1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)は、多くの建物や交通網に被害を与えた巨大地震として知られています。一方で、この地震は「大地そのもの」を動かし、地面の高さや位置、地盤の状態を変化させました。地震は揺れだけの現象ではなく、地下の岩盤が急にずれて地表の形をつくり変える“地形の出来事”でもあります。
この記事では、阪神・淡路大震災で観察された代表的な「大地の変化」を、場所の例とあわせて整理します。
阪神・淡路大震災は、地下の活断層がずれ動くことで発生した典型的な「内陸直下型」の地震でした。地下の岩盤がずれると、その動きが地表にまで及び、
といった形で、土地の形や性質が変化します。
阪神・淡路大震災の「大地の変化」を最も分かりやすく示したのが、淡路島北部に現れた野島断層です。
地震によって断層が動き、そのずれが地表に達すると、地面に一直線の割れ目(断層の線)が現れます。野島断層周辺では、
といった「ずれの痕跡」が残りました。これは、地震が“地面を揺らした”というより、**大地を“ずらした”**ことを示すものです。
この地震では、左右方向のずれ(横ずれ)が大きく、場所によって上下のずれも伴いました。地表に現れた断層は、地形が変わる瞬間をそのまま保存したような存在で、現地では断層を観察できる施設も整備されています。

神戸側で目立った大地の変化は、次の7つに整理できます。
このうち、阪神・淡路大震災の特徴として特に重要なのが、埋立地(人工島・港湾部)での液状化と沈下です。

神戸の港湾部には、埋立によってつくられた人工島や、埋立地の岸壁が広く分布しています。阪神・淡路大震災では、こうした埋立地で液状化が起こり、地面の状態が大きく変化しました。
液状化では、砂地盤が強い揺れで一時的にゆるみ、砂粒の間にある水の圧力が上がって、地盤が支える力を失います。その結果、
といった変化が起こります。
港では、岸壁そのものが変形して、海側へ押し出されたり、沈んだりすることがあります。これは、岸壁の背後地盤がゆるみ、構造物と地面が同時に動くためです。
その結果、
といった「地形変化がそのまま社会機能の変化」につながる現象が起こりました。

地震時に地面がずれたり沈んだりすると、道路や鉄道のような「線でつながる施設」は影響を強く受けます。阪神・淡路大震災では、
など、地面の変化がそのまま通行不能の原因になりました。
また、地震で地面が水平に動くと、橋の距離関係が変わることがあります。たとえば明石海峡大橋は建設中に地盤の水平変位が起き、構造上の対応が必要になったというエピソードが知られています。これは、地震が「構造物を壊す」だけでなく、“位置関係”そのものを動かすことの象徴的な例です。
神戸周辺は、南に海(大阪湾)、北に六甲山地が迫り、短い距離で地形が大きく変わります。この地形は、地震のときの大地の変化にも影響します。
同じ都市圏でも、地形と地盤の違いが「大地の変化の種類」を分けるという点が、阪神・淡路大震災から学べる重要なポイントです。
地震による大地の変化は、地震が終わった瞬間で止まるとは限りません。液状化でゆるんだ地盤や、崩れやすくなった斜面は、その後の雨や余震、地下水の変化で、追加の沈下や崩れを起こすことがあります。
阪神・淡路大震災の復旧・復興では、
といった「地面が変わる前提」に立った対策が進みました。大地の変化を理解することは、建物だけでなく、都市全体の安全性を高めることにつながります。
阪神・淡路大震災では、
といった形で、大地そのものが変化しました。
地震の被害を「建物の倒壊」だけで捉えると、地盤や地形の変化が見落とされがちです。しかし、都市を支える基盤は地面そのものであり、地震はその基盤を動かします。阪神・淡路大震災は、地面の性質(山・低地・埋立地)と、断層運動・液状化が重なったときに何が起きるのかを、非常に具体的に示した出来事でした。