ランディ・ジョンソン
【時系列で見る】ランディ・ジョンソンの経歴と偉大な軌跡
MLB史に名を刻む伝説的左腕、ランディ・ジョンソン(Randy Johnson)。その圧倒的な奪三振能力と存在感で、「ビッグ・ユニット」としてファンに愛されました。本記事では、彼の輝かしい野球人生を時系列で追いながら、功績や転機を振り返ります。
🍼 1963年:誕生
- 1963年9月10日、カリフォルニア州ウォルナットクリークで誕生。
- 幼少期から身長が高く、バスケットボールと野球の両方で才能を見せる。
- 高校ではすでに90マイル台の速球を投げていたと記録されています。
🎓 1980年代前半:大学時代
- **南カリフォルニア大学(USC)**に進学し、野球部に所属。
- その長身と球速で注目されるも、当初は制球難と精神面の課題が取り沙汰される。
- MLBスカウトの間では「球は速いが荒れ球」と評価されることが多かった。
📝 1985年:モントリオール・エクスポズに入団
- MLBドラフト2巡目でモントリオール・エクスポズに指名されプロ入り。
- 身長208cmという異例の体格が話題となる。
- マイナーリーグで制球を改善しながら実戦経験を積む。
⚾ 1988年:MLBデビュー
- 9月15日、モントリオール・エクスポズでメジャーデビュー。
- 速球はすでに凄まじいが、四球が多く安定感に欠ける。
- 初勝利を挙げたときも6四球を出すなど「荒れ球ぶり」が目立っていた。
🔄 1989年:マリナーズへ移籍
- エクスポズとのトレードでシアトル・マリナーズに移籍。
- 名将ノーラン・ライアンやコーチ陣のアドバイスを受けて成長。
- 投球フォームと精神面を見直し、コントロールが徐々に安定。
💥 1990年:初のノーヒッター達成
- 6月2日、タイガース戦でキャリア初のノーヒットノーランを記録。
- これが「ビッグ・ユニット」時代の幕開けとなる。
- MLB初の208cm超によるノーヒッターとしても話題に。
🏆 1995年:初のサイ・ヤング賞
- 18勝2敗・防御率2.48・294奪三振という圧倒的成績でサイ・ヤング賞初受賞。
- マリナーズはこの年、ポストシーズンに進出し、ヤンキースとのALDSで歴史的勝利を収める。
- ジョンソンはこのシリーズで救援登板まで行い、勝負所での登板が称賛される。
🧳 1998年:ヒューストン・アストロズへ短期移籍
- シーズン途中にトレードでアストロズへ移籍。
- わずか11登板で10勝1敗・防御率1.28と驚異的な成績を残す。
- ポストシーズンではブレーブスに敗れるも、その存在感は際立った。
🐍 1999年〜2004年:アリゾナ・ダイヤモンドバックス時代

- 1999年〜2002年に4年連続サイ・ヤング賞受賞。
- 2001年:ワールドシリーズ優勝・MVP獲得。
- カート・シリングと共に両輪を形成し、ヤンキースを破る。
- 第7戦では延長戦に救援登板して優勝に貢献。
- 2004年:パーフェクトゲーム達成(当時40歳)。
🗽 2005〜2006年:ニューヨーク・ヤンキース時代
- ヤンキースへ移籍し、ビッグマーケットでの挑戦。
- 初年度に17勝を挙げるも、ファンやメディアからは批判も多かった。
- チームの期待に完全に応えたとは言い難く、2006年には椎間板ヘルニアに苦しむ。
🔙 2007〜2008年:アリゾナ・ダイヤモンドバックス復帰
- 2度目のアリゾナ復帰。
- 若手選手の手本としてロッカールームでの存在も大きかった。
- 2008年は11勝を挙げ、通算300勝へ近づく。
🐲 2009年:サンフランシスコ・ジャイアンツで通算300勝
- キャリア最後の年をジャイアンツで迎える。
- 6月4日、通算300勝を達成(MLB史上24人目)。
- この年限りで現役を引退。
📸 引退後:写真家として第二の人生
- 引退後はプロの写真家として活動。
- MLBの試合やアメフト、自然風景など多様なテーマを撮影。
- 自らのブランド「Randy Johnson Photography」を立ち上げる。
🏅 2015年:殿堂入り
- 通算303勝・4,875奪三振(歴代2位)・サイ・ヤング賞5回。
- 得票率**97.3%**で殿堂入り。シアトル・マリナーズとしては初の殿堂入り選手。
- 殿堂入りセレモニーでは「私のようにコントロールが悪くても、努力すれば夢は叶う」とスピーチ。
📌 主なキャリア実績(まとめ)
実績 |
数値・記録 |
通算勝利数 |
303勝166敗 |
通算奪三振数 |
4,875(歴代2位) |
サイ・ヤング賞 |
5回 |
オールスター選出 |
10回 |
ノーヒッター |
2回(うち1回はパーフェクト) |
ワールドシリーズ優勝 |
2001年(MVP受賞) |
通算被打率 |
.221(極めて低い) |
通算奪三振率(K/9) |
10.6 |
🎯 ランディ・ジョンソンのトリビア集
🕊️ 1. 鳥を「消した」唯一のMLB選手
2001年のオープン戦で、投げた速球が偶然飛んできたハトに直撃。羽が舞い、鳥は即死。**「ランディ・ジョンソンが球で鳥を消した」**という映像は今もネット上で伝説的存在です。
🎸 2. メタルバンドとコラボしたことがある
ジョンソンはメタル音楽好きとしても知られており、メタリカやラッシュなどのライブに参加することもしばしば。写真家として、AC/DCやニッケルバックなどのバンドのライブ写真も撮影しています。
🎓 3. コントロール改善のために「ノーラン・ライアンの真似」
制球に悩んでいた若手時代、ジョンソンは伝説の剛腕ノーラン・ライアンの映像を何度も見て、フォームを徹底的に研究。これが後の大成のきっかけに。
📸 4. プロ写真家としても殿堂級
引退後のジョンソンは本格的な写真家として活躍。ナショナルフットボールリーグ(NFL)の公式撮影やアフリカでの自然写真撮影なども手がけ、メジャーリーガー出身写真家として世界的に注目されています。
🤝 5. イチローと同じ時代に活躍し、何度も対戦
ランディ・ジョンソンはイチローとも複数回対戦しており、**「同じ時代にこの2人がいたこと自体が奇跡」**と語られるほどのスーパースター同士の対決でした。
🧢 6. 「ビッグ・ユニット」の由来はロッカールームの一言
このあだ名はチームメイトが彼を見て“Man, you’re a big unit!”(でかっ)と叫んだのがきっかけ。そこから本人も気に入り、公式ニックネームとして定着しました。
🐍 7. 40代でも100マイル近い球速を計測
アリゾナ時代の後半、すでに40代であったにも関わらず速球が100マイル近く出ていたという記録があり、「生けるパワーモンスター」と呼ばれたことも。
📝 まとめ
ランディ・ジョンソンは、制球難を乗り越え、40代まで一線で活躍した稀代の左腕でした。投球フォームや精神面を改良し続け、常に進化していった姿は、若い投手たちへの教科書でもあります。
その伝説は「三振製造機」「最恐の左腕」といった異名だけでは語り尽くせません。彼の奪三振ショーは野球ファンにとって至福の時間であり、一球一球が歴史に刻まれたと言っても過言ではないでしょう。
今もなお、彼の影響はメジャーリーグに色濃く残っており、多くのファンにとって永遠のヒーローです。