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違法日本人

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違法日本人ゼロ ―「違法外国人ゼロ」論争が突きつけた問い


はじめに ― SNSで燃え上がる「違法外国人ゼロ」論争

「違法外国人ゼロ」――2025年7月、参院選を前に自民党が掲げたこのフレーズが、X(旧Twitter)上で激しい論争を呼んでいる。

街角での外国人留学生の路上飲酒、外国資本による土地取得、社会保障制度の不正利用、川口市でのクルド人問題…。確かに外国人にまつわる問題はニュースを賑わす。しかしSNSの反応は、単に治安対策を歓迎する声だけでなく、

「違法外国人ゼロを掲げるなら、違法日本人ゼロも掲げるべきでは?」

という鋭い問いを突きつけている。

「違法日本人」あるいは「不法日本人」――一見、奇妙な響きだ。しかしこの議論が照らし出すのは、「違法とは誰のことか」「違法であることをどう取り締まるか」という、私たち社会全体の根源的な問題なのだ。


「違法外国人ゼロ」とは何か

まず、自民党が掲げた「違法外国人ゼロ」とはどんな政策なのか。

党首討論で石破茂首相は、「違法な外国人は認めない」と明言した。具体的には:

  • 不法滞在の撲滅
  • 難民認定制度の悪用防止
  • 外国人による不動産取得の監視強化
  • 外国免許切替制度の厳格運用
  • 仮放免中の外国人の管理強化

背景にあるのは、保守層の「治安不安」や「文化摩擦」への強い懸念だ。例えば埼玉県川口市でのクルド人問題は、外国人集住地域でのトラブルを象徴する出来事だった。

だがSNSでは、すぐにこうした声が噴出した。

「犯罪者からすれば加害者が外国人だろうが日本人だろうが関係ない」

「違法外国人ゼロを掲げるなら、違法日本人ゼロも言うべきだろう」


「違法日本人ゼロ」は成立するのか

Xで最も多かった批判は、「なぜ外国人だけを強調するのか」という問いだった。

そもそも「違法」とは、法律に反する行為を指す。ならば日本人の犯罪者も「違法日本人」と言えなくはない。Xでは皮肉を込めた投稿が相次いだ。

「まずは違法日本人ゼロにしろ。言葉通じるんだから楽だろ?」

「自民党が違法日本人ゼロを掲げたら、自分たちの一部も日本から出ていかないといけないのでは?」

しかし現実には「違法日本人ゼロ」という標語には無理がある。

なぜなら、日本人に対しては「国外退去」という概念が存在しないからだ。不法行為を犯せば、日本人は国内法で罰せられ、刑務所や罰金などで処理される。しかし外国人には「退去強制」「在留資格取り消し」という追加の行政措置があり、それが「違法外国人ゼロ」という標語を支えている。

つまり「違法外国人ゼロ」は、日本人には不可能な「ゼロにする」という行政的強制力を伴うが、「違法日本人ゼロ」は文字通り犯罪撲滅運動になってしまう。


犯罪統計が示す現実

「違法外国人」問題は、本当に大きな脅威なのか?

警察庁によると、令和4年の来日外国人犯罪は総検挙件数の約5%にすぎない。つまり、日本で発生する犯罪の約95%は日本人によるものだ。

SNSではこうした数字を引用する人も多い。

「違法外国人ゼロを目指しても、95%の違法日本人は残るじゃないか!」

確かに、治安維持という観点からは日本人による犯罪も深刻だ。強盗、性犯罪、詐欺、暴行――その大部分は日本人が犯している。

では「違法外国人ゼロ」は無意味なのか? 必ずしもそうとは言えない。外国人による不法滞在や不法就労は、日本社会に二重の問題を引き起こす。

  1. 治安問題(特定地域でのトラブルや犯罪)
  2. 社会保障の不正利用、労働市場の混乱

不法滞在者が問題視されるのは、単に「犯罪」ではなく、国家の管理下にない人々が増えることへの不安だ。だからこそ、自民党が「ゼロ」を掲げる。


スケープゴート論と保守政治

SNS上では、自民党に対して「排外主義だ」と糾弾する声も絶えない。

「外国人問題を強調して差別を煽り、政治の失敗を隠そうとしている」

「自分たちより弱い立場を叩くのが一番票が取れるのだろう」

特に批判されるのは、「違法外国人ゼロ」という標語が、まるで外国人全体を問題視しているように響く点だ。石破首相が「日本語や習慣が七面倒くさい」と発言したのも、「外国人=厄介者」という印象を補強した感がある。

だが保守政治家たちにとって、治安や国民の不安に応えることは重要な役割でもある。一定数の有権者が「外国人犯罪に強い姿勢を示す政党」を支持しているのは事実だ。


外国人政策の二面性

「違法外国人ゼロ」は、ある意味で極めて政治的に優秀なスローガンだ。

  • 保守層への強いアピール
  • 「日本を守る」というメッセージの明確さ
  • 外国人受け入れ拡大に慎重な国民感情を反映

しかし同時に、以下の危うさもはらむ。

  • 外国人全体への不信感を煽りやすい
  • 「排外主義」という批判を招きやすい
  • 日本社会の多文化共生の流れと逆行する可能性

SNSではこうした声もある。

「違法外国人ゼロは外国人ゼロと同じ意味では?」

「政治が差別を助長してはいけない」


「違法日本人」という言葉が浮かび上がらせたもの

今回の論争で最も興味深いのは、「違法日本人」という言葉そのものだ。

法律の前に国籍で区別はない――それは法治国家の基本理念だ。日本人も外国人も、違法行為をすれば同じく処罰される。にもかかわらず、SNSでは「違法外国人」という標語が差別的だと批判され、その対比として「違法日本人」や「不法日本人」という造語が生まれた。

しかし、「違法日本人ゼロ」は現実的には成り立たない。日本人は国外追放できないし、どの国も「犯罪者ゼロ」は達成できない。

だが皮肉なことに、この造語は私たちに重要な問いを投げかけている。

  • 法の下の平等とは何か
  • 「違法」というレッテルが、いかに社会的差別に利用されるか
  • 政治家の言葉が社会に与える影響の大きさ

結論 ―「ゼロ」にできるものと、できないもの

自民党の「違法外国人ゼロ」は、治安維持や制度の健全化を目指す現実的な政策である側面もある。一方で、その強い言葉は、外国人全体に不信感を向けさせる排外主義の匂いも孕んでいる。

「違法日本人」という言葉は成立しない。だが、このSNS論争が示したのは、政治家が言葉を選ぶ責任の重さだ。

「違法外国人ゼロ」という政策スローガンは、単なる治安維持の呼びかけなのか。それとも、外国人排除への入り口なのか。

私たちは問い続けなければならない。

「違法」をゼロにする――そんな理想の先に、果たしてどんな社会を私たちは望むのか。

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