私たちが普段口にしているお米、野菜、果物、肉や魚などの多くは、もともと自然界にそのまま存在していたわけではありません。長い年月をかけて、人々の手によって「よりおいしく」「育てやすく」「病気に強く」なるように改良されてきたものです。このように人の手で生物を改良することを「品種改良」といいます。
品種改良は、単に農家や研究者だけの仕事にとどまらず、私たちの生活や社会、さらには地球環境とも深い関わりを持っています。この記事では、品種改良の基本から、さまざまな具体例、そして近年の最先端技術まで、分かりやすくご紹介していきます。
まず「品種改良」とはどのような行為を指すのか、整理しておきましょう。
品種改良とは、生物が持つ形質──たとえば大きさ、色、味、成長の早さ、病気への強さなど──を、人間の目的に合わせて変えていくことをいいます。もともと自然界でも突然変異や遺伝によって生物の性質は少しずつ変わっていきますが、自然のままではその変化は偶然に頼るしかなく、望むような特徴が現れるとは限りません。そこで人間が意図的に交配を繰り返したり、選別を行ったりすることで、目指す形質を持つ個体を増やしていくのが品種改良です。
品種改良の歴史は非常に古く、人類が農耕を始めたころからすでにその兆しがあったと考えられています。
たとえば、現在私たちが食べているトウモロコシは、もともと中央アメリカ原産の「テオシント」という野草が元になっています。テオシントは小さくて固い実しかつけませんでしたが、人々は粒が多く、大きなものを選んで育て続け、何千年もの歳月をかけて、今のようなトウモロコシへと変えていきました。
日本では、稲作が広まった弥生時代から、品種の選抜が行われていたとされています。寒さに強い品種や、収穫量が多い品種などが地域ごとに育成され、現在に至るまでその取り組みは続いています。
このように、品種改良は人類の歴史そのものといっても過言ではありません。暮らしを支えるために、生物の形質を人の手で変えてきた技術は、時代とともに進化してきたのです。
品種改良の方法には、主に次のようなものがあります。
最も基本的で、古くから行われている方法です。自然の中で偶然現れた変異のうち、望ましい特徴を持つ個体を選び出し、次の世代に残していくやり方です。
例:
地道ではありますが、確実な方法といえます。
異なる系統同士を意図的に交配させ、それぞれの良い特徴を兼ね備えた子孫を得る方法です。特に植物でよく利用されています。
例:
ただし、狙った通りの特徴が必ず出るとは限らないため、何世代にもわたる選抜が必要になることもあります。
放射線や薬品を使い、遺伝子に突然変異を起こさせる方法です。偶然では得られにくい性質を引き出すのに役立ちます。
例:
日本酒に使われる「山田錦」という米にも、突然変異育種によって開発された系統が存在します。
他の生物の遺伝子を取り入れて、狙った形質を持たせる方法です。遺伝子組換え作物(GMO)として知られており、賛否両論ありますが、特定の害虫に強いトウモロコシや、除草剤に耐性を持つ大豆などが商業的に栽培されています。
近年注目を集めている最先端の技術です。遺伝子を狙った場所で改変できる「はさみ」のような技術(CRISPR-Cas9など)を用いて、不要な遺伝子を切り取ったり、別の塩基配列に書き換えたりすることができます。
従来の遺伝子組換えとは異なり、外部の遺伝子を入れないケースが多いため、受け入れやすい面もあります。
日本人の食生活の中心であるお米は、品種改良の歴史の宝庫ともいえます。
江戸時代にはすでに、寒冷地向けの品種や、干ばつに強い品種の育成が試みられていました。明治以降、品種改良は国家的な事業となり、農業試験場などを中心に品種育成が加速しました。
現代を代表する品種として有名なのが「コシヒカリ」です。味や粘り、香りの良さから高い人気があります。コシヒカリは昭和31年に品種登録され、その母親は「農林22号」、父親は「農林1号」という品種です。病気に弱いという欠点もありましたが、そのおいしさが評価され、全国に広まりました。そして、日本の稲作の象徴ともいえる存在になりました。
最近では、コシヒカリの欠点を克服する改良も進められています。病気に強い系統との交配や、倒れにくい特性の付与、さらには温暖化に対応できる新品種の育成も行われています。
果物の世界でも品種改良は盛んです。スーパーに並ぶ真っ赤なリンゴや、糖度の高いシャインマスカットなどは、いずれも長い年月の改良の成果です。
「ふじ」という品種は、日本が誇るリンゴの代表格です。蜜が入りやすく、甘い味わいが特徴で、青森県や長野県をはじめ各地で盛んに作られ、海外にも輸出されています。
ふじは「国光」と「デリシャス」という品種を交配して作られました。1958年に誕生し、現在も世界中で愛され続けています。
種がなく、皮ごと食べられて、しかも甘い──それがシャインマスカットの魅力です。2006年に品種登録されてから、高級フルーツの代表格として一気に人気を集めました。
開発には長野県果樹試験場が携わり、耐病性や糖度、果実の硬さなどを綿密に計算しながら交配が進められました。まさに現代の品種改良技術の結晶といえます。
野菜も、毎日の食卓を彩る大切な存在です。品種改良によって、味や見た目、栄養価、さらに栽培のしやすさが大きく向上してきました。
昔のトマトは皮が硬く、酸味も強いものが多かったそうです。しかし近年では「フルーツトマト」と呼ばれる、糖度の高い品種が多く登場しています。
また、収穫や輸送の過程で傷みにくいように果肉が硬めに改良された品種もあります。品種改良は、味と流通のバランスを両立させるために重要な役割を果たしています。
ナスにも多様な品種があります。長ナス、小ナス、丸ナス、白ナスなど、見た目もさまざまですが、いずれも人の手による改良の成果です。
最近ではアクが少なく、生で食べられる品種も開発されており、食文化の変化に合わせた品種改良は今も進んでいます。
品種改良は植物だけの話ではありません。動物の世界でも古くから行われています。
日本が誇る高級肉、黒毛和牛は、細かい霜降り(サシ)が美しい肉質で、世界中のグルメを魅了しています。
黒毛和牛は、明治時代にヨーロッパの牛と日本古来の和牛を交配させたことから始まりました。その後、日本の環境や人々の嗜好に合わせた改良が重ねられ、現在のような黒毛和牛が誕生しました。肉質を良くするためには、脂の質だけでなく、体の大きさや育成期間、さらに性格の穏やかさまで考慮されるのです。品種改良は単に「味」だけの問題ではないのです。
世界中で食べられている鶏も、品種改良の恩恵を大きく受けています。
食肉用の「ブロイラー」は、わずか40〜50日ほどで出荷できるように改良されており、肉付きも良くなっています。また、卵を産むための採卵鶏は、年間300個以上の卵を産む能力を持つようになっています。自然界に生息する野生の鶏(赤色野鶏)は、年間に10数個程度しか卵を産まないといわれており、その差は非常に大きいです。
近年注目されているのが、魚の品種改良です。
養殖のマダイは、天然のものよりも成長が早く、病気に強い品種が開発されています。味の良さや色合いも改良の対象であり、刺身にしたときの色鮮やかさも重要視されています。
世界的に人気が高いサーモンも、より早く大きく育つように品種改良が進められています。ノルウェーなどでは、遺伝子組換え技術を利用したアトランティックサーモンの研究も行われていますが、賛否両論があり、実用化に慎重な国も多いのが現状です。
花の世界は、美しさを追求する品種改良の舞台でもあります。人々は色や形、香りに強いこだわりを持ち、園芸を楽しんできました。
バラは、特に品種改良の歴史が長い花の一つです。古代ローマ時代から人々はバラの美しさに魅了されてきましたが、現代のバラはほとんどが近代に改良された品種です。
香りを重視する系統や、花持ちの良い系統、病気に強い系統など、目的によって交配が繰り返されてきました。日本でも多くの育種家が新しいバラを生み出しており、世界のコンクールで高く評価されています。
「オランダ」といえばチューリップを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、その起源は実はトルコにあります。オランダに伝わってからは、膨大な品種が作り出され、現在では色や形、大きさなど無限ともいえるほどのバリエーションが存在します。
花びらがフリル状のものや八重咲きのものなど、かつての野生のチューリップとはまったく別物といってよいほどです。
鮮やかな色と形が魅力のガーベラも、品種改良が盛んに行われています。赤やピンク、黄色だけでなく、青に近い色まで作られるようになり、花弁の形もさまざまに変化しています。
近年では切り花としての日持ちが良い品種が求められており、物流の発展に合わせた品種改良が続けられています。
品種改良は、目に見える生物だけの話ではありません。人類は微生物の世界でも改良を続けてきました。
味噌や醤油、ヨーグルト、日本酒など、これらの製造に欠かせないのが微生物です。
例えば、日本酒の製造では酵母の品種改良が行われてきました。香りを豊かにする酵母や、発酵力が強い酵母、低温でも活発に働く酵母など、目的に応じて選抜されてきました。各県が「地元産酵母」を開発し、個性あふれる地酒作りに活用しています。
さらにバイオテクノロジーの進歩によって、微生物は工業分野でも重要な存在となりました。
これらもすべて品種改良の成果です。自然界には存在しない能力を持つ微生物を作り出すことで、環境問題の解決や新素材の開発などに大きく貢献しています。
ここまでご紹介してきたように、品種改良は私たちの暮らしを豊かにする大きな技術です。しかし、同時にいくつかの課題も抱えています。
品種改良によって作られた作物は、大規模に栽培されることが多いです。しかし、特定の品種ばかりを育て続けると、病気や害虫が発生したときに一気に壊滅するリスクがあります。
実際、19世紀のアイルランドでは、ジャガイモの大飢饉が起こりました。これは遺伝的にほぼ同じジャガイモだけを栽培していたため、病害が広がり、全滅してしまった例です。
多様性を確保しつつ、生産効率を高める難しさがここにあります。
遺伝子組換えやゲノム編集などの最先端技術には、今も慎重な声が多くあります。特に人の健康や生態系への影響については、長期的に見ないと分からない部分もあります。
科学的には安全とされる技術でも、消費者の不安を完全に取り除くことは容易ではありません。
近年では、種子に関する知的財産権が強化されています。新しい品種を開発した企業が、農家による自家採種(自分で種を採って翌年植えること)を禁止する動きも出ています。
これは育種企業にとっては当然の権利保護ですが、農家にとってはコスト負担や、伝統的な農業文化の喪失といった問題をはらんでいます。
課題は多いものの、品種改良は今後も必要不可欠な技術であることは間違いありません。
こうした課題解決に向けて、品種改良はますます進化していくでしょう。
特にゲノム編集技術は、不要な遺伝子だけをピンポイントで取り除くなど、これまでにない精度を実現しています。病気に強い農作物や、栄養価の高い作物など、さまざまな可能性が広がっています。
品種改良とは、人類が自然界の持つ可能性を引き出し、自分たちの暮らしをより豊かにするために続けてきた営みです。
──こうしたことすべてが、人々の創意工夫の成果です。
もちろん、環境保護や安全性、権利の問題も避けては通れません。しかし、品種改良の技術は人類にとって大きな財産であり、人と自然の協力の証といえるでしょう。
今この瞬間も、世界のどこかで新しい品種が生まれています。未来の食卓や生活をどのようなものにしていくのか──その鍵を握っているのは、まさに品種改良という人類の技術なのです。