死刑制度が議論されるとき、避けて通れないのが「冤罪(えんざい)」です。もし無実の人に死刑が確定し、執行まで至ったなら、取り返しがつきません。
ただし日本では、**「死刑を執行された後に、裁判(再審)で無罪が確定した」**という意味での“確定冤罪”は、戦後の統計・公的な整理の中では確認が非常に難しいのが実情です。理由は単純で、執行後は本人からの防御活動が不可能になり、再審手続も複雑化しやすいためです(後述)。
その一方で、
は、複数存在します。
以下では、言葉の混同を避けながら「何が確定していて、何が“疑い”として残っているのか」をできるだけ丁寧に整理します。
一般に「冤罪で死刑執行された人」と言うと、次の2つが混ざりがちです。
Aは「再審無罪」という形で法的に確定します。 Bは、DNA鑑定や証拠評価等の問題点が指摘されても、**再審で無罪が確定しない限り“法的には未確定”**のまま残ります。
日本には、**「死刑判決(しかも確定)を受けたのに、再審で無罪になった」**事件が複数あります。
よく「死刑4再審」と呼ばれるのが、次の4事件です(いずれも死刑確定後、再審で無罪)。
これらは1980年代に相次いだ再審無罪として、複数の弁護士会・研究者側の整理でも繰り返し言及されます。近年は、静岡で袴田事件(1966年事件)をめぐって再審が進み、同じ文脈で語られてきました(下記)。
日弁連は、免田栄氏が長期間にわたり死刑囚として置かれ、再審で無罪判決を得たことを会長声明で述べています。
財田川事件についても、日弁連は無罪判決確定時に声明を出しています。
松山事件も、再審無罪判決について日弁連が声明を出しています。
島田事件については、日弁連が再審無罪判決の言渡しに関する声明を公表しています。
※上記4事件は「死刑確定後に冤罪が救済された」例であり、いずれも“執行”される前に無罪となった点が重要です。
袴田事件は、1968年に死刑判決を受け、長年にわたり死刑囚として拘置されましたが、執行はされないまま再審に進み、**再審で無罪(警察・検察による証拠捏造等を認定する内容)**が報じられています。検察が控訴しないことにより無罪が確定した旨も報じられています。
この事件は、死刑制度の議論だけでなく、取り調べ・証拠管理・再審制度の在り方を問う象徴的事件として国際報道でも取り上げられてきました。
「死刑が執行された」という点で、しばしば名前が挙がるのが飯塚事件です。
東京弁護士会の案内文では、飯塚事件について
と整理されています。
ここで重要なのは、飯塚事件が社会的に大きく議論される一方で、現時点では「再審無罪」という法的確定には至っていない(=“疑い”として残る)という点です。
近代史の文脈で「冤罪で処刑」として語られる代表例が**大逆事件(幸徳事件)**です。
日弁連は、死刑執行100年にあたっての会長談話で、
という事実関係を示したうえで、同事件の問題性に触れています。
戦前の政治・思想弾圧、密室性の高い審理、短期間での執行という特徴から、学術的・市民的には冤罪(フレームアップ)とみなす議論が強く、現代の再審制度や死刑制度を考える際の参照点になっています。
※ただし、戦後の刑事再審制度のもとで「再審無罪」が積み重なったタイプ(死刑4再審等)と違い、歴史事件としての評価・位置づけが中心になります。
死刑執行後に「冤罪だった」と法的に確定させるには、基本的に再審で無罪を得る必要があります。
ところが、日弁連(再審法改正をめぐる意見書)は、現行制度には
といった課題がある旨を指摘しています。
つまり、執行後はもちろん、執行前であっても死亡した時点で救済ルートが細くなり、証拠の散逸・関係者の記憶の劣化も重なって、真相解明がさらに難しくなります。
冤罪事件で繰り返し問題となる論点には、次のようなものがあります。
死刑事件は、社会的関心が高い一方で、いったん有罪の流れができると覆すことが難しく、誤りがあった場合のダメージが最大化します。
死刑制度をめぐる議論は、賛否の立場によって結論が割れます。しかし、最低限として、 「取り返しがつかない制度である以上、冤罪救済の制度設計が十分か」 という問いは、立場を超えて共有されるべき論点です。