2025年12月21日という日付を検索すると、「大災害が起きる」「日本に転機が訪れる」「封印された予言が解かれる」など、少し不穏な話が大量にヒットする。結論から言えば、現時点でこの日付に関する“確度の高い予言”や、公的機関が認めた危険情報は存在しない。
それでもこの日が話題になる背景には、いくつかの都市伝説やオカルト系コンテンツが連結し、SNSで拡散されやすい構造がある。本記事では、2025年12月21日予言として語られる主要な説を整理し、どこまでが事実で、どこからが“物語化された解釈”なのかを丁寧に見ていく。
ネットで一番広がっているのは、霊能者として人気だった宜保愛子(ぎぼ あいこ)さんが、晩年に残した47冊のノートの最後に
と書いた、という話である。そこから
といった“続きの物語”が多数作られ、YouTubeやnote、ブログなどで語られている。
重要なのは、「47冊のノート」や「2025年12月21日まで封印」という一次的な資料が公開されたわけではないという点だ。現在流通している情報は、ほぼオカルト系チャンネルや二次・三次創作めいた解釈が中心で、本人や遺族の公式発表で裏づけされた形にはなっていない。
つまり、
という土台の部分から、客観的に確定しているとは言いにくい。
この説は「冬至」をキーワードに絡められることが多い。たしかに冬至は太陽の力が最も弱まる日で、古代から多くの文化で“節目”とみなされてきた。
ただし、2025年の冬至は12月22日頃であり、12月21日は冬至の“前日”になる可能性が高い。この“1日のズレ”をどう解釈するかは語り手次第で、
など、後付けで広げられている印象もある。
2025年12月21日を、マヤ暦や他の古代文明の暦と結びつける説も存在する。
2012年12月21日の“マヤ暦終末説”は世界的に有名だが、実際には何も起きなかった。そのため一部の都市伝説界隈では
という“再解釈”が語られている。
しかし、学術的にはマヤ暦の長期暦が示すのは**「周期の区切り」**であり、世界の終わりを意味するわけではないとされている。2012年説自体が“終末”と結びつけられた時点で、すでに極端な読み替えだった。
もうひとつの有名な筋書きが
というタイプの話である。
天体イベントが人々の想像力を刺激するのは自然なことだが、「直列の有無」と「地上の災害」は因果でつながっていない。過去にも惑星直列や彗星接近が“終末”と結びつけられたことはあるが、科学的に災害を引き起こすメカニズムは確認されていない。
2025年は別の予言でも話題が多い年で、それらが混ざって「12月21日が危ない」という印象が強化されている面がある。
漫画『私が見た未来』の作者・たつき諒さんによる
という噂は、旅行キャンセル報道が出るほど拡散した。これが
といった二次解釈を生み、12月の都市伝説へ接続されることがある。
海外でも「2025年に終末が来る」「携挙(ラプチャー)が起きる」などの宗教的終末論がSNSで散発的に流行した。日本語圏の動画がそれを拾って
と結びつけることもある。
ここで少し、社会心理の視点を入れておく。
「いつか大変なことが起きる」より、
のように“締め切りがある話”のほうが人の注意を引きやすい。
過去にも
など、多くの終末予言があったが、外れたあとも
と再編集され、次の予言へ連鎖していく。
戦争、物価高、災害、感染症などで社会全体の不安が高い時、
ことで、心の整理をしようとする動きが出やすい。
予言が本当かどうかより、現実的に大切なのは“備え”である。
12月後半は、予言と無関係に
など、現実的リスクが増えやすい季節になる。
災害は“予言通り”には来ない。どの年も、どの季節も、
というのが地震・火山・気象災害の基本だ。
変に恐れるより、普段からの準備がいちばん信頼できる。
このあたりを淡々と整えるだけで、“いつ来てもおかしくない現実の災害”への耐性は上がる。
2025年12月21日が注目される理由は、主に
という三本柱である。
ただし、これらはどれも現時点で一次資料や科学的根拠に裏づけられたものではなく、SNS時代の拡散構造の中で“それっぽい物語”として強化されてきた側面が大きい。
怖がりすぎず、しかし油断もしない。
予言をきっかけに防災や生活の見直しをするのは有益だが、日付に縛られて心をすり減らす必要はない。2025年12月21日は、**何かが起きると決まっている日ではなく、私たちがどう生きるかを考える“ただの未来の日付”**である。
不安が強いときほど、足元の現実に立ち戻り、できる備えを静かに積み上げていきたい。