「すしざんまい」の看板で、白い調理服を着て両手を広げる木村清社長。その明るいキャラクターの裏には、株式会社喜代村」という一企業を、倒産の危機から日本一の寿司チェーンへと押し上げた、凄まじい執念の物語があります。
今回は、自衛隊、商社修行を経て、いかにして「喜代村」が誕生し、なぜ世界を股にかける企業へと成長したのか。すしざんまい社長の経歴を時系列で解説します。
1952年、千葉県野田市に生まれた木村清氏。彼の人生を突き動かす原動力は、幼少期の「貧しさ」と「責任感」にありました。
4歳で父を亡くす: 大黒柱を失った家庭は苦しく、木村氏は幼い頃から「早く働いて母を楽にさせたい」と強く願うようになります。
15歳で航空自衛隊へ: 「衣食住が保証され、給料をもらいながら勉強ができる」という理由で、航空自衛隊の生徒隊(現・航空学生)に入隊。
最年少パイロットの挫折: 18歳で当時の最年少記録で操縦資格を取得しますが、不慮の交通事故により目を負傷。パイロットとしてのキャリアは絶たれました。しかし、この時の**「命を懸けた訓練」と「規律」**が、後の経営者としての胆力を作ることになります。
自衛隊を退官後、木村氏は「法律を知らなければ社会で生きていけない」と考え、中央大学法学部の通信課程に入学。その傍らで運命の出会いを果たします。
22歳で、大洋漁業(現・マルハニチロ)の子会社「新洋商事」に入社。ここが、後に「喜代村」を築くための魚の目利きと流通の学校となりました。
1日20時間の猛勉強: 誰よりも早く市場へ行き、誰よりも多く魚を見る。ただ見るだけでなく、実際に触り、捌き、食べる。
異例の昇進: 入社数年で頭角を現し、若くして魚の買い付けを任されるようになります。「木村に任せれば間違いがない」と言わしめるほどの目利きを、この時期に完成させました。
そして、ついに木村氏は独立の道を歩みます。ここからが「喜代村」の真の歴史の始まりです。
最初は、魚の卸売りや小さなお弁当屋さんからのスタートでした。資金も人脈もない中、木村氏が武器にしたのは「圧倒的な行動力」でした。
事業を拡大するため、自身の名前から取った**「喜代村」**を法人化します。
社名の由来: 「清(きよし)」の「喜(き)」と、名字の「木村」を組み合わせ、地域に根ざし、皆に喜ばれる「村」のような組織にしたいという願いが込められています。
喜代村は、単なる寿司屋の会社ではありませんでした。木村社長は、お客様が求めるものを片っ端から形にしていきました。
展開した業態: お弁当屋、カラオケボックス、レンタルビデオ店、カフェ、居酒屋、不動産業、さらにはビジネスコンサルティングまで。
「90種類」の経験: ピーク時には90もの異なる事業を展開。これは「一つの事業がダメでも他で補う」というリスクヘッジであると同時に、木村社長の溢れんばかりの好奇心の現れでもありました。
1990年代初頭、バブル崩壊。この荒波は喜代村にも容赦なく襲いかかります。
莫大な負債: 不動産バブルに乗り、一時は資産価値が膨れ上がりましたが、崩壊とともに多額の借金を背負うことになります。
事業の整理: 90あった事業のほとんどを畳まざるを得なくなりました。手元に残ったのは、わずかな資金と、長年培ってきた**「魚を見る目」、そして「喜代村」という社名**だけでした。
どん底から立ち上がった木村社長が、2001年に一勝負をかけたのが、築地場外市場での**「すしざんまい」オープン**でした。
当時の築地は、朝が早い代わりに夜は真っ暗で人通りがありませんでした。
木村社長は「市場が閉まっている時間も、美味しい魚を食べたい人はいるはずだ。築地を眠らない街にしよう」と考えました。周囲からは「絶対に失敗する」と猛反対されましたが、自衛隊仕込みの突破力で押し切りました。
時価の廃止: 喜代村は「明朗会計」を徹底。一貫ずつの価格を表示し、財布の中身を気にせず食べられる安心感を提供しました。
最高級マグロの提供: 「安い店は魚が悪い」という偏見を覆すため、初競りでは誰よりも高い値を付けて最高のマグロを競り落とし、それを赤字覚悟の低価格で客に提供しました。
この「喜代村流」の経営が爆発的な支持を得て、現在の巨大チェーンへと繋がっていくのです。
喜代村の歴史において、最も驚愕すべきはソマリアでの海賊支援です。
2010年代、ソマリア沖の海賊被害に悩む世界に対し、木村社長は「自衛隊」の経験と「商売人」の視点で挑みました。
「海賊だって、好きで海賊をやっているわけじゃない。食えるなら真面目に働きたいはずだ」
直接交渉: 木村社長は防弾チョッキを着て現地へ向かい、海賊たちと膝を突き合わせて話し合いました。
漁船と技術の提供: 喜代村が中古の漁船を送り、日本の高度なマグロ漁の技術を現地の人々に教え込みました。
流通の確保: 獲ったマグロを喜代村が買い取る仕組みを作りました。
単なる寄付ではなく、「仕事(商売)」を与えて自立させる。 これこそが喜代村の経営理念の真髄でした。結果として、その海域の海賊被害は劇的に減少したのです。
パイロットの夢を失い、90の事業に挑戦し、バブルのどん底を味わい、そして「喜代村」を日本を代表する企業へと育て上げたすしざんまいの木村清社長。
木村社長の経歴と彼の歩みには、常に**「喜んでもらうために、まず自分が動く」**という精神が貫かれています。
「喜代村」という名前の通り、彼は今もなお、寿司を通じて世界中に「喜び」を届ける「村」の村長として、走り続けています。
次に「すしざんまい」の暖簾をくぐる時は、ぜひその背景にある**「株式会社喜代村」の波乱に満ちた30年以上の歴史**に思いを馳せてみてください。