなければ勝つことはできません。
県外の強豪校との練習試合などを経験させながら、選手に自信を持たせました。
相手の名前に圧倒されるのではなく、自分たちが練習してきたことを出し切る。
精神面の成長を重視する森監督の指導が表れています。
2017年夏の甲子園では、新潟県代表の日本文理高校と対戦しました。
鳴門渦潮は序盤に大量失点を喫し、追いかける展開となりました。
打線は反撃しましたが、最終的に5対9で敗戦。
鳴門渦潮としての甲子園初勝利は持ち越しとなりました。
2017年の甲子園出場後、鳴門渦潮は何度も徳島大会で上位進出を目指しました。
しかし、徳島県には鳴門、徳島商業、池田、生光学園、阿南光など有力校があります。
県大会を最後まで勝ち抜くことは簡単ではありません。
森監督は毎年選手が入れ替わる高校野球の中で、チームを作り直しながら再び甲子園を目指しました。
次の夏の甲子園までには7年を要することになります。
2024年夏、鳴門渦潮は再び徳島大会を勝ち上がりました。
決勝の相手は阿南光高校。
試合は接戦となり、延長タイブレークに突入します。
鳴門渦潮が6対5でサヨナラ勝ち。
7年ぶりとなる夏の甲子園出場を決めました。
森監督にとって鳴門渦潮では2017年以来2度目の夏の甲子園となりました。
2024年夏の甲子園初戦では、西東京代表の早稲田実業と対戦しました。
全国的に知名度の高い伝統校との一戦です。
鳴門渦潮は試合序盤に得点を奪うなど食らいつきました。
しかし中盤以降、早稲田実業の打線に逆転を許します。
結果は4対8。
2017年に続いて初戦敗退となり、鳴門渦潮としての甲子園初勝利には届きませんでした。
鳴門渦潮野球部が掲げる活動方針の中心にあるのが、人間として成長することです。
高校野球で活躍することだけが最終目的ではありません。
卒業後、大学へ進む選手、社会人になる選手、野球を続ける選手など進路はさまざまです。
森監督は、社会に出た時に周囲から信頼される人間を育てることを重要視しています。
野球を通じて責任感、礼儀、仲間を思いやる姿勢などを学ばせます。
森監督の指導では、プレーの結果だけではなく、取り組む姿勢が重視されます。
打てたか、アウトになったかという結果だけを見るのではありません。
全力で走ったか。
次のプレーの準備をしたか。
仲間のために動いたか。
簡単に手を抜かないことを日々の練習から求めます。
高校野球では、一つの怠慢プレーが試合の流れを変えてしまうことがあります。
日常から全力で取り組む習慣を身につけることで、重要な試合でも自然に身体が動くチームを目指します。
森監督は城南高校時代から、選手が自分で考えて練習することを重視してきました。
監督に言われたから練習するのではなく、「自分は何が足りないのか」「どうすれば上手くなるのか」を選手自身が考えます。
高校生がいつまでも監督から細かな指示を受けなければ行動できないようでは、試合中のさまざまな状況に対応できません。
選手自身の判断力を育てることが、最終的にはチームの強さにつながります。
2024年夏に甲子園へ出場した鳴門渦潮でしたが、翌2025年夏は甲子園への切符をつかむことができませんでした。
しかしチームはその後も力を蓄えます。
2025年秋には徳島県大会で上位へ進出。
2026年夏へ向けて、新しいチームづくりを続けました。
そして2026年、再び徳島大会の頂点に立つことになります。
2026年夏の鳴門渦潮は、県大会の絶対的な優勝候補としてスタートしたわけではありませんでした。
春の県大会では上位進出を逃し、夏はノーシードからのスタートとなります。
しかも同じブロックには、前年夏の代表校・鳴門などの強豪が入りました。
簡単な組み合わせではありませんでした。
それでも森監督率いるチームは、一戦ずつ勝ち上がっていきます。
2026年夏の徳島大会初戦は徳島市立高校との対戦でした。
鳴門渦潮は六回まで得点できず、0対1とリードされる苦しい展開となります。
しかし七回に打線がつながり、一挙4得点。
4対1で逆転勝利しました。
初戦から簡単な試合ではありませんでしたが、終盤まで我慢して勝ち切りました。
準々決勝では、前年夏の徳島代表・鳴門高校と対戦しました。
鳴門市内の強豪同士による「鳴門対決」です。
試合は1対1のまま九回へ。
鳴門渦潮が九回裏に1点を奪い、2対1でサヨナラ勝ちしました。
甲子園経験豊富な鳴門を接戦で破ったことで、チームは大きく勢いに乗ります。
準決勝の相手は生光学園でした。
この試合も接戦となりました。
鳴門渦潮が5対4で勝利。
1点差を守り切り、決勝進出を決めます。
2026年の鳴門渦潮は、相手を大量得点で圧倒するだけのチームではありません。
僅差の試合でも崩れず、最後まで勝負を諦めない粘り強さが特徴となりました。
2026年7月27日の徳島大会決勝。
鳴門渦潮の相手は阿南光高校でした。
阿南光は同年春のセンバツ甲子園に出場しており、春夏連続出場を狙う強豪です。
鳴門渦潮は一回表に1点を先制されます。
しかし、その裏にすぐ同点。
三回に勝ち越し、四回にも2点を加えます。
さらに五回、六回にも追加点を挙げました。

鳴門渦潮は終盤に阿南光の反撃を受けましたが、リードを守りました。
最終スコアは7対4。
鳴門渦潮が徳島大会優勝を果たしました。
2024年以来2年ぶりとなる夏の甲子園です。
公式記録上は、前身校時代を含めて9回目の夏の甲子園出場となりました。
現在の鳴門渦潮高校となってからは、2017年、2024年、2026年に続く3度目の夏の甲子園です。
2026年のチームで大きな存在となっているのが、エース右腕の西村大輝投手です。
西村投手は投手としてだけでなく、打線でも中心を担います。
森監督は西村投手を投手だからと下位打線に置くのではなく、クリーンアップで起用しました。
徳島大会では「投手」と「打者」の両方でチームを引っ張りました。
2026年の高校野球ではDH制が導入されました。
投手を打席に立たせず、代わりに指名打者を使うことができるようになっています。
しかし鳴門渦潮は徳島大会でDHを使わず戦いました。
エース西村投手に投手として投げてもらうだけでなく、打者としても力を発揮してもらうためです。
代表校の中でも非常に珍しい戦い方となりました。
新しい制度ができたから必ず利用するのではなく、自分たちの戦力を考えて最適な方法を選ぶ。
森監督の柔軟なチームづくりが表れた例といえるでしょう。
2026年夏の徳島大会では、西村投手が全5試合で先発しました。
初戦からチームの中心として投げ続け、接戦を勝ち抜きます。
決勝でも先発。
一度マウンドを譲った後、終盤に再登板してリードを守りました。
森監督はエースの力を最大限に生かしながら、球数や試合展開を見て起用しました。
第108回全国高校野球選手権大会で、鳴門渦潮は西東京代表の八王子実践高校と初戦で対戦します。
試合は2026年8月9日の第3試合、午後4時開始予定です。
八王子実践は西東京大会を勝ち抜いた勢いのあるチームで、140キロ台の直球を投げる複数の投手を擁しています。
鳴門渦潮にとって重要になるのは、相手投手陣からいかに得点を奪うかです。
一方、鳴門渦潮はエース西村投手を中心とする守りと、徳島大会で何度も見せた終盤の勝負強さを武器に戦います。
森監督が率いる鳴門渦潮は、2017年夏に日本文理、2024年夏に早稲田実業と対戦しましたが、いずれも初戦で敗れました。
そのため、現在の「鳴門渦潮」という校名になってから、まだ甲子園で勝利を挙げていません。
2026年夏は、学校にとっても森監督にとっても大きな挑戦です。
森監督自身は2011年に城南高校を率いて報徳学園を破り、甲子園で勝利した経験があります。
その経験を鳴門渦潮でも生かし、学校初の甲子園1勝をつかめるか注目されます。
鳴門渦潮野球部では、野球の上達だけを目的にしていません。
社会へ出た時に周囲から信頼される人間になることを大切にしています。
高校野球は長くても3年間。
しかし、その後の人生は何十年も続きます。
挨拶、時間を守る、仲間を大切にする、責任を持って行動する。
こうした基本を野球を通じて身につけさせます。
試合ではどうしても対戦相手ばかりが気になります。
しかし、自分の力を出し切れなければ、どんな相手にも勝てません。
緊張する。
失敗を恐れる。
苦しくなると集中が切れる。
こうした自分自身の弱さを乗り越えることを森監督は重視しています。
打球を打ったら全力で走る。
守備では一つ先のプレーを考える。
ベンチでも仲間を支える。
どんな場面でも手を抜かない姿勢を求めます。
こうした積み重ねが、2026年徳島大会で見せた終盤の粘り強さにもつながっています。
森監督は長年、公立高校を率いてきました。
私立の強豪校のように全国各地から多くの有力選手を集められるとは限りません。
練習時間や施設などにも条件があります。
だからこそ、現在いる選手をどう伸ばすかが重要になります。
自主性、実戦経験、チームワークなどを利用しながら、チーム全体の力を高めていきます。
高校野球では、毎年選手が卒業します。
前年のエースも4番打者も翌年にはいないということが普通です。
そのため毎年同じ戦い方ができるわけではありません。
2026年には投打に能力の高い西村投手を生かすため、DHを使わない戦い方を選びました。
その年にいる選手の能力を見極め、最大限に生かすことが森監督の采配の特徴です。
森監督の経歴で特徴的なのは、徳島県の高校野球を長期間にわたって支えてきたことです。
1993年に川島高校の監督となってから、2026年まで30年以上。
川島、鳴門第一、城南、鳴門渦潮と、県内公立高校で指導を続けています。
特定の強豪校一校だけで実績を挙げたのではありません。
異なる環境、異なる選手たちを率いながら、複数の学校で結果を残してきました。
森監督はこれまで、
鳴門第一高校
城南高校
鳴門渦潮高校
の3校を監督として甲子園へ導いています。
2004年夏は鳴門第一。
2011年春は城南。
2017年、2024年、2026年夏は鳴門渦潮です。
一つの高校で有力選手に恵まれた結果ではなく、異なる学校で甲子園出場を実現している点は、指導者としての大きな実績といえるでしょう。
| 時期 | 経歴・実績 |
|---|---|
| 高校時代 | 城南高校で中堅手としてプレー。4番を打ち、主将も務める |
| 高校卒業後 | 京都教育大学へ進学し野球を続ける |
| 大学卒業後 | 高校教員となる |
| 1993年 | 川島高校野球部監督に就任 |
| その後 | 鳴門第一高校監督を務める |
| 2004年夏 | 鳴門第一高校を夏の甲子園へ導く |
| その後 | 母校・城南高校の監督を務める |
| 2010年秋 | 城南高校を秋季徳島県大会初優勝へ導く |
| 2011年春 | 城南高校が21世紀枠で創部113年目の甲子園初出場 |
| 2011年春 | センバツ初戦で報徳学園を8対5で破り、城南に甲子園初勝利をもたらす |
| 2015年 | 鳴門渦潮高校へ異動し、硬式野球部監督に就任 |
| 2017年夏 | 鳴門渦潮を夏の甲子園へ導く |
| 2024年夏 | 鳴門渦潮を7年ぶりの夏の甲子園へ導く |
| 2026年夏 | 徳島大会決勝で阿南光を7対4で破り、2年ぶり9回目の夏の甲子園出場 |
「森恭仁」は「もり・やすひと」と読みます。
1967年4月18日生まれで、2026年8月現在59歳です。
徳島県です。
長年にわたって徳島県内の高校で野球部を指導しています。
徳島県立城南高校です。
高校時代は野球部で中堅手としてプレーし、4番打者、主将も務めました。
京都教育大学です。
大学でも野球を続け、卒業後は高校教員となりました。
高校球児としては甲子園に出場していません。
城南高校時代には県大会で強豪校の壁に阻まれました。
その後、指導者として複数の高校を甲子園へ導いています。
鳴門第一高校、城南高校、鳴門渦潮高校の3校です。
2026年夏までに、監督として5大会の甲子園出場を経験しています。
森恭仁監督です。
2011年春、城南高校は21世紀枠でセンバツに選出され、創部113年目で初めて甲子園へ出場しました。
初戦では報徳学園に8対5で勝利しています。
2015年から鳴門渦潮高校硬式野球部の監督を務めています。
2026年夏までに3回です。
2017年夏、2024年夏、2026年夏に甲子園へ導いています。
はい。
2026年7月27日の徳島大会決勝で阿南光高校を7対4で破り、2年ぶり9回目の夏の甲子園出場を決めました。
西東京代表の八王子実践高校です。
2026年8月9日の第3試合で対戦する予定です。
2026年8月8日時点では、現在の鳴門渦潮高校となってから甲子園勝利はありません。
2017年は日本文理、2024年は早稲田実業に初戦で敗れました。
2026年夏は学校としての甲子園初勝利を目指します。
野球技術だけでなく、人間としての成長や自主性を重視しています。
最後まで全力でプレーすること、自分で考えて行動すること、仲間のために動くことなどを大切にしています。
また、その年の選手の能力に合わせて戦い方を変える柔軟なチームづくりも特徴です。
森恭仁監督は1967年生まれの徳島県出身で、城南高校、京都教育大学で野球を続けた高校野球指導者です。
城南高校時代は中堅手としてプレーし、4番打者、主将も務めました。
高校時代に甲子園出場はありませんでしたが、大学卒業後に高校教員となり、1993年に川島高校の監督へ就任。
その後、鳴門第一高校、母校・城南高校、鳴門渦潮高校と、徳島県内の公立高校で30年以上にわたって選手を育ててきました。
2004年夏には鳴門第一を甲子園へ。
2011年春には母校・城南を創部113年目で初の甲子園へ導きました。
城南は初戦で全国的な強豪・報徳学園を8対5で破り、学校史上初となる甲子園勝利を記録しています。
2015年からは鳴門渦潮高校の監督を務め、2017年夏に同校を現在の校名となってから初の甲子園へ導きました。
2024年にも7年ぶりの夏の甲子園出場を実現。
そして2026年夏。
ノーシードから徳島大会を勝ち上がり、前年代表の鳴門、生光学園などとの接戦を制しました。
決勝では同年春のセンバツ出場校・阿南光を7対4で破り、2年ぶり9回目となる夏の甲子園出場を決めました。
2026年のチームでは、投打に能力の高いエース西村大輝投手を打線の中心にも置き、DH制をあえて使わない戦い方を選択。
制度や常識に合わせるのではなく、目の前にいる選手の力を最大限に生かす森監督らしい采配が見られます。
森監督が長年大切にしてきたのは、勝利だけではありません。
自主性、人間力、仲間への思いやり、そして最後まで全力を尽くすこと。
高校野球を通して、社会へ出た後にも信頼される人間を育てることを目指しています。
川島、鳴門第一、城南、鳴門渦潮と、徳島県内の公立高校を率い続けて30年以上。
異なる3校を甲子園へ導いた実績を持つ森恭仁監督は、徳島高校野球界を代表するベテラン指導者の一人といえるでしょう。
2026年8月9日、鳴門渦潮は西東京代表・八王子実践との甲子園初戦を迎えます。
2017年、2024年と届かなかった「鳴門渦潮としての甲子園初勝利」。
森恭仁監督と選手たちが、2026年夏の甲子園で新たな歴史をつくれるのか注目されます。