映画『猿の惑星』について、「登場する猿は日本人がモデルになっている」「原作者が日本軍の捕虜経験から日本人を猿として描いた」といった話を耳にしたことがある人は少なくありません。
しかし、この説は本当なのでしょうか? 本記事では、原作小説や映画の制作背景、原作者ピエール・ブールの経歴、国内外の資料を手がかりに、この噂を丁寧にファクトチェックしていきます。
まず、ネットや一部の本・雑誌などで繰り返し語られてきた「猿の惑星=日本人モデル説」を整理してみます。典型的には、次のような形で語られます。
一見すると「ありそうな話」に聞こえるかもしれません。しかし、こうした話は感情的な連想や思い込みに基づいており、一次資料で裏付けられたものではありません。
最初に、『猿の惑星』という作品がどのように生まれたのかを、簡単に整理しておきます。
英語圏では “Planet of the Apes” のタイトルで知られ、1968年にはフランクリン・J・シャフナー監督によるハリウッド映画版が公開されました。その後もシリーズ化・リブート化され、現在まで続く大ヒットフランチャイズになっています。
映画版は、原作小説の基本設定を踏まえつつも、アメリカ社会・冷戦・核戦争への不安などを色濃く反映した作品として知られています。つまり、もともと「フランス人作家によるSF小説」と「アメリカ映画会社による映画シリーズ」が合流して出来上がった作品群です。
この時点で、単純に「日本人を揶揄した反日作品」と断定するには、かなり無理があることが分かるでしょう。
日本人モデル説で最もしばしば持ち出される根拠が、原作者ピエール・ブールの戦争体験です。
ブールは第2次世界大戦中、フランス領インドシナ(現在のベトナムなどを含む地域)でフランス軍の将校・レジスタンスとして活動しました。その過程で逮捕され、強制労働をともなう収容所・刑務所生活を送っています。
しかし、研究者の調査や本人の証言をまとめた文献によると、
が明らかになっています。
つまり、よく言われる「ブールは日本軍の捕虜だった」「日本兵を直接見てトラウマになり、猿で復讐した」という物語は、事実関係としてかなり怪しいのです。
ブールは『猿の惑星』の前に、**『戦場にかける橋(Le Pont de la rivière Kwaï)』**という小説を書いています。こちらは、第二次世界大戦中に泰緬鉄道の建設に従事させられた連合軍捕虜と日本軍将校を描いたフィクションです。
おそらく、
「戦場にかける橋」=日本軍の捕虜収容所の話 → 著者ブールは日本軍の捕虜だった → 同じ著者の「猿の惑星」の猿は日本軍(=日本人)がモデル
という短絡的な連想によって、「猿の惑星=日本人モデル説」が補強されていったと考えられます。
では、具体的に「猿の惑星の猿は日本人がモデル」という話は、どこから広まったのでしょうか。
日本語のQ&Aサイトやブログ、SNSをたどると、1970年代〜90年代にかけての映画解説本や雑誌記事などで、
といった**出典不明の“うわさ話”**が何度も繰り返し引用されていることが分かります。
その中には、映画評論家やライターがインタビューやコラムの中で「猿のモデルは日本人」という話を紹介し、後になって本人が誤りを認めて訂正した例もあります。ただし、紙の本や雑誌に一度活字で載ってしまうと、その情報だけが独り歩きし、インターネット登場後も「それらしい話」としてコピーされ続けてしまいました。
一方で、フランス語・英語圏のインタビュー、研究書、映画史の文献などを調べても、
といった趣旨の記述は見当たりません。
国内のブログやノート記事などでも、海外の一次資料を追いかけたうえで「日本人モデル説を裏付ける証拠は見つからない」と明言しているものが複数あります。
要するに、「日本人モデル説」は、ほぼ日本国内だけで流通している都市伝説だと考えられます。
1968年の映画版『猿の惑星』で特徴的なのは、人語を話し文明社会を築いた猿たちのリアルな特殊メイクです。このメイクを手がけたのは、アメリカ人メイクアップアーティストの**ジョン・チェンバース(John Chambers)**たちのチームでした。
インタビューや資料によると、彼らが意識していたのは、
といったポイントであり、「特定の民族の顔をモデルにした」という話は出てきません。
むしろ、当時としては画期的だった**「人間と猿の中間」のような造形**を目指して、何度もテストメイクが繰り返されたことが伝えられています。日本人であれどこの国の人であれ、特定の人種をなぞる必要性はそもそもなかったと考えられます。
『猿の惑星』は、単なる「猿が人間を支配する」娯楽作品というだけでなく、
といったテーマを盛り込んだ文明批評的な寓話として、多くの研究者に論じられています。
映画版では、アメリカの公民権運動や冷戦構造、宗教と科学の対立など、当時のアメリカ社会の問題が強く反映されており、「日本を揶揄するための反日映画」という解釈は、世界的には主流ではありません。
1968年の映画版には、裁判の場面で猿の裁判官たちが
というポーズをとる有名なシーンがあります。これは、日光東照宮の「見ざる・聞かざる・言わざる」に由来する日本文化のモチーフだとされています。
この場面だけを見ると、「日本がネタにされている」と感じる人もいるかもしれませんが、ここで批判されているのは**「都合の悪い真実を見ようとしない権力者」**であり、日本人そのものではありません。むしろ、普遍的な権力批判のアイコンとして日本のモチーフが引用された、と考える方が自然です。
歴史的に見ると、欧米のプロパガンダや差別的な風刺画では、
といった表現が実際に存在していました。そのため、
「猿の惑星の猿=日本人を指しているのではないか」
と疑う気持ちが生まれる素地はたしかにあったと言えます。
しかし、だからといって、
と結論づけるのは、やはり飛躍が大きすぎます。差別表現が実在した歴史と、個別の作品の意図を混同してしまうと、事実から離れた解釈が広まりやすくなってしまいます。
ここまで見てきたポイントを整理すると、「猿の惑星の猿は日本人がモデル」という説は、次の理由から**信頼できる根拠のない噂(都市伝説)**と考えるのが妥当です。
以上を踏まえると、
「猿の惑星の猿は日本人がモデルである」
という説は、事実としてはほぼ否定してよいデマだと言えます。
『猿の惑星』日本人モデル説は、
といった理由で、半世紀近くも生き残ってきた噂です。
しかし、改めて一次資料や研究をたどってみると、
などがごちゃまぜになって生まれた**「物語としての噂」**にすぎないことが見えてきます。
これは、『猿の惑星』という作品そのものとは別に、
がどのように広まり、定着してしまうのかを考える教材にもなります。
『猿の惑星』シリーズは、
といった魅力にあふれた作品です。
「日本人がモデルだったのか?」という噂はたしかにインパクトがありますが、事実関係を追ってみると、信頼できる根拠はほとんどありません。むしろ、
を考えることで、作品だけでなく**私たち自身の「ものの見方」**も振り返るきっかけになるかもしれません。
噂に振り回されるよりも、ぜひ原作小説や映画を実際に見て、自分の目と頭で『猿の惑星』という作品世界を味わってみることをおすすめします。