2025年12月8日、NHKは経営委員会の決定により、井上樹彦(いのうえ・たつひこ)副会長が、2026年1月25日付で会長に就任すると発表しました(任期3年)。
井上樹彦氏は1980年入局。政治取材の最前線で鍛えられた後、編成の中枢(編成局長)を経験し、理事・関連会社社長・副会長として“経営側”の立場も積み上げてきました。
つまり、井上樹彦氏の経歴は「現場」と「制度」と「インフラ」をまたいでおり、次期会長として問われるテーマ(ネット対応、受信料、AI、国際展開、人材育成、ガバナンス)に直結する構造になっています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 井上 樹彦(いのうえ たつひこ) |
| 生年月日 | 1957年(昭和32年)7月4日 |
| 年齢 | 68歳(2025年12月時点) |
| 出身 | 福岡県 |
| 最終学歴 | 早稲田大学 第一文学部(1980年3月卒) |
| 入局 | 1980年4月 NHK入局 |
| 現職 | NHK 副会長(2023年2月〜) |
| 会長就任 | 2026年1月25日〜(任期3年) |
NHK会長は2008年以降、商社や金融など外部からの登用が連続していました。井上氏の就任は、長く続いた外部登用の流れの後、NHK職員として育った人物がトップに就くという点で大きな節目になります。
※報道で「18年ぶり」「21年ぶり」と表現が揺れることがありますが、これは数え方の違いです。
報道では、経営委員会が「現状をきちんと見ている人の中から新しい体制を構築したい」と説明し、井上氏にチームを編成し、新会長が中核となることを要請したとされています。
言い換えると、井上氏は“個人技のトップ”としてではなく、経営陣を束ねて組織として勝つことが期待されている、という構図です。
ここは意外と誤解されがちなので、先に整理します。
今回の人事でポイントなのは、経営委員会が「内部昇格」を選んだだけでなく、会長個人ではなく**“チーム編成”を条件の一つとして示した**点です。
これにより、次期体制は「会長一人の色」よりも、経営陣全体の再構築として見られやすくなります。
公表されている経歴を、できるだけ読みやすく「段階ごと」に解説します。ポイントは、担当領域が
地方局 → 報道(政治) → 編成 → 経営(理事) → 技術系子会社トップ → 放送インフラ子会社トップ → 副会長
と、段階的に広がっていることです。
※年齢は誕生日(7月4日)基準の概算です。細かな月差は前後します。
このように、編集・編成・経営の各ステージを“階段状”に上っていることが、井上氏のキャリアの見えやすい特徴です。
地方局は地域のニュース・災害・生活情報など、公共放送の“根っこ”に近い現場です。入局直後に地方局で経験を積むことは、全国ニュース中心のキャリアでも、後に「現場感覚」を保つ土台になります。
とくに災害や事件事故の初動では、現場の判断と連携が重要で、ここで鍛えられた「段取り力」は後年の管理職にも直結します。
政治記者は、官邸・各省庁・与野党・国会など、情報の一次ソースに近い場所で取材を行います。公共放送にとって政治報道は、「距離感」と「正確性」の両立が難しい分野です。
“どこまで踏み込むか”“どう表現するか”で批判も受けやすく、記者自身の姿勢だけでなく、編集・組織の判断軸も問われます。
一部報道では、井上氏は政治部で外務省キャップや官邸キャップなどを務めたとも伝えられています。こうした経験は、単に“政治に詳しい”というより、行政・政治の意思決定の流れと、危機時の情報連携のリアルを知ることにつながります。
編成は、番組の並べ方を決めるだけの仕事ではありません。例えば――
など、放送局の意思決定が集まる場所です。ここでの経験は、会長に必要な「全社視点」の前段になります。
報道は「取材」だけで完結しません。素材をどう編集し、どの順番でどう伝えるかで、情報の受け取られ方は変わります。
編集主幹は、報道現場の“出口”にも関わるポジションで、公共放送としての判断軸(公平性、正確性、表現の妥当性)が問われます。
編成局長は、番組の全体像を設計し、制作現場や報道現場、技術、営業、予算など、複数部署の利害をまとめて「放送の形」をつくります。
つまり“現場の意見を聞きながらも、最後は決める”立場です。会長職に求められる「決断の責任」を、早い段階で経験している点は見逃せません。
理事はNHKの経営執行の中枢です。制作・報道・編成だけではなく、収支、制度、ガバナンス、コンプライアンス、人事など、組織運営の核に踏み込みます。
一部報道では、理事就任後はNHKの経営計画策定に関わったとも伝えられています。NHKの経営計画は、公共放送の使命を示すと同時に、受信料で運営される組織として「何をやり、何をやらないか」を社会に説明する枠組みでもあります。
ここでの経験は「公共性の理念」と「経営の現実」の両立を迫られる領域で、会長に直結します。
井上氏の経歴で特徴的なのは、理事の後に「関連会社の社長」として、放送の裏側(技術・インフラ)の経営を経験している点です。ここが、単なる“報道畑の人”で終わらないところです。
NHKアイテックは、番組制作からコンテンツの送出・監視、送信や受信環境整備、情報システム開発など、放送技術に関わる幅広い領域を担う会社として知られています。
放送は「良い番組」だけでは成り立たず、確実に届ける技術と運用があって初めて成立します。
また、2019年にはNHKアイテックとNHKメディアテクノロジーが統合し、NHKテクノロジーズへ再編されています。井上氏の社長時代は、技術領域が“統合・再設計”へ向かう時期とも重なります。
組織統合は、単に看板を変えるだけではなく、仕事の流れ・評価制度・現場の文化をすり合わせる必要があり、ここでも“チーム作り”の経験が積まれたと考えられます。
B-SAT(放送衛星システム)は、BS放送を全国へ届けるための衛星を運用・管理する「インフラ企業」です。
新4K8K衛星放送が視野に入る時期は、衛星調達・冗長性(予備衛星の考え方)・災害時の継続性など、インフラとしての“止められない責任”がさらに重くなります。
放送インフラは、平時は目立ちません。しかし災害など非常時ほど、“止まらないこと”そのものが価値になります。井上氏は、こうした領域の経営を経験しています。
副会長は会長を補佐しつつ、NHK全体の重要テーマを束ねる立場です。報道では、井上氏は副会長として、インターネット対応(ネット必須業務化)やAI活用などを統括してきたとされています。
ここで重要なのは、単に「新技術を入れる」ことではありません。公共放送にとっては、技術導入の先にある
といった論点まで、まとめて設計する必要があります。
放送法改正により、2025年10月1日から、NHKのインターネット配信が“必須業務”として位置付けられる流れが進んでいます。
これに伴い「ネットのみ利用」の場合の受信料や、解約ルール、契約単位(世帯)など、従来よりも説明が難しいテーマが増えました。
この領域は、NHKにとって
AIは字幕・翻訳・要約・検索・制作支援などで効率化の余地があります。一方で、公共放送は「便利さ」より「信頼」が先に来ます。
実際、AI翻訳をめぐっては、地名の誤訳などが社会的に問題化し得ることも示されました。だからこそ、AIを使うなら「使い方のルール」「検証と監視」「説明」が不可欠になります。
ここまでのキャリアを、強みの視点で整理します。
政治取材は、情報の正確性とスピード、そして距離感が常に問われます。公共放送の根幹である「信頼」を守る感覚を、現場で体得してきたタイプといえます。
編成局長経験は、部門最適ではなく全体最適で判断する訓練です。会長に必要な「組織の交通整理」をやってきた経験が積み上がっています。
放送は“仕組み”です。人と予算、機器と運用、リスクと責任をバランスさせ、安定稼働を守る力が求められます。関連会社社長経験は、その現実を知る強みになります。
井上氏は就任にあたり、経営陣を“一つのチーム”と捉え、NHKグループ全体で難題に立ち向かう旨のコメントを出しています。
ここからは、トップダウン一辺倒というより、役割分担と総力戦で結果を出すタイプの方針が読み取れます。
井上氏が会長として向き合う課題は、放送業界全体の構造変化と、NHK固有の制度が重なります。検索されやすい論点でもあるので、少し厚めに整理しておきます。
📌 キーワード:ネット対応/配信/公共サービスの再定義
ネットが主戦場になった時代に、NHKが担う公共的役割をどう説明し、どう届けるか。放送だけでなく、ネットでも災害・生活情報・教育・文化コンテンツを安定して提供する設計が問われます。
さらに、ネット配信は個人最適化(おすすめ表示)と相性が良い一方、公共性の観点では「偏り」や「情報の泡(フィルターバブル)」にどう向き合うかも課題になり得ます。
📌 キーワード:AI字幕/翻訳/要約/制作支援/ガバナンス
AIは便利ですが、公共放送は「便利さ」より「信頼」が先に来ます。誤りや偏り、ブラックボックス化をどう防ぐか。
AIが出した結果を誰がどう検証し、誤りが起きた場合にどう是正するか――ここまで含めた運用設計が焦点になります。
📌 キーワード:受信料/納得感/説明責任/事業のスリム化
受信料を支えるのは制度だけではなく、社会の納得です。事業の優先順位を明確にし、説明責任を果たすことが欠かせません。
また、ネットを中心に視聴する層が増えるほど、「受信機(テレビ)」という前提が揺らぎます。制度の説明が難しくなるほど、トップの言葉と姿勢が問われます。
過去、内部出身会長の時代に職員不祥事が相次ぎ、会長辞任につながった経緯がありました。内部昇格であるほど、「身内の論理」に見えない透明性が求められます。
具体的には、再発防止の仕組み、処分の基準、内部通報の実効性、教育、現場のマネジメントなど、“制度としての予防”が重要です。
📌 キーワード:国際放送/多言語/海外配信/日本の見え方
国際発信は、単なる広報ではありません。災害時の情報発信、文化発信、国際社会における日本の見え方など、多面的な公共性があります。
一方で、翻訳や表現のわずかな違いが外交問題級の火種になり得るため、編集基準やチェック体制の整備も重いテーマになります。
📌 キーワード:人材育成/若手/デジタル人材/制作力
番組の質は、人がつくります。デジタル・データ・AIの時代ほど、専門人材が必要になります。
ただし、専門人材を採るだけでは足りず、既存の人材が学び直せる環境(研修、配置、評価)を整えることが、組織の底力になります。
政治記者出身で政治部長を務め、編成局長としてNHK全体の番組設計にも関与し、その後は理事・子会社社長・副会長として経営側で経験を重ねた人物です。
“現場感覚”と“全社視点”の両方を経験している点が特徴です。
早稲田大学 第一文学部卒業(1980年3月)です。
2026年1月25日付で就任し、任期は3年です。現会長の稲葉延雄氏は2026年1月24日で任期満了により退任となります。
経営委員会側は「NHKの現状を見ている人の中から新体制を構築したい」と説明し、井上氏に「チーム編成」を要請したと報じられています。内部事情に詳しく、報道・編成・経営を横断してきたバランスが評価された形です。
強みは、政権・国会・官僚組織の動きや危機時の情報連携を肌で知っている点です。
一方、懸念として指摘されやすいのは「権力との距離感」です。公共放送は距離が近すぎても遠すぎても批判を受けます。トップには、編集の独立性と説明責任を“制度として”担保する姿勢が必要になります。
井上樹彦氏の経歴は、
政治取材で公共性を学び、編成で全体を設計し、経営と技術・インフラで組織を動かす現実を体得した“生え抜きの統括型”
と整理できます。
外部登用が続いたあとに内部昇格へ戻るという意味でも、NHKが「変化の時代」にどう自らを再設計するのか、その象徴として注目される人事だといえるでしょう。