中東に関心がある人なら一度は目にしたことがある「アメリカとイランの対立」というニュース。制裁、核開発問題、ミサイル発射、そして軍事衝突――。なぜこの二国はここまで険悪な関係にあるのでしょうか?その背景には、数十年にわたる歴史的な因縁と、政治的・宗教的な価値観の違いが横たわっています。
1951年、イランではモハンマド・モサッデグ首相がアングロ・イラニアン石油会社(現BP)を国有化。これはイギリスやアメリカの経済的利権を脅かすものでした。
これに対し、アメリカのCIAとイギリスのMI6が1953年に共同でモサッデグ政権を転覆させ、親米派のパフラヴィー国王(シャー)を権力の座に戻します。
➡️ イラン国民にとっては「民主主義を潰された屈辱」として深く記憶されました。
1979年、ホメイニ師率いるイスラム革命によってパフラヴィー国王が失脚し、アメリカに亡命。これを追ってイランでは反米感情が爆発しました。
同年、イランの学生たちがアメリカ大使館を占拠し、外交官52人を444日間も人質にするという事件が発生。
➡️ これにより、米イラン関係は断交へ。アメリカはイランへの経済制裁を開始しました。
イランとイラクが戦争状態にあった1980年代、アメリカは表向き中立を装いながら、実質的にイラクのフセイン政権を支援。これもイラン側には大きな恨みを残しました。
2000年代に入ってから、イランが核開発を進めていることが国際的に問題視され、アメリカはこれを“世界の脅威”と位置づけ経済制裁を強化。
➡️ イランは「核兵器ではなく平和利用」と主張するも、信頼関係は崩壊。
2015年にオバマ政権が合意した「イラン核合意(JCPOA)」を、2018年にトランプ政権が一方的に破棄。制裁が復活し、イラン側も段階的に合意違反へ。
そして2025年6月、アメリカがついにイランの核施設(フォルドゥ、ナタンズ、イスファハン)を空爆。
➡️ これはイランによるウラン濃縮の再加速とイスラエルへの脅威強化に対する「事前抑止策」として実施されました。
A. 中東の軍拡競争が加速し、イスラエルやサウジとの武力衝突が現実味を帯びるため。
A. ありますが、双方の不信感と国内政治的事情がそれを困難にしています。
A. 原油価格の高騰や中東に展開する企業への安全リスクが増大します。
アメリカとイランの対立は、単なる「核開発の是非」を超えて、長年にわたる歴史的恨み、宗教観の違い、国際秩序を巡る争いが絡み合った複雑な問題です。
それでも、過去には「イラン核合意」のような妥協もありました。対話の可能性はゼロではありません。今こそ、武力ではなく外交と忍耐の知恵が求められています。