イスラエルとイランの対立の大きなきっかけは、1979年のイラン・イスラム革命です。それ以前のイランは、現在のようにイスラエルと激しく敵対していたわけではありません。むしろ、パーレビ王政時代のイランはアメリカと近く、イスラエルとも一定の協力関係を持っていました。
しかし、1979年の革命によってイランの政治体制は大きく変わりました。王政が倒れ、反米・反イスラエルを掲げるイスラム共和国が成立すると、イスラエルとの関係は一気に悪化します。その後、パレスチナ問題、ヒズボラやハマスなどへの支援、シリアやレバノンをめぐる地域対立、そしてイランの核開発問題が重なり、両国の対立は長期化しました。
2025年6月には、イランの核開発をめぐる緊張が高まり、イスラエルによるイランへの大規模攻撃とイランの報復攻撃が発生しました。これにより、長年続いてきた影の対立は、直接的な軍事衝突へと発展しました。
この記事では、イスラエルとイランの対立がいつ、なぜ始まったのかを、歴史的な流れに沿ってわかりやすく整理します。
現在の関係だけを見ると意外に感じるかもしれませんが、イスラエルとイランはもともと常に敵対していたわけではありません。
1948年にイスラエルが建国された後、イランは中東のイスラム教徒が多数を占める国の中では比較的早い段階で、イスラエルを事実上承認しました。当時のイランはパーレビ国王による王政で、アメリカとの関係が深く、冷戦下では親米国家として位置づけられていました。
イスラエルから見ても、イランは重要な存在でした。中東にはイスラエルと敵対するアラブ諸国が多くありましたが、イランはペルシャ系の非アラブ国家です。そのため、イスラエルはイランを「アラブ諸国に囲まれた中東の中で協力できる国」と見ていました。
パーレビ王政時代には、石油、貿易、情報、安全保障などの分野で両国の関係が築かれていました。正式な同盟国というよりも、共通の利害によって結びついた現実的な協力関係だったといえます。
しかし、この関係は1979年のイラン・イスラム革命によって大きく変わりました。
イスラエルとイランの対立を理解するうえで、最も重要な出来事が1979年のイラン・イスラム革命です。
この革命によって、親米路線を取っていたパーレビ王政は崩壊しました。そして、宗教指導者ホメイニ師を中心とするイスラム共和国が成立します。新しいイラン政府は、アメリカやイスラエルを強く批判し、反米・反イスラエルを国家の基本姿勢の一つにしました。
革命後のイランは、イスラエルを中東における不正義や占領の象徴とみなし、パレスチナ人の抵抗運動を支持する姿勢を強めました。イスラエルとの関係は断絶され、かつての協力関係は完全に失われます。
ここで重要なのは、対立の原因を単純に「宗教の違い」だけで説明してはいけないという点です。イスラエルはユダヤ人国家としての性格を持ち、イランはシーア派イスラムを中心とするイスラム共和国ですが、両国の対立は宗教だけで起きたものではありません。
むしろ、次のような複数の要素が重なっています。
つまり、イスラエルとイランの対立は、宗教対立であると同時に、政治、安全保障、地域覇権、国際秩序をめぐる複雑な対立でもあります。

イラン革命後、イランはパレスチナ問題を重視する姿勢を強めました。イスラエルはパレスチナ人の土地を占領している存在だと批判し、パレスチナ側を支援することで、イスラム世界における自国の影響力を高めようとしました。
一方、イスラエルにとって、イランのこの姿勢は重大な脅威でした。イランが単に政治的にイスラエルを批判するだけでなく、イスラエルと敵対する武装勢力を支援するようになったためです。
特に重要なのが、レバノンのヒズボラと、パレスチナのハマスです。
ヒズボラはレバノンを拠点とするシーア派組織で、イランとの結びつきが非常に強いことで知られています。イスラエル北部にとって、ヒズボラは長年にわたる安全保障上の脅威です。2006年には、イスラエルとヒズボラの間で第二次レバノン戦争が起きました。
ハマスはスンニ派のイスラム主義組織ですが、反イスラエルという立場から、イランとの関係を築いてきました。イランは、こうした組織への支援を通じて、イスラエルに直接攻撃を仕掛けなくても圧力をかけることができました。
このように、イランはイスラエル周辺の勢力を通じて影響力を広げ、イスラエルはそれを自国の安全を脅かす包囲網と見なしました。これが「代理戦争」と呼ばれる構図です。
イスラエルとイランは、長い間、全面的な直接戦争を避けてきました。しかし、両国の対立は実際には中東各地で表面化していました。
これが代理戦争です。
代理戦争とは、対立する国同士が直接戦うのではなく、別の国や武装勢力を通じて間接的に争うことを指します。イスラエルとイランの場合、主な舞台となってきたのはレバノン、シリア、ガザ、イラク、イエメンなどです。
イランは、イスラエルと敵対する組織や勢力に対して、資金、武器、訓練、政治的支援を行ってきました。一方、イスラエルは、イランの武器輸送ルートや軍事拠点、シリア国内のイラン関連施設などを攻撃してきました。
この構図では、両国が正式に宣戦布告をしなくても、実際には断続的な軍事衝突が続くことになります。イスラエルとイランの対立が「影の戦争」と呼ばれることがあるのはこのためです。

イスラエルとイランの対立をさらに深刻にしたのが、イランの核開発問題です。
イランは、自国の核開発について「平和的な原子力利用が目的であり、核兵器を開発しているわけではない」と主張してきました。一方、イスラエルやアメリカ、欧州諸国は、イランが核兵器を保有する可能性を強く警戒してきました。
イスラエルにとって、イランの核保有は単なる外交問題ではありません。イスラエルは国土が狭く、周囲に敵対的な勢力も多いため、敵対国が核兵器を持つことを国家存続に関わる脅威と見ています。
ここでよく取り上げられるのが「ベギン・ドクトリン」です。これは、敵対国が核兵器を持つことを未然に防ぐため、必要であれば先制攻撃も辞さないというイスラエルの安全保障上の考え方を指します。
実際にイスラエルは、1981年にイラクの原子炉を空爆し、2007年にはシリアの核関連施設とみられる場所を攻撃しました。こうした前例があるため、イランの核開発問題でも、イスラエルが軍事行動に踏み切る可能性は長年指摘されてきました。
イランの核開発問題を外交的に抑えるため、2015年にイラン核合意、正式には包括的共同行動計画(JCPOA)が結ばれました。
この合意では、イランがウラン濃縮の水準や保有量、遠心分離機の数などを制限する代わりに、国際社会が経済制裁を緩和することになっていました。目的は、イランが核兵器を短期間で製造できないようにすることでした。
しかし、2018年にアメリカのトランプ政権がこの合意から離脱し、対イラン制裁を再開します。これに反発したイランは、2019年以降、合意で定められた制限を段階的に破るようになりました。
その結果、イランの核開発をめぐる疑念は再び強まりました。ウラン濃縮度の上昇、IAEAによる査察の制限、未申告施設をめぐる疑惑などが重なり、イスラエルの警戒感はさらに高まりました。

2025年6月の軍事衝突は、長年続いてきたイスラエルとイランの対立が、一気に表面化した出来事でした。
直接の引き金の一つとなったのは、イランの核開発をめぐる国際的な緊張です。2025年6月12日、IAEA理事会は、イランが核不拡散に関する義務を守っていないとする決議を採択しました。イランはこれに強く反発し、核関連活動をさらに進める姿勢を示しました。
その翌日の2025年6月13日、イスラエルはイラン国内の核関連施設、軍事施設、ミサイル関連施設などを標的とする大規模攻撃を実施しました。この攻撃は、イランの核開発と弾道ミサイル能力を弱める狙いがあったとされています。
初期段階でIAEAが確認した核施設への影響は、ナタンズ濃縮施設への攻撃でした。一方、フォルドーやエスファハンについては、その時点では影響が確認されていないとされていました。その後、6月22日にはアメリカもイランの核関連施設を攻撃し、フォルドー、ナタンズ、エスファハンが標的になりました。
イランはこれに対し、イスラエルに向けて弾道ミサイルやドローンによる報復攻撃を行いました。こうして、長年続いていた間接的な対立は、イスラエルとイランの直接的な軍事衝突へと発展しました。
この衝突は、単なる一回の空爆や報復ではありません。1979年の革命以降に積み重なってきた敵対関係、代理戦争、核開発問題、アメリカの関与が一気に結びついた結果だといえます。
イスラエルがイランを強く警戒する理由は、大きく分けて3つあります。
第一に、イランがイスラエルの存在そのものを認めない立場を取ってきたことです。イランの指導部は、イスラエルを中東における不正義の象徴として批判し続けてきました。
第二に、イランがヒズボラやハマスなど、イスラエルと敵対する勢力を支援してきたことです。イスラエルから見ると、イランは遠く離れた国でありながら、レバノン、シリア、ガザなどを通じてイスラエルの周辺に軍事的圧力をかけている存在です。
第三に、イランの核開発問題です。イスラエルは、イランが核兵器を保有すれば、中東の軍事バランスが大きく変わり、自国の安全保障が根本から揺らぐと考えています。
この3つが重なっているため、イスラエルにとってイランは単なる外交上の対立相手ではなく、国家の安全に関わる最大級の脅威とみなされています。

一方、イランがイスラエルを敵視する理由も複数あります。
第一に、イラン革命後の体制が、反米・反イスラエルを重要な政治理念として掲げてきたことです。イスラエルはアメリカの強い支援を受ける国であり、イランにとっては中東におけるアメリカの影響力を象徴する存在と見なされてきました。
第二に、パレスチナ問題です。イランは、イスラエルによるパレスチナ人への対応を強く批判し、パレスチナ支援をイスラム世界における自国の正当性を示す手段としてきました。
第三に、中東での影響力争いです。イランは、イラク、シリア、レバノン、イエメンなどで影響力を広げようとしてきました。一方、イスラエルはそれを自国への包囲網と見なし、軍事的に阻止しようとしてきました。
このように、イランにとってイスラエルは、宗教的・政治的・地政学的に対立する相手となっています。
イスラエルとイランの対立は、二国間だけの問題ではありません。アメリカ、欧州、ロシア、中国、湾岸諸国など、多くの国の利害が絡んでいます。
アメリカは長年、イスラエルの最も重要な同盟国の一つです。イスラエルの安全保障を支援し、イランの核開発や中東での影響力拡大を強く警戒してきました。一方で、アメリカはイランとの核交渉にも関わってきたため、軍事圧力と外交交渉の間で揺れ動いてきました。
欧州諸国は、イラン核合意を維持し、外交によって核開発を抑えることを重視してきました。しかし、イランの核活動が進み、査察をめぐる不信感が高まる中で、欧州もイランへの姿勢を強めざるを得なくなっています。
ロシアと中国は、イランとの関係を維持しながら、アメリカ主導の中東秩序に対抗する姿勢を見せてきました。こうした大国間の対立も、イスラエルとイランの問題をさらに複雑にしています。
また、サウジアラビアやアラブ首長国連邦などの湾岸諸国にとっても、イランの動きは大きな安全保障上の問題です。イスラエルとアラブ諸国の関係改善が進んだ背景にも、イランへの警戒感がありました。

イスラエルとイランの対立は、日本から遠い中東の問題に見えるかもしれません。しかし、日本にも無関係ではありません。
最も大きいのはエネルギーへの影響です。日本は原油の多くを中東地域から輸入しています。現在、日本がイラン産原油に大きく依存しているわけではありませんが、中東全体への依存度が高いため、イラン周辺の情勢悪化は日本経済にも影響します。
特に重要なのがホルムズ海峡です。ホルムズ海峡は、ペルシャ湾岸の産油国から原油や天然ガスを運ぶうえで非常に重要な海上交通路です。もしこの地域で軍事衝突が激化すれば、タンカーの航行リスクが高まり、原油価格や輸送コストが上昇する可能性があります。
その影響は、ガソリン価格、電気料金、航空運賃、物流費、物価全体に波及するおそれがあります。つまり、イスラエルとイランの対立は、日本の生活費や企業活動にも関係する問題なのです。
また、日本はアメリカと同盟関係にあり、中東の安定にも関心を持っています。軍事的には直接関与しないとしても、外交、エネルギー安全保障、海上交通の安全確保といった面で、日本もこの問題を注視せざるを得ません。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1948年 | イスラエル建国。中東諸国の多くはイスラエルを認めず、対立が始まる。 |
| 1950年 | イランがイスラエルを事実上承認。パーレビ王政下で両国は一定の協力関係を持つ。 |
| 1979年 | イラン・イスラム革命。親米の王政が崩壊し、反米・反イスラエルのイスラム共和国が成立。 |
| 1980年代 | イランがパレスチナ問題やレバノン情勢を通じて、反イスラエル勢力への支援を強める。 |
| 1981年 | イスラエルがイラクの原子炉を空爆。敵対国の核保有を防ぐという考え方が注目される。 |
| 2002年 | イランの核施設をめぐる国際的な懸念が高まり、核開発問題が大きな争点となる。 |
| 2006年 | イスラエルとヒズボラの間で第二次レバノン戦争が発生。 |
| 2015年 | イラン核合意(JCPOA)が成立。イランの核活動に制限がかけられる。 |
| 2018年 | アメリカがイラン核合意から離脱し、対イラン制裁を再開。 |
| 2019年以降 | イランが核合意の制限を段階的に逸脱し、ウラン濃縮を進める。 |
| 2023年 | ガザ情勢の悪化により、イスラエルとイラン系勢力の対立がさらに深まる。 |
| 2025年6月12日 | IAEA理事会がイランの核不拡散義務違反を認定する決議を採択。 |
| 2025年6月13日 | イスラエルがイラン国内の核関連施設や軍事施設を攻撃。イランも報復攻撃を開始。 |
| 2025年6月22日 | アメリカがイランのフォルドー、ナタンズ、エスファハンの核関連施設を攻撃。 |
A. 最大の転換点は1979年のイラン・イスラム革命です。それ以前のイランはイスラエルと一定の協力関係を持っていましたが、革命後に反米・反イスラエルを掲げるイスラム共和国が成立し、両国関係は一気に悪化しました。
A. 宗教的な要素はありますが、それだけでは説明できません。実際には、パレスチナ問題、中東での覇権争い、イランの核開発、アメリカとの関係、代理勢力への支援などが複雑に絡み合っています。
A. ヒズボラはレバノンを拠点とするシーア派組織で、イランとの結びつきが強いことで知られています。ハマスはパレスチナのイスラム主義組織で、イスラエルと敵対してきました。イランはこれらの組織を支援することで、イスラエルに間接的な圧力をかけてきました。
A. イスラエルは国土が狭く、敵対国が核兵器を保有することを国家存続に関わる脅威と見ています。特にイランはイスラエルを強く敵視してきたため、イスラエルはイランの核開発を絶対に看過できない問題と考えています。
A. 突然起きたように見えますが、背景には長年の対立があります。1979年のイラン革命、代理勢力を通じた衝突、核開発問題、IAEAとの対立、アメリカの関与などが積み重なり、2025年6月に直接的な軍事衝突として表面化しました。
A. 日本への主な影響はエネルギー価格と海上輸送です。日本は中東から多くの原油を輸入しており、ホルムズ海峡周辺の緊張が高まると、原油価格、ガソリン価格、電気料金、物流費などに影響が出る可能性があります。
イスラエルとイランの対立のきっかけを一言でいえば、1979年のイラン・イスラム革命です。この革命によって、かつてイスラエルと協力関係にあったイランは、反米・反イスラエルを掲げるイスラム共和国へと変わりました。
その後、両国の対立はパレスチナ問題、ヒズボラやハマスへの支援、シリアやレバノンでの衝突、イランの核開発問題によって深まっていきました。
2025年6月の軍事衝突は、こうした長年の対立が一気に表面化した出来事です。イスラエルはイランの核開発を国家存続に関わる脅威と見なし、イランはイスラエルを中東における不正義とアメリカの影響力の象徴として敵視してきました。
つまり、イスラエルとイランの対立は、単なる二国間の争いではありません。宗教、パレスチナ問題、核開発、地域覇権、大国間の対立が重なった、中東全体の安全保障に関わる問題です。
日本にとっても、これは遠い国の戦争ではありません。中東情勢の悪化は、原油価格や物流、物価、エネルギー安全保障に影響する可能性があります。イスラエルとイランの対立を理解することは、現在の国際情勢と日本への影響を考えるうえでも重要です。