核兵器を全面的に禁止する国際条約がすでに発効している一方で、世界で唯一、原子爆弾による被害を実際に経験した日本は、その条約に加盟していません。この事実だけを見ると、「なぜ日本は入らないのか」「被爆国なのに、政府は核廃絶に本気ではないのではないか」といった疑問を持つ人は少なくありません。
しかし、この問題は単なる賛成・反対では語れない複雑さを持っています。そこには、安全保障(核抑止・同盟) と 核軍縮(規範・人道・道義) という二つの価値が鋭く対立し、同時に共存しようとする現実があります。
本記事では、核兵器禁止条約(TPNW)とは何かという基本から、日本政府が加盟しない理由、その立場に対する批判、そして今後どのような選択肢や論点があり得るのかまでを、できるだけ中立的かつ丁寧に整理します。「なぜ議論が噛み合わないのか」を理解するための土台として読んでいただければ幸いです。
TPNW(Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons)は、核兵器に関わるあらゆる行為を包括的に禁止することを目的とした国際条約です。従来の核軍縮条約と異なり、「核兵器そのものを違法とする」という強い規範的メッセージを持っている点が大きな特徴です。
TPNWでは、以下のような行為が明確に禁止されています。
特に「支援の禁止」は重要で、核兵器を直接持たなくても、核抑止に依存した同盟関係そのものが問題視される可能性を含んでいます。
TPNWは2017年に国連総会で採択され、2021年に発効しました。核兵器国やその同盟国の多くは参加していない一方で、核兵器を保有しない国を中心に締約国は着実に増えています。この条約は、法的拘束力以上に「核兵器は許されない」という国際規範を確立することを重視していると言えます。
日本政府は一貫して、TPNWについて署名も批准もしないという立場を取っています。被爆国でありながら参加しないという点は国際的にも注目されており、日本政府はその理由を繰り返し説明してきました。
その根幹にあるのが、日米同盟と「拡大抑止(いわゆる米国の核の傘)」です。政府の説明を整理すると、主に次のような考え方に集約されます。
つまり日本政府は、「核廃絶という理想には賛同するが、現在の国際情勢下でTPNWに参加すれば、日本の安全保障の前提が揺らぐ」と判断している、という構図になります。
政府の立場は一言で説明されがちですが、実際には複数の論点が重なっています。ここでは、代表的な3つの理由を整理します。
TPNWは、核兵器の使用や保有だけでなく、「核兵器に依存する体制への関与」も問題視します。
日本がTPNWに参加した場合、
といった点が、国際的に「矛盾している」と受け取られる可能性が高くなります。
日本政府は、「オブザーバー参加であっても、抑止政策と相容れない誤ったシグナルを発する恐れがある」と説明しており、同盟国である米国との関係を強く意識していることがうかがえます。
TPNWには多くの国が参加していますが、現時点で核兵器を保有する国は一つも参加していません。
この点について政府は、
といった懸念を示しています。そのため、「現実に核兵器を減らすためには、まず核兵器国を含む枠組みを維持・強化すべきだ」という立場を取っています。
日本外交は長年、
という方針を掲げてきました。
政府の見方では、TPNWは核兵器国が不参加のまま「禁止」という規範を先行させたため、NPT体制内の合意形成をむしろ難しくし、核軍縮外交を分断する恐れがある、という評価になります。
日本政府の説明には一定の論理性がありますが、それでも国内外から強い批判が続いています。その背景には、「被爆国日本」に対する特別な期待があります。
被爆者団体や市民社会、国際NGOなどは、
と指摘します。特に被爆者の高齢化が進む中で、「今行動しなければ証言が政治に反映されない」という危機感も背景にあります。
核抑止に依存し続ける姿勢は、
という矛盾をはらむ、という批判です。この点は倫理的・道義的な議論として根強く残っています。
TPNW締約国会合にオブザーバーとして参加するだけでも、
という意見があります。それでも政府が消極的な姿勢を取る点が、「対話の窓を自ら閉ざしている」と批判される理由の一つです。
TPNWを巡る議論では、他の核政策の話題と混同されることが少なくありません。ここで整理しておきます。
日本の非核三原則(持たず・作らず・持ち込ませず)は国内政策上の原則であり、国際法上の義務ではありません。一方、TPNWは国際条約です。三原則を守っていてもTPNWに加盟しない政策は、制度上は成立します。
安全保障環境の悪化を背景に、NATO型の核共有が話題になることがあります。こうした議論が現実味を帯びるほど、TPNWが求める「核兵器との関与の全面否定」とのギャップは拡大します。
日本は「核軍縮を目指しつつ、抑止は維持する」という難しい立場を取っています。TPNWは、この二つの価値のうち「規範」を強く前面に出す条約であり、日本の従来路線と緊張関係にあります。
現時点で、日本が短期的にTPNWへ加盟する可能性は高いとは言えません。ただし、議論は常に変化しており、条件次第では再評価される余地もあります。
日本政府がTPNWに参加しない理由は、
という三つの軸で整理できます。
一方で、被爆国としての道義的責任、被爆者の声、国際社会における規範形成の流れを考えると、「参加しない日本」に対する批判が続くのも自然な構図です。
TPNWをめぐる議論は、「核廃絶に賛成か反対か」という単純な対立ではなく、
という設計思想の問題として捉えることで、より立体的に理解することができます。
はい。日本は署名・批准のいずれも行っていません。
倫理的には矛盾と受け取られやすい一方、政府は「抑止を維持しながら段階的な核軍縮を進める」という立場です。どこに重きを置くかで評価は大きく分かれます。
可能だとする意見はありますが、政府は「参加自体が抑止政策と整合しないメッセージになる」として慎重です。今後も議論が続くポイントです。
TPNW側は「NPTを補完する」と主張し、慎重派は「分断を生む」と懸念します。どちらの評価も存在し、国際政治の立場によって見解が分かれています。