1989年6月4日。中国・北京で起きた天安門事件は、今なお中国国内で「語ってはいけない出来事」とされています。世界中では広く知られ、記録され、議論され続けているこの歴史的事件が、なぜ中国では封印され、検索しても出てこないような扱いを受けているのでしょうか?言い換えると、天安門事件はなぜタブーとされているのでしょうか?
中国の若者の多くはこの事件の存在すら知らず、教育現場でも一切触れられないことが常態化しています。そのため、同じ事件について語ろうとしても、世代や国境を越えた大きな情報の断絶が存在します。
本記事では、天安門事件がなぜタブー視されるのかという政治的・社会的背景、そして現代中国と国際社会に与える影響について、より深く多角的に掘り下げていきます。また、事件が語られることによってもたらされる希望や課題にも触れ、「記憶すること」の意味を考えます。
1989年春、北京・天安門広場では、大学生を中心とした市民が民主化、言論の自由、政治改革を求めて座り込みを行っていました。
ところが、6月3日から4日にかけて中国人民解放軍が武力で鎮圧。多数の死傷者が出たとされ、正確な犠牲者数はいまだに不明です。英BBCや米国務省などでは、少なくとも数百〜数千人規模と推測されています。
一部報道では、戦車が民間人を轢いたとも伝えられており、特に有名なのが「タンクマン」と呼ばれる名もなき男性が戦車の前に立ちはだかった写真です。
天安門事件がタブーとされる最大の理由は、中国共産党がその正統性を揺るがす出来事と捉えているからです。
中国共産党は「社会の安定」を国家運営の柱としています。天安門事件は政府が国民に銃口を向けた日でもあり、これを公に認めることは支配の正当性を否定するに等しいのです。
天安門事件は、自由と民主主義の重要性、そして国家による暴力の危険性を象徴する出来事です。
国際社会では「忘却に抗う」ことが、民主主義と人権の基本であると考えられています。中国の市民が語れない分、海外に住む中国人や世界の人々が“声”を継承しているのです。
A. 天安門事件は今なおタブーとされていて、多くの若者は知らない、あるいは断片的にしか知らされていません。インターネットでも検閲されているため、自発的に調べようとしない限り、触れることは困難です。中には「その話は聞いてはいけない」と大人から言われるケースもあります。
A. 2020年以降の国家安全法導入により、中国本土と同様に「反政府活動」と見なされるようになったためです。それ以前はビクトリアパークで数万人規模の追悼イベントが開かれていましたが、今では逮捕のリスクを伴う行動となりました。
A. 中国本土では、警察による事情聴取や拘束のリスクがあります。SNSで関連発言をするだけでもアカウントが凍結されることがあります。外国人でも国内に滞在中であれば、関連行動はトラブルの元になり得ます。
天安門事件は、「歴史の闇」として封印されています。しかし、封印されること自体が再発のリスクを生むのです。
歴史に目を背けたとき、自由は徐々に奪われていきます。記憶を持つことは、未来のための責任です。中国国内で言えないからこそ、世界が語り続ける意味があるのです。
同様の「記憶を封じる政治」は世界中で見られます。だからこそ、「語られない歴史」を探求することが、私たち全員に求められているのです。