日本には「お茶を点(た)てて、みんなでいただく」特別な文化があります。それが 茶道(さどう/ちゃどう)、または 茶の湯(ちゃのゆ) と呼ばれるものです。
茶道は、ただお茶を飲むだけではありません。
こうした 「心の持ち方」や「礼儀(れいぎ)」まで大切にする時間 です。
では、この茶道はいつ、どこから、どんな人たちによって作られてきたのでしょうか?

茶道は、抹茶(まっちゃ)を点てて、お客さんをもてなす日本の伝統文化です。
そんな考えが中に入っています。
茶道は長い歴史の中で、少しずつ形ができあがっていきました。
お茶は、もともとは 中国から日本へ伝わった飲み物です。
9世紀ごろ、仏教のお坊さんたちが中国でお茶を学び、日本に持ち帰ったと言われています。
最初のお茶は、
として、お寺の中で飲まれていました。
このころは、まだ「茶道」ではなく、お坊さんの大切な飲み物だったのです。
鎌倉時代になると、禅(ぜん)という仏教を学ぶお坊さんが増えました。そして禅のお坊さんたちは、お茶を「心を整える助け」として大切にしました。
この時代、栄西(えいさい)というお坊さんが抹茶のもとになる茶の種を持ち帰り、お茶の栽培が広がったとも言われます。
また、武士たちの間でもお茶を飲む人が増え、
が流行(はや)った時期もありました。
ただしこのころは、まだ「落ち着いた茶道」とは少し違い、にぎやかな遊びとしてのお茶も多かったのです。
室町時代の前半には、将軍や大名たちが
を使ってお茶を楽しむことが広まりました。
このころの茶の湯は、「すごい道具を見せ合う」ような、華やかな文化だったのです。
やがて、「豪華さより、心の静けさを大切にしたい」と考える人が出てきます。
その中心人物が、
という人です。珠光は、飾りすぎない、落ち着いたお茶=侘び茶(わびちゃ) の考え方を作りました。
侘び茶は、
を大切にするお茶です。
そのあと、
がこの侘び茶をさらに深め、多くの人に広げました。
茶道の歴史で一番有名な人物が、
です。
利休は、村田珠光や武野紹鴎の流れを受けつぎ、「今の茶道につながる形」を作り上げた と言われます。
利休が大事にしたことは、たとえば…
こうした考え方が、茶道の「心」になりました。
利休は、織田信長や豊臣秀吉のもとでお茶の先生をし、お茶は武士や町の人たちに大きく広まりました。
江戸時代になると、戦いの時代が終わり、文化がもっと広がっていきます。
など、いろいろな人が茶道を学ぶようになりました。
このころ、千利休の子孫たちが中心になって、
という大きな流派(りゅうは)が生まれ、茶道の作法が整理されていきます。
明治時代以降、日本の生活が大きく変わっていく中でも、茶道は大切に守られ続けました。
など、今も多くの場所で行われています。
また、「お茶の作法」だけではなく、
が、現代の生活にも役立つとして注目されています。
茶道の歴史は、
「にぎやかな遊びのお茶」から、 「心を整えて相手を思うお茶」へ変わってきた歴史
と言えます。
お茶の味だけではなく、
を大切にする日本らしい文化が、長い時間をかけて作られてきたのです。
茶道は、歴史を知るほど「ただのお茶ではない」ことがわかってきます。
静かな一杯のお茶の中に、昔の人たちの知恵や心がずっと残っている――それが茶道のすごさです。