「イランでは今も石打ちの刑が行われているのか」という疑問は、日本語のニュース記事やSNS、あるいは海外人権問題を扱うドキュメンタリーなどで断片的な情報に触れたとき、多くの人が自然に抱くものです。特に「石打ち」という言葉が持つ強烈な響きは、現代社会の感覚からすると非常にショッキングであり、強い感情的反応を引き起こしやすい特徴があります。
結論から言えば、イランの刑法体系には石打ちの刑(ラジム/rajm)を想定した規定が残ってきた経緯がある一方で、実際の運用状況は極めて不透明で、現在も頻繁に公然と行われていると断定できる状況ではありません。この「制度として残る条文」と「現実の執行状況」のズレこそが、この問題を理解しにくくしている最大の要因です。
重要なのは、「法律に書かれていること」と「現実にどのように執行されているか」は必ずしも一致しないという点です。本記事では、イランにおける石打ちの刑について、制度的な背景、実務上の扱い、国際社会からの評価を整理しながら、日本語圏で生じやすい誤解についても丁寧に解説していきます。
石打ちの刑は、一般にイスラム法の文脈で**「ラジム(rajm)」と呼ばれます。これは、一定の条件を満たした場合に科されるとされてきた刑罰で、主に姦通(結婚している者が婚外で性行為を行うこと)**と結び付けて語られることが多いものです。
イスラム法を基礎とする刑法体系では、刑罰は性質ごとにいくつかの類型に分けて理解されます。代表的な区分は次のとおりです。
石打ちの刑は主にハッド刑の文脈で語られますが、この「固定刑」という性質が、個別事情を十分に考慮しにくいという点で、現代的な刑事司法や人権概念と深刻な緊張関係を生んでいます。
伝統的な解説では、石打ちの刑は次のような流れで「想定」されてきました。
この方法が特徴的なのは、一撃で終わる刑罰ではなく、集団的な行為として進行する点にあります。そのため国際社会では、身体的苦痛だけでなく、精神的苦痛や公開性、共同責任の構造そのものが強く問題視されてきました。
重要なのは、こうした「執行方法の想定」が存在すること自体が、たとえ実際に執行件数が少ない、あるいは別の方法に置き換えられている場合であっても、深刻な人権侵害の懸念を生むという点です。
イランでは1979年のイスラム革命以降、イスラム法を基礎とした刑法体系が整備されてきました。その過程で、姦通を含む性犯罪に関する規定が明文化され、石打ちの刑を想定する条文も盛り込まれてきました。
2010年代に行われた刑法改正の過程では、国際社会からの強い批判を受け、**「石打ちの刑が削除された」「事実上凍結された」**と報じられた時期もあります。しかし最終的な法文を見ると、石打ちを想定する考え方が完全に排除されたとは言い切れない内容が残ったと評価されることが多いのが実情です。
さらに実務上は、「石打ちの刑をそのまま執行できない、または適切でないと判断された場合、別の方法で死刑を執行できる」と解釈され得る余地がある点も問題視されてきました。これは、形式上は石打ちが行われなくても、結果として死刑が維持され得ることを意味し、国際人権団体から強い懸念が示されてきました。
石打ちの刑が議論される中心は、**姦通(zina)**です。理論上は非常に厳格な証明要件が必要とされ、軽々に適用されるべきものではないと説明されることもあります。
しかし実際には、
といった要因が重なることで、公正な裁判が行われているのか疑問が残るケースが指摘されてきました。特に女性や社会的に弱い立場に置かれた人々が不利になりやすい構造については、国際人権団体が長年にわたり問題視しています。
この問いに対して明確な「はい」や「いいえ」を示すことは困難です。その理由として、次の点が挙げられます。
こうした事情から、「今も頻繁に石打ちが行われている」と断定することも、「完全に過去の制度であり、もはや存在しない」と言い切ることも、どちらも正確とは言えません。重要なのは、制度として残り得ること自体が深刻な人権問題を孕んでいるという点です。
石打ちの刑が国際社会から強く非難される理由は、単に刑罰が過酷だからという点にとどまりません。主な論点は以下のとおりです。
このため、国連機関やアムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチなどの国際人権団体は、イランに対し石打ちの刑を含む死刑制度全般の見直しや廃止を繰り返し求めてきました。
石打ちの刑は映像や証言と結び付けて語られることが多く、非常に強い印象を与えます。しかし実際の執行頻度や具体的な方法は外部から把握しにくく、断片的な情報だけで全体像を判断するのは危険です。
条文が残っているだけでも、当事者にとっては「いつ適用されるか分からない恐怖」となり得ます。制度として存在すること自体が、捜査や裁判の過程で圧力として機能する可能性があります。
イスラム圏は一枚岩ではなく、法制度や刑罰のあり方は国によって大きく異なります。石打ちの刑を採用していないイスラム国家も多数存在し、宗教そのものと特定の国家制度を混同するのは適切ではありません。
石打ちの刑は、単なる過去の残酷な刑罰の話ではありません。それは、現代の人権意識、宗教と国家の関係、刑事司法のあり方が交錯する象徴的な問題です。感情的なイメージだけで判断するのではなく、制度と現実を切り分けて理解する姿勢が求められます。