2025年6月3日、日本プロ野球界の象徴的存在であり、「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれてきた長嶋茂雄さんが、肺炎のため89歳で逝去されました。長嶋茂雄さんの訃報に対する海外の反応はどうだったのでしょうか?
彼の訃報は、日本国内のみならず、海外のメディアやファンにも大きな衝撃を与えました。特にアメリカの主要メディアは追悼記事を次々と掲載し、彼の功績と影響力を称えています。加えて、世界中のスポーツ関係者や文化人、ファンからも多くのコメントが寄せられ、その国際的な存在感が改めて浮き彫りとなりました。本記事では、それらの報道や追悼の声などの長嶋茂雄さんの死去への海外の反応を多角的に紹介し、長嶋茂雄という人物の国際的な評価と文化的意義を振り返ります。
**AP通信(Associated Press)**は、「Shigeo Nagashima, Mr. Pro Baseball in Japan, dies at 89」という見出しで彼の訃報を伝えました。記事では「長嶋は日本の野球の顔であり、王貞治と並ぶ最大のスーパースターだった」と評し、1958年のデビューから1974年の引退までの輝かしいキャリア、及びその後の監督としての手腕を高く評価しました。特にV9時代(1965年~1973年)を率いた中心人物であった点に触れ、「勝利と魅力を兼ね備えた希少な存在」と称しました。
ワシントン・ポストは、「彼は戦後の日本人にとって、成功と誇りの象徴だった」と論じ、1960〜70年代の高度経済成長と重ねて長嶋の存在意義を紹介。さらに引退試合での「わたくし、幸せでございます」という名言を、アメリカにおけるルー・ゲーリッグの伝説的スピーチになぞらえて報道しました。
ニューヨーク・タイムズは「Nagashima helped elevate baseball in Japan to a national obsession(長嶋は日本野球を国民的熱狂へと押し上げた)」と題し、野球だけでなくメディア、広告、芸能界など多方面への影響力に注目しました。とりわけ、テレビCMやバラエティ番組への出演頻度の高さは、日本のプロスポーツ選手の新たなあり方を切り開いたと評価されています。
ESPNは、通算成績(打率.305、2471安打、444本塁打、1522打点)に加え、「彼は“日本のジョー・ディマジオ”と称され、気品と技術を兼ね備えたスーパースターだった」とし、選手としての精密さと監督としての情熱の両面を強調しました。また、1976年と2000年の日本シリーズ制覇も取り上げ、勝利請負人としての顔も紹介しました。
CBS Sportsは、“ON砲”──王貞治とのコンビ──に焦点を当て、「ルースとゲーリッグ、あるいはマントルとマリスのような伝説的コンビ」と称し、日本野球の黄金時代を象徴する存在として伝えました。
Fox Newsでは、「Shohei Ohtani reacts to death of Japanese baseball icon Shigeo Nagashima」の見出しで大谷翔平の追悼メッセージを紹介。「彼の存在なくして、今の日本野球は語れない」として、次世代への影響も強調しています。
MLB.comは、「The man who inspired generations: Nagashima’s legacy remembered」と題した特集で、野球少年や若手指導者への影響、各世代に渡って語り継がれるカリスマ性を詳しく分析。野球殿堂入りを果たした経緯や、文化勲章受章者としての意味も掘り下げています。
Bleacher Reportでは、「Nagashima was not just a player, he was Japan’s first true sports icon」と記し、スポーツと芸能、文化を結び付けた最初のスターであった点を強調しました。
ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手は、自身のInstagramにて長嶋さんとの面会時の写真を掲載。「May your soul rest in peace(安らかにお眠りください)」という短い言葉ながら、深い敬意と感謝が込められた投稿でした。これに対し、フォロワーからは「レジェンドに対する美しい敬意」「彼の教えは今の日本野球に生きている」といったコメントが殺到。
ダルビッシュ有選手は、「日本の野球はこの人から始まった」とX(旧Twitter)にて語り、その遺産が現代にも生き続けていることを強調。
田中将大投手や佐々木朗希投手など、現役のスター選手たちも次々と追悼の言葉を発表し、「彼のような選手になりたくて野球を始めた」「直接指導を受けたわけではないが、ビデオで何度も彼のスイングを研究した」といったエピソードも多く紹介されました。
さらに、王貞治氏は長嶋さんの自宅を弔問し、「あの人がいなければ、私はここまで来られなかった」と涙ながらに語り、長嶋さんとの出会いがキャリアの転機だったと述懐。これに対して多くの元選手たちが「長嶋さんは王さんの背中を押し、日本の野球を世界に導いた」とコメントを寄せました。
韓国プロ野球(KBO)リーグ公式も「アジア野球の礎を築いた偉人」として追悼声明を発表し、台湾の野球連盟からも弔意が寄せられました。
長嶋さんは、MLBでプレー経験がなかったにもかかわらず、国際的な野球文化において極めて高い評価を受けていました。その理由は、単なる記録だけでなく、「魅せる野球」「語られる野球」を体現した点にあります。
彼の背番号「3」は読売ジャイアンツで永久欠番となっており、東京ドームには記念碑が建立されています。また、東京都は長嶋氏の功績を称え「名誉都民」としても顕彰しました。
長嶋茂雄さんの訃報は、日本のみならず、世界中の野球関係者、ファン、文化人に深い悲しみと敬意をもって迎えられました。彼の軌跡は、単なるスポーツ選手のそれではなく、時代を象徴するカリスマとして、人々の心に深く刻まれています。
記録にも記憶にも残るその姿は、これからも語り継がれ、次世代の指針となることでしょう。日本のスポーツ文化を築き上げ、人生の美学を体現した「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さんに、改めて心よりの敬意と哀悼を捧げます。