🎸 西村智彦さん・経歴
SING LIKE TALKING・西村智彦さんの 経歴
SING LIKE TALKINGのギタリスト/作曲家/編曲家として知られ、また多くのアーティストの作品にも貢献してきた**西村智彦(にしむら・ともひこ)**さんが、2025年6月5日に逝去されたとの報が本日(6月12日)伝えられました。享年61歳。
その音楽人生を時系列で詳しく振り返ります。
🏫 生い立ち~音楽との出会い
1964年1月25日
- 青森県青森市生まれ。
- 幼少期より音楽に親しみ、中学時代にギターと出会う。
- 高校時代はロックバンドに熱中。ディープ・パープル、TOTO、ジェフ・ベックなどをコピー。ギターへの探求心が強く、ライブハウスでの演奏経験も積む。
- 大学ではジャズやフュージョンにも傾倒。ウエス・モンゴメリーやパット・メセニーといったギタリストに影響を受け、演奏技術と音楽理論を本格的に磨く。
- この時期からプロ志向が芽生え、セッション活動にも積極的に参加。
1980年代半ば
- 青森から上京し、プロ活動を志す。東京で音楽仲間を広げ、多彩なジャンルのプレイヤーたちと交流。
- 514バンド(ファイブワンフォー・バンド)を母体に音楽活動を展開。ここで佐藤竹善、藤田千章らと出会い、のちのSING LIKE TALKINGの礎を築く。
- 当初はセッションギタリストとしても活動しながら、オリジナルバンドの可能性を模索する日々を過ごす。
🎤 SING LIKE TALKING 結成とデビュー
1985年末
- ボーカル佐藤竹善、キーボード藤田千章らと共にSING LIKE TALKINGを結成。
- 青森を拠点に活動を開始。ライブではカバー曲とオリジナル曲を織り交ぜたステージングが好評を博す。
- 西村さんは初期からバンドの音の核として中心的役割を果たす。
1986年
- ヤングジャンプ・サウンド・コンテスト ’86でグランプリ受賞。
→ この際、バンド名を仮に 「SING LIKE TALKING」 と命名。ソウル/R&B志向のサウンドが審査員や観客の間で高く評価された。
1987年
- ファンハウス(現・アリオラジャパン)と契約。
メンバーの変遷を経て、西村さんは残留し 中心的ギタリストとなる。
- 西村さんのメロウなカッティングとダイナミックなリードギターがバンドのサウンドを特徴づける。彼のギターは歌を引き立てるアンサンブル重視のアプローチが際立っていた。
1988年
- シングル『Dancin’ With Your Lies』、アルバム『TRY AND TRY AGAIN』でメジャーデビュー。
- デビューライブにて TOTOのジェフ・ポーカロ、ネイザン・イーストら世界的ミュージシャンと共演。プロフェッショナルな現場での経験がギタリストとしての自信につながった。
🌟 活躍期と武道館公演
1990年代
- ソウル、ファンク、AORの要素を巧みに融合。
- ENCOUNTER(1993)、togetherness(1994)がオリコン1位に。サウンドの厚みと洗練度が増し、バンドの音楽的完成度はピークを迎える。
- ヒット曲『With You』『La La La』などでギターアレンジが高く評価される。特に『La La La』では美しいアルペジオとリフが印象的と評された。
1996年4月1日
- 初の日本武道館公演を実施。大成功を収める。
→ DVD作品としても発売され、多くの音楽ファンに支持される。ライブでの表現力豊かなギターソロが観客を魅了。
- 武道館公演以降、西村さんは全国ツアーでもギターアレンジの緻密さとライブならではの情熱的なプレイを両立させた。
1998年~2001年
- バンド活動がやや低調期を迎えるが、**2001年の『METABOLISM』**で復活。
- 西村さんは作曲/アレンジの中核を担う存在として引き続き活躍。アルバム全体の音像設計にも積極的に関与。
- この時期、スタジオワークや他アーティストのサポート活動も本格化。ギタリスト/アレンジャーとしての幅をさらに広げていく。
🏆 レーベル移籍と活動休止・再開
2002年
- ユニバーサルミュージックへ移籍。
- 移籍第1弾シングル『Sprit of Love』で爽やかなギターが話題に。音色の選び方や空間系エフェクトの巧みな活用が際立った。
2003年
- アルバム『RENASCENCE』発表後、活動休止。
メンバーはソロ活動やサポート活動へ。西村さんはプロデュース/アレンジの仕事をさらに拡大していく。
2010~2011年
- 活動再開。シングル『Dearest』、アルバム『Empowerment』を発表。
- ライブ活動も再開し、バンドの再評価が進む。
- 西村さんはライブでもギターで楽曲に立体感を加える存在として中心的役割を果たす。音作りの精度がさらに高まっていた。
🎼 他アーティストとのコラボ/プロデュース活動
甲斐よしひろ
- 甲斐バンド、ソロ活動の両方において深く関与。
- アルバム『10 Stories』(2007年)、続く『TEN STORIES 2』(2008年)で 共同プロデュースを担当。両作はカバーアルバムとしても話題となり、『くるみ』『夜空ノムコウ』『ハナミズキ』など、お馴染みの名曲が多数収録されている。原曲の魅力を尊重しつつ、西村さんならではの温かみのあるアレンジとギターワークが作品全体に彩りを加えた。
- アルバム制作では全体のサウンド設計に関わり、ギターのみならず楽曲アレンジ全般に影響を与えた。ストリングスやリズムのディレクションにも関与。
- ツアーにもギタリストとして参加し、ライブでのエモーショナルなギタープレイが高い評価を受けた。ライブMCでも甲斐さんとの親密なやり取りがファンの間で語り草となった。
- 甲斐よしひろ本人からも「西村さんの音作りなくしてこのアルバムは完成しなかった」と信頼を寄せられていた。
尾崎亜美
- 『アミフォニック』収録曲などにギター参加。
- 長年にわたりライブ/レコーディングサポートを担当。
- 「Friendship」などでのプレイがファンに人気。尾崎亜美本人からも「ギターが楽曲の呼吸を作ってくれる」と賛辞を受けていた。
柴田淳
- 『ため息』(2003年)で プロデュース&ギター。
- アルバム『ひとり』『わたし』では 編曲&ギター担当。
- 繊細なギターアレンジが柴田さんの透明感ある世界観にフィット。特に音数のコントロールとダイナミクスが絶妙だった。
- 柴田淳本人が「西村さんのギターが世界観を作ってくれた」と語るなど信頼関係が深かった。
TOKIO
- バンドスタイルの編曲、ギター演奏で複数楽曲に参加。
- ジャニーズ屈指のバンド型ユニットとしての音作りを支える。
- 『LOVE YOU ONLY』『AMBITIOUS JAPAN!』期に関与。ポップで力強いバンドサウンドを構築。
その他
- 久保田利伸、槇原敬之、辛島美登里、広瀬香美、中山美穂、中西圭三、加藤いづみ ほか。
→ 卓越したジャンル横断的なギター/アレンジ能力が業界内で高く評価。
- 特にバラード系やソウル系楽曲では歌心あるギターソロが印象に残ることが多かった。
サポート活動
- 情熱大陸ライブやフォーク村などイベント系でもエモーショナルな演奏を披露。
- 他ジャンルのミュージシャンとの共演も多く、ライブでの存在感は際立っていた。
🎤 晩年と闘病、そして最期
2013年
- デビュー25周年記念活動を展開。
オリジナル・ベストアルバム配信開始。
- 過去のライブ音源のリマスター作業にも積極的に関与。
2015~2016年
- ベストアルバム『Anthology』リリース。
- ファンミーティングイベントも積極開催。全国でファンとの交流を大切にする姿が印象的だった。
2023年
- デビュー35周年記念ライブに参加。
ステージ4の咽頭がんを患いながらもステージ復帰。ファンや仲間から大きな拍手が送られた。
- 音楽への情熱を貫く姿がファンに深い感動を与えた。
- 「音楽と共にある限り自分は生きている」との言葉が関係者の間で語り継がれる。
2025年6月5日
- 午前中、都内の病院にて 永眠(享年61歳)。
- 闘病中もレコーディングプランや楽曲アイデアを語り続けていたという。
2025年6月12日
- 公式発表。葬儀は近親者のみで実施。
後日、お別れ会を予定。ファン有志による追悼集会も予定されている。
🎵 メンバー・関係者のコメント
「西村くんとは、最期の最期まで励まし合い、冗談を言い合い、笑い合って、決して希望を捨てることなく過ごして参りました。」
— 佐藤竹善さん・藤田千章さん(公式発表より)
🌝 まとめ
西村智彦さんは、SING LIKE TALKINGというジャンル横断的なバンドの中心ギタリスト/作曲家として、また J-POP界の裏方的存在としても高く評価された人物でした。
尾崎亜美さんや柴田淳さん、TOKIOさんなどの幅広い作品に貢献し、その**「歌心のあるギター」**は多くのファンの記憶に刻まれています。
晩年はがんとの闘病の中でも音楽活動に意欲を見せ、最後まで音楽を愛し続けたその姿は、多くの音楽関係者・ファンに深い尊敬と感動を与えました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。