猪原真弓・経歴・学歴
【広島県知事選2025】猪原真弓(いのはら・まゆみ)氏のこれまでの歩み
2025年10月23日告示・11月9日投開票の日程で行われている広島県知事選挙には、無所属新人で日本共産党が推薦する猪原真弓(いのはら・まゆみ)氏(64)が立候補しています。
猪原真弓氏の経歴、学歴はどのようなものなのでしょうか?
本記事では、公表されている情報をもとに、猪原氏の生い立ちから高校時代、地元企業での長年の勤務、新日本婦人の会での活動、国政選挙への挑戦、そして今回の知事選出馬に至るまでを、できるだけ時系列でわかりやすく整理してご紹介します。
今回の3候補の中で、猪原氏はもっとも「生活者寄り」「地域で働いてきた人」という色合いが強く、いわゆる「中央省庁出身」「元副知事」といったタイプとは異なる経歴を持っています。その点を意識して読んでいただくと、なぜ彼女が「県民の命と暮らしを守る」「どの地域も取り残さない」というメッセージを掲げているのかが見えやすくなります。
1. 幼少期〜高校時代:尾道で育つ
猪原真弓氏は広島県尾道市の出身です。2025年時点で64歳と報じられていることから、誕生はおおむね1960年〜1961年頃とみられます。尾道といえば瀬戸内海沿岸の町で、古くから港町・商業の町として発展してきました。観光や造船、周辺の農漁業など、決して大都会ではないけれど生活に根ざした産業が多い地域です。この「地方都市で生まれ育ったこと」は、のちに彼女が中山間地域や周辺市町の課題を語るときのベースになっています。
地元の小中学校を経て、猪原氏は広島県立尾道商業高等学校(尾道商業高校)を卒業しました。尾道商業は、事務・会計・流通・販売などの実務教育に力を入れている高校で、卒業後にそのまま地元企業に就職する人が多いのが特徴です。猪原氏もこの典型的な“地元就職型”の進路を選びました。大学・短大・専門学校への進学は公表されておらず、確認できる最終学歴は「尾道商業高校卒」です。
この段階でわかるポイントは次の2つです。
- 都市部の大学で専門的な行政学・経済学を学んだタイプではなく、高校卒業後すぐに働き始めたということ
- しかも地元で働くことを最初から想定していた可能性が高いこと
つまり、猪原氏は「学歴を前面に出す政治家」ではなく、「地元で暮らしてきた年齢相応の女性が、暮らしの問題をきっかけに政治へと足を踏み入れた」というタイプの人だと位置づけることができます。
2. 高校卒業後:尾道の医薬品卸会社に就職し、定年まで勤務
尾道商業高校を卒業した猪原氏は、尾道市内の医薬品卸会社に就職しました。報道では「尾道の医薬品卸会社に入り、定年まで勤めた」「林薬品株式会社を経て、株式会社エバルスに勤務した」といった形で紹介されています。いずれの会社も、病院・診療所・薬局・介護施設などへ医薬品や医療関連商品を届ける仕事を担う企業です。
医薬品卸という業界は、派手さはありませんが、県内の医療・介護の現場を安定的に回すために欠かせない存在です。製薬会社がつくる薬を、必要なときに必要な場所へ、遅れず、欠品させずに届ける――という、非常に地道で正確さの求められる仕事です。ここで長年働いたということは、猪原氏が「医療・福祉の現場を外側からずっと見てきた人」であることを意味します。
また、「定年まで勤務した」という点も重要です。特に地方の中小規模の卸会社で長く働くと、次のような現実を肌で感じることになります。
- 人手不足の中で働く女性社員の負担(育児・介護と仕事の両立)
- 取引先である病院・介護施設の厳しい経営(診療報酬・介護報酬の引き下げなど)
- 地方では移動や配送にコストがかかるため、都市部と同じ制度でも不便が出ること
こうした現場感覚は、のちに彼女が「県民の命と暮らしを守る」「どの地域も取り残さない」と訴えるときに、そのまま言葉ににじみ出ています。つまり、スローガン先行ではなく、仕事で見てきた現実に裏打ちされたフレーズだということです。
3. 2007年頃〜:新日本婦人の会・広島県本部委員として活動
民間企業で働きながら、猪原氏は2007年頃から「新日本婦人の会(新婦人)」広島県本部の委員として活動するようになります。新日本婦人の会は、子どもの平和な未来、女性の地位向上、暮らしやすい地域づくり、憲法・平和の擁護といったテーマに取り組む全国組織で、広島でも被爆地としての経験を生かした活動を続けています。
ここでの活動は、医薬品の卸会社での仕事とは少し違い、より「声を上げる側」「政策を求める側」の立場になります。具体的には、次のようなテーマに関わることが多かったと考えられます。
- 子育て・学童保育・医療費助成の拡充を自治体に求める活動
- 非正規・パート女性の賃金や働き方の改善を求める活動
- 核兵器廃絶や平和行政の推進を求める取り組み
- 物価高騰や消費税負担への生活者としての意見表明
この時点で、猪原氏のキャリアは「会社員として地域を回る人」+「市民運動で生活の声を集める人」という二重構造になります。ここがとても重要で、のちに彼女が選挙に出たとき、「ああ、あの運動で見たことがある人だ」と地域の女性たちに受け止められるベースができていきます。
4. 定年退職後〜2020年代:生活・福祉・平和をめぐる市民活動を継続
医薬品卸会社を定年で退職したあとも、猪原氏は市民・女性・平和関連の活動を継続していきます。退職後に政治に関心を持つ人は多いですが、猪原氏の場合は「もともと続けていた運動を、より前面に出すようになった」という流れです。
この時期の特徴としては、次のような点が挙げられます。
- 災害への関心:広島は土砂災害・豪雨災害が多く、「命を守る」「要配慮者支援」「地域間格差をなくす」というキーワードが生まれやすい土壌があります。
- 中山間地域・周辺部の課題:通院・買い物・子育て・公共交通など、都市部とは違う不便さがあり、「どの地域も取り残さない」という表現につながっていきます。
- 女性の政治参加:新婦人や他の女性団体を通して、女性が政策や予算に声を届けることの必要性を実感していたとみられます。
つまりこの段階で、猪原氏は「生活を良くするには結局、県や市に政策を変えてもらうしかない」というところまで意識が進んでいたと考えられます。ここが、のちの選挙挑戦への橋渡しになりました。
5. 2024年:衆議院選・広島5区に日本共産党公認で立候補(落選)
2025年の知事選の報道では、「前年の衆院選で広島5区から日本共産党公認で立候補したが落選した」と紹介されています。これは、猪原氏が初めて表舞台の選挙に出たタイミングです。
衆院選に立候補すると、政党の組織・後援会・支持団体との動きが一気に可視化されます。ポスター・公開討論・ビラ・SNS・街頭宣伝など、選挙に必要な一式を実地で経験したはずで、これが翌年の知事選でも生きています。
また、衆院選での挑戦によって、共産党側も「この人はきちんと運動をやり切る人だ」「無所属で出てもらっても筋が通る人だ」と判断できるようになったと考えられます。今回の知事選で取られた「無所属だが共産党が推薦する」というスタイルは、この前回選挙での信頼・実績があって初めて成り立つ形です。
6. 2025年10月:広島県知事選に無所属新人として立候補
そして2025年10月、猪原真弓氏は無所属・新人として広島県知事選に立候補しました。今回の選挙は、与党4党(自民・立憲・国民・公明)が前副知事の横田美香氏をまとめて推薦したことで、どうしても「組織vsその他」という構図になりやすい選挙でした。そんな中で猪原氏は、あえて政党公認ではなく、無所属で出るという形を選んでいます。
このとき彼女が掲げているメインメッセージは次のようなものです。
- 県民の命と暮らしを守る県政に転換する
- どの地域も取り残さないようにする(都市部と中山間地域の格差を縮める)
- 県職員の不祥事を根絶し、県政への信頼を回復する
どれも、これまでの経歴――医療・福祉の周辺で働き、女性の生活運動に関わり、災害の多い広島で暮らしてきた――という歩みから素直に出てくるテーマです。逆に言えば、「知事になりたいから急に福祉を言い始めた」ような不自然さがないというのが、彼女の経歴の強みです。
7. 学歴についての整理
猪原真弓氏の学歴は、現時点で公表されている範囲では非常にシンプルです。
- 広島県立尾道商業高等学校 卒業
これ以上の学歴(大学・短大・専門学校など)は報道されていません。したがって「最終学歴は高卒」という整理になります。
地方の首長選では、中央官庁・大企業・大学院卒などの“強い肩書き”が注目を浴びがちですが、猪原氏の場合は「地元の商業高校を出て、そのまま地元で働き続けてきた人」であることが、むしろ訴求ポイントです。高齢の有権者や、子育てと仕事を両立してきた女性、そして中小企業でずっと働いてきた人たちにとっては、このキャリアのほうが自分ごととして受け止めやすいからです。
8. 時系列まとめ
ここまでの内容を、読みやすく年表風に並べると次のようになります。
- 1960〜1961年頃 広島県尾道市に生まれる。
- 1970年代 尾道市内で育ち、地元の小中学校に通う。
- 1979〜1980年頃 広島県立尾道商業高等学校を卒業(最終学歴)。
- 1980年代前半 尾道市の医薬品卸会社に就職。以後、医薬品流通の分野で働く。
- 1990〜2000年代 同じ医薬品流通の仕事を継続。医療・介護の現場の厳しさを身近に知る。
- 2007年頃 新日本婦人の会・広島県本部委員となり、女性・子ども・平和・暮らしをめぐる運動に参加。
- 2010〜2020年代前半 定年退職後も市民運動を継続。災害、子育て格差、県政の不祥事など、生活に近いテーマを取り上げる。
- 2024年 衆議院選挙・広島5区に日本共産党公認で立候補するが落選。選挙の実戦を経験する。
- 2025年10月 広島県知事選に無所属新人として立候補。日本共産党が推薦し、市民団体が擁立する形となる。
9. この経歴から読み取れること
最後に、猪原氏の経歴・学歴を通してわかることを3点に整理しておきます。
(1)生活者の側から出てきた候補である
企業経営者でも元官僚でもなく、地元で働きながら市民運動をしてきた人です。だからこそ、福祉・教育・災害・中山間地域など、普通の県民が日々感じている悩みをそのまま政策にしようとしています。
(2)医療・福祉の“裏側”を知っている
医薬品卸という仕事柄、病院・薬局・介護の現場がどれだけ人手不足で、どれだけ予算や制度に左右されるかを長く見てきました。この視点は、災害が多く高齢化も進む広島県では非常に重要です。
(3)女性の政治参加・平和の視点が一貫している
新日本婦人の会での活動歴が長いため、女性・子ども・平和・ジェンダー・人権といったテーマを県政にも持ち込みたいという志向がはっきりしています。これは、被爆地・広島の首長を選ぶ選挙としても意味のある視点です。
10. おわりに
以上が、現時点で公表されている情報から整理できる猪原真弓氏の時系列の経歴・学歴です。ポイントは、「高卒で地元企業に入り、定年まで働き、そのかたわらで女性・暮らし・平和の運動を続け、衆院選を経て知事選に挑むようになった」という、きわめて筋の通った一本の線になっていることです。
選挙で名前を初めて見た人にとっては「どんな人なのか」が分かりにくいかもしれませんが、経歴を年代順にしてみると、生活の現場→市民運動→政治の場という流れがとても自然であることがわかります。









