アメリカの死刑制度
2025年時点の仕組み・論点・最新動向まとめ(大幅拡充版)
最終更新日:2025年9月18日(日本時間)
アメリカの死刑制度は、連邦(Federal)と州(State)という二層構造のもとで運用され、州ごとに適用の有無や手続、執行方法が大きく異なります。本稿は、制度の基本から主要判例、執行方法の実態、統計動向、賛否の論点、近年のトピックまでを実務に役立つ視点で網羅的に整理したものです。
さらに、歴史的変遷、上訴・救済(ハビアス)や恩赦・減刑の手続、知的障害・未成年・精神疾患に関する保護基準、コスト構造、国際比較、読者がつまずきやすい英語表記(判例名)の読み方、誤解されやすいポイント、編集・更新の運用ガイド、ケーススタディ、用語集まで広げ、初学者にも読みやすいよう補いました。
1) まず:米国の判例名の読み方(超簡単ガイド)
日本の記事では突然「Furman」「Gregg」といった苗字(姓)が出ますが、これは裁判の事件名(判例名)の一部です。米国では裁判を「A v. B(A 対 B)」と書き、AやBに人名・州名・官職名が入ります。
- 基本形:
Furman v. Georgia (1972)
= ファーマン対ジョージア州(1972年)
- Furman(ファーマン):被告人など個人の姓。
- Georgia(ジョージア):訴えられた州の名前(州政府)。
- (1972):最高裁判決年。
- “v.” の意味:versus(バーサス/対)。
- 誰が誰を訴える?:刑事は通常州対被告。上訴段階により表記は変わりますが、広く定着した事件名が使われます。
- 略称が多い理由:紙幅と慣例のため、苗字だけ(Furman/Gregg など)で呼ばれます。
本記事に出る代表判例(読み・要点・分類)
- Furman v. Georgia (1972)(ファーマン対ジョージア州)… 当時の死刑運用をいったん違憲。人名+州名
- Gregg v. Georgia (1976)(グレッグ対ジョージア州)… 再設計後は条件付き合憲。人名+州名
- Coker v. Georgia (1977)(コーカー対ジョージア州)… 殺人を伴わない強姦への死刑は違憲。人名+州名
- Enmund (1982)/Tison (1987)(エンマンド/タイソン)… 共犯の関与の深さと適用可否。人名+州名
- McCleskey v. Kemp (1987)(マクレスキー対ケンプ)… 統計だけでは人種差別の救済は難しい。人名同士
- Ring v. Arizona (2002)(リング対アリゾナ州)… 加重事由は陪審が認定。人名+州名
- Atkins v. Virginia (2002)(アトキンス対バージニア州)… 知的障害者への死刑禁止。人名+州名
- Roper v. Simmons (2005)(ローパー対シモンズ)… 犯行時未成年への死刑禁止。人名同士
- Kennedy v. Louisiana (2008)(ケネディ対ルイジアナ州)… 殺人を伴わない児童強姦への死刑は違憲。人名+州名
- Baze v. Rees (2008)(ベイズ対リース)… 薬物注射の合憲枠。人名同士
- Hall v. Florida (2014)(ホール対フロリダ州)… 知的障害の判断基準の厳格化。人名+州名
- Glossip v. Gross (2015)(グロシップ対グロス)… 代替方法の提示責任を明確化。人名同士
- Hurst v. Florida (2016)(ハースト対フロリダ州)… 量刑での陪審の役割を再確認。人名+州名
- Moore v. Texas (2017/2019)(ムーア対テキサス州)… 臨床基準に沿う知的障害判断。人名+州名
- Bucklew v. Precythe (2019)(バックルー対プリサイス)… 個別事情で方法変更請求。人名同士
- Ford v. Wainwright (1986)/Panetti v. Quarterman (2007)(フォード/パネッティ)… 執行の理解能力がない者の執行は不可。人名同士
2) 基本構造(連邦と州の二層構造)
- 二層構造:連邦法でも死刑は法定刑として存置。ただし実務の中心は州で、有無・条件・方法は州差が大きい。
- 州の存廃状況(概観):2025年時点の一般的整理として、法的には存置州と廃止州が概ね拮抗。形式上は存置でも**長期モラトリアム(執行停止)**の州があり、名目と運用がずれることがある。
- 連邦の位置づけ:連邦犯罪(例:特定テロ)では連邦事件になりうる。2021年以降は連邦のモラトリアムが続き、2025年初頭に薬剤プロトコル撤回が発表され、再開は不透明。
要点:アメリカの死刑は**「制度の有無」より「運用の温度差」が本質。政治・世論・検察方針・薬剤供給などの現実要因**が強く効きます。
3) 歴史的変遷(1972年以降の再設計と現在)
- 1972(Furman):当時の恣意的運用を違憲とし全面見直しへ。
- 1976(Gregg):分離審理やガイド付き裁量等を前提に条件付き合憲。
- 1980–90年代:対象犯罪の明確化・加重事由の整備・陪審権限の強化。McCleskeyは統計的偏り主張の壁を示す。
- 2000年代:Ringで加重事由は陪審が認定、Atkins/Roper/Kennedyで適用対象を縮小。
- 2010年代〜:Baze/Glossip/Bucklewで方法合憲の枠組みを整備、Hurstで陪審の役割を再確認。方法・手続・対象の三領域が現在の基盤。
4) 州別の存廃マップとモラトリアムの実態
- 活発運用型:テキサス、オクラホマ、フロリダなど執行が集中しやすい州。
- 形式存置・実質停止型:制度はあるが長年執行なしの州(薬剤調達、訴訟、政治判断が要因)。
- 完全廃止型:立法により廃止した州。南部でも2021年にバージニアが廃止し象徴的転換。
- モラトリアムの形:
- 行政型(知事・司法長官の方針)、
- 司法型(差止・仮処分)、
- 実務型(薬剤入手難・施設運用・秘密法を巡る訴訟など)。
更新注意:州選挙・知事交代・法改正・裁判所判断で短期に環境が変化します。
5) 裁判手続の流れ(分離審理・加重/情状・評決要件)
**二段階の分離審理(bifurcated trial)**が基本。
- 事実審(有罪・無罪)
- 量刑審(死刑か終身刑か)
量刑段階の鍵:
- 加重事由(aggravators):死刑適用の前提として検察が立証。
- 情状事由(mitigators):被告側が提示し死刑回避を主張。
- 陪審の役割:Ring以降、加重事由の認定は陪審が担うのが原則。
- 評決要件:全員一致が主流。非一致なら**LWOP(仮釈放なし終身刑)**となる運用が一般的(州差あり)。
- death-qualification:死刑に断固反対の候補陪審員を除外でき、制度支持寄りの偏りが生じうると指摘。
6) 執行方法の現在地(薬物注射/電気椅子/銃殺/窒素低酸素)
- 薬物注射(第一選択):単剤(ペントバルビタール等)/三剤(鎮静・麻痺・心停止)などプロトコル差があり、薬効・投与・医療関与の可否が争点。製薬企業の不売方針や輸出規制で供給難→**秘密法(secrecy law)や調剤薬局(compounding pharmacy)**活用が透明性論争に。
- 電気椅子・銃殺:バックアップとして残す州あり。方法選択権の有無は州法次第。
- 窒素低酸素(nitrogen hypoxia):2024年に世界初の実施。苦痛の有無、手順管理、医学的検証など人道性を巡る論点が継続。他州導入の是非は訴訟と科学的評価次第。
実務メモ:方法合憲はBaze/Glossip/Bucklew枠組み。異議申立側には**「実行可能な代替方法」の提示**が求められます。
7) 上訴・救済・恩赦(州控訴〜連邦ハビアス、知事裁量)
- 州控訴→州最高裁:手続違背・量刑不適法・陪審指示の誤りなど。
- 連邦ハビアス(28 U.S.C. §2254 等):州の救済を尽くした後、連邦憲法上の侵害を主張。**AEDPA(1996)**で審査は厳格化、**有効な弁護(Strickland)**など具体的権利侵害の立証が鍵。
- 連邦最高裁(certiorari):受理は選別制で全件は審理されない。
- 恩赦・減刑(clemency):最終段階の政治的救済。知事や恩赦委員会が執行停止・減刑・恩赦を判断。
8) 統計動向:判決・執行は長期減少、ただし州間で二極化
- 長期減少:1990年代末〜2000年代初頭をピークに求刑・判決・執行は総じて減少。
- 背景:冤罪懸念、審理長期化、薬剤調達難、費用増、遺族の意向多様化。
- 二極化:総数は減少しても、一部州の積極運用が全体を左右する局面がある。
9) 主要合憲性判例の要点(1972–2019)
- Furman v. Georgia (1972):当時の恣意的運用を違憲。
- Gregg v. Georgia (1976):再設計後の枠組みで合憲。
- Coker v. Georgia (1977):成人女性への強姦(非致死)に死刑は違憲。
- Enmund v. Florida (1982)/Tison v. Arizona (1987):犯行関与の程度と適用範囲。
- McCleskey v. Kemp (1987):統計的人種偏りの主張の限界。
- Ring v. Arizona (2002):加重事由は陪審が認定。
- Atkins v. Virginia (2002):知的障害者への死刑禁止。
- Roper v. Simmons (2005):犯行時未成年者への死刑禁止。
- Kennedy v. Louisiana (2008):殺人を伴わない児童強姦への死刑禁止。
- Baze/Glossip/Bucklew:薬物注射合憲枠と代替方法の提示責任。
- Hall v. Florida/Moore v. Texas:知的障害の判断基準。
- Hurst v. Florida (2016):量刑での陪審の役割。
10) 保護領域:知的障害・未成年・精神疾患/非致死犯罪
- 知的障害:Atkins以降は全面禁止。Hall/Mooreで診断と臨床基準の扱いを厳格化。境界知能帯や適応行動評価が争点。
- 未成年(犯行時):Roperで一律禁止。発達科学の知見(可塑性・衝動制御)が背景。
- 精神疾患:Ford/Panetti系列で、執行を理解できない者の執行禁止。責任能力・治療可否など個別判断。
- 非致死犯罪:Coker/Kennedyにより原則殺人を伴わない犯罪への死刑は不可。
11) 争点の深掘り(冤罪、バイアス、費用、抑止、被害者)
- 冤罪:誤認識・虚偽自白・鑑定の誤り・弁護不十分・開示不備。証拠保全・DNA再鑑定・独立機関の整備が安全弁。
- 人種・社会経済的偏り:被害者が白人の事件で適用率が高い傾向の研究。起訴裁量・陪審構成・弁護資源など多層要因。
- 費用:ハビアス等で終身刑より高コスト化しやすい。公共資源配分の観点で議論。
- 抑止効果:研究設計により結論が揺れる。確定的合意は限定的。
- 被害者・遺族:**終結(closure)**の感じ方は多様。修復的司法の選好も増加。
12) 近年のトピック(2024〜2025)
- 窒素低酸素法(アラバマ、2024):世界初の実施で人道性論争が継続。導入拡大の是非は訴訟と科学的評価に左右。
- 連邦モラトリアム(2021〜):2025年の薬剤プロトコル撤回で再開時期は不透明。
- 州の活発化(例:フロリダ):一部州の積極運用が統計を左右。「存置=執行」ではない現実が鮮明に。
13) 国際比較と外交・対外評価(G7/OECD)
- 国際的潮流:欧州中心に廃止国が多数派。G7でも制度存置・運用は少数。
- 外交・移送:死刑の可能性がある国への引渡しや領事支援は、条約・人権基準との整合が論点。
14) ケーススタディ(テキサス/フロリダ/カリフォルニア/アラバマ/バージニア)
- テキサス:歴史的に執行数が多い州。郡検察の方針や陪審文化、上訴・救済の運用が量刑に影響。
- フロリダ:量刑手続(Hurst後)の調整を経て、執行運用を積極化する局面がある。
- カリフォルニア:法的存置だが長期モラトリアムの象徴的州。死刑囚人口が多い一方、執行は停止状態が続く局面が多い。
- アラバマ:窒素低酸素法の先行導入州。方法合憲・人道性を巡る争いの焦点。
- バージニア:2021年に廃止。南部での政策転換の象徴例。
注意:各州の細部は年ごとに変わるため、最新の州法・訴訟・行政方針の確認が必須です。
15) 誤解されがちなポイント
- 「存置=いまも執行」ではない:名目上は存置でも、実務は停止の州がある。
- 「連邦が止まれば全米が止まる」ではない:州事件は州の判断に依存。
- 「薬剤がないならやめる」は単純化:代替方法・秘密法・調剤薬局など複雑な対応がある。
- 「終身刑の方が安い」は概ね傾向だが、州差・事案差が大きい。
- 「抑止効果は明白」でも「皆無」でもない:研究設計次第で結論が割れる。
- 「人種バイアスは陪審だけの問題」ではない:起訴裁量・弁護資源など構造要因が絡む。
- 「被害者の終結は死刑でのみ得られる」わけではない:感じ方は多様で、修復的司法を望む声も。
- 「判例名=地名」ではない:**人名(姓)**が先に来ることが多い(例:Furman)。
- 「連邦最高裁がOKなら自動で再開」ではない:州の政治・実務が左右する。
- 「国際的には珍しくない」わけではない:先進国では少数派。
16) 実務のためのチェックリスト
- 年1回の総点検:州別の存廃・モラトリアム・方法を確認。
- 立法・判例ウォッチ:州議会会期・選挙・州最高裁の注目判決を定期巡回。
- 方法アップデート:薬剤供給・秘密法・代替方法の訴訟動向を追跡。
- 統計の可視化:年度別新規判決・執行・滞留年数の簡易グラフ化。
- 編集運用:「最終更新日」明記と**更新履歴(差分)**の付記。
17) よくある質問(FAQ)
Q1. 全米で一律に廃止?
A. いいえ。連邦・一部州では存置。全米一律廃止ではありません。
Q2. 連邦と州、どちらで裁かれる?
A. 多くは州事件。テロ等の連邦犯罪は連邦で量刑。
Q3. 執行方法を選べる?
A. 州により選択権の有無・範囲が異なります(薬物注射/電気椅子/銃殺/窒素低酸素など)。
Q4. DNA再鑑定で無罪が出る?
A. 出ます。証拠保全・独立鑑定が誤判防止に重要。
Q5. 終身刑(仮釈放なし)との違いは?
A. 終身刑は生命を奪わず、死刑は不可逆。費用・倫理・誤判リスクの評価が分かれます。
Q6. 抑止効果はある?
A. 研究設計次第で結論が割れ、確定的合意は限定的。
Q7. 死刑確定から執行まで長いのはなぜ?
A. 多層の審査(控訴・ハビアス)と方法訴訟、恩赦手続が重なり、平均で長期化しやすいからです。
Q8. 薬剤が入手しづらいのはなぜ?
A. 企業の不売方針・輸出規制・倫理方針が背景。調剤薬局活用や秘密法で対応する州もあります。
Q9. 死刑囚の収容環境は?
A. 州差はありますが、高い警備レベルと個別管理が一般的。医療・面会・法的支援の枠組みも州により異なります。
Q10. 世論は賛成が多数?
A. 長期的には支持低下の指摘がある一方、重大事件で短期的に支持が戻ることがあります(時期・地域によって変動)。
18) 用語集(A→Z)
- AEDPA:1996年制定の連邦法。連邦ハビアス審査を厳格化。
- aggravator(加重事由):死刑適用の前提となる重い事情。
- bifurcated trial(分離審理):有罪審と量刑審を分ける仕組み。
- clemency(恩赦・減刑):知事や委員会による最終的な政治的救済。
- compounding pharmacy:調剤薬局。致死薬の調達で話題に。
- death-qualification:死刑に断固反対の陪審候補を除外する選別。
- LWOP:仮釈放なしの終身刑。
- mitigator(情状事由):死刑回避のために考慮される事情。
- secrecy law:薬剤供給元などを秘匿する州法。
- versus(v.):A対Bを示す判例表記。
19) 参考:年表(主要出来事)
- 1972:Furman(当時の運用を違憲)
- 1976:Gregg(条件付き合憲)
- 2002:Ring(加重事由は陪審)/Atkins(知的障害禁止)
- 2005:Roper(未成年禁止)
- 2008:Baze/Kennedy(方法枠組み/非致死犯罪の制限)
- 2015:Glossip(代替手段提示責任)
- 2019:Bucklew(個別事情の方法変更)
- 2024:アラバマで窒素低酸素法を実施
- 2025:連邦の薬剤プロトコル撤回が公表
20) 付録:すぐわかる判例ミニ解説(超要約)
難しい英語名で迷子にならないよう、“役割”を一行で。年は最高裁判決年です。
- Furman v. Georgia (1972):いったん違憲。
- Gregg v. Georgia (1976):条件付き合憲。
- Coker v. Georgia (1977):非致死の強姦に死刑は違憲。
- Enmund/Tison:共犯の関与の深さを基準化。
- McCleskey v. Kemp (1987):統計だけでは人種差別救済は難。
- Ring v. Arizona (2002):陪審が加重事由を認定。
- Atkins/Roper/Kennedy:知的障害/未成年/非致死犯罪の範囲を制限。
- Baze/Glossip/Bucklew:方法合憲の枠組みを確立。
- Hall/Moore:知的障害の判断を厳格化。
- Hurst:量刑での陪審の役割を再確認。
- Ford/Panetti:理解能力ない者への執行不可。