2025年7月16日、イスラエルがシリアの首都ダマスカスを含む複数の軍事施設を空爆しました。国防省、軍司令部、情報機関関連施設などが標的となり、大きな注目を集めています。
なぜ、イスラエルはシリアを攻撃したのでしょうか?
この攻撃は一過性の軍事行動ではなく、シリア南部で起きていた宗派間対立、国境の安全保障、そして中東全体の地政学的な力学が複雑に絡み合ったものでした。
本記事では、イスラエルがなぜ今このタイミングでシリアを攻撃したのか、背景を時系列で整理しつつ、国際社会への影響も含めて詳しく解説します。
イスラエルの攻撃の直接的な引き金となったのは、シリア南部・スウェイダ県での衝突です。
スウェイダ県は、少数派であるドルーズ派が多く居住する地域です。ドルーズ派は歴史的に自治意識が強く、アサド政権とも距離を保ってきました。一方、同じ南部地域には、アラブ系遊牧民であるベドウィンも存在します。
2025年7月上旬、この2つのグループ間で激しい衝突が発生。発端は、ベドウィン側が検問所を設置し、ドルーズ派の青年を暴行・強盗したこととされます。これに対する報復が連鎖し、互いに拉致や襲撃が相次ぐ事態となりました。
7月13日、シリア暫定政府(反アサド派を中心とする暫定行政組織)は治安回復を名目に軍を派遣しましたが、彼らがベドウィン側を支援する形で介入したため、ドルーズ派との戦闘が激化。14日には暫定政府側が民間人21人を殺害し、医療施設や政府庁舎にも被害が及びました。
イスラエルはこれに対し、「ドルーズ派住民の保護」を理由にシリア国内への空爆を実施しました。
7月15日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は以下のように表明しています。
「ドルーズ派はイスラエル社会の一員であり、国境を越えて苦しんでいる彼らを放置することはできない。今回の作戦は、ドルーズ派住民の保護と、イスラエル国境付近の非武装地帯維持のために必要な行動である。」
この発言が示す通り、イスラエルは「人道的介入」と「国防」の両面を理由にしています。
空爆の名目として掲げられた「ドルーズ派の保護」。では、ドルーズ派とはどのような存在なのでしょうか?
ドルーズ派は、イスラム教シーア派から派生した独自の信仰を持つ宗教集団で、10世紀に誕生したとされています。輪廻転生や神秘主義的要素を含む独自の教義を持ち、イスラム教からは異端視されることもあります。
現在、ドルーズ派はおもに以下の3カ国に分布しています。
イスラエル国内のドルーズ派は、他のアラブ系住民とは異なり、兵役義務が課せられています。実際に多くのドルーズ派青年がイスラエル国防軍(IDF)に従軍し、警察や行政機関にも多数登用されています。
このように、イスラエル社会における「忠誠の象徴」としての側面があり、政府としてもドルーズ派との関係を重視しています。
2025年7月16日深夜、イスラエル空軍が行った空爆は、従来よりも大規模かつ象徴的なものでした。
攻撃対象には以下のような施設が含まれていました。
現地のNGO「シリア人権監視団」によれば、少なくとも軍関係者・準政府部隊を中心に43人が死亡、民間人被害も報告されています。
また、爆撃の一部は外国公館から数百メートルの範囲で行われ、西側諸国の外交官団が一時退避する事態にもなりました。
イスラエルの説明は「ドルーズ派保護」と「非武装地帯の維持」ですが、専門家の間ではさまざまな見解が飛び交っています。
ネタニヤフ政権は現在、汚職疑惑や極右連立政権との軋轢で支持率が低下。こうした状況で、「ドルーズ派保護」という“道義的”理由を掲げた攻撃は、国内向けの政治的パフォーマンスであるという見方もあります。
イスラエルは、南シリアにおける親イラン系民兵やヒズボラの影響力を排除する目的も持っているとされます。実際、空爆された一部の施設はヒズボラ戦闘員が出入りしていた拠点だったと報じられています。
空爆の後、スウェイダでは一時的な停戦が成立しましたが、これは長続きしない可能性が高いと専門家は指摘しています。
ポイント | 内容 |
---|---|
原因 | シリア南部でのドルーズ派とベドウィンの衝突、暫定政府の介入 |
イスラエルの動機 | ドルーズ派保護、国境安全保障、国内政治的パフォーマンス |
実際の攻撃内容 | ダマスカスの政府機関・軍施設を大規模空爆 |
国際的反応 | 米国は容認姿勢、トルコ・フランスは懸念または静観 |
今後の見通し | 停戦は一時的、シリア情勢は混迷の度合いを強める可能性 |
この攻撃は単なる一国の軍事行動ではなく、宗教、地政学、民族、そして国際関係が複雑に絡んだ象徴的な出来事です。今後も中東情勢を注視し、背景にある構造的な課題を見極める必要があるでしょう。