国と国との間には、山脈や川、海などの自然の障壁によって生まれた「自然的国境」がある一方で、人間が作図し、合意や争いの末に決めた「人為的国境」も多く存在します。直線的で不自然なラインや、歴史的・政治的背景を抱えるこれらの国境は、現在も多くの地域で人々の生活や国際関係に大きな影響を及ぼしています。
今回は、代表的な人為的国境の例をいくつか紹介し、その背景や問題点を探ります。
アフリカ大陸を地図で見ると、驚くほど直線的な国境が目立ちます。これは19世紀末のベルリン会議(1884-85)に由来します。欧州列強がアフリカを分割支配する際、現地の民族や部族の分布を無視して緯度・経度で線引きした結果、多くの国境は定規で引いたような直線となりました。
影響:
北アメリカ大陸では、米国とカナダの国境が北緯49度線を基準に長い直線を形成しています。1818年の英米条約によって定められたもので、地形よりも経度・緯度を優先した人為的な境界線です。
特徴:
1947年、インド独立に伴い、イギリスがヒンドゥー教徒とイスラム教徒の分離を目的に引いた国境がラドクリフ線です。短期間で引かれた線は、パンジャブ州やベンガル州を分断し、住民の大移動と激しい暴動を引き起こしました。
影響:
朝鮮半島は第二次世界大戦後、北緯38度線で南北に分割されました。米ソの勢力圏分割による人為的国境であり、1950年の朝鮮戦争を経て現在も韓国と北朝鮮を分ける軍事境界線が続いています。
影響:
第一次世界大戦中の1916年、イギリスとフランスがオスマン帝国の領土を分割するために秘密裏に結んだ協定です。現代のイラク、シリア、ヨルダン、レバノンなどの国境線を人為的に引き、民族や宗派の居住地を考慮しなかったため、後世に多大な混乱をもたらしました。
影響:
冷戦時代、東ドイツ(ソ連圏)と西ドイツ(西側諸国圏)を分けた壁で、1961年に建設され1989年に崩壊しました。
ニューギニア島を東西に分ける国境で、緯度経度線を基準に引かれました。
イスパニョーラ島を分ける直線的な国境で、歴史的背景により文化や言語が大きく異なります。
イギリスとスペイン(後のグアテマラ)の条約で引かれたが、領有権を巡る対立が長く続く
第二次世界大戦後、ドイツ東部の領土がポーランドに編入され、この線が国境となりました。
オスマン帝国時代の曖昧な境界線を背景に、20世紀に国境が確定。1990年のイラクのクウェート侵攻の要因の一つ。
太平洋戦争(1879-1884)の結果、ボリビアが海への出口を失い、現在もチリとの間で領土問題が継続中。
南米最南端地域では、アンデス山脈を境界としつつも細かい国境線を巡り両国が長年対立してきました。
インド北部のアクサイチンやアルナーチャル・プラデーシュを巡る国境線は、植民地時代に引かれた境界線が元となり、現在も対立が続いています。
イタリアや英国による植民地支配後、国境確定が複雑化し、1998年にはエリトリア・エチオピア戦争が勃発。アフリカ大陸の人為的国境の例の一つです。
人為的国境は、国家の誕生や平和の確立に貢献する一方、民族や宗教、文化の分断を引き起こす原因にもなります。特に現地の実情を無視して引かれた国境は、後の世代にまで深刻な対立や悲劇を残すことが少なくありません。
現代においても、領土問題や国境紛争は世界各地で続いています。人為的に引かれた線が単なる地図上の線ではなく、人々の運命を左右する現実の壁であることを忘れてはならないでしょう。
まとめ
世界地図を眺めるとき、そこに引かれた一本の線にどんな物語が隠されているのか、ぜひ想いを巡らせてみてください。