モーニング娘。’25新曲タイトルを解説
モーニング娘。’25の両A面シングル 「てか HAPPYのHAPPY!/私のラミンタッチオーネ(Lamentazione)」。
初めてタイトルを見たとき、多くの人が
と感じたのではないでしょうか。
この記事では、
を丁寧にひもときながら、 **「ラミンタッチオーネ=どんな気持ちの歌なのか」**をわかりやすく解説していきます。
まず結論から言うと、
「ラミンタッチオーネ」はイタリア語 Lamentazione(ラメンタツィオーネ) を日本語風に表記したもの
と考えられます。
「Lamentazione」は、英語の lamentation(ラメンテーション) に対応する言葉で、
といった意味を持ちます。
クラシック音楽では、 宗教曲やドラマティックな場面で使われる「嘆きの楽章」のようなニュアンスがあり、
激しく泣き叫ぶというより、胸の内側で静かに燃えつづける切なさ
のようなイメージに近い言葉です。
モーニング娘。のプロデューサーであるつんく♂は、 この「Lamentazione」という言葉をヒントに、
日本語でもキャッチーに呼べるようにアレンジしたタイトルが「ラミンタッチオーネ」
と受け取ることができます。
つんく♂は自身の発信のなかで、
という趣旨の説明をしています。
ここで出てくる 「エレジー」 も、
といった意味を持つ言葉です。
しかし、つんく♂がわざわざ
「エレジーとも違う哀愁」
と語っている点がポイントです。
一般的に「エレジー」というと、
といった、“喪失”の側に重心がある哀しみを連想させます。
それに対して「Lamentazione/ラミンタッチオーネ」には、
というニュアンスが含まれているように感じられます。
つまり、
「ラミンタッチオーネ」=ただ沈んでいくための嘆きではなく、前に進むために必要な“私だけの嘆き”
と解釈することができます。
曲名はただの「ラミンタッチオーネ」ではなく、
「私のラミンタッチオーネ」
です。この「私の」という一言が、とても重要です。
「嘆き」「悲嘆」と聞くと、
など、わりと“よくある悲しみ”を連想します。
しかし、そこに 「私の」 がつくことで、
といった、極めて個人的なドラマ にフォーカスが当たります。
タイトルを直訳風に言いかえるなら、
「私だけが抱えている、私だけの嘆きの歌」
といったイメージに近いでしょう。
「私のラミンタッチオーネ」という言い方には、
という、感情の“引き受け方” がにじんでいます。
悲しみを「いやなもの」「消したいもの」として切り離すのではなく、
「これは、私の感情。これがあったから、今の私がいる」
と、ある種の誇りを持って抱きしめ直しているようなニュアンスです。
ここからは、歌詞の内容をかみ砕きながら、 「ラミンタッチオーネ」というタイトルが指している気持ちを整理してみます。 (歌詞そのものは著作権の関係で引用を控え、内容を要約して説明します。)
歌詞の舞台には、
といった情景が描かれます。
本来なら、
とこぼしてしまいそうな場面です。
ところが主人公の「私」は、
といった 強がりのセリフ を重ねていきます。
ここに、
本当は寂しいのに、寂しいと言いたくない
という、 恋愛の終わりを経験した人なら誰もが共感してしまう心情 が表れています。
歌詞の中では、
を振り返る場面が描かれます。
当時は、
という、若さゆえの不器用さもにじみます。
しかし今の「私」は、
と、大人の視点で過去を振り返っている のです。
ここには、
失恋をきっかけに、ひとりの人間として成長した「私」
の姿がしっかりと描かれています。
歌詞のなかには、
「希望ばかり、未来しかない」
という、印象的なフレーズも登場します。
これは、
に気づいた瞬間だと解釈できます。
つまり、
「ラミンタッチオーネ」=「失った悲しみ」ではなく、「そこから生まれた希望」へと転じていくプロセスそのもの
を表していると言えるでしょう。
嘆きは、そこにとどまるための感情ではなく、
ことで、やがて 前に進むためのエネルギー に変わっていく――。
この変化のプロセスが、「私のラミンタッチオーネ」というタイトルに見事に凝縮されています。
「私のラミンタッチオーネ」は、
が組み合わさった、令和版の「ラメント(嘆きの歌)」 のような楽曲です。
特に話題になっているのが、
です。
ライブやMVでは、
構成になっており、
「歌」と「芝居」の境界線を行き来するような表現
が、独特の世界観を作り出しています。
このセリフ部分こそ、
「私のラミンタッチオーネ=私だけの嘆き」
を言葉として丁寧にすくい上げる、 楽曲のクライマックス と言えるでしょう。
同じシングルに収録されている
は、明るくてポジティブなタイトルが印象的なナンバーです。
一方で、
は、タイトルからして
言葉が選ばれています。
この対比は、
人生には「めちゃくちゃハッピーな瞬間」と「どうしようもなく切ない瞬間」が両方ある
という現実を、
一枚のシングルの中で表現しているとも考えられます。
どちらも否定せず、
その両方を抱えた“今の私たち”をまるごと描こうとしている
――そんなモーニング娘。’25のスタンスが、 タイトルの組み合わせからも伝わってきます。
ここまで見てきたように、
という構造になっています。
このタイトルが教えてくれるのは、
悲しみも嘆きも、無駄な感情ではない
ということです。
それらはすべて、
「私のラミンタッチオーネ」――つまり、私だけの物語を形作る大事なピース
なのだ、とこの曲はそっと教えてくれます。
モーニング娘。’25「私のラミンタッチオーネ(Lamentazione)」は、
など、聴けば聴くほど味が出る“スルメ曲”のような一曲です。
タイトルの意味を知ったうえで改めて聴いてみると、
に込められたニュアンスが、 これまで以上にはっきりと浮かび上がってくるはずです。
「これは、私にとってどんなラミンタッチオーネなんだろう?」
と自分に問いかけながら聴いてみると、 この曲はきっと、
そっと寄り添ってくれる一曲として響いてくれるでしょう。