「そしじ」という漢字が、戦後にGHQの“漢字廃止”で消された――。そんな話がSNSやYouTubeで拡散し、「愛」「調和」「感謝」を表す“パワー文字”として紹介されることがあります。
しかし、結論から言うと、現在ネットで出回る「そしじ」は「古くから存在した正式な漢字」と確認できる一次資料が見つかっておらず、「GHQが特定の一字を抹消した」という筋立ても史料的な裏づけが弱いため、“デマ(誤情報)として扱うのが妥当”です。
本記事では、拡散している主張、そしじという漢字に関するデマを一度ぜんぶ並べたうえで、「どこが事実で、どこが物語(後付け)なのか」を、できるだけ分かりやすく整理します。
まず、拡散している説明を、なるべくそのまま要約すると次のような内容です。
また、画像としては「宀(うかんむり)」の下に、中央に「示」と「申」を合わせたような形が入り、下部に「主」が置かれたデザインで紹介されることが多いです(環境によっては文字として表示できないため、画像で流通します)。
「そしじ」がデマと判断されやすい最大の理由は、“存在していた証拠(一次資料)が確認しにくい”点です。漢字の実在性を確かめるときは、ざっくり次のようなルートが王道です。
本当に一般に使われていた漢字なら、何らかの形で辞書に痕跡が残る可能性が高くなります。ところが「そしじ」は、ネット上で“辞書に載らない(載っていない)”こと自体が説明の一部になってしまっています。
もちろん、公的な表に載らない漢字(人名・地名・専門用語・古典の字など)もありますが、少なくとも「戦後に“消された”」のなら、当時の議論や資料に痕跡が出るはずです。
「コードに入っていない=存在しない」ではありませんが、現代のデジタル環境で普通に打てない文字は、ネットでは画像で流通しやすく、真偽が曖昧なまま“もっともらしく見える”ことが起きがちです。
ここが一番大事なポイントです。
戦後の日本では、漢字そのものを突然ゼロにするのではなく、公用文や教育で使う範囲を整える(制限・整理する)という動きが続きました。
つまり、少なくとも“制度として見える形”で進んだのは、「この範囲を目安に使いましょう/公用ではここを基本に」という整理であり、SNSで語られがちな「GHQが“神秘的パワーを恐れて”特定の漢字を抹消」というストーリーとは性質が違います。
ここは白黒が混ざる部分です。
戦後直後の議論を扱う一般向けの記事では、GHQの要請で来日した教育使節団の報告書がローマ字化・漢字廃止方向の考えを示していたこと、しかし識字率調査の結果などもあり、最終的に漢字が廃止されなかったことが説明されています。
ネット上には、「そしじ」を造字(創作文字)として扱い、出所を追っている記事があります。そこでは、2000年代にかけて“造字としての言及”が見つかること、さらに「GHQに消された」といった物語が後から付いた可能性が示唆されています。
また、別の観察記事では、「そしじ」が特定の団体の思想(独自理論)に関連して語られていた痕跡を、過去のウェブページ(アーカイブ)から引用している例もあります。こうした話が事実なら、少なくとも「古代から広く使われていた尊い漢字」というより、比較的近年に“概念を象徴するために作られた図案”と理解する方が自然です。
デマが広がるとき、内容そのもの以上に「広がりやすい形」をしていることが多いです。「そしじ」の場合、次の条件が揃っています。
さらに、YouTubeのタイトルやSNS投稿は「驚き」「恐れ」「救い」を強調しがちで、“検証より感情が先に動く”と拡散スピードが上がります。
ここで誤解が起きやすいので、切り分けて書きます。
「この形を見ると気持ちが整う」「お守りとして使いたい」というのは、個人の領域です。ロゴや図案のように“象徴”として扱うなら、価値は本人の感じ方にあります。
歴史の話として断言するなら、最低限「いつ・どこで・誰が・どんな文献に」などの一次情報が必要です。現状の拡散のされ方は、そこが弱いまま物語が先行しています。
「そしじ」に限らず、スピ系・陰謀系の“それっぽい話”に出会ったときは、次のチェックが効きます。
多くの環境で変換できないのは事実ですが、それだけで「戦前に実在した」とは言えません。単にUnicode等に符号化されていない外字・創作文字でも同じ現象が起こります。
戦後にローマ字化や漢字廃止方向の提案があったことは知られています。ただし、それが日本で全面実施されたわけではなく、現在の漢字使用は続いています。ここを「だから、そしじも消された」と直結させるのは飛躍です。
これは学術的な語源というより、象徴・信仰・解釈の領域に近い説明です。否定も肯定も“感じ方”になりやすいので、歴史事実として語るのは慎重にした方がよいでしょう。
「歴史的事実として断言するのは危うい」という意味でデマ扱いされやすいだけで、図案として使うこと自体を禁じるものではありません。問題になるのは、根拠が薄い物語を“史実として販売・勧誘・断言”するようなケースです。
「そしじ」は、見た目のインパクトと“失われたもの”という物語性が強く、拡散しやすい題材です。けれど、歴史の話としては、現時点で一次資料が弱く、「GHQに消された戦前の正式漢字」と断言できる根拠は見当たりません。
一方で、象徴として大切にしたい人の気持ちまで否定する必要もありません。大事なのは、「それは信仰・象徴の話か」「歴史事実の話か」を切り分けることです。
ネットで流れてくる“もっともらしい話”ほど、一次資料と年代を見に行く――その習慣が、デマに振り回されない一番の対策になります。