6月14日(2025年)は、ドナルド・トランプ前大統領の79歳の誕生日、アメリカの「Flag Day(星條旗の日)」、さらにアメリカ陸軍設立250周年が重なる特別な日でした。この日にトランプ氏はワシントンD.C.で大規模な軍事パレードを開催する予定であり、それに抗議する形で誕生したのが「No Kings Day(ノー・キングズ・デー)」です。
「王のような権威的な演出」や「軍事的ショー」を民主主義の理念への脅威と見なした多くの市民団体や個人が、全国で抗議活動を行いました。全米1,500~2,000以上の都市で同時に関連イベントが展開され、数千万ドル規模の費用が動く大きな市民運動となっています。
その背景には、トランプ政権下で進行してきた民主主義の形骸化や、司法制度、報道の自由への圧力があり、多くの市民が「国家の王制化」への危機感を募らせていました。今回の「No Kings Day」は、そうした危惧の集大成とも言える抗議運動となったのです。
各地で行われたイベントはパレード、集会、音楽フェスティバル、アート展示、ワークショップなど、多彩な形式を取りました。とりわけ若年層の参加が目立ち、「民主主義の意識改革」をテーマに掲げた教育的な活動も多く見受けられました。
また、オンラインでもハッシュタグ「#NoKingsDay」がトレンド入りし、SNSを通じた情報拡散やバーチャル抗議活動が大きな影響力を発揮しました。YouTubeやTwitchなどで生配信されたイベントも数多くあり、全米の視聴者がリアルタイムで抗議の模様を目にしました。
「No Kings(王はいらない)」というスローガンは、アメリカ独立戦争時の反王政的な精神を現代に呼び起こす意図を含んでいます。トランプ氏による軍事パレードは、あたかも王の戴冠式や軍事的権威誇示のように映り、多くの市民はこれを「民主主義の理念を踏みにじる演出」として強く非難しました。
さらに、多くの参加者は、トランプ氏がたびたび自身を「終身指導者」のように扱う発言や、選挙結果の否認といった行動を取ってきたことに強く反発しています。そのため「No Kings」という言葉は、単なる象徴的な抗議だけでなく、政治的現実に対する明確なメッセージとして使われているのです。
主催者の一つである「50501 Movement」は、50州それぞれと首都ワシントンD.C.(郵便番号50501は米国中心部の象徴的番号)で抗議活動を展開する意義を込めています。非暴力と平和的な抗議を徹底し、軍事的演出に対して市民の力と声を可視化することを目指しました。
イベントでは「教育ブース」も数多く設置され、民主主義の歴史や現状、また選挙制度改革の必要性などが来場者に向けて啓蒙的に紹介されました。特に若い世代への教育に力を入れ、「次世代の民主主義リーダー」を育てる意図が明確に打ち出されていました。
ワシントンD.C.で予定されていた軍事パレードには、戦車や装甲車の展示、6,600~6,700人の兵士の行進が含まれ、予算は2500万~4500万ドルと試算されています。
この巨額の費用に対し、多くの市民は「行政資金の無駄遣い」であると同時に、「行政の軍事化、権威主義への第一歩」と警鐘を鳴らしました。
さらに、軍の関与に対しては退役軍人団体からも強い批判が寄せられ、「軍は国民を守るためのものであり、政治家の道具にされてはならない」という声明も発表されています。軍事パレードの政治利用が、軍内部の倫理観にも波紋を広げている状況です。
「No Kings Day」は草の根運動として形成され、100以上の団体が連携して開催しました。主な中心的役割を果たしたのは以下の組織です:
さらに、多数の地方団体、教会、労働組合、学生団体、LGBTQ+支援団体などが、地域ごとのイベントを独自に企画。特に中西部・西海岸では、移民の権利擁護団体や多民族コミュニティグループの参加が活発でした。
教育関係団体や大学の学生自治会が中心となって開催したワークショップも目立ち、若年層の政治的関心の高まりに貢献しました。また、多くのアーティストや音楽家が自発的にパフォーマンスに参加し、文化的にも彩り豊かな運動となりました。
こうした「多元的かつネットワーク型」の運営形態が、迅速かつ広範な展開を可能にしています。
“We’re going to show him on June 14 that real power lies in the people.”
(「6月14日に、本当の力は民衆にあるのだと示してやる」)
“I don’t feel like a king… We’re not a king at all.”
(「自分は王のつもりなどない…王などではない」)
一方で、抗議活動に対しては「重い力で制圧する」と発言しており、さらなる反発を招いています。
「No Kings Day」は単なる抗議運動ではなく、「民主主義は市民のものである」という原点を社会に再確認させる重要な契機でした。今後もこうした動きがアメリカの政治文化にどう影響していくのか、注視していく必要があります。
特に、若い世代が主体的に関わった点は今後の市民運動の方向性に大きな示唆を与えており、民主主義を守る闘いは今後さらに新しい形で発展していくことが期待されます。